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「くやしいですぅぅぅっっ!」
「こらっ、こんなところで大声を出すんじゃない」
地下の取調室を出た途端に叫んだアメリアの口をゼルガディスの手が慌てて塞いだ。目の前は細い階段。署内の人間もほとんどの者が存在を知らない秘密部屋に通じるこの狭い空間に、アメリアの叫び声が響き渡った。
「だってもう少しで『ルビー・ムーン』の姿を見る事が出来たかもしれないんですよっ!?この手で正義の鉄拳をお見舞い出来たかもしれないのに・・・・っっ」
ここは警察署。
署内を始め世間一般には極秘扱いの、怪盗『ルビー・ムーン』に昨夜またしても予告通りに盗まれて、現場責任者であるゼルガディスと担当刑事のアメリアは膨大な数の始末書と気が遠くなるような説教を何とか終え、やっと狭い部屋から解放されたところである。
連敗記録更新。それも無理のない話ではあった。
状況が絶対的に不利なのだから。
それでも今回は今までにない動きと手ごたえがあった、はずなのである。
アメリアとコンビを組んでいる同僚の、ゼルガディスとは部下であり先輩でもあるガウリィの野生のカンが働いたおかげで。
逃がしはしたものの、かなり進歩があったはず、なのだが・・・・
「まったく、どうなってるんだガウリィは!」
憮然とした表情と苦い声にアメリアはガウリィの様子を思い出し、微かに不安げな色を覗かせた。
「何だか惚けてて・・・『ルビー・ムーン』と接触したことは間違いないと思うんですけど・・・」
「それが問題だな。奴の姿を見たとなると捜査状況も一気に飛躍するってのに、言ってる事がまるで曖昧だ」
「まさか変な薬嗅がされたとか、頭を強く殴られたとかじゃ・・・・?」
「それはないな。あのガウリィにそんなまね出来としたら、奴はすでに人間じゃない」
「・・・そうですよね。ガウリィさんの反射神経と野生のカンでそんなすぐ側まで敵が近寄る事なんて不可能に近いですもんね。でもそうなると・・・」
「クラゲ頭の本領発揮ったって、そこまで物覚えが悪いとは思いたくないがな」
「でも・・・・ガウリィさんですからねぇ・・・」
一瞬過去のガウリィがしでかした数々の大ボケを思い出し、顔を見合わせると同時に深いため息をついた。
アメリアと合流し、急いで公園へガウリィの応援に向かったが、2人がついた時にはガウリィだけが、池のほとりでフェンスに寄り掛かって地面に座り込んだ状態でいたのだ。
公園に配属されていたはずの警備員の姿はなく、争った形跡すらない。
一瞬ガウリィのカンが外れていたのかとも思ったのだが、そうではないらしい。
一体俺たちが来るまでの間に何があったというのか。
問いただしてもまるでらちがあかない。
ほけっとしてぼんやりと宙を見つめ、俺たちが来たこともしばらく気付かなかったのだ。
本当に一体何があったというのか。
「ガウリィさんはまだしばらくかかりそうですね」
「経過はどうあれ、またしても奴に一本取られたのは事実だからな。仕方ないさ。俺たちの分は一応終わったし帰るとするか」
部屋の中の様子を伺っていたアメリアを促してゼルガディスが地下からの階段を登りはじめる。
「えっ、待ってなくてもいいんですか?」
慌てて駆け寄りながら覗き込むアメリアの目もとに、ゼルガディスの指がスっと伸びた。途端にポっと頬を赤く染まらせるアメリアが何とも可愛らしく見える。
「隈、出来てるぞ。奴のせいで2日程徹夜しただろう」
「あっ・・・やだ・・」
「休めるうちに休んでおけ。またいつ予告状が入るかわからんからな。送ってく」
ぶっきらぼうに言うとアメリアからくるっと背を向ける。クールで通っているゼルガディスが、実はとっても照れ屋だと言う事を最近知ったアメリアが小さく笑った。
課長である彼の方が何倍も疲れているはずなのに。
「じゃあ、ご飯食べに行きませんか?夕べからまともに食べてないからお腹ぺこぺこです」
「そうするか」
アメリアの提案にうなずいてゆっくりと階段を上がっていく。
支度を終え外に出た2人をすでに夕方近い太陽が柔らかい光で迎えた。
悔しさや逃げられた虚しさは消えない。だけれど、その光が目に染みて、何だか少し癒された気がしていた。
◇◇◇◇◇
何時もの日課。
ガウリィは長い説教と始末書をやっと書き上げ、今日もまた繁華街のガードレールに寄り掛かり、煙草に火をつけた。
いつもよりも遅い時間ながらまだまだ道ゆく人は相変わらず多い。
街ゆく人をぼんやりと眺めながら、それでも求める色彩が現れる瞬間を逃がさないように一方の神経を研ぎすませてガウリィは紫煙をゆっくりと漂わせた。
夜空は相変わらず濁っている。
まるで今の俺の心を写しているかのようだ。
すっきりとしない。
あの時、『ルビー・ムーン』と確かに出会った。
だけど、捕まえなかった。捕まえる事は出来なかった。
たった一度の勝負で、彼女を失いたくなかったからだ。
彼女を捕らえるのは俺の仕事で、誰にも譲れない権利だ。俺だけが彼女に認められた、ライバルなのだから。
だけど、それを上手く説明する事は出来ない。
何度も彼女を捕らえる事を失敗している上層部は、この事件・犯人共に極秘扱いでありながらも焦ってきている。
俺が彼女と接触をもったと知れば、どんな手段を使ってでも捕らえようとするだろう。
警察であるならば、それは当然の事だ。
でも、俺は嫌だった。
それは、少女を裏切る事になる。
――――それでは、あの少女を永遠に捕まえられないから。
俺は、すでに捕われちまってるっていうのに・・・
「・・・・何でだろうな・・・?」
少女と出会ってからすでに何度もくり返した問い。
何でこんなにも惹かれるんだろう。自分の立場が不利になるとわかっていても、譲れないくらいに。
空を見上げる。星の姿はどこにも見つけられない。
だから目を閉じる。星の輝きに引けを取らない、少女の意志の強い紅い瞳の輝きが脳裏に蘇ってくるように。
「そこはあたしの特等席なんだけど?」
その声にはっと目を開けると、そこには呆れたようなでも楽しげな光をたたえた紅い瞳が覗き込んでいた。
「・・・・あっ・・・!」
間の抜けた声が口からもれる。驚いて口の端からポロっと煙草がこぼれ落ちた。
・・・・だって足音も近づく気配も感じなかったぞ・・・?
「こら。煙草の投げ捨てする奴はあたしに張り倒されても文句言えないわよ」
「・・・・何でだ?」
「あたしが煙草嫌いだからに決まってるじゃない。ルール守って吸ってるならまだしも、そうでない奴は許せないからよ」
当然のように言い切る少女の表情は、ちょっと斜に構えているこの街のどこにでもいるような小生意気な少女。
「んで?どーするの?あたしに張り倒されたい?」
「ちょ、ちょっと待てって」
少女の本当にやりかねない言葉の調子に俺は慌ててまだ火がついていた煙草を拾い上げ、ポケットを探って携帯灰皿を取り出す。少女の視線を強く感じて、ただ吸い殻を片付けるだけなのに何故か緊張してしまう。
「よろしい」
満足げに笑う少女に俺は改めて向かい合った。
待っていたのは俺の方だった。
何となく、今夜は会えるような気がしていた。
始めて会った時と同じような、無防備でいながら張り詰めた独特の気配を纏って『ルビー・ムーン』は俺のすぐ目の前に立っている。
頭を軽く振って俺は立ち上がった。
「なあ。俺腹減ってるんだけど、何か食いに行かないか?」
「・・・・・・は?」
不敵に微笑んでいた少女がその言葉に目をまん丸くした。一瞬本当に幼い子供のような表情になる。でもすぐに俺をじーっと見つめて、大袈裟に肩を竦めた。
「あんたってほんと、変な奴だわ。わかってんでしょ?刑事さん?」
「俺は刑事じゃないぞ」
「うそつけ」
「嘘じゃないって。今は手錠も手帳も全部置いてきたただの仕事帰りのサラリーマンさ。今日は朝から晩まで怒られて飯もろくに食った気がしないんだ。お前さん、腹減ってないか?」
「なぁに?あたしに逃げられたから絞られたんだ?」
「まぁな。参っちまう」
―――――プッ・・・ププププッッ
「あっはっはっはっはっ。変よ変。ガウリィってばすっごい変」
「変かぁ?・・・って、お前笑いすぎだぞ」
「だって可笑し・・・っ」
人目はばからず笑い転げる少女に俺もつられて笑った。
街ゆく人は興味深げにちらっと視線を投げかけるが、それだけで立ち止まったりはしない。
いつも通りの虚ろな繁華街。
だけど、さっきまであった心に巣くっていたもやもやがすうっと晴れていた。
「はぁ・・・笑い過ぎてお腹痛いわ」
目尻に微かに滲んだ涙を拭って、やっと笑いを納めた少女がにっこりと微笑んだ。
「んじゃ、行くか」
「どこによ?」
「だから飯食いに」
にっこりと、俺も笑ってもう一度誘う。
「とーぜん、あんたのおごりよね」
紅い瞳に浮かぶイタズラっぽくて楽しげな、邪気のない光。知り合ってから始めて見せた少女の警戒心を解いた心からの笑みに、俺は内心でガッツポーズを浮かべていた。
「ほら、行くわよ。ガウリィ」
「おう。あ、飲み屋はダメだぞ。保護者同伴とはいえ子供に酒は飲ませられんからな」
「ちょっと!子供じゃないって言ったでしょ」
「でも大人でもないんだろ?」
ニヤっと笑ってウインクを投げると、ポっと赤くなってプイっとそっぽを向いた。だけどそんな様子がまた可愛い。
――――くしゃくしゃ
自然にまるでずっと前からやっていたように、少女の頭に手が伸びた。手のひらの下で踊る栗色の髪。艶やかで気紛れな少女の性格そのものに飛び跳ねている柔らかな猫っ毛が気持ちがいい。
フワっと、シャンプーの香りが広がって一瞬ドキっとした。
「ちょっと、子供扱いするなっ!ってーか、髪が痛むでしょ!」
「いや、何だか触り心地いいなー、お前さんの頭」
「遊ぶなっ、こらっ!」
じゃれあいながら俺たちは並んで、人並みに紛れていく。
自然で不自然な間柄。
『刑事』と『泥棒』。『追う者』と『追われる者』。
忘れているわけではないのに、まるで感じさせない。
でも、今の俺にはこの少女にまた少し近付けたことが何よりも嬉しくて、同時に少女のことをもっともっと知りたいと貪欲な感情が頭を持ち上げてきたのをどこか冷静な部分で自覚していた。
◇◇◇◇◇
「なあ、聞いてもいいか?」
「答えるかどうかは別よ」
少女が連れていったファーストフード店で俺たちは全メニューを制覇した後、腹ごなしをかねてぶらぶらと人も車も少なくなり始めた繁華街を歩いていた。
少なくなったとはいえ、アスファルトを引き裂く勢いで大型トラックが通るたび微かな揺れと埃まじりの風が巻き起こり、俺たちの髪をなびかせる。
「俺、名前教えてないよな?」
「・・・・・さあ、どうかしら?」
「うーん・・・」
少女の探るような視線を受けて、ポリポリと頬を掻きつつ空を見上げる。
「言ったっけか?でもなぁ、実際お前さんは知ってるし・・・名札つけてるわけじゃないし・・・多分教えてないと思うんだがなぁ・・・」
「呆れた。そんな事も覚えてないわけ?」
「おう。忘れる事にかけては俺の左に出る者はいないぞ!」
「自慢出来るかっ!しかもそれを言うなら右に出る者でしょ?」
あきれ顔で俺を覗き込む少女。でもすぐに何か思い付いた顔になって紅い瞳が楽しげに輝いた。
陸橋の上で立ち止まり手すりに寄り掛かりながら俺を指差す。
「ガウリィ・ガブリエフ。職業、刑事。移動して特殊捜査課に配属。前の職場では剣術及び体術の実技指導員。独身。現在気ままな一人暮らし。せめて犬か猫でも飼いたいと真剣に考え中。嫌いな食べ物はピーマン。好きなものは・・・」
「・・・・ちょっと待て」
「ど?」
パチっとウインクを投げてくる少女に、俺は呆然としてていた。
どこから情報が漏れたんだ?
少女が綴った言葉はどれも事実だ。もちろん俺が言ったわけではない。かといって簡単に引きだせるような情報でもない。
「・・・・署内の情報ハッキング、とか。したか?」
「しないわよ。あたしパソコン使えないもん」
一番可能性がありそうなものは、あっさりと却下された。
少女が嘘をついているわけでもない。嘘かどうかは何故だかわかるから。
「・・・・ずるいな」
「は?何が?」
「お前さんは俺の事、どうやったかは知らんが色々知ってるようなのに、俺はお前さんの事全然知らないんだぞ?」
「そりゃ当然でしょ。教えてないもん」
「教えてくれよ」
「・・・・あのねぇ・・・」
少女が心底呆れたって顔をした。そりゃそうだろう。自分から情報を刑事に教えるバカはいない。
でも俺は知りたい。どんな事でもいいから。
「今の俺は刑事じゃないって言っただろ?それに今ここにいるお前さんも泥棒じゃない。俺は『ルビー・ムーン』じゃなくて、お前さんの事が知りたい」
「な・・・っ」
ジト目で見ていた少女の顔がみるみるうちに赤く染まっていった。
こんな表情を見るたび、少女の中に隠されている何者にも汚されていない幼子のような真っ白な心が感じられて、何だかとても嬉しくて、同時に寂しいような気持ちが沸き上がってくる。
夜の繁華街でナンパ男達を軽くあしらってしまうくらい場馴れして、それなりの腕も経験もありそうなのに。
ひどくアンバランスで。
だからこそ、こんなにも心惹かれるのだろうか。
「・・・聞いて、どうすんのよ」
「どうもしないぞ。俺が嬉しいだけだ」
「ななな何言ってんのよっ。このナンパ男っ」
「ナンパじゃないぞ。真面目に聞いてるんだから」
俺は視線を逸らさずにじっと少女を見つめ続けた。しばらく居心地悪げにもぞもぞしていたが、ふうっと小さいため息をついて少女が真直ぐに俺と視線を合わせてくる。
「一体あたしの何が知りたいっての?」
「何でも。お前さんの事なら」
「・・・・変なの。んじゃちょっとだけね」
「ああ」
多分、俺は笑顔全開になっていた事だろう。
「名前は?」
「・・・・あのねぇ、教えられるわけないでしょ?『ルビー』でいいわよ」
「どこに住んでるんだ?そういえばそろそろ終電が出る時間だな・・・大丈夫なのか?」
「あたしはこの街に住んでるの。心配する人もいないし、電車は使わないから平気よ」
「・・・まさか一人暮らしか?この街で女の子の一人暮らしなんて物騒すぎるぞ」
「うーん・・・限り無く一人暮らしには近いかもしれないけど、一応責任者らしき人がいるわよ。ま、あたしとしてはさっさとそこを出て1人で暮らしたいけどね。この年じゃ色々面倒だからまだ無理」
ひらひらと手を振る仕種が、何だかやけに目に残る。
「年は・・・聞いちゃいけないんだよな」
「よろしい」
「なあ・・・泥棒やってて楽しいか?」
ズバリ聞いてみたが少女はまったく動じなかった。ただ皮肉げな笑みを顔に張り付けてしまう。
「楽しいわけないじゃない。好きでやってるわけじゃないもの、仕方ないわ。まぁ、あんたたち相手に頭脳合戦やるのも悪くはないけどね」
「やらされてるって事か?やりたくない事ならやらなきゃいいじゃないか。お前さんは嫌なものははっきりと拒絶出来る人間だろ?」
俺の言葉に一瞬顔を歪ませる。まるで泣き出しそうな、そんな表情にズキっと胸が詰まった。
「・・・・簡単に言わないでよ。やりたくなくてもやると決めたのはあたしなの。だからあんたに捕まるわけにはいかない。捕まるつもりもないわ」
低く、でもはっきりと言い切る。まるで少女自身が再確認するかのように。
――――闇よりも深い、黒い何かが少女に巻き付いている。
そんな錯角が起こった。
くるっと俺に背を向け、寄り掛かっていた陸橋の手すりを握りしめる。次の瞬間、小さな気合いと共に少女の身体が宙に浮かんだ。
――――――ここは地上10メートルは下らない。この下は何本もの路線が敷き詰められている線路だ。
「っっ・・・・おいっっ!」
「なーに変な心配してんのよ」
慌てて駆け寄るとくすくすと笑いながら俺を見下ろしている『ルビー』。僅か15センチ程の手すりの幅に揺るぎないバランスで立っていた。
「〜〜〜〜心臓止まるかと思っただろ・・・っっ!」
「びっくりした?いくらあたしでもここから飛び下りるようなまねしないわよ」
陸橋の下から吹き上げてくる風が『ルビー』の髪をなびかせる。そのままフワっとどこかへ飛んでいってしまいそうな、そんな空想めいた思いが沸き上がった。
ほんの少しだけ近づいたと思ったら、またするりと躱され遠くへいってしまう。
焦りにも似た思いで、俺は『ルビー』に向かって手を差し伸べていた。
「降りて、こいよ」
俺の声と表情に何を見たのか。少女は柔らかく微笑むと、けれど首を軽く横に振った。
「もう1つだけ教えてあげる。楽しくない仕事をしているわけ」
「・・・わけ?」
行き場を無くして宙を彷徨っていた手が、ぱたっと落ちた。
「大人の作った“ルール”が嫌いだからよ」
そう言って俺を見下ろしてくる少女の瞳は、呼び名に相応しい、『ルビー』の輝きをしていた。
始めてその瞳を見た時を思い出す。何故だか胸が締め付けられる感じのする、魅惑的でいて刹那的なその輝きに。
俺はその瞳に魅入られたまま、少女の言葉を静かに聞いていた。
「この線が『法律』」
トンっと片足で手すりを軽く蹴る。まるで高さを感じていないのかバランスが崩れる事もなく、大地を蹴っているように。
「正しい事と正しくない事の境界線なんてすれすれよ。法律なんてただの綺麗事に過ぎないもの」
「・・・・確かに警察も正義の味方なんかじゃないからなぁ・・・」
つぶやきながらふと相棒の少女の顔が脳裏によぎった。
まだ警察という閉鎖社会を知らない彼女は正義感に燃えている。彼女にこんなことを言ったら怒られてしまうだろう。
「法を守っていれば幸せになれるなんて思い上がりもいいとこだわ。所詮自分を守るのは自分でしかない。法律なんていう約定は神様みたいなもんね」
「・・・・神様?」
「そ。あってもなくても同じ。実際には何もしてくれない。信じる信じないは個人の問題だもの」
皮肉げな、でもどこか寂しげな光が少女の瞳に揺れている。精一杯強がって自分を守っているような・・・・法律に縛られている社会を拒絶しながらも同時にこだわらずにはいられない。そんな苛立ちが感じられた。
「法律がお前さんに何かしたのか?」
俺の言葉にキっと強い視線を投げる。まるで炎を宿したかのように強く激しい怒りの感情。
だけどすぐに俺から視線を逸らし、目を閉じて空を見上げた。
「悪い。言いたい事だけで充分だ。だけどな?お前さん、自分を苛めてやしないか?すれすれの法律の上で飛び跳ねて、わざと自分を追い立ててやしないか?」
ぴくっと、小さく少女の身体が震えたのがわかった。
思春期の若者特有の悩み。
自分は何の為に生まれてきたのか。
自分の存在意義はあるのか。
誰も答えてくれない。
自分で見つけなければ意味のないものだから。
でも、それがとても難しい。
気ばかりが焦って、戸惑う感情を持て余して。
自分を追い込んでいく。
すれすれの場所に身を置いて、どこまで出来るのか試したくて。
大人になったからといって、その答えを明確に持ちえた者はほとんどいないのだけれども。
「綺麗事でやり過ごすルールは嫌いなの」
小さいけれどはっきりとした声に、俺の中のすでに汚れてしまった部分が竦む。
「それが丸くおさまる最善の方法だとしても、あたしは嫌。納得がいくまでもがいてみせるわ。たとえそれがささやかな抵抗であったとしても」
それは何に対する宣戦布告だったのだろうか。
わからない。わからない、けど。
「・・・・あんまり、無茶するなよ」
もう一度、少女に向かって手を差し伸べる。
腕を掴んで降ろそうとするのではなく、細い身体を抱き上げて降ろすのでもない。
ただ、俺の手を支えにして欲しいと思っただけ。
『ルビー』からしてみればただのおせっかいかもしれないが、ほんの少しだけでいいから、俺を頼って欲しいと願う。
ピンと張り詰めたその姿は綺麗だけれど、どこか痛々しくも見えるから。
「降りて、おいで」
「・・・・馴れ合う気はないって、言ったはずよ」
固い声に俺は微笑む。
「今は『刑事』じゃないって、何回も言っただろ?俺はお前さんと話が出来ただけですごく嬉しいんだ。少しでも俺を気に入ってくれて話をしてくれた。それは『ルビー』としてだろ?
・・・・飛び下りるのは簡単だけど、風も出てきたし。気をつけた方がいいだろ。ほら」
ポっと。再び『ルビー』の顔が赤く染まる。
俺と差し出した俺の手を何度も交互に見つめて。
「・・・・大した高さじゃないじゃない・・・」
真っ赤な顔とは裏腹に、意地っぱりな声。それでも。
――――遠慮がちにそうっと、小さい手を伸ばしてきた。
俺の顔が満面の笑みになってる事は間違いないだろう。
幸せな気持ちで少女の手を取った瞬間。
――――パチッッ!
静電気に触れた時のようなビリっとした軽いしびれが、再び全身を駆け巡った。
あの夜と同じように、一瞬青白い光に包まれて。でも、決して不快ではない。
「・・・・何でよ・・・何で・・・?」
ストっとほとんど音すら立てずに降りた少女から漏れた声が風に攫われていく。
どこか泣きそうな小さな小さな声と揺らいだ瞳。
・・・・あの時、見たような気がする。
迷子になった幼子のように、どこか途方にくれたような弱々しい輝き。
――――このまま手を放したくない。
「・・・・あんたってほんとに・・・変な人・・・」
そんな願いも虚しく、少女がそっと手を外して軽く頭を振った。栗色の髪がフワっと舞い上がる。
「帰ろっか」
すぐに顔を上げて俺を見上げて笑う少女は、先程の雰囲気を完璧に拭っていた。いつもの勝ち気な真直ぐな視線で先に数歩歩き出す。
「そうだな・・・」
チクンと小さなトゲが刺さったような気がする。少女の後に続きながらそっと苦笑を漏らした。
・・・・・長期戦になるよな、覚悟はしてたけど。
『ルビー・ムーン』ではなくこの少女を捕まえるまでは。
道のりは遠いけれど、諦める気はまったくないから。
焦りはしない。
この子はまるで野生の子猫のようだから。焦って取り逃がしたら2度と近寄ってこないのがわかる。そうならない為にも、ゆっくりとやっていくさ。
「何ボーとしてるの、ガウリィ」
「いや、次はいつ会えるのかなーっと」
「それはあたし?それとも『ルビー・ムーン』?」
「どっちもお前さんだもんな。でもどっちかって言えばここにいるお前さんのが嬉しいかな」
「・・・・刑事って自覚まるでなしね、あんた」
「自分に正直だってことだろ?」
パチっとウインクを投げるとニヤっと笑い返された。
「ま、せいぜい覚悟はしててよね」
「そりゃもうばっちり。お前さんも覚悟決めててくれよ?」
「なーに言ってんだか。あたしを捕まえようだなんて百年は早いわよ!」
じゃれあうような会話を躱しつつ、いつも待っているガードレールの場所まで辿り着いた。
「ここまででいいよ」
「送っていくぞ?もうこんな時間だし・・・」
「大丈夫だって。んじゃね、ガウリィ」
「おい、ちょっ・・」
引き止める間もなくくるっときびすを返した少女は、いつものように軽やかに走り出し、人通りが少なくなったとはいえ派手さがかえって虚しいネオンが今だ溢れている夜の繁華街へあっという間に消えてしまった。
「・・・・まったく」
1つため息をついて、俺はまたガードレールに寄り掛かり煙草を取り出した。
「・・・結局聞けなかったなぁ・・・」
――――あの時、何でキスしてったのか。
紫煙が立ち上る先の夜空には、相変わらず星を見る事は出来ない。
けれど、心のもやもやは綺麗に消えていた。
『ルビー』が消えた街に向かって、俺はもう一度宣言する。
「・・・・絶対に捕まえて見せるからな・・・」
◇◇◇◇◇
『ルビー・ムーン』の犯行予告状が届いたのは、それから8日後の事だった。
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