snow 


 

 音もなく舞い降りてくる冬の欠片。
 白い鳥の羽根のようにふわふわと宙を舞って、けれど、それは手に触れた瞬間に跡形もなく消え失せてしまう。
 ほんの微かな温もりにすら触れるのを許さずに、水滴となってその純白の姿を溶かしてしまうのだ。

 これ以上はない程冷ややかでありながらも、全てを浄化させるかのように純白に包み込む、真白の雪。
 
 

 

 

 

 時折、耳元を掠めるように過ぎる細い悲鳴のような風の音だけが、雪が降りしきるこの荒野で聴こえるただ1つの音だった。
 音もなく雪が舞い落ちていた。
 どのくらい降り続いているのかわからない。
 荒野には全体的にうっすらと白く雪が積もっていた。
 けれど、今、目の前に広がっているのは純白の白ではない。
 激しく駆けずり回り積もった雪を散らしてむき出しになった黒々とした土。
 累々と横たわる、命を散らした傭兵たち。
 どこからか現われた恐ろしい大きさの無数のツララが、雪と人に覆われた大地の上に容赦なく突き刺さっている。
 そして。
 彼らから熱を奪った、純白を深紅に染めた血。
 そう、ここはつい先程まで戦場だったのだ。

 

 

 

 今は昔に比べると大きな戦争もなく比較的平和な時代だと言われているけれど、それでも『傭兵』という職業でもって世界中を当て所もなく旅をしている彼が仕事に困る事はそうはなかった。
 人が集まる場所には、争いも生まれる。
 大きな戦争はなくとも、小さな小競り合いは日常茶飯事のようなものなのだろう。
 基本的には一人で流れている彼ではあるが、時には今回のように数が勝負の争いに雇われ、戦いに参加することもある。
 人一人の命の値段としては到底安すぎる、けれど、傍から見れば大金に値するかもしれない金を手に、文字通り命を賭けて戦う商売。ただ雇われ主が違うと言うだけで、見ず知らずの何の恨みもない相手を、自分が生きる為だけに倒していくのだ。
 それは、相手に取っても同じ事。
 生きる為に戦う。
 生き残る為だけに、たまたま敵となった相手を倒すだけ。
 だから、戦場となるそこに感情は持ち込まない。
 感覚だけを研ぎすまし、感情は全て押さえ込む。
 戦いの間だけは、何かの拍子で剣を振るう手が止まらないように、頑丈にしっかりと心の中に封をして、感情がある事を忘れるのだ。
 そうやって彼は生きてきた。
 ただひと振りの剣と、それを振るう確かな腕だけを手に家を飛び出してきた少年が、すでに立派な体躯をした青年となるまで。

 

 

 

 凍てついた大地に突き立てた剣を支えに何とか座り込んでいる男だけが、降る雪を透明な水滴に溶かしていた。
 それは、彼だけがこの場所で生きている、という事に他ならない。
 ある意味世間知らずだった少年が、ただ1つ自信を持って扱えるもの。それが剣だけだったから、彼は生きる為に傭兵として経験を積み、何度となく死闘を重ねてきた。
 天性の剣の腕と野生のカン、そして人間離れした反射神経。
 そんなものが戦いの度に磨き上げられていき、一流の傭兵と言われるまでになった。
 けれど今回のように、気がつけば生き残っている者は自分ただ独り、という戦闘の終焉は身体中を苦い何かが駆け巡る。
 グッと込み上げてきたものを吐き出すと、僅かに赤い色と口の中に鉄の味が広がった。そこでようやく、身体中のあちこちから痛みが主張し出す。
 今回の戦闘は、人数的にはこちらが不利だった。
 それでも、取りあえずの味方の中に、結構な攻撃魔法を扱える魔道士がいたので、戦力的には五分といった所だったのだろう。
 彼には魔法を使う事は全く出来ないし、それがどのような力なのかよく知らなかった。丸暗記すれば誰にでも使えるはずのごく初級な明りの呪文でさえも、自分には必要ないから覚える気もなかった。
 だから、魔法に対する知識はほとんどない。
 けれど、戦闘時における人間離れしたカンは、その魔道士が放った魔法の威力を正確に察知して、咄嗟に剣を自分の頭上で勢いよく振り回し続けた。
 突然空から恐ろしい勢いで降ってきた、鎧で覆われた人の身体でさえ容易に突き通す程の大きさと鋭さを持った巨大なツララの雨。 

 ――――呪文を唱え終わった瞬間に敵の矢を受け命を失った魔道士が放った大技は、術者のコントロールを失い敵味方全てを巻き込んで暴走したのだ。
  


 そして、そのツララの雨が過ぎ去った時。
 切り伏せ弾き飛ばしながらも防ぎきれない氷の刃にあちこち斬られながらも、何とか立ったまま生き延びていられたのは、彼、ただ独りだけだった・・・・・

 

 

 

 
 空を見上げると、厚くたれ込めている鉛色の空から、まるでゴミのような雪が絶えまなく落ちてくる。これが積もると純白の綺麗な雪となってしまうのが信じられないくらいだ。
 この凄惨な戦場も、そのうちこのまま降り続く雪が白く包み込む事だろう。敵も味方も、もう関係なく。
 眠りについた全てのものの罪や穢れを、冷たくも優しく包み込んで。
 けれど、生き延びた彼に触れた雪は、すぐに水滴となって消えていく。
 それはまるで、生き残った事こそが罪と言わんばかりに・・・・―――――

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 突然、目が覚めた。
 暖かい毛布に包まっていたはずの身体が随分と冷えているような気がして、無意識にぶるりと震える。
 顔も身体も強ばっているのを感じた。
 ベッドからそっと起きだして静かに窓に近づく。
 宿の部屋の木の床が僅かに軋む微かな音さえ響いてしまいそうな程、真夜中の部屋は奇妙に静かだった。
 少しだけカーテンを開いて曇った窓を手で拭くと、真っ暗な外に白いモノが視界をよぎる。
 それは、今年初めて見る白く冷たい冬の花。
 雪が全ての音を吸い込みながら、しんしんと降っていた。
 いつから降っていたのだろう。すでに街は白く染め変えられ始めている。この調子で降り続けば、朝までには結構積もりそうだ。きっと朝起き出した街の子供たちは、積もった雪を見た途端に歓声を上げて外に飛び出すに違いない。
 いつもなら、心を踊らせる真白の雪。
 けれど、今は夢の続きを見ているようで。
 窓を開けて舞い落ちる雪に手を差し伸べる事は、出来なかった。

 

 

 

 あれは夢。
 けれど、あれは確かに通ってきた過去。
 初めて、純白の雪を恐ろしいと思い、その美しくも冷たい浄化に拒まれた事に罪悪感すら感じたのだ。
 あの時、真白の雪に包まれ、この世の全ての争いや喧騒や欲望から切り離されて守られた者たちは、春になりその冷たくも優しい雪のゆりかごがゆっくりと消えた後、大地に還ったのだろうか。
 今生きている事に後悔などしていない。
 けれど。
 降りしきる雪は、自分に触れると呆気無く溶けて消えた。
 冷たく白い浄化に拒まれたその時に感じた強い罪悪感と焦燥感は、胸の奥底にしっかりと蓋をして完全にしまいこんだはずなのに。
 何故、突然思い出してしまったのだろう。

 

 

 「・・・・・・・んぅ・・・・ガウリ・・・・?」

  

 


 静かすぎる部屋の中に、不意に寝ぼけた声が響いた。
 もぞもぞとベッドの中で寝返りをうちながら、毛布の隙間から微かに顔を覗かせる。
 ふわぁ・・・と、何とも平和な小さなあくびが漏れて、こしこしと軽く目を擦る仕種は何だかまるでネコのようだ。
 「・・・・・・なに・・・?どしたの・・・?」
 起こさないようにそっとベッドから抜け出したつもりだったのだが、ほんの僅かな隙間から忍び込んだ冷気がどうやら彼女の眠りを邪魔したらしい。
 「悪い。起こしたか?」
 「・・・・・・寒い」
 ぼそっと呟かれて思わず苦笑する。
 極度な寒がりな彼女らしい。2人分の体温で暖まった毛布から1人分の熱が減ってしまったのが気に入らないらしい。
 「雪が降ってるからな。明日は積もりそうだ」
 窓の近くから再びベッドへゆっくりと戻り、毛布の隙間から僅かに出ている乱れた髪をそっと撫でると、リナがオレを見上げて小さく笑った。
 「雪の気配を感じて起きるなんてガウリイらしいわね。子供と一緒」
 「・・・・そうか・・・?」
 子供と一緒と言われてもおかしくないくらい、大人になった今でも雪が積もればどこか嬉しい。
 けれど、今は雪が好きだとは素直に言えない気がした。
 「ガウリイ・・・・?」
 そんなオレの微妙な気配を感じ取ったのか、リナが微かに眉をひそめる。今にもまた閉じてしまいそうな程眠そうだった瞳が、ゆっくりとした瞬きの後にはいつもの強い光を宿らせ始めていた。
 しまった、と思ってもすでに遅い。
 起き上がろうとして毛布からはみ出した身体が一瞬にしてひんやりとした空気に包まれる。ブルリと大袈裟な程に身体を大きく震わせると、リナは片手だけ出して再び毛布の中に潜り込んだ。
 「ちょっと。湯たんぽがないと寒いんだけど?」
 ちょいちょいと手招きする手に、すっかり冷えてしまった自分の身体を気にしながらも、暖かい毛布の中に潜り込む。
 途端にふわりと包み込まれる心地よい暖かさと、柔らかさ。
 「うう、寒い。あんた、どれくらいそこにいたわけ?こんなに冷えてるじゃない」
 毛布の中の暖かな空気を一気に冷やされて文句を言いながらも、リナの暖かな手は自分の体温を分け与えるかのように躊躇う事なく触れてきた。
 「悪い夢でも見た?それにしたって、頭を冷やすだけならいいけど身体中冷やしたらいくらあんたでも風邪ひくかもよ」
 「いやぁ、オレ冬に風邪ひいた事ないし」
 「そうね、バカは風邪ひかないもんね。ガウリイは絶対にひかないけど、あんたが湯たんぽしてくれないとあたしが風邪ひくのよ」
 ボケもあっさりと躱されて一瞬言葉に詰まったオレを、細いリナの両腕がふわりと抱きしめてきた。
 「・・・・・何の夢を見たのか知らないけど。凍えてしまった身体だと心まで冷えて固まっちゃうんだから。悪夢を振り払いたかったら、まずはちゃんと身体を暖めなさい」 

 雪のように白い、けれど暖かな手。
 触れても溶ける事はなく、暖かく柔らかな言葉と身体がふわりふわりと降り積もっていく。
 冷たく白い浄化に拒まれたその時に感じた強い罪悪感と焦燥感は、彼女に触れて身体が温もりを取り戻すと共に呆気無く溶けて消えた。 

 無意識に抱き寄せ安堵の吐息をはくと、どこか呆れたような、それでも安心したような溜息が返された。
 「・・・・・・あったまった?」
 「んー・・・もーちょい」
 「こら。こんな時間から調子に乗るな」
 安心して、暖かい彼女の存在が嬉しくて。つい、ややこしい場所に伸びた手をパチンっと弾かれた。が、そんなのには構わずもっと深く抱き込む。
 「どうせ明日は雪で連泊だろ?リナはゆっくり寝てていいから」
 「・・・・・あんたねぇ。人を起こしといてそれはないでしょ」
 「んー・・・でも、まだ外は雪が降ってるからさ」
 呆れきった声に、それでも完全な拒絶の色はないから今は甘えを通してみたくなる。
 「明日、雪の中で立っててもすぐに溶けちまうくらい、熱くなっておきたいんだ。ダメか?」
 「・・・・・・・・・・・・あんたって絶対、そうやって甘えればあたしが断らないと思ってるでしょ」
 「ダメなのか?」
 畳み掛けると、腕の中の小さな身体が急に熱くなってきた。
 何度も熱い夜を重ねるうちに、最近やっと恥じらいながらも身体は敏感に反応するようになったリナの、言葉より雄弁な我が儘を受け入れる肯定の返事。
 それでもムスッと軽く睨みつけながら尖らせた赤い唇に軽く触れると、小さな溜息が返された。
 「・・・・・・しょうがないわね。今夜はあたしがガウリイの湯たんぽになってあげるわ。そのかわり、また変な夢に捕まるんじゃないわよ」
 「ああ。ありがとうな、リナ」
 宥めるように頬に触れてきた小さな手を取って、感謝と喜びの口付けを落とす。
 そしてすぐに、降る雪のせいでひんやりと冷たく静かすぎた部屋は、雪を溶かす春の陽気のように熱い吐息で満たされていった―――――

 

 

 もう一度寝ても、多分もうあの雪が降る荒野に心は戻らないだろう。
 今までもこれからも。
 どんなに汚れて辛くて苦しくても、真白の雪に自らの浄化を望む事は、もうない。
 冷ややかで美しい純白の雪に包まれて2度と目覚める事のない解放の夢を見るより、不意に凍えた心をもあっさりと溶かしてしまう、炎を抱いた少女との現実を生きていきたいから。
 彼女がいるから。
 雪は、ただ楽しめるだけのモノになる。

 
  

 

 


 この世の喜びも悲しみも全部包み込んで、この地上を純白に景色を染め変えながら。
 音もなく、真白の雪は降り続けていた・・・―――――

 

 

 


♪雪は大好きです。雪かきは大変だし、車の運転も危ないし、とにかく寒いし・・・・と、大人になる程楽しめなくなってくる人が多いですが。
冷たいのにどこか暖かな雪が好きです(^^)
でも、特に雪で遊ぶとかじゃなくて。そう言えばもう何年もスノボにも行けてないし。
降る雪を眺めている時が一番好きかも。