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今夜の月は白すぎる。
森の中での野宿など、珍しい事ではない。
相棒である少女は、『野宿は嫌いー』と渋るものだが、時と状況によっては仕方がない。
それに、ガウリィは野宿が嫌いではなかった。
こんな時でないと、少女が素直に頼ってくれる事はない。
こんなふうに、手が届く程の距離で無防備に寝顔をさらしてくれる事などないから。
むろん、旅慣れている少女の眠りは決して深いものではない。
こういった野宿では交代で見張りをするとはいえ、張り詰めた神経は眠っている時ですら、自らに対する危険信号を見落とさないようにと過敏になっている。
ごく浅い、眠り。
それでも、傍らの少女はマントと毛布を身体に巻き付けて、穏やかな表情で微かな寝息を漏らしながら眠っていた。
時折、パチンっとたき火にくべた枝が弾ける。
森の木々の隙間から、明るい程に射し込む月光。
満月までにはまだ少しばかり早い、それなのにやけに白い光を放つ。
森の獣や虫たちの音や気配すら飲み込まれそうな、明るく清らかな、それでいて総てを拒絶しているような月光。
白い、白い月。
この光に包まれているうちに、何故だかいたたまれなくなってくる。
身の置きどころのないような、安らぎとは掛け離れた光の中で、ガウリィはさらにたき火の勢いをあげた。
少しでも赤い炎が生み出す光に触れていたかったのかもしれない。
この月の光は忘れたい過去を、忘却の彼方に沈めたい犯した罪を、暴く鏡のようだ。
白く汚れない光ゆえに、心の奥底まで見透かされる。
普段なら思い出しもしない、思い出す事を封じた事柄が、何故だか蘇ってくる。
微かに香る、血臭と。骨肉を断ち切る鈍い音すら。
・・・・・・これは幻だ。
・・・・・・けれど、現実にあった事・・・・
この手で犯した、まぎれもない罪。
自分が生きる為に、奪った数々の命が、白い月の元、俺を責める。
これだけ多くの命を奪っておいて、俺が生きていく価値が果たしてあるのか・・・・
血にまみれたこの手で、大切な者を守る事など出来るのか・・・・
心が問いかける声は、暗く深く、果てしなく重い。
月はただ白く、俺の奥底まで照らしだす。
「・・・・う・・・」
急に乱れた気配に、過去に捕われていた意識がはっと今に戻された。
「・・・・リナ?」
穏やかに眠っていた少女が、いつの間にか苦悶の表情を浮かべ激しく身じろぐ。
「・・・・ううっ・・・やだ・・・やだやだやだ・・・・」
「リナ」
明らかに悪夢に捕われているリナを起こそうと少女の身体に触れたとたん、あまりの冷たさにぞくっとした。
火は絶える事なく燃えている。
それなのに冷えきってしまっている身体。
よく見ると、唇の色は血の気が引いて、月明かりに照らされた顔はまるで死者のように青白い。
「リナっ、リナっ」
ガウリィは慌ててリナを抱き上げて少し乱暴に揺すった。
どきん・・・どきん・・・
激しく心臓が鳴る。
息もしてるし、声もある。何かから逃れようとガウリィの腕の中でさえも暴れる身体。
生きている、のに。
なのに、恐怖にかられる。
このままリナがずっと目覚めないような、いなくなってしまいそうな恐怖に。
「リナっ、しっかりしろっ」
「・・・・・やだ・・・・やめて・・こないで・・・・」
「リナっ」
「・・・こないで・・こないで・・・やだやだやだ・・・」
膝の上に抱き上げて耳もとで声をあげても、揺すっても、今だ悪夢に捕われて目覚めない少女の身体が、かたかたと震え出した。
無意識にガウリィの服に触れた手が、きつく握りしめられる。この手を離してしまったら最後、と言わんばかりにぎゅううっと。
――――起こすのが無理なら・・・
意識がない分、強めに抱き締める。
震える身体を暖めるように、握られた手の上に自分の手を重ねて。
「・・・・ごめんなさい・・・」
しばらく身じろぎをくり返していたリナの動きがぴたっと止まる。そして、抱きしめているガウリィでなければ聞き逃してしまいそうな程か細い謝罪の言葉が唇から洩れた。
おもわず、月を仰ぐ。
俺とリナの上に容赦なく降り注がれる、罪を暴く汚れない白い光。
「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
くり返しつぶやかれる罪の現れ。
リナの心の奥底に隠された、彼女の隠しきれぬ重罪。
だが、誰が彼女を裁く事が出来るというんだ?
いたたまれない。
今だ自らの犯した罪の意識に捕われ夢の檻に縛られ続けるリナの唇を、ガウリィは己のそれでそっと塞いだ。
(お前の重さは俺が半分持ってやるから)
(あったりまえでしょう。今さらやだって言ったって許さないんだから)
そう言ったのに、自分の重さを決して手放そうとはしないリナ。
その小さな背中に背負うには重すぎる運命を、普段は何でもないように笑い飛ばして常に望むままに走り続ける少女。
だけど、やっぱり。
もしかしたら本人ですら気づいてないのかも知れない。だからこそ、悪夢という形で現れているんだろう。
押し込めて押し込めて・・・・圧縮された恐怖。
夢の中ですら叫ぶ事も出来ない、それほどの罪を。
・・・・・どんなに望んでも、分けてはくれない。
塞いだ唇。
柔らかく触れているだけのそれ。
リナのつぶやきはまだ消えない。
小さな、だけど重い重い贖罪の言葉を受け止めるように、
飲み込むように。
ゆっくりと背中を撫でながら、俺はずっと触れ続けた。
どのくらいそうやって触れていたのだろう。
リナの身体から徐々に力が抜け、震えが止まる。
「・・・リナ?」
小さく名前を呼ぶと、ピクッと目蓋が痙攣し続いてゆっくりと開いた。
ぼんやりとした眼差し。まだ半分夢の中なのだろう。
「・・・・・・・ごめん・・・なさい・・・」
誰に対する謝罪なのか、恐らく本人でさえもわからないままに、再びつぶやかれる言葉。
だから、俺もまた唇を塞ぐ。
―――――どうやったら、リナの心を軽くしてやる事ができるんだろう。
「・・・・・リナは悪くない」
唇を離すとリナの頭を俺の胸にもたれさせ、柔らかく抱きしめながら耳もとで囁く。
正気の時だったら、こんなふうにおとなしく抱かれているはずもないリナに、寂しさと愛おしさが混ざって溢れだす。
「リナは悪くない。悪くない」
「・・・・・みんなが責めるよ・・・・」
「責めてない。リナは一生懸命生きているんだから、だからあれはお前のせいじゃない」
「・・・・・たくさん・・・死んじゃったよ・・・」
「リナのせいじゃない。お前が望んだ事じゃない」
「・・・・・助けられなかったよ・・・・」
「・・・・それは俺の責任でもあるな。だから、リナだけのせいじゃない」
「・・・・・だけど・・・・」
「リナが生きようとするのは当然の事だろ?生きてていいんだよ。リナは悪くない」
とんとん、と。背中を叩きながら、ゆっくりと言葉を伝えていく。
「俺がいるよ。ずっとリナの傍にいる」
「・・・・・傍にいる?」
「リナが笑ってる時も怒っている時も、辛い時も嬉しい時も、ずっと傍にいるよ」
「・・・・・ずっと?」
「ああ。ずっと」
幼い子供のようにたどたどしくつぶやくリナ。
「ずっとずっと・・・・傍でリナを守るよ」
――――――ふぅ。
小さなため息が吐き出された。
再び目を閉じて、俺にもたれ掛かるリナの重みが変わった。
とんとん、とんとん。
「・・・・もう一度眠りな、リナ。怖い夢が来たら俺が追い払ってやるから」
とんとん、とんとん、とんとん。
「・・・・・・・ありがと・・・ガウリィ・・・・」
吐息のような微かなささやきに、俺の表情も柔らかくなる。
すぐに穏やかで規則正しい寝息が聴こえてきた。
片手でリナを支えながら、毛布を巻き直す。リナの頭まで覆い隠すようにすっぽりと。
この白い月の光から守るように。
多分、朝になれば忘れているだろう。
夢も見ぬほどに深く眠ってしまえばいい。
消えたわけではない、彼女の罪の重さ。
だけど、誰にも裁けはしない。何も言わせない。
何の罪も犯さず生きている綺麗な人間など、この世に存在しないだろう?
誰よりも自分らしく生きようとしている彼女にくらべ、俺が犯してきた罪の方が何万倍も許されざるものだろう。
こうやって、腕に抱きしめることすら、本来なら許されない事かもしれない。血濡れた手で流れる涙を拭っても、穢してしまうだけかもしれない。
それでも、守りたい、と心底願う。
自らの罪を決して手放さない少女だから。
少女が背負っている重さごと、俺が抱きしめよう。
「・・・・世界が敵に回っても・・・俺はお前を愛し続けるよ」
眠る少女の髪に口づけて、抱きしめる腕に力を込める。
それは祈り。そして誓い。
腕の中の少女を守り、共に生き抜く事こそが、彼が出来る唯一の贖罪に他ならないのだから――――
「・・・ん・・・・・・?はれ・・・?
・ ・・・・・・・・・・・んなななななっっ?!」
もぞもぞした感覚にパチっと目を開くと、真っ赤になったリナの顔が飛び込んできた。
すでにあたりは眩しいくらいに明るい。
今日もいい天気だ。
「んー・・・おはよう。リナ」
「おはようじゃなーいっっ!とりあえず離せってば」
おお。そういえば抱きしめたままだった。
見ると、すっかりたき火も消えている。
どうやら俺も思わず眠ってしまったらしい。
じたばたと毛布に包まれたままリナが暴れだす。だけどこの温もりを離したくなくて、とぼけてみる。
「ちょっとガウリィっ。人が寝てたのをいい事に、なんでこんな・・・だっこ・・・してんのよっ」
「リナが寒がってたからなぁ。風邪でもひかれたら困るだろ」
「んなっ・・・・じ、じぁあ起こせばよかったじゃない。起きてお茶でも飲めば暖まるのにっ」
「気持ち良さそうに寝てるの見たら、起こしたくなくなるだろ?」
ぼんっ。
そんな音が聞こえるかの勢いでリナの顔が更に赤くなる。
俺は密かにほっと胸をなで下ろしていた。
「リナ」
「なによっ」
「よく眠れたか?」
照れてる顔を隠そうとそっぽ向いてるリナの頭にぽんっと手を乗せて、くしゃっと掻き回した。
「・・・・・・・起こしてくれなかったおかげで、たくさん眠れたわよっ」
「そっか」
さわさわと風に揺られて木の葉がざわめく。
眠りから覚めて動きだした森の獣たちの気配。
世界を染め変える太陽の光が、白い月に支配されていた厳かな夜の気配を塗り替えていく。
いつも通りの日常の始まり。
「ガウリィっ、いいかげんに離してくれないと呪文ぶちかますわよっ」
「朝っぱらからそれはかんべんしてくれ」
苦笑しながら名残惜しげに腕を解く。
俺の腕から抜け出したリナが、まだうっすらと赤い顔のまま思いっきり伸びをした。
太陽の光をいっぱいに浴びて、振り返る赤い瞳には強い生命の輝き。
「さてと。早いとこ出発して今日こそふかふかのお布団で寝るわよ」
「・・・・起きたばっかでもう寝る話かぁ?」
「いーから、さっさと動く!」
「はいはい」
そこには昨夜の少女の影はどこにもなかった。
―――――少女の心の奥底に封じられているのはまぎれもない事実でも。
「なあリナ」
「何?」
「街ついたらなんか旨いもの食いに行こうな」
「?あったりまえでしょう。あ、何?ガウリィおごってくれんの?らっきー♪」
「ちょっと待て。なんでそーなる」
明るい笑い声をあげながら、森を抜ける為しっかりした足取りで歩き出す。
ちらっと空を見上げる。
白い月は太陽の光に溶けて、すでにその姿を隠していた。
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