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「空惚けるのもいい加減にしろよ、ガウリィ!」
バシっと始末書の束を机に叩き付けて詰め寄るゼルガディスに、俺はほとほと参っていた。
・・・・もともと嘘をつくのは苦手だから、今までごまかしてこれた方のが不思議なのだ。
「そうですよ!あれほどルビー・ムーンを見つけたら連絡して下さいって言ったのに。ガウリィさんばっかりルビー・ムーンを知ってるなんてずるいです!」
「・・・・ずるいってもなぁ・・・」
そのゼルの隣で頬を膨らませている相棒のアメリアは、俺のその一言でプチっと切れてしまった。
「だってずるいじゃないですかっ!あたしたちは同じチームで相棒のはずなのに全然頼ってくれなくてっ。何の為のチームなんですか!?あたしだってすっごく悔しいんですよ!逃げられる度に正義を汚されて、何も出来なかった自分が許せなくて・・・!」
小さな拳を痛い程握りしめ、アメリアが泣きそうな表情で俺を睨み付ける。その真摯さにズキっと胸が痛んだ。
―――刑事としては最低だよな、俺は。
でも、どうしても譲れない。彼女だけは、どうしても。
「・・・すまんアメリア・・・・でも、俺が・・・あいつだけはどうしてもこの手で捕まえたいんだ・・・!」
はっきりと言い切った俺に、2人の視線が交わって同時に深い溜め息をついた。
警察署内の地下にある取調室に俺たちはいた。
・・・・というより、取り調べられているのは俺か。
昨晩、またしてもルビー・ムーンに逃げられていつもの通り始末書の山と説教をくらい、やっと解放されたと思いきや。
アメリアとゼルガディスに連行されてしまったのだ。
「俺たちを見くびるなよ、ガウリィ」
ガリガリと頭を掻きながら苦い表情でゼルが言う。
「そうですよ。ガウリィさんがそんなにムキになること事体今までなかったんですから。だから余計にルビー・ムーンがどんな相手なのか想像つくんですよ?」
アメリアも言いにくそうにでもはっきりと視線を合わせてくる。
――――その瞳は、俺の一瞬だけぎくっと強ばった身体を見逃さない。
「―――奴は“女”だな?」
問いかけてはいるが確信を持ったゼルの言葉にアメリアもうなづく。
「ガウリィさんが本気で追いかけているとしても捕まえられない人・・・男の人に手加減するはずもないですし、あたしたちに秘密にすることもないですよね」
「・・・・・・・」
無言の俺に2人の溜め息が再び漏れる。
「・・・俺たちにあんたを疑うようなことをさせないでくれ」
苦い声に顔をあげると、そこには上司としてではない。友人の顔をしたゼルがいた。
「ちゃんと説明して下さい!どんな事情があるのか・・・仲間を信じられなくなったら終わりじゃないですか!」
瞳の奥に微かな不安を隠してアメリアも詰め寄る。同じ職場の同僚、だけではない。自分の『仲間』だと、そう信じている彼女。
・・・・・この2人には、話してもいいのかもしれない。
いや、話すべきなのだろう。
――――でも、どこまで?
彼女を裏切らないで勝負を続けるには、どこまで話していいのだろう。
俺は天井をあおぎ大きく息をついた。
軽く閉じた目蓋に浮かぶのは、彼女の強い、紅い眼差し。
(馴れ合う気はないの。ゲームは真剣で危険な程面白いしね)
(綺麗ごとでやりすごすルールは嫌いなの)
彼女の声が耳の奥で蘇る。
真直ぐに勝負を望んでくる彼女だからこそ、俺の手で捕まえたい。その思いは今も変わりない。
でも、この2人にすら隠してごまかすことは、彼女の嫌う“馴れ合い”や“綺麗ごと”になるんじゃないか?
ふうっと息をついて、俺は心を決めた。
「・・・・俺はさ一応、刑事だぞ?でも人間だ」
「当たり前だ」
俺の言葉にゼルがぴくっと眉を跳ね上げる。探るような視線に苦笑して俺はちゃんと椅子に座り直した。
「・・・・わかった。話すよ・・・」
俺の知っている『ルビー・ムーン』のことを。
「・・・・で?」
「だから。確かに手錠をかけたんだがいつの間にか外れてたんだよ。不思議だろ?」
「・・・・あのなぁ〜〜〜〜・・・」
昨晩の追走劇の一部始終を話すと、ゼルとアメリアが同時にがっくりと肩を落とした。
「・・・・旦那・・・嘘つくならもう少しまともな嘘をついてくれ」
「嘘じゃないぞ。話せって言うから俺も覚悟決めて話したんじゃないか」
その態度にムっとした俺の顔を見て、2人が困惑した表情を交わす。
「ガウリィさんがこの短時間でこんなに細かい嘘を考え付くとは思えませんが・・・」
「嘘じゃなければ夢でも見ていたって方のがマシだな」
「寝てもいないのに夢見てるわけないだろ?」
「じゃあ疲労で幻覚を見てたって方のがいいか?」
「ゼルっ!」
思わず声を荒げた俺を冷静な目が見下ろしていた。
「確かに奴は今まで一度も尻尾を掴ませていない。一体どんな手口で犯行を行なったのか、物的証拠は何一つ残していない。まるで魔法使いか幽霊のようにな。だけどな、今お前が言っていた少女が奴だったら、これだけ大勢の追っ手がいる中で姿の一度も見られずに犯行に及ぶなんてことできるか?」
「実際やってるじゃないか」
「・・・ガウリィさんより身軽で素早い人はいるかもしれません。でも、女の子であったら本当にこの手錠をかけられたのを外すなんてまねできませんよ。あたしにも無理です」
机の上に置かれた手錠を手に取ってアメリアも困ったようにつぶやく。
「それは俺にもどうやって外したかわからないんだが・・・」
手をすぼめてすり抜けたって感じでもない。手首のところで固定するように自然に萎まれる作りになっている手錠は、たとえ関節を自由に外せたとしても隙間ができた途端に更にしまるので、すり抜けることは出来ないのだ。
それに、俺の手からも外れていた。
どんな手を使ったか知らないが、自由になるなら自分の手だけでいいはずだ。
何故・・・・?
「しかも、ビルの屋上からパラグライダー広げて飛び下りただと?都会のビル風ってのがどんなものだか知ってるか?一瞬ごとに方向も風速も変わるんだ。まともに飛べっこない」
「でも、あいつは飛んだぞ」
そういうとんでもない無茶を、彼女はやってのけるのだ。こちらの常識を簡単に覆して。
あのとき。陸橋の手すりの上に立っていた時とビルから飛び下りた時に振り向いた表情が重なる。
自らを常にギリギリの線に置いて強気に笑うのだ。
・・・・・瞳の奥底に、自分でも気付いていない寂しさを封じこんで・・・
「・・・どうしようもないな・・・」
ガリガリと乱暴に髪を掻きむしったゼルがすっかり冷め切ったコーヒーを飲んで、さらに憮然と顔をしかめた。
「ガウリィ。奴を見て知っているのはお前だけだ。だが、今のお前の話からでは、悪いが素直に信じるわけにいかない」
「・・・・何でだよ。話せって言うから話したのに疑うのか?」
「常識的にふに落ちない点があるんでな。そこでだ。旦那、一度はその手錠を奴の手にかけたって言ったよな?」
「ああ」
うなずいたガウリィを見て、ゼルがアメリアに目配せする。ポケットから白いハンカチを取り出したアメリアは、机の上に置かれたままの手錠をそれでふわっと包み込んだ。
「あたしたち以外の指紋が出てきたら、それがルビー・ムーンのものであるはずですから、鑑識で調べてもらってきます。ガウリィさん、ちょっと借りていきますね」
「・・・・・好きにしてくれ」
どっさりとパイプ椅子の背もたれに背中を預けて、俺は煙草を取り出し火をつけた。
苦い・・・
カチっとライターの音がして、隣に座ったゼルも煙草を取り出し深く煙を吸い込んでいた。アメリアの前では絶対に吸わないのに、よほど落ち着きたいのだろう。
苦々しかった心が少しだけ和らいだ気がした。
「・・・・またな、コンピューターのことごとくが機能停止してたんだ。最前にいた警備員たちの記憶もほんの僅かな空白がある。詳しく調べたくても時間も権利も俺たちにはない・・・・」
「・・・狙われた時は『秘密厳守で絶対に捕まえろ』。逃げられた時は『他言無用で即刻忘れろ』・・・だもんな。やってられないよな、実際・・・・」
「奴がお前のいってた通りの少女だとすると、狙いは一体なんなんだ?ターゲットの相手も品も脈絡がない」
「んー・・・よくわからんが、彼女の裏に誰かがいるのは間違いないな」
「そうだろうな・・・・」
2人同時に紫煙を吐き出す。
「・・・・本当に手品師か魔法使いみたいだな」
「・・・・確かになぁ・・・」
『ルビー・ムーン』。確かに存在するのに、その存在は犯行手口と同様にまるで迷宮に入り込んだ虚像のようで。
――――彼女を見て触れた者でないと、わからない。信じてももらえない。
何だか、物凄い不安が胸に沸き上がってきた。
彼女は幻なんかじゃないはずだ・・・・!
声も紅い眼差しも、触れた柔らかい唇も。全部本物だったのだから。
目を閉じて俺は、彼女の勝ち気な眼差しを思い描いていた。
何だかとても、『ルビー』に会いたかった――――
「話は聞いたぜ?まったく3人で何をこそこそとつるんでるかと思えば・・・ほら、手ぇだしな」
気を取り直して鑑識班へ出向いた俺たちに、鑑識官のルークが透明の塩ビ板らしきものを差し出す。
にやにやと人の悪い笑みを浮かべて口も悪いが、眼力は確かな奴だ。
俺たちは広げた手をその板に押し付けてルークに返した。先に来ていたアメリアはすでに取って渡していたらしい。
「他言無用で頼むぞ」
「わかってるって。あんたらに貸しを作っとくのも悪くないからな」
こそこそとゼルとルークが裏取り引きをしている。
「あんたら以外の指紋が欲しいんだろ?すぐわかるからちょっと待って・・・・・」
―――ピーッッ!
【鑑識班へ出動要請。事件発生。住宅地で発砲があったとの通報。被害状況は不明だがけが人が数名いる模様。場所、SP台6番区。出動人員5名以上。以上】
「・・・・ろってわけにゃいかなくなっちまったな」
今の指令で署内が一気にざわめきだした。
ルークも手際よく準備を始めている。出動するらしい。不謹慎なようだが嬉しさを隠せない子供のような目をしていて実に楽し気なのだ。
前に「俺は鑑識じゃなかったら冒険家か考古学者になりたかった」と言っていた男らしい。
『宝探し』を前にして上機嫌のルークがひらひらと手を振った。
「この山が終わったら見てやるからよ。じゃあちょっくら行ってくるわ」
数人の同僚と機材を確認すると、ルークは飛び出していってしまった。
残された俺たちは思わず顔を見合わせて同時に肩を竦めた。
「・・・・・しょーがない、2・3日待つしかないな」
「SP台6番区っていえば・・・確か『牙竜組』の本部があったよな。最近はおとなしかったんだがまったく、近所迷惑な奴らだ」
「絶滅させるべき暴力団が今も生き残っていること事体が既に悪!しかも住宅地で発砲なんて許せません!あたしたちも行きましょうっ!・・・・ぐえっ!?」
「管轄があるから、俺たちはよっぽど人手がない限り現場にゃ出れんぞ」
「・・・・・襟引っ張らないでくだざいよぉ、ガウリィざん・・・死ぬかと思いました・・・」
「おお、悪い悪い」
目に涙を溜めてのどを擦っているアメリアの頭をゼルの手がポンっと叩いていく。
「お前は見境なく飛び出していくからな。だが寝不足の俺たちが行っても対して役にはたたんだろう。今日のところはこれで終わりだ」
「〜〜〜〜はーい・・・」
ポッと頬を染めてしぶしぶながらもうなずくアメリアに、ゼルもふっと頬を緩ませた。
確かに昨日から寝ていない。『ルビー・ムーン』の犯行予告はいつも真夜中だから当然だ。体力と元気が取り柄のアメリアも寝不足はこたえるらしい。
「面倒な連中に見つかる前に帰るぞ」
また部長らに見つかって小言と嫌みを言われてはたまらない。
手早く支度を済ませ署を出たところで俺は忘れ物に気付き、アメリアを送っていくと言うゼルたちと別れた。
人気の少なくなった署内を足早に歩きながら、ある部署でふと足を止めた。
見覚えのある女性が、青白く光るパソコンのモニターに向かい何やら熱心に調べている。
「残業かい?ミリーナ」
俺の声に一瞬だけキーボードを叩いていた指が止まり、ちらっと振り向く。
「ええ、発砲事件のせいで」
「そりゃ気の毒だ。で、何を調べているんだ?」
「ルークから要請があって・・・・現場で気になる血痕が見つかったそうですが、それに該当する被害者がいないそうです。救急要請は出ていないそうですし、それで付近の医療機関に被害者と見られる人物が来ていないか問い合わせしているところです」
説明しながらも指はパソコンを操作し目は画面を見据えている。
署内1、コンピューターの扱いに精通しているミリーナに、鑑識官のルークが熱烈アタックをしているのは署内で有名だった。クールなミリーナにルークはいつも躱されているが、すでにそれは署内名物となっている。
自らの手と指。対して広大なサイバースペース。
輝くエリアは違っているとはいえ、何かを探し追い求める技術と知識を持っているもの同士で、お互いに認め合っているらしい。恋愛に持っていくのには当分時間がかかりそうだが。
「敵対している組と撃ち合いやったんじゃないのか?」
「さあ・・・今のところは何とも。詳しい状況はまだわかっていませんから」
「そっか・・・悪いな、手伝えなくて」
「人には向き不向きがありますから」
当たり前のように返されて思わず苦笑した。
「じゃあ邪魔にならないように退散するよ。お疲れさん」
「お気をつけて」
手をあげた俺にちらっと振り向いてペコっと軽く頭を下げたミリーナは、またすぐに仕事に没頭していった。
◇◇◇◇◇
紫煙が漂う。
何だか無性に彼女に会いたかった。
前の時も。犯行の次の夜にここで待っていたら現われたから、今晩もこうやって待ち続けたら現われてくれるだろうか。
相変わらず足早に通り過ぎる人の波。
虚ろな繁栄にたゆたっているような、そんな不確かな街。
世界のどこかで大事件が起きたとしても、この街はきっと何も変わることなく存在しているのだろう。
くすんだ夜空にやっぱり星の姿は見えない。
――――何だか奇妙な胸騒ぎがする。
さっき感じた不安を凝縮したような、でも漠然とした何かが胸の中に沸き上がってくる。
何だろう・・・・落ち着かない。
立続けに何本か煙草を吸っても、一向に落ち着けない。
この街に、彼女の気配が感じられないからだろうか。
――――彼女のことを話したのは、やはり間違いだったのだろうか・・・・
・・・・そんなことはない。だけど、思っても見ない形で彼女の存在を疑われて、だから落ち着かないんだ。
だから、今夜。どうしても会いたかった。
会って、触れたかった。
幻なんかじゃないと。
けれど、彼女は現れない。時と人波だけがとどまることを知らずに通り過ぎていくだけ。
どのくらい待ち続けていたのだろう。
俺は大きな溜め息をついてガードレールから腰をあげた。
すっかりからになってしまった煙草の箱をクシャっと潰し、俺は自分の家に戻る為、虚ろな人波に紛れていった――――
俺の住んでいる、都心から少し離れた場所にあるマンション。
警察の寮は肌に合わなかった為、多少遠いが我慢している。なにしろ刑事とは言っても所詮はサラリーマン。自分の給料に見合う物件は限られているのだ。
今夜は終電ぎりぎりに間に合った為、駅から少し離れたマンションまで途中のコンビニで夜食になるものを買いながら、俺はゆっくりと歩いていった。
駅から外れると、細い道がまるで網の目のように八方に広がっている。人の姿もまばらで、皆家路を急ぐ人ばかりだ。
ここは、繁華街とはまるで別世界のように闇が音を封じている。外灯もまばらで、自分の足音まで聞こえそうだ。
こじんまりとしたマンションと言うよりアパートと言った方がしっくりくるような建物の玄関アプローチに足を踏み入れて。
俺は足を止めてはっと周りを見渡した。
玄関の照明がぼんやりとあたりを照らしている。
けれど、そのすぐ脇の木の植え込みのあたりは闇に閉ざされたままだ。
猫か・・・・?と、思った。
植え込みの影にわだかまっている黒い影。でも、猫にしては大きい。
それに、闇の中に微かに匂うこれは・・・血?
酔っぱらいが寝ている、と言うわけではなさそうだ。
「・・・・・・誰だ?」
普通の人が突然兇行を起こす。そんな世の中だ。
刃物や何か持っているかもしれない、と警戒しつつそっと近づいた。
俺の声にそれがビクっと身じろぎしてゆっくりと頭を上げる。
――――まさか・・・・!
「・・・・待ちくたびれたよ、ガウリィ・・・・」
笑ってみせようとして失敗したのか、どこか苦し気な表情に小さな声。
「ルビー!?お前・・・どうして・・・っ!?」
俺は慌ててコンビニの袋を放り出し、植え込みの影に倒れている彼女を抱き起こした。
軽い身体。いつものような軽口も強気な態度も示さずに、力なく体重を預けてくる。
「お前、怪我して・・・・!」
「・・・・・ちょっとドジっちゃった・・・」
微かに口元に笑みを浮かべる彼女の額には、汗がびっしりと浮かんでいた。呼吸も荒い。
有無を言わせず抱き上げて、俺は足早に玄関を通り過ぎ自分の部屋に辿り着いた。
靴を脱ぐのももどかしく、部屋の明りをつけ脱ぎ散らかしてあった服を足でよけ寝室のドアを開くと、ベッドの上に彼女をそっと横たえた。
「・・・無茶ばかりするんじゃない・・・・!」
一言だけ怒鳴り付けておいて、ばたばたと冷凍庫から氷を取り出し洗面器とタオルを持ってくる。
救急箱の中には家庭用の常備薬の他に、もう少し踏み込んだ手当てのできるものが一通り揃っていたはずだ。警察に入ったときに受けた救護訓練を頭の片隅で思い出す。
一通り道具をそろえて寝室に戻ってくると、ルビーが起き上がってベッドの端に座っていた。
「寝てろ。これ以上無理するな」
「・・・・だって・・・布団汚しちゃう・・・」
変なところで遠慮する。そんなこと気にしているような場合ではないだろうに。
「そんなものは洗えば落ちる。それよりどこ怪我したんだ?」
問いかけながらタオルを氷水で濡らし、固く絞って彼女の額を軽く拭った。ひんやりとした感触にブルっと肩を震わせる。
「・・・・足。でも、ほとんど血は止まったから・・・」
言われて彼女の足元に視線を移す。黒のパンツを着ているからぱっと見はわからなかったが、左足のふくらはぎのあたりにおびただしい血痕が広がっていた。
止血する為に片足の布地を引き裂いて使ったのだろう。ところどころ血と土埃で汚れたむき出しになっている右足の白さに、一瞬視線が釘付けになる。
軽く頭を振って、そっと巻かれていた布を外す。
「・・・・・!これは・・・!?」
(発砲事件の現場で気になる血痕が見つかったそうですが、それに該当する被害者がいないそうです)
ミリーナの声が脳裏に蘇った。
この傷は・・・多分間違いない。
「お前・・・『牙竜組』に・・・」
「・・・あ、ばれちゃった?・・・大丈夫よ。銃弾は掠めただけだし・・・ちょっと休めば平気・・・・」
「大丈夫じゃないっっ!!」
思わず。
思いっきりルビーを抱きしめていた。
「何でこんなに・・・・自分を苛めて・・・!」
こんなにも小さいのに、抱き潰してしまいそうな程華奢なのに。女の子なのに。
一体何が彼女を動かすのだろう。
命を削るようなまねを、平気なふりしてやり続ける。
そのギリギリの危うさに惹かれた。それは否定出来ないけれど、でも。
無邪気な少女の中に潜む妖艶な女の顔。
ルビーにしか持ち得ないその魅力が、こんな生き方の中で生まれてきたものだとしたら。
・・・・それは、あまりにも辛すぎる。
「・・・許さないからな・・・・」
「・・・・何をよ?」
驚いて身体を強ばらせていたルビーが、掠れた声で問い返してくる。
「俺との勝負をフイにするようなまねは・・・・勝手に怪我したりいなくなるなんてこと・・・絶対に許さない!」
昼間。そして夜の繁華街で感じた不安と。今、とんでもない怪我をしてまともに動けないルビーを目の当たりにして。
自分がいかに彼女に捕われているか、思い知った。
彼女を失ったら、きっと俺はおかしくなるだろう。
抱きしめる腕に力がこもる。この暖かさと柔らかい身体は決して幻なんかじゃない。
もっと彼女を感じたくて、俺はルビーの顎を捕らえ、唇を奪った。
――――バチッッ!!
触れた瞬間に感じた青白い光。ピリッと全身を駆け巡る微弱な電流。
初めてルビーの唇が触れたときと同じだった。
しかし、そんなことにはかまわずに。
逃げられないように頭を押さえて何度も求める。息苦しさを感じたルビーの手が俺から逃げようと胸を叩くが、かまわない。
薄く開いた唇の隙間から舌を忍び込ませ、彼女の小さな舌を捕まえて搦め取る。
名残惜し気に唇を離すと、紅潮した顔ですっかり息のあがってしまったルビーが、潤んだ瞳で俺を見つめていた。
泣き出す寸前の幼い子供のような、そんな瞳の色。
「・・・・・あんたは刑事であたしは泥棒よ・・・?ダメだよ・・・ガウリィの人生狂っちゃう・・・・!」
「ルビーに会った時からもう狂ってる。お前のことばかり気になって・・・それはこれからもずっと変わらない」
「バカだよ・・・あたしなんかに本気になるなんて」
「『あたしなんか』なんて言うな!ルビーを侮辱するのは例え本人でも許さない」
「・・・・・・ガウリィ・・・」
堪え切れないように、コロンっと涙の珠がルビーの頬を転がり落ちていった。
まるで水晶のように汚れない涙が、どんどん沸き上がってくる。
まるで、堪え切れない心の重さを吐き出すかのように。
涙を流しながら、彼女がフワっと微笑んだ。
「・・・・・・リナ、よ」
「・・・え?」
「・・・ルビーじゃない・・・あたしは『リナ』よ」
それだけ言うと、急に身体中の力が抜けて俺に完全にもたれ掛かった。涙に濡れていた瞳も閉じられている。
気を失った彼女の身体をもう一度強く抱きしめてから、ベッドにそっと横たえた。
「・・・・リナ」
つぶやく声は小さいけれど、胸の中は熱くなっていった。
愛おしくて息苦しいなんて、そんな感情があるなんてこと知らなかった。
名前を教えてくれた。その事実がとても嬉しくて、同時に走り始めた何かを感じて身体を震わせた。
でも、覚悟はできている。
――――狂ったんじゃない。リナに会った時から、俺の人生は意志を持って動きだしたのだから。
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