スレイヤーズNEXT→TRY 三部作  『ステップ』

エピソード2 〜憂鬱な恋心 前編〜


 ――――・・・ん、あれ・・・?
 ・ ・・ここはどこだろう。
 あたし、どうしたんだっけ・・・?


 霞む瞳にぼんやりと写るのは、すすけて黒っぽくなった見知らぬ天井。
 宿、かな。
 でも宿についた覚えはないし。えーと・・・
 思い出そうとするとズキンっと頭が痛んだ。奥のほうからズキンズキンと痛みが響いてきてまともに考えていられない。
 それに身体に力が入らない。痛む頭を押さえようとして、手を持ち上げた。
 えっと・・・確か森の中を歩いていたら、昨日苛めた盗賊団の残党が襲ってきて・・・
 何故か魔法が使えなくって、そんで急に寒くなって・・・
 ――――それからどうなったんだっけ?
 頭の痛みが増してくる。それにまた身体中寒くなってきた。毛布にくるまってベッドに寝ているにもかかわらず。
 あたしは一体どうしてしまったんだろう。
 カチャっとドアが開く小さな音に、思わず反射的に身構えて・・・力を抜いた。
 「気がついたのか、リナ」
 洗面器と水差しを持ったガウリイがほっとした表情でこちらに歩いてくる。サイドテーブルにそれらを置くと、ベッドの横にあった椅子に座ってあたしに向かって手を伸ばしてきた。
 反射的に目を閉じる。
 ガウリイの大きな手が前髪をかきあげて額に触れる。そのままそっと滑って首筋に。
 冷やっこいその手の感触と恥ずかしさでゾクっと身体が勝手に震えた。
 「やっぱりまだ熱が高いな」
 微かに形のいい眉をしかめてフっとため息をつく。でもすぐに心底安心したようなほっとしたような柔らかい眼差しであたしの髪をゆっくりと撫でた。
 「ち、ちょっと、ガウリイ」
 ・・・・h、声が掠れちゃってる。のどが奥で引っ付いてるって感じ。
 「水飲めるか?リナ」
 ガウリイの言葉にこっくりとうなづいた。
 初めて自分がのどが乾いていた事に気付く。一度それを自覚してしまうと急激に飢えが襲ってきた。
な んとか身体を起こそうとしたけれど、やっぱり全然力が入らない。水飲みたいのに。
 「ほら、無理するんじゃない。お前さん2日も眠りっぱなしだったんだから」
 言いながらガウリイの腕がひょいっとあたしの身体を持ち上げた。どこから出したのか大きなクッションをあたしの背中に当てて倒れないように支えてくれる。剥いだ毛布を再び掛けて身体が冷えないようにしてくれた。
 「ゆっくりでいいからたくさん飲めよ。熱でかなり汗かいてるから」
 どこから出したのか、小さい子供が使うような吸い飲みを持ってきてあたしの口に含ませた。
 ・・・・普段なら吹っ飛ばしてるところだけれど、今は強がっても確かにコップを支えられる自信はない。これなら楽に水が飲めるけど・・・
 コクンっ、と飲み込む。
 のどを通っていく水がとても甘く感じた。
 乾ききっていた口の中がゆっくりと潤っていく。ずいぶんあたしの身体は乾いていたらしい。ゆっくりと、でも夢中であたしは水を飲み干した。
 ふうっと一息つくと、ぽんぽんっと頭を軽く叩かれる。
 柔らかい眼差しがあたしを覗き込んでいた。
 ――――そう言えば、さっきこいつ、あたしが2日間眠りっぱなしだったって言ってたっけ・・・
 ずいぶん心配させちゃったみたいだな。
 ここまで運んでくれたのもガウリイだろう。あの後から2日。ずっとついていてくれたのかもしれない。
 「・・・ガウリイ。ここどこ?」
 さっきよりはまともに出てくれた声にほっとしつつ、キョロっと室内を見てみる。窓から日が差し込まないようにカーテンがかかっていたが、その隙間からの光で今が昼だって事は分かった。
 「なんとかっていう村」
  ・・・・・あまりにもお約束な答えに、思わずスリッパでドツきたくなったのは致し方ない事だろう。元気だったら絶対やってる。
 なんだってこうクラゲかなぁ。村の名前ぐらい聞いてるだろうに。
 「それはともかく、医者呼んでくるから少し待ってろな。すぐに来るから、おとなしくしてるんだぞ」
 思いっきり脱力しているあたしの身体にずり落ちた毛布をかけ直して、ガウリイが名残惜しげに振り返りながら部屋から出ていった。
 んな心配そうな顔しなくたって出歩きゃしないわよ、立ち上がる事も出来ないってのに。
 あーあ。こんなに寝込むなんて。一体何が原因なんだろう。あの盗賊団を苛めに行った時も、その前も体調が悪いってわけじゃなかったのに。
 魔法が使えなかったのはこのせいなんだろうけど・・・
 うう・・・頭痛いし、まだ身体中ゾクゾクするし。
 ふぅ・・・結構辛い。
 しばらくおとなしく待っていると、ドタドタと騒がしい音を立ててガウリイが誰かを連れて戻ってきた。
 「リナ、大丈夫か?おとなしくしてたか?」
 「・・・あのねぇ、あんたが出てってから大した時間経ってないでしょうが」
 ガウリイの過保護ぶりに呆れながら戸口に視線を移して―――――思わず自爆しそうになった。
 ・ ・・・な、なんかどピンクの物体がいるんですけど・・・
 「どれどれ、やっと気がついたかい」
 きっついピンク色の服に全身を包んだふっくらしたおばちゃんが、ガウリイに引きずられるようにして部屋に入ってくる。首からかけたこれまたピンクのタオルで汗を拭きつつ、あたしを見てにっこりと笑った。
 ・・・・い、色はともかく、どお見ても医者というより農家のおばちゃんなんだけど・・・
 「熱はまだ高いね。でも仕方ないよこれは。後5日程は続くからね」
 「あ。あのー・・・あなたは・・・?」
 ピタピタと遠慮もなしにおでこと頬に触れながらケラケラ楽しそうに笑うおばちゃんに、あたしは確実に熱が上がったのを自覚しつつ戸惑いながら声をかけた。
 「あたしかい?あたしはピエヌっていうんだ」
 にこにこにこ・・・・
 にこにこにこ・・・・
 「あ、あの。もうちょっと詳しくっていうか・・・ここはどこなのかなーとか、あたしはどうしちゃったのかなーとか説明してくれると嬉しいんですけど・・・」
 ――――根はいい人らしいんだけど、どこかガウリイと通じるところがあるような気がする。
 「ああ。ここはポルトーって村さ。この兄さんが血相変えてお嬢ちゃんを運んできてねぇ。2日間寝っぱなしだったんだよ。元気だったのが急に高熱が出て倒れたって、そりゃ大騒ぎだったんだから」
 バシバシとガウリイの腕を叩きながら陽気に笑うピエヌさん。つられて笑ってるガウリイ。
 「ちゃんとした魔法医ってのがこの村にはいないからねぇ。取りあえずあたしが趣味で少し医者の真似事ができるから、うちに運んで様子見てたんだよ」
 ・・・・笑いながら今、さらっととんでもない事言わなかったか?この人・・・・
 「趣味って・・・あの・・・?」
 「この村にいる人は皆農民さ。ただ趣味で食堂やってたり先生やってたり宿開いたりしてるけどね」
 そりゃ、村に魔法医がいないってのは珍しい事じゃない。近所の村を巡回してる魔法医がいたりするし、薬草なんかで治せなかったりしたら近くの町に連れてけばいい事だから。
 ・・・・だけど、そんな趣味でやってるって、あんた・・・
 「気にする事ないぞ、リナ。こう見えてもおばさんの腕は確かなんだから」
 「そうそう。多少の白魔法は使えるし、なんたって薬草の調合には自信があるんだから。お嬢ちゃんの病名だってちゃんと分かっているしね」
 「病名・・・ただの風邪とかじゃないんですか?」
 思わずうろんげな視線を向けたにもかかわらず自信満々なピエヌさん。
 「お嬢ちゃんの病名は、『はしか』、さ」
 「・・・・・はい・・・?」
 なんか聞いた事あるような気がするけど、なんだっけ?
 「普通は子供のうちにやる病気なんだけどねぇ。ほら口を開けてごらん」
 言われるままにあーんと口を開くと、にゅっと2人の顔が覗き込んできた。
 「ほら、白いプツプツが出てきてるだろう?そのうち身体にも発疹が出てくるよ。風邪の症状と似ているからねぇ、今は何ともなくても咳とかも出てくるはずだ」
 「おお、本当だ」
 「ひっひゃるらっ!ほらっ」
 あたしの口を2本の指でビローンと引っ張って覗き込んでいるガウリイを渾身の力を振り絞ってドツキ倒した。
 とたんにクラっとしてベッドにずるずると崩れてしまう。
 「1週間程で治るから、ちょっと辛いけど我慢しなさいよ。なんせ、初恋とはしかは年を取る程重いって言うからねぇ。だけど女の子はこれをやっておかないと、産まれる子供が心配だからね」
 「んなっ・・・子供ってどういうことだ?!」
 突然ガウリイがガバっと起き上がり、怖い程真剣な瞳で覗き込まれた。掴まれた肩が、痛い。
 「なななな、なに勘違いしてるのよーっっ!」
 真っ赤に染まった顔は、怒りか恥ずかしさか。両方だろう。
 「将来的な事を言ってるんでしょーが!今のあたしに子供が出来てるわけないでしょっっ!ちっとは考えろーっっ!」
 だぁぁぁぁぁ・・・・病人にこいつの相手はきつすぎる・・・
 いつも一緒にいるんだから、そんな事あり得ないってわかりそうなものだろうに。第一、その、そんな事した事もないし・・・ごにょごにょ・・・
 「おやおや、また熱が上がっちまったね。まぁ、ゆっくり休んでなさい。薬持ってくるからちゃんと飲むんだよ」
 のんきに笑いながらピエヌさんが部屋を出ていった。
 まだ聞きたい事はあったんだけれど、今のやり取りであたしの体力と精神力はほぼ限界。大きなため息はかなり熱っぽかった。
 ああ・・・元気だったらドラグスレイブ竜破斬でもぶちかましてやるのに・・・ったく、ばかくらげ。
 ズルズルと布団に潜り込むと、タイミング良くおでこに冷えたタオルが乗せられる。冷やっこさが心地いい。ずっとそうやっていてくれたのかな?そういえば部屋に戻ってきた時洗面器もってきてたっけ。
 「ガウリイ・・・あんたちゃんと寝てた?」
 「ん、そこそこな」
 何でもない事のように微笑んであたしの髪をそっと撫でてくる温かい手。
 ―――――ずっとついててくれたんだ。
 まったく・・・相変わらず心配性な保護者なんだから。
 「疲れたのか?すぐ薬が来るからもう少しだけ寝るの待っててくれよ?」
 ポンポンと軽く毛布を叩いて、暖かい瞳があたしを覗き込んでくる。まるっきり子供扱いなんだけど、なんだかとても安心した。
 すぐにまたノックの音が響いて、ガウリイがドアを開けて応対する。
 薬を持ってきてくれたピエヌさんの、大きな笑い声が隙間から聞こえた。
 「ほらリナ。薬来たぞ」
 大きなコップに入ったそれを大切そうに持ってあたしの側に来たガウリイが、あたしにそれを渡そうとした瞬間に漂ってきたその匂いに、あたしは反射的にガバっと頭から毛布をかぶって潜り込んでいた。
 「・・・・・・こら。リナ?」
 「薬湯は嫌っ!いらないっ!」
 「お前さんなぁ・・・子供じゃないんだからだだこねるんじゃない。それに飲まないといつまでたっても熱下がらないだろう?」
 「そんな苦いもの飲んだら余計に悪化するわよっ。それだけは絶対に飲めないんだから!」
 ・・・・・幼い頃のトラウマというものは、理屈ではないのだ・・・・
 ――――ねーちゃんが作ったあの薬湯とこの薬湯は別物だって充分わかっているんだけれど、この香りだけであの時の恐怖が蘇ってくる。何があったのかは・・・聞かないで、ぷりーず・・・
 「リナっ!」
 「・・・・魔法医のとこ行く〜〜〜本当にそれだけは飲めないんだよぉ〜〜〜〜」
 「泣いてもダメ。あのなぁ、ここには魔法医いないってさっきも言っただろ?薬は苦いって決まってるんだから、少しだけ我慢しろって」
 「我慢出来ないっ!」
 「・・・・・リナ〜〜〜」
 ガバっと毛布をひったくられた。隠すもののなくなったあたしの目の前に、ガウリイの顔。
 ・・・・・怒ってる・・・・・
 だけどだけどだけどっ。我ながら情けない我が儘言ってるとは思うけどっ。心配かけてるのもわかるけどっっ。
 ダメなものはダメなんだもん。
 「・・・・あんまり我が儘言ってるなら、俺も我が儘するからな」
 ―――――ぞくっ
 な、なんだか・・・さっきまでとは別の悪寒が・・・・
 hっ・・・ガウリイ。目がまぢだし・・・・
 ここは寝ちゃおう、そうしよう。熱で頭重いし、うつ伏せになって枕抱えて寝ちゃえば無理矢理だって薬なんて飲ませらんないし。
 「・・・・・・ぐぅ」
 「寝たふりしてもダメだぞ」
 聞かないもん。
 本当にちょっと、疲れて眠いし・・・・
 ふぅ、と。小さな溜め息があたしの頭の上に落ちてきた。同時にギシっとベッドが軋む。
 ―――――ち、ちちちちち、ちょっと待って。
 こ、この体勢は色々ちょっと問題があると思うんですけどーっ!
 さっきまでとはまた別の熱が、かーっと身体中に広がっていく。バクバクと心臓が跳ね上がって息苦しい。
 ベッドの隅に腰掛けて、あたしに覆いかぶさるように覗き込むガウリイを背中越しに感じて、どんどん熱が上がっていく。
 神経が張り詰めて眠るどころじゃない。無言のプレッシャーと、見えないはずのガウリイの青い瞳があたしを追い詰めていく。
 〜〜〜〜なんつう手段で来るのよ、このばかくらげっ!
 「・・・・・・・・飲むわよ」
 「ん?」
 「飲むわよっ!だから、早くそこどいてよっ」
 敗北宣言をしたあたしにガウリイが心底嬉しそうに微笑んだ。
 ・・・・・・最近、この顔に本当に弱いんだ。あたし。
 「ほら。持てるか?ゆっくりでいいからこぼさずに飲むんだぞ」
 「・・・・子供じゃないわよ」
 「・・・・なら最初からだだこねるなよな」
 楽な状態に身体を支えてくれながらガウリイがぼそっとつぶやく。聞かないふりしてあたしは手の中の液体を覗き、覚悟を決めた。
 ごくっとのどを鳴らし、大きく深呼吸して息を止めると、一気に口の中に流し込む。
 「おいおい・・・大丈夫か?」
 ごくん・・・っと、最後の一口を何とか飲み込んだ瞬間にあたしはパタっとベッドに倒れこんだ。
 「よしよし、いい子だ。よくがんばった」
 あまりの苦さとまずさに口を開くことも出来ずに涙目でガウリイを睨み付けるあたしに、苦笑しながらそっと髪を撫でてくれる。まるっきり子供扱いだけど、ちょっとほっとする。
 「・・・・・水、欲しい」
 薬湯の何が嫌って、この口に残る味と匂い。何とか口を開くまでに回復したあたしの言葉にガウリイがきょろきょろとまわりを見渡すが、起きた時飲んでしまったせいで、吸い飲みに水は残っていなかった。
 「口が苦い〜〜気持ち悪いよぉ〜〜」
 「ちょっと待ってろ。すぐに持ってくるから、な」
 「待てない〜〜」
 あたしの身体に毛布をかぶせて寝やすい体勢にしてくれて、ガウリイがそっとあたしから離れる。
 ――――いつもなら絶対にしない行動。
 「?リナ?」
 無意識のうちにあたしの手がガウリイの服を引っ張っていた。
 やっぱり熱があるからなのか、なんだか1人になりたくない。
 ゆっくりと眠気が降りてくる。
 「すぐに戻ってくるよ。水汲んでくるだけだから」
 「・・・・いい。いらない、我慢する」
 ・・・だから眠るまでここにいて。
 さすがに言葉には出来なかったけれど、ガウリイの瞳をちらっと覗いた。最初は不思議そうな表情をしていたガウリイが、すぐにとても柔らかい瞳で微笑む。
 とんとんっと肩のあたりを軽く叩いてくるリズムが、とても優しい。
 「ゆっくり休みな、リナ。今までの疲れも一気に出たんだろう。俺がいるから心配するな」
 優しい、優しい声とリズム。
 やっぱりあたしらしくないなぁ。普段ならこいつがこんなに側にいたら恥ずかしくなって呪文の1つでも唱えるところなのに。
 今は何だかこの暖かさに甘えていたい、なんて。
 熱と眠さで感覚も朦朧としてきた。
 ふぅっと、身体の力を抜いて眠りの淵に沈んでいこうとした時に・・・・・・・

 ―――――何?今の・・・・?

 暖かくて柔らかいものが唇に触れた。
 それが何か確かめようと目を開こうとしたけれど、どうしても開かない。まるで眠りの魔法をかけられたように襲いくる眠気を振り払うことがどうしてもできない。
 なに?ねぇ・・・教えてよ。ガウリイ・・・

◇◇◇◇◇

 ――――夜、ふと目を覚ました。

 あれからずっと眠りっぱなしだったから、こんな時間に目を覚ましたとしても不思議ではないんだけれど。
 ・・・・・なんだろう。甘い香りがする。
 そろそろとベットから身体を起こすと、サイドテーブルに艶やかなぶどうが一房置いてあるのが目に入った。
 そう言えば、ここもワインの名産地だって言ってたっけ。
 ぼんやりとぶどうを見つめながら、あたしはゆっくりとベッドから降りた。
 ・・・・・やっぱりまだ力が入らない。自分で思っているよりも熱は下がっていないようだ。
 力ない足取りでサイドテーブルまで辿り着くと、へなへなとイスに座り込んだ。
 たった数歩の距離でこんなになってしまうとは、我ながら情けない。
 ・・・・物心ついてこのかた、寝込むような大病した記憶ないしなぁ。まぁ・・・ねーちゃんに毒の見分け方を仕込まれた時に何度か生死の境を漂った時はあったけど・・・・
 病気した時も魔法医に見てもらって比較的楽に治してもらっていたしなぁ。
 ―――――hh・・・・しんど・・・・
 机に突っ伏しながらそうっとぶどうに手を伸ばす。
 食欲は全然ないのだが、のどの乾きを覚えていた。
 ぷつっとひと粒房から外すと、途端に溢れる芳香とみずみずしい果汁。
 口に含もうとしてそれが唇に触れた瞬間。


 ――――思い出した記憶に、指からポロっとぶどうが床に転がり落ちた。


 微かに震える指先がそうっと唇を辿る。
 蘇った感触に、全身が真っ赤に染まっていくのを感じた。
 眠りに落ちる前に感じた暖かさ。
 「・・・・・・なんなのよ・・・バカガウリイ・・・・」
 確認は出来なかったけど・・・・あれは、もしかしたら・・・多分・・・
 柔らかくて暖かかった、僅かに湿っていたガウリイの唇。
 ――――どーゆーつもりであんなことしたのよ。
 ・・・・・キス、だよね?
 多分、多分、ね。あんまり自信ないけど・・・・
 もしかしたら、夢だったのかもしれないんだけど・・・
 だけど・・・・
 心臓がバクバク言ってる。熱が上がってきたのがはっきりとわかる。
 だって・・・あたし、初めてなんだもん。
 気になって当たり前じゃない。

 

  

 ――――ガウリイのことが好き。
 最近になってあたしはそのことを自覚した。
 ガウリイが冥王フィブリゾに攫われて、何を引き換えにしても取り戻したくて。あたしは重破斬を唱えた。
 一度混沌に沈んだはずのあたしを、ガウリイが助けてくれたらしい・・・どうやって助かったのかは、あたしもガウリイも記憶にないんだけれど。
 それで気付いた自分の気持ち。
 あたしはガウリイのことを1人の男として好きだった、ってことを。
 でも、あたしはまだこの気持ちを伝えてはいない。
 とても微妙で、でも落ち着く距離をまだ保っている。
 伝えてしまったらこれまでの関係が崩れそうで。何かが変わってしまいそうで、まだ少し怖くて。
 だけどガウリイはこれからもずっと一緒にいるって、約束してくれたから。いつかちゃんと伝えたいって思っているけれども。
 ・・・・ガウリイがあたしのことをどう思っているか、まだわからないから・・・

 

 

 「・・・・ガウリイ・・・・」
 今ここにいたら、熱で浮かされてるのをいいことに、問いつめること出来るのに。
 彼は今、ここにいない。
 夜だし、きっとどこか別の部屋で寝ているのだろう。
 ずっと、あたしのそばで付きっきりで看病してくれていたみたいだし。2日間、あたしが眠りっぱなしだった間、まともに寝ていなかったようだから。
 本当にお人好しないい人。
 心配性の保護者。
 だから期待したくなる。自惚れていたくなる。
 ―――カタンっ
 不意に窓の外から小さな音が聞こえた。
 誰かが外に出ていく気配がする。
 熱でぼうっとした頭を軽く振って、ふらふらとあたしは窓に向かって歩いた。
 カーテンの隙間から見えるのは、この家を取り囲む生け垣と小さな庭。生け垣の向こうにはぶどう畑が広がっている。
 月明かりが微かに地上を照らしているその中で、門のあたりに暗い人影が見えた。
 小さなランプを手にして、誰かを待っているような素振り。
 「・・・・・・女の人がこんな夜中に出歩くなんて、物騒な・・・」
 自分のことは完全に棚に上げた事を思いつつ、別に害はなさそうなので再びイスに戻ろうとした時――――
 「・・・ガウリイ・・・!?」
 一瞬、自分の目が熱のせいでかすんでいるんだと思った。
 だけど、見間違うはずなんてない。
 どんな暗闇にだって飲み込まれることのない、長い金髪。
 ――――何で?
 ガウリイが女の人の元へ小走りに近寄っていき、多少の言葉を交わしてから、2人で連れ立って門の外へ歩いて行った。
 ――――どーゆー事!?
 身体の力が抜ける。
 窓に張り付いていた身体が、ずるずると床に落ちていく。
 「・・・・・・・どーしてぇ・・・・」
 自分の耳にも届くかどうかという、小さな吐息のような声が唇から漏れた。
 ゾクっと、身体が震える。
 先程まで熱っぽくても何だかふわふわと暖かかった身体が、急激に寒くなった。
 身体を支えていられない。鈍い衝撃が走る。けれど床に倒れた身体を持ち上げることが出来ない。
 (・・・・・・ガウリイ・・・・行かないでよ。バカガウリイ・・・!)
 そう思ってしまった自分が何だか情けなくて、ギリっと唇を噛み締めた。
 ――――寒い・・・

 あたしはそのまま、真っ暗な意識の底に落ちていった・・・・・