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微かな寝息が聞こえてくる。この腕にかかる重みが、暖かさがあまりにも愛おしくて。
栗色の柔らかい髪をそおっと撫でる。起こさないように、細心の注意を払って、そおっと。
僅かに微笑みを浮かべながら眠る、余りにも無防備な顔に、自覚したばかりの想いがちくちくと騒ぎだす。
このまま、強く抱きしめたい衝動に。
もう二度と、手の届かない場所に連れ攫われないようにしっかりと抱きしめて、離したくない。
そんな事を思いつつも、ガウリイの手は相変わらずリナの髪を梳いていく。
穏やかな夢を壊さないように。優しく、ゆっくりと。飽きる事なく触れていく。
「リナ」
身体から伝わってくる、温もりと鼓動。
ここに生きて、確かに存在する確かな証拠。
ここにいるのは、紛れもない。リナだ。
あの時、金色に輝いていた。
リナの姿をした、リナじゃない者。
お前の心がどこにもなくて。
俺を助ける為に、お前が消えてしまったと分かった時の俺の気持ちは。
「・・・・お互い様、だけどな。でも・・・二度としないでくれよ・・・」
リナの耳もとで小さく囁く。微かに身じろぎをした背中をあやすように軽く叩いた。
実際の所、どうやってリナを取り戻せたのかは分からない。気がついたら二人でいた。
何か大事な事を忘れてる。リナを追い掛けていったあの黒い物体の中で、あった事を。
でも、別にどうでもいい。
今ここにリナがいる。それが総てだから。
腕の中にすっぽりとはまってしまう小さな身体。この小さな身体のどこにあんな力が隠されているのだろう。
絶対に諦めない、強い強い意志と、人間離れした魔力で皆を、俺を導いていく眩い光。
だけど、こいつの脆さを、俺は知ってる。
頑丈そうに見えて、その実とても壊れやすい心を抱えている奴だから。
だから、放っておけない。
リナの心ごと、守ってやりたい。
これからもずっと。リナの一番近くで。
俺が。
『保護者』の役は誰にも譲る気はないから。たとえこの想いが、保護者とは言えないものに変化していったとしても。
「お前がいるのは、俺の側なんだからな」
そして、俺がいる場所も。
空気に溶けるような小さな囁き。よく眠るリナの耳に届くわけもない微かな言葉に、しかし、ゆっくりとリナの顔にふわりと笑みが広がっていった。
思わずリナを抱き締める腕に力がこもる。
満たされたような、許されたような気持ちに、心が震える。
こんなに人を愛おしく思える日がくるなんて思わずにいた。誰かにこんなに執着するなんて。
神なんて、運命なんて信じてはいないけれど。
あの日リナに出会った事を、感謝せずにいられない。
「ありがとう」
吸い寄せられるようにリナの髪に口付けを落とす。
安らかな、穏やかな暖かい感情に包まれて。微笑んだガウリイの青い瞳は、まるでこの月の光のようにリナの総てを包み込んでいた。
◇◇◇◇◇
カサッと足下の枯れ草が音をたてる。一瞬警戒し、すぐに知った気配に力を抜いた。
「何やってるんだ?ゼル」
「ガウリイ!?」
振り向いた瞬間に飛び上がった声に、シィーと指を立てる。微かに身じろいだ腕の中の身体は、しかし起きる気配はなく、ほぅっと安堵の息をついた。
「リナ・・・?眠ってるのか」
「ああ。大声出して起こさないでくれよ。勿体無いから」
思わず出た本音にゼルが苦笑した。
「確かに、勿体無いな。そうしてるととてもあのリナとは思えん」
正直すぎる言葉に今度は俺が苦笑した。
今までも野宿などでリナの寝顔を見た事はあるにしても、こんなにもあどけなく安心しきっている顔は初めてだから。
「気が抜けたんだろうな。色々あったから」
「そうだな。あれからまともに眠れなかったようだから。やっと落ち着いたんだろう」
ゼルのいつも鋭い眼光が柔らかくなった。仲間を思いやる眼差しは優しい。
「・・・すまん。心配かけたな」
「まったくだ。リナもお前も無茶するんだからな。まぁ、なんとか無事に終わったからいいさ」
「ああ。そうだな」
ふっと口元に笑みを浮かべてゼルは空を仰ぎ見た。視線の先にあるのは白い月。
滅多に見せない穏やかな表情が、珍しく気になった。
「・・・・今、ここで生きていられるのが不思議でな」
俺の視線に、淡々と答えてくる。同じく穏やかな声。
微かに陰った表情。何を思い出しているのか分からないが、ゆっくりと首を振って息をついた。
「大したもんだぜ、ガウリイ」
「何がだ?」
「どうやったか知らないが、神様からリナを取り返して来たんだからな。すでに人間業じゃないぜ」
そして、ニヤっと笑う。
「極限に追い込まれないと素直になれないってのも、時によりけりだな。そんなところまでお前たちは一緒なんだから。全く大した奴らだよ」
ゼルの言葉に、思わず腕の中のリナを見る。変わらないあどけない寝顔に、思わず力を込めた。
極限に追い込まれて、そして、自分よりも俺を助けようとしたリナ。どんなに辛かっただろう。
俺は、何も知らない。
俺が捕まっていた間、何があったのか。
・・・・だけど、リナは教えてはくれないだろう。
「なぁ、ゼル」
「何だ?」
「・・・・・いや、何でもない」
それはきっとゼルも同じだろう。過去に起こった事を今さら言う事はしない奴だから。
「旦那らしくないな」
ため息をついた俺の肩を、ゼルが軽く叩いていく。
「そんな顔をする必要はない。ガウリイ。大切なのは、今、生きている事だ」
生きている事。この温もりを守る事。
「お前に万が一の事があったら、今度こそ世界がなくなるぞ。そうならないように命を大切に生きる事さ。出なきゃリナを守れんぞ」
ゆっくりと紡がれる言葉。強い視線に一瞬飲まれそうになった。
ゼルがゆっくりと手を持ち上げて握り締める。瞳を閉じて、何かを決意した顔がふっと和む。
「『保護者』、だろう?」
「ああ。そうだ」
「その手に取り返したんだ。堂々と主張してればいいさ」
「まあな」
ニヤっと笑う。そして笑い返される。
腕の中の存在を誰にも譲るつもりはないから。
「起きないうちに部屋に連れてけよ。起きたらまたぶっ飛ばされるぞ」
笑いながらゼルがきびすを返した。宿とは別の方向へ。
「ゼルはどこに行くんだ?」
「まだ眠れそうにないんでな。もうしばらく散歩でもしてるさ。じゃあな」
ひらひらと手を振るとスタスタと歩いて行ってしまった。なんとはなしに見送りながら思わず苦笑する。
大事な事が分かっているならそれでいい。自分の心はもう分かってるんだから。
「ったく」
仲間の気遣いに嬉しくなった。
「分かってるさ」
◇◇◇◇◇
「あれ、シルフィール?珍しいな。一人で飲んでるなんて」
食堂から漏れている光に思わず覗くと、中には憂い顔のシルフィールがいた。
「ガウリイ様・・・っ」
ビクっと身体を硬直して立ち上がる。驚いて固まった視線を追ってみると・・・
「ああ。いきなり寝ちまってさ。ああそうだ。シルフィール、リナの部屋知らないか?」
そういえばどこの部屋なのかも知らなかった。
小さくシルフィールが笑う。切な気に見えるのは何故だろう。
「階段を上って3階の、左側の一番奥の部屋です」
「そうか、ありがとう」
少し気になりながらも、リナが身じろぎした為急いで離れようとした背中に声がかかった。
「ガウリイ様・・・・リナさん、取り戻せて、よかったですね」
微笑みに思わず笑い返す。そのまま階段を上がると教えられた部屋の前に来た。
「おいおい、窓から出たのかよ。明けっ放しじゃねーか」
リナを落とさないように気をつけながらドアを開いた途端に流れ込んできた冷たい空気。薄いカーテンがふわっと舞った。
ため息をつきつつそうっとリナをベッドに下ろす。
魔道士の装備をしたままだが・・・うーん、どうしたもんか。このままだとベッドで寝てる意味がないだろうが、下手に外してやると起きた時、問答無用で攻撃呪文が飛んでくるのはまず間違いない。
いくら何でも喰らいたくないぞ・・・・竜破斬なんか・・・・
仕方がない。一度起こすか。
そう思っても、よく寝ている為躊躇ってしまう。
乱れた前髪をかきあげて。
引き寄せられるかのように額に口付けた。
今はまだ、これでいい。
もの足りなく思う心を無理矢理押さえ付けて、愛しさを感じるままに髪を撫でた。
あの時。リナの涙が嬉しかったなんて、ひどいだろうか。
リナが、普段なら決して見せる事のない姿をさらけ出してくれたのが、驚くと同じに嬉しかった。
それだけ心配させてしまったのを知って、胸が痛んだと同じに熱くなった。
「・・・・・自惚れてもいいか?リナ」
低く囁く。祈りにも似た声で。
今はまだ保護者のままでもいい。
リナも俺を必要としてくれているのであれば。いつか。
「・・・う・・ん・・」
ごそごそと身じろぎし始めたリナにドキっとした。慌てて髪から指を引き抜く。
「・・・リナ?起きたのか?」
「・・・・ん・・何・・ガウリイ?」
「ほら、しっかり起きろよ。ちゃんと着替えてから寝ろ。そのままじゃ痛いだろ」
うっすらと目を開いてボーっとしてるリナの様子に苦笑しつつ、身体を起こしてやる。
「大丈夫か?それじゃ俺は部屋に戻るからな」
ポンッと軽く頭を叩いて、出て行こうとした俺の髪をリナが不意に引っ張った。
「イテテテテッ。おいリナ。寝ぼけてんのか?」
「・・・・・痛い?んじゃ夢じゃないのね」
「・・・・あのなぁ・・・」
文句を言いかけて、思わず息を飲んだ。ゆっくりと広がったリナのえもいえぬ微笑みに。
花が開くような、というのはまさにこの事なのだろう。
ドキンっと心臓が音をたてた。
「・・・運んでくれて、ありがとね」
「あ、ああ」
珍しく素直なセリフに、思わずどもった返事を返してしまう。
・・・・・まずいな。
ふぁ、と小さな欠伸を漏らす。その音で身体の硬直が溶けた。
「ほら、もう寝ろよ」
「うん・・・・ねぇ、ガウリイ」
「何だ?」
「・・・・明日の朝は、あたしより早く起きてきてよね」
「?」
意味がよく分からない。じっとリナを見つめると瞳を反らして呟いた。
「・・・・起きた時いないのは、もうヤダから・・・」
小さな囁きを耳にして、心の中が愛おしさで熱くなった。抱きしめたい衝動をなんとか押さえて、いつものようにリナの髪をクシャっとかき混ぜる。
「どこにも行かないから。安心しろよ、な」
コクンとうなづく。微かに赤くなった顔。
「おやすみ。リナ」
「うん。おやすみ、ガウリイ」
ポンポンっと軽く頭を叩いてリナの部屋を後にした。
自分の部屋に戻るなり、ドアに寄り掛かって深くため息をつく。
・・・・・・・ヤバかった。マジで。
あんまり焦らせないでくれよ。理性が持たなくなるぞ、今に。
リナの心を歪めたくないから、我慢する。する、が。
いつまで持つかな・・・・
急激に膨らんでいく想いに苦笑しつつ、俺は誓う。
何があっても生きていく事を。
あいつと共に、これからも生きていく事を。
「さて。寝るか」
明日の朝はきっと早く起きられるだろう。
リナが起きてきたら、新しい旅が始まるから。
どこに行くにしても、ついていくさ。
これからも。
やけに清々しい気持ちで俺は眠りについた。
身体にほんのり残っている温もりと優しい香りを抱きしめながら・・・・
Fin
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