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―――――その少女のまわりだけ、どこか世界が揺らめいて見えた。
真夜中の繁華街。
快楽と欲望がひしめき合い、刹那の喜びと虚しい悲しみが行き交う、現実に存在するのにどこか蜃気楼のようにつかみ所のない街に。
その少女は、白いガードレールに腰掛け、くすんだ夜空を見上げていた。
ビルに囲まれた四角く切り取られた夜空に、まるで星でも探すかのように。
煌めくネオンに、行き交う車のヘッドライト。
都会の中心では望むべくもない星の姿を、まるで自然に捕らえているような、そんな眼差し。
夜更けだというのに人の流れがたえない。
けれども、他人の事など無関心なその流れの中で、その少女の存在は馴染んでいるような、とても浮いているような、不思議な空間を作っていたのだ。
思わず人波の中で俺が足を止めてしまうほどに。
車が通る度に巻き上げられる栗色の髪。
ふっと、少女が視線を空から地上に戻した。
幼い、と言っても過言ではないようなあどけない表情に、不意に浮かぶ微笑。それだけでこの少女の年がわからなくなる。
子供と大人の混ざりあった、そんな顔に何故か目を奪われた。
誰かを待っているような、ただ街ゆく人を観察しているような。捕らえ所のない表情に浮かぶのは、自嘲めいた皮肉げな笑みで、こんなところで少女の観察をしている場合ではないのにこの場から離れられなくなっている。
その時、少女に近づく男たちが目に写った。
夜毎に手頃な女を見つけては口説き一夜を共にする、そんなゲームのような簡単な恋を楽しむ若者たち。
恋とも言えない。若さゆえの欲望を解放し渦巻く虚しさをつかの間埋めてくれる相手がいればいいだけ。
この街はそういった相手を見つけだすに最適な場所だった。だからこそ、日付けが変わるこんな時間になっても人が絶える事がない。
・・・・・・もしかしたら、少女もそういった誰かを待っていたのか?
浮かんだ想像に苦いものが広がっていく。
3人組の男が少女を囲むように近づき、何かを話しているが俺の耳には聴こえてこない。そのことがやけに俺の心を苛つかせた。
―――――よくある事じゃないか。こんな風景など。
自分の職業上、あまり好ましいものではないが。それでもこんなことはごくありふれた自然な風景なのに。
なのに。黙って見ている事が出来なかった。
足早に近づき声をかけようとして・・・・思わず立ちすくむ。
少女のその、紅い瞳、に。
「一千万」
次の瞬間高めの声がはっきりと俺の耳に届いた。
男たちにも聞こえたらしく、あぜんとした顔で硬直している。
「聞こえなかった?どうしてもあたしが欲しいって言うんなら一千万で売ってあげる。もちろんキャッシュでね」
その言葉の内容と少女の輝く瞳に、思わず飲まれた。
まるで小さな炎を宿しているかのような紅い瞳に、好戦的な眼差しを乗せて。
唇に乗せているのは先程までの微笑とは明らかに違う、誘っているような笑み。
「何言ってんだよ。こんな時間に銀行なんて開いてないぜ」
「ちょっと高すぎるだろ?もう少しまけてくれよ」
少女の本気に気付かないのか、男たちが再び笑って手を伸ばしてくるのを、少女は変わらず微笑みながら・・・・
「いててててっっ?!」
「払えないって言うんならさっさと消えて。あたしは安くないのよ」
一瞬のうちに少女の身体が男の後ろに回り込み、触れようと伸ばされた腕を取って捻りあげていた。
大して力を込めているようには見えないが、男の顔は痛みと少女の細腕を振りほどけない驚きのために真っ赤になっている。
誰も予想しなかった展開にその一角だけ時が止まったように感じられた。
「その辺の女と一緒にしないで」
ピンっと張り詰めた凛とした声。その声に呪縛されていた男たちが動きを取り戻す。
「いい気になるなよっ」
先程まで少女を見ていたのとはまるで違う、恥をかかされた事への憎悪をたぎらせた男たちの目は危険なものだが、少女は動じない。
「そのくらいにしておくんだな」
1人が押さえ付けられているとはいえ、そのせいで身動きがとれない少女に襲いかかろうとした男たちが、俺の一言で動きを止めた。
「交渉が決裂したからって女の子を2人がかりで襲うなんて情けないぞ」
「・・・何だよ、お前は」
「関係ねぇだろ。消えろよ」
先程までとはまるで違う声と凶暴な気配。だがそんなものに動じるような俺じゃない。
「お前たち、20歳すぎてるだろ?買春は犯罪になるって知ってるか?」
「・・・・何だよ」
「フラれたんなら素直に諦めて次にチャレンジした方が身のためだ。それでもまだ足掻くって言うなら俺も見過ごす事出来ないぞ」
「・・・・・・・」
穏やかな中に有無を言わせない圧力を込めて男たちを見渡す。
ちらっと少女を見てウィンクすると、一瞬眉をひそめてから軽く肩を竦めると、掴んでいた腕を放してトンっと軽く肩を押す。男はそのまま前に転んだ。
「・・・・っくしょう」
小さな怨嗟のつぶやきを残して、立ち上がった男が仲間に合図してそそくさと立ち去る。張り詰めていた空気が再び街のざわめきと同化していった。
「・・・・あーあ、折角のストレス発散材料だったのに」
振り向くと残念そうな表情をした少女が俺の方に歩いてきていた。
「あーゆーのを挑発するなよ」
「馴れ馴れしく声かけてきたのはあっちだもの。女をおもちゃにしか思ってない男に人権なんてないわ」
当然のように言い切る彼女に思わず苦笑する。
「でもまぁ、一応。ありがと」
「礼を言われるような事はしてないさ。それよりこんな場所にいつまでもいたらまた声かけられるぞ。子供はもう家に帰らなきゃまずい時間だろう」
子供ではないがまだ大人でもない少女にそう言うと、途端にプっと頬を膨らませた。その仕種や顔はとても可愛らしくて、さっきまで男たちを相手にしていた時のような妖婉さは欠片もない。
「子供じゃないわよ」
「大人でもないだろう?」
「女に年を聞くなんてまねしないでよ?」
尋ねる前に釘をさされて思わず苦笑する。確かに気にはなるがこの際年を聞いたところでどうにかなるものではない。別に補導するつもりはないのだから。だが。
「でもなぁ・・・それでも今日はもう帰った方がいい。もしお嬢ちゃんがよければ俺が送るから」
「何?あんたもあたしにコナかけようって魂胆なの?」
途端に険しい顔になった少女に俺は慌てて手を振った。
「違うって!ただお前さん、自分じゃ気がつかないかもしれないが結構目立ってたぞ?ああいう奴らもまだ多いし、危ないだろうが」
最初はジト目で見ていた彼女だったが、俺に下心がないのがわかったのか、にこっと笑った。
「変な人ね。見ず知らずの人間相手に親切だなんて。でもあたしは大丈夫よ。家も近いし、何よりあの程度の男にどうにかされる程やわじゃないわ」
自信に満ちた不敵な笑みに、出会ってから何度目か、目を奪われる。
「でも・・・・!?」
それでも放っておく気にもなれずもう一度声をかけようとしたとたんに、上着の内側から携帯の呼び出し音が響いてきた。
―――――ヤバい・・・すっかり忘れてた・・・・
慌てて携帯を切ると、少女が意地悪げな表情で俺を見ている。
「彼女からの呼び出し?」
「いや。仕事先からだ」
「ふーん。こんな時間からの仕事ねぇ・・・おおむねホストかしら?」
「違うぞっっ!!」
「別にどーでもいいけどね。早く行きなさいよ、怒られても知らないわよ」
そう言って少女は再びガードレールに腰掛ける。まるで何ごともなかったかのように。
・・・・・離れ難い。彼女をひとりにはしておきたくない。
そんな事を思う自分に内心驚く。
再び携帯が鳴った。
暫くして、小さなため息をついて少女が立ち上がった。
「・・・・そんな途方にくれたような顔しないでくれる?わかったわよ。あたしも帰る。だから早くあんたも行きなさい」
ひらひらと軽く手を振って俺が何か言う前に歩き出す。小柄な少女の姿はあっという間に人の流れに混ざり夜の街に溶け込んでしまった。
幻かと思う程すんなりと消えてしまった少女。
まるで都会に生息する野生の猫のように。
・・・・・なんなんだろう。この虚しさは。
大きなため息をつくと、なんとなく空を見上げる。少女が見上げていた夜空には、視力には自信がある俺の目にも星の姿を見つける事が出来なかった。
無意識のうちに煙草を取り出そうとして、はっと我にかえった。
3回目の呼び出し。
慌てて走り出しながら電話を取ると同僚のかん高い怒鳴り声が響いてきた。
【今どこにいるんですかっ、ガウリィさんっっ。犯行予告時間まで後2時間ないんですよっっ!!】
「悪い、道に迷っちまって。後10分ぐらいでつくから」
【全力疾走で来て下さいねっ】
――――プチっ。
軽く肩を竦めると先程の少女の影を振払うかのように頭を振ると、俺は仕事先に向かって走る足を速めた。
◇◇◇
―――――午前2時。『ルビー・ムーン』の犯行予告通り。
厳重に封鎖された部屋の中から、警備の手をくぐり抜け。一枚の絵画が盗まれた。
◇◇◇
「ぜーんぶガウリイさんのせいですからねっ!」
「遅刻したのは悪かったが、全部俺のせいにされてもなぁ・・・」
始末書を書きながら、目の前でやすやすと泥棒に勝利を奪われた悔しさを、同僚のアメリアが俺にぶつけてくる。
同じく始末書を書きながら、俺も思わず深いため息をついた。
コンビを組んでまだ浅い俺たちが今追っている泥棒。いや、泥棒と言うより怪盗と言った方がいいかもしれない。
『ルビー・ムーン』
その存在は警察の中でもごく限られたものにしか知られていない。当然、世間に情報が漏れる事がないように厳重な注意をさせられている。
俗に言う“大物”と呼ばれる人物が所有しているものに対して犯行予告状を出し、どんな警備体勢をひいても物証の1つも残す事なく予告通りに奪っていく怪盗。
それはもう、まるで手品のような見事な手腕で。
「絶対に次こそは捕まえて見せますっっ!正義の心がある限り、これ以上悪の好きにはさせませんっ」
「新しい予告状が来てるのか?」
「・・・・・まだですけど・・・・」
そして、ルビー・ムーンの犯行がどれだけ行われているのかもはっきりとはわかっていない。
自らの立場上、予告状がきても警察に知らせない者もいるのだ。そして、警察に知らせてもことごとく連敗している為こちらから積極的に動き回るわけにもいかない。
「どうせ予告状出すんなら、こっちにもついでにくれりゃいいんだがな」
「本当ですよね。少しは余裕を持って事前調査や警備体勢も出来るのに」
いや。いくらなんでも全面的に警察を挑発するほどバカじゃないか。
「大事にするわけにはいかないんだろう?」
「それでも!前日になってから協力を求められるよりましな事は出来るはずじゃないですか!」
さすが正義の申し子、アメリア。
幼い頃から正義のヒーローに憧れて、飛び級で学士課程を終了し今春から刑事として正式採用された彼女と違い、俺はそこまで熱血にはなれないでいる。
昔からやっていた剣道の腕を買われ、何気なく流されて気がついたら警察に就職が決まっていた、というのが実状なのだ。そしてルビー・ムーンが現れだしてから、この署に配属された。
前の技術指導員をやってる時よりはマシとはいえ、アメリアのように仕事に情熱を持っているわけではない。
それでも、彼女の若さゆえの純粋さを好ましくは思っていた。
「書けたか?」
前触れもなくドアが開いて男が1人入ってくる。
「ゼルガディスさんっ」
その声と同時にアメリアが勢い良く立ち上がった。
「書けましたけど・・・悔しいですぅ」
書類を手渡しながらつぶやく彼女の肩をポンっと叩いた。
無愛想な彼の、いつも通りの励ましにアメリアの頬が微かに染まるのを俺は見逃さなかった。
「ガウリィ。お前も書けたのか?」
「ああ。これな」
渡した書類にざっと目を通して、軽くうなづく。
ゼルガディス課長。一応俺たちの上司に当たる男だ。そして俺の大学の後輩でもある。もっとも上下意識などまるでないのだが。
公式な場をのぞいて課長と呼ばれる事に抵抗を示した為、3人だけの時は昔ながらの呼び方をしていた。
「ゼル。予告状が来たのか?」
「・・・・・相変わらずいいカンしてるな」
俺の言葉にニヤっと笑い、椅子に座る。
机の上に持ってきた地図を広げ、俺たちに示した。
「本部長からの指示だ。ルビー・ムーンの予告状が届いたのは現建設大臣第一秘書。ターゲットは金庫の中の国宝級の掛け軸。犯行予告日時は四日後の午前2時」
言いながら地図に赤で丸をつける。
目標の家だろう。高級住宅街の端。近くに大きめの公園がある。
ここから時間にして1時間程離れた距離だ。
「掛け軸なんて奪ってどうする気でしょうね」
「掛け軸と言ったのは第一秘書の付き人だ。実際に狙われてるのはきっと別物だろう」
首を傾げながらのアメリアの言葉に皮肉な表情を浮かべるゼル。
「政治家は嘘が上手くなければ出世出来ない、奇妙な生物だからな」
言い切る彼に、反論出来ないでいるアメリア。
無理もないだろう。
まだ世間を知らない彼女には、理解出来ない世界の常識というものが数多く存在しているのだから。
「それで?今回も警備員は向こうが用意するのか?」
「そうだ。何があってもマスコミに洩れてはいけない、と指示が来ている。俺たちは本当に協力、という形だけだな」
どこか投げやりな口調に中間管理職の複雑さを滲ませる。
中途半端な捕り物劇。こんな状態であの怪盗を捕らえる事など、アメリアには悪いが不可能に近い事だ。
ただでさえ連携など取れていない金で雇われている警備員をまとめる事だけでも一苦労だというのに、もしかしたら俺たちの指示すら拒否されるかもしれない。
先日の事件の時のように。
「いつもと同じ、って事だな」
「会議したところでその通りにいく事はないだろうな。俺としては旦那の野生のカンに期待するさ」
俺を引き抜いてルビー・ムーンの専属に配置した一番の理由をさり気なくちらつかせるゼルに、軽く肩を竦めた。
「さてと。今日はこれで帰るか。特に何かないよな?」
「ああ、あがってくれ。あ、悪いがアメリアはちょっと残って書類の整理を手伝ってくれないか?」
「はいっ」
「・・・・やる事あるんじゃないか」
すでに上着に片腕を通してしまってからのセリフに、思わずジト目でゼルを見ると、ニヤっと笑い返された。
「ガウリィに手伝ってもらったら俺の仕事が倍に増えるだけだからな」
「人には向き不向きがありますからね」
「・・・・・・悪かったな」
確かに反論出来ない。だがふと意地の悪い笑みを浮かべて反撃する。
「ま、いいさ。馬に蹴られたくもないし、お邪魔虫は早めに消えるよ」
「なななな、何言ってるんですかっ、ガウリィさんっ」
途端にポッと顔を赤らめそわそわしだすアメリアと、視線を泳がすゼルガディス。
「・・・・・・余計なカンだけは鋭いな・・・・」
ボソっとしたつぶやきに会心の笑みを浮かべて手を振った。
「んじゃ、お先」
手早く上着を着込み部屋を出る。
人の気配が薄い、がらんとした署内を足早に抜け、家路を急ぐ人の群れの中に俺もまぎれていった。
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