|
秋の夜長は静かすぎて、何故だか眠りを妨げる。
自分の体温ですっかり温まった柔らかい毛布に包まれてうとうとと眠りの表面を漂いながらも、何故だかいつまでも深い眠りの淵に落ちていくことが出来ずにいた。
眠れない程の心配事があるわけでも、夜襲に備えて神経を尖らせているわけでもない。
今は特に物騒な仕事の依頼を受けているわけではないし、魔族に喧嘩を売ってもいない。いつものように簡単な仕事を請け負いながらぶらぶらと特に目的もなく旅を続けているだけだ。
だから、疲れ過ぎていて眠れないとか、逆に昼寝したから眠れないってわけでもない。
ごそごそと寝返りを打って寝心地のいい場所を探してみたりとしばらくの間は何とか眠る努力をしてみたのだが、いつまでたっても訪れる気配のない眠りに仕方なく眠るのを諦めてそっと目を開けても、視界に広がるのはぼんやりとした闇。
耳につくのは、短い秋の一瞬に恋の伴侶を必死に探し求める虫たちの歌と。
平和な眠りを貪っている、同室の相棒からの小さないびき。
向かいのベッドから聞こえるその規則正しい寝息と警戒の欠片もない無防備な寝相に、あたしはベッドの上に起き上がり闇に慣れてきた目で小さくガウリイを睨み付けた。
「・・・・・のーてんき男め・・・」
1人だけのうのうと眠りの恩恵を受けているガウリイに思わず八つ当たりのスリッパでも投げ付けてやろうかと思ったけれど、スリッパを振り上げた先のあまりにも無邪気な寝顔に毒気を抜かれ、がっくりと肩を落として溜息をついた。
ったく・・・いくらあたしは相棒だからって、微かな不穏にも気付かずに寝こけてるなんて。これで凄腕の剣士ってのはどうかと思う。
別に、ガウリイと同室で緊張してて眠れないッてんじゃない。だって、もう今さらだし。
いつもではないけれども、宿の状況で2人部屋を取る事はたまにある。今夜も立ち寄った村に一件しかなかった宿には1人部屋が空いてなくて、今から野宿をするのも面倒だったので同室にしたのだ。秋の夜長はもう結構冷える事だし。
ちゃんとベッドは2つあるし、野宿と変わりないと割り切ってしまえば時々の事だし我慢は出来る。
そりゃ、始めて同じ部屋にしてしまった時やその後何回かは、いくら相棒のガウリイとはいえ男の人と同室ってのはさすがにドキドキと緊張して寝つけなかったもんだけれど、幸か不幸か心配するような事はあたしたちの間にあるわけもなく。
1人で緊張して寝不足になるのも馬鹿らしいと何度目かに悟って以来、これは贅沢な野宿なんだと自分に言い聞かせているのだ。
だから、今さらガウリイを気にして眠れないってわけじゃない。多分。
ガシガシと頭を掻き再び小さな溜息をつくと、そっとベッドを抜け出した。
カーテンの隙間から部屋にこぼれる光が意外な程明るい事に気付いて少しだけ開けてみると、夜だというのに村は妙に明るく照らし出されていた。
「・・・・・満月・・・?」
やけに明るいと思ったら大きな月が顔を出していた。満月かと思いきや、よく見れば僅かに真円には届かない。いや、真円を通り越して欠けている。
十六夜の月。
夕べがどうやら満月だったらしい。秋の澄んだ夜空に登る満月は見ごたえのあるものだが、昨日は天気があまりよくなかったのでお月見なんてすっかり忘れていた。
少しだけ考えてからクルリと後ろを振り返る。
寝顔もいびきも変わった所はない。ガウリイは完全に熟睡しているようだ。
唇の端に小さな笑みを浮かべて、あたしはそっとマントを手に取った・・・――――
◇◇◇◇◇
うるさい程の虫の声が大合唱している草地では、陽が沈むと同時に咲き出した暖かい月の光を思わす黄色い花が微かな風に揺れている。これは月見草だろう。
花と虫たちの鳴き声に包まれながら、あたしは1人、銀色の穂が揺れるススキの中に寝転んだ。
ゆらゆら揺れるススキが織り成すレースのカーテン越しに見上げる秋の澄んだ夜空に登る月は驚く程大きくて、手を伸ばしたら触れられそうな気がする。けれど、当然の事ながら伸ばした指の先には月の光だけが遊び、月がこの手に降りてくる事はない。
満ち欠けする月が象徴するのは、不安定な世界の裏表。
そして、その満ち欠けに支配される女性の身体と心。
空に浮かぶのは、ほんの僅か欠けた月。
引きずられたのかな、と一瞬思う。
でも、何に?
「・・・・別に、不安定になるような事は今んとこないんだけどなぁ・・・」
今は一時期に比べると本当に平和だし。
まぁ、平和すぎて刺激が欲しいと思う事もちょっとはあるのは否定しないけど。
けれど、ぽつりと口をついて出た言葉には、どこか寂しさが潜んでいた。
そう。ほんの僅か欠けてしまっているこの月に似ている状態なのかもしれない。
同じように少し欠けた月でも、十三夜の月はもうすぐ満ちる希望に気分が高揚してくるのに。
十六夜の月は、どこか物悲しい。
満ち足りたが故に、欠けて失っていく不安。
一度は手に届いたものが離れていくような、側にあったのは幻覚だったかのようにこの手からすり抜けていく、そんな感覚を引き起こす。
「・・・・・何なんだろ・・・こんな風に思うなんて・・・・」
小さく溜息をついて目を閉じると、目蓋の裏に柔らかな光を感じた。
目を閉じても、十六夜の月の姿と光はあたしの側に寄り添い、普段は自分でも忘れ去っている寂しさと不安を心の底から呼び起こして、その小さな痛みを柔らかく包み込んでいる。
それとも、これはある種の心の浄化作業なのだろうか。
寂しさや不安など今まで感じる余裕などなかったのが、このところの穏やかで平和な旅路の中で色々な緊張から解かれて、ふっと心の枷が弛んだのかもしれない。
けれど、弱い自分は誰にも、自分自身にも見せたくないから。
誰もが眠る夜更けの草原で、ススキと月見草の影に埋もれて。誰にも見つからないように隠れた場所で。
十六夜の月の光に促されて。
こっそりと、理由のない寂しさと不安を自覚する事で吐き出しているのかもしれなかった。
泣き出しそうな衝動まではないけれど、夜になって冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んで少しずつ吐き出す。
それにしたって、こんなにセンチメンタルな気分に陥る事は珍しい。
「・・・ま、これでもあたしだってお年頃な乙女ですから・・・」
軽さを含めた小さな呟きは苦笑を伴いながらも、また1つ胸の底から寂しさを呼び起こした。
ってことは、やっぱり・・・・原因らしい原因はないと思っていたけれど、あえて思い浮かべるとしたら。
今頃も宿でグウスカと平和ないびきをかいて眠っているであろうガウリイの顔がポンッと浮かんで、思わず唇の先を尖らせた。
「・・・・・寂しいとか不安とかの前に、それって悔しいと思わない?」
自問自答に返る声がない事をわかっていながらも、思わず口をついて出た本音に溜息が賛同する。
一瞬だけピタッと虫たちの声が止まって、静けさが小さな声を驚く程響かせた。
眠れなかったのは、十六夜の月のせい。
今さらガウリイと同室で緊張していたからでは、断じてない。絶対、ない。
自分だけが今でもどこかで緊張しているなんて、認めたくない。
――――――でも。
いつの間にか、側にいる事が当たり前になった。
ずっと一緒に旅を続けてきて、これからも一緒に気ままな旅を続けていくだろう。
時にとんでもない争乱に巻き込まれながらも、戦いに身をまかす時にはお互いに何も考えずに背中を任せられる。
大騒ぎでご飯を取り合って食べて、ガウリイのクラゲっぷりに呆れてド突き倒したり、時に盗賊いぢめに出かけたあたしを呆れて叱ったりしながら。
これからも、今までのように変わらずに過ごしていく事だろう。
このまま、いつまでも『変わらない距離』を保ちながら。
・ ・・・・・・・本当に、いつまでも『変わらない』?
「・・・・・・・変わらないわけないじゃない。バカクラゲ」
時が流れている以上、永遠に変わらないものなんて世界にはない。
出会ってからもう何年が過ぎただろう。
現に、あたしたちだって確実に歳を重ねていっている。
否応なく、これからの将来を考えなければならないくらいの時間は流れてしまったのだ。
無我夢中で突っ走ってきた今までがあって、今は比較的小走りな感じで過ごしている。だから周りの状況ってものに目が向くようになってきたってのもある。
旅の途中で出会う人に、あたしとガウリイを歳の離れた兄妹と間違われる事もなくなった。むしろ、宿で1人部屋を2つ取る時の方がいぶかしがられる視線を向けられるようになってしまった。
気にしないようにしていたから、いつの間にか気にならないようになっていたけれど、それでもやっぱり気にしていたのだろう。
遠い先の未来なんて考えていたんじゃ、足元の穴に気付かずに躓いてしまう。
一度きりの波乱万丈な人生だからこそ、日々を目一杯楽しんで突っ走ろう。
簡単に死んでなんかやらないけれど、それでもいつ不慮の事態が起こるかわからない旅の中で、その日が来ても出来るだけ悔いのないように。
そう思って生きてきたけれど、そのつもりだったんだけど。
今死んでしまったら、あたしはきっと化けて出るに違いない。
何年一緒にいてもいまだに本心を読み切れない、とぼけた自称保護者の元へ。
「花の命は短いんだから」
小さく呟いて改めて空を見上げた。
包み込まれるように茂っている、月の色に咲く月見草と銀色のススキの穂。
ゆらゆらと微かな風に揺れていたが、不意に虫たちの声が止まってガサガサと草を踏み分ける音がした。
不自然に月見草とススキが揺れて、そのうちにニュッと予想通りの顔が見上げる月を隠して現われた。
「・・・・そんな格好で何してるんだ?」
「お月見」
素っ気無く一言で答えたあたしに、ガウリイは小さな溜息をついてから近くにしゃがみこんだ。
よく寝ていたのを確認して、もし起きたとしても盗賊いぢめじゃないことを示す為にパジャマにマントを羽織っただけで、すぐに戻ってくる事を臭わせた上で出てきたってのに。
「・・・・・ほんとに、あんたってばどこにでも現われるわよねぇ・・・」
「まぁ、長い付き合いだしな」
呆れたあたしの溜息に、ガウリイは僅かに得意げな笑みを浮かべながら、まだ寝転んだままのあたしの頭に手を伸ばした。
大きな手の影が月を遮る。
月が欠ける。
十六夜の不安定な月。
けれど、頭に触れた手は暖かくて、欠けていた隙間を埋める。
満ちているから欠けていく不安に揺れ。
欠けているから満ちる安堵に満たされる。
ならば・・・・・
「月が欲しいの」
「・・・リナ?」
「お月さまを取って。ガウリイ」
唐突で突拍子もないあたしの言葉に、ガウリイはそう驚きもせずに黙って立ち上がって月を見上げて手を伸ばした。
けれど、届きそうでいてガウリイの手にも月は掴む事は出来ない。
ほら、どうするの?ガウリイ。
あたしにどうやって月を取ってくれるの?
ゆっくりと起き上がったあたしの気配にガウリイが振り返る。
そして、不安を誘う十六夜の月に背を向けて微笑みながら、月に向かって伸ばしていた手をあたしに向けた。
「オレだけじゃ届かないから、一緒に取りに行かないか?」
真直ぐな眼差しはいつだってあたしの前で揺るがない。
それは本心から言っているから。
『月を取って』などという幼い子供のような願いを、笑い飛ばしも呆れもせずに。
「・・・どうやって取りに行くの?」
「それはリナが考えてくれるだろ?考えるのはオレの仕事じゃないし」
「・・・・・・・あんたねぇ・・・」
はっきりきっぱり言い切ったガウリイに思いっきり呆れ、でもあまりのガウリイらしさに次の瞬間には笑いながら手を伸ばしていた。
手と手を伸ばして、しっかりと掴み合う。
確かな力で引っ張りあげられて、でも少し強すぎた力のせいで勢いあまってガウリイの胸にぶつかってしまった。
自分の体勢を整える前にガウリイの腕に囲われて、思考と共に身動き出来ない。
ガウリイに抱きしめられたのは、別にこれが初めてってわけじゃないけれど、いつだって悔しいくらいドキドキしてしまうのに。
でも宿の時と一緒で、動揺している事を悟られたくなくて平静さを装う。
「・・・こんな格好で長い事外にいるから、すっかり冷えちまったな」
寒さなんて一瞬で吹き飛んだあたしの背中を包みながらのガウリイの言葉に、あたしは微かに眉を顰めた。
「・・・・・あんた、いつ起きたの?あれだけぐーすか寝てたのに」
あたしが眠れなくて結局起き出した時だって、全然起きる素振りなんてなかったはずなのに。
そんな態度がどこか悔しくて寂しいと思っていた事を十六夜の月に暴かれたあたしに、ガウリイが思っても見なかった事を告げた。
「んー・・・お前さんが部屋から出てった後すぐかなぁ・・・・。リナの気配がなくなるとどこか不安になるようでな、寝ててもわかるみたいなんだ」
「は?不安って・・・・」
「2人部屋とか野宿の時とかは特にな。あるはずのものが急に消えたら落ち着かないだろ?」
「・・・・そんなにあたしは神経を尖らせてなきゃいけない子供って?」
思わず声も身体も硬くなったあたしを、ガウリイの手がぐいっと強く引き寄せる。
逃げられないように、温かい体温で強ばった心を溶かすかのように。いつもと違う体勢でいつものようにポンッと軽く頭を撫でていく。
「逆。お前がいると安心していられるから、いなくなると不安になってすぐわかるんだ。オレの方が子供っぽいかもしれないな」
「・・・・・なに、それ・・・」
「だから・・・リナが側にいないと落ち着かないってことだよ」
ガウリイのその一言に絶句したあたしの視線は、ガウリイ越しに覗いてる十六夜の月。
けれどさっきまでのように、その姿と月の光を浴びても、寂しさや不安はまったく胸に沸き上がってこない。
変わらないものなんてない。
あたしも、そしてガウリイも。
いつだって無意識の中でお互いの事を気にしているくらい、本当はもうちょっとだけ近づきたくて。
でも、今いる位置がすでに近すぎたから、これ以上にどうやって手を伸ばしていいのかわからなかっただけ。
満ちているから欠けていく不安に揺れ。
欠けているから満ちる安堵に満たされる。
バランスを取り合いながら姿を変える月のように、あたしたちも2人で1つの思いを分け合っていたのかもしれない。
だって、ほら。
触れて寄り添えば、ぴったりとはまる。
欲しいと望んでいたものは、気付かないうちに与えられて、また与えていたのだ。
月をこの手で掴まなくても。
取って欲しいとねだったりしなくとも。
強く抱きしめられている腕の中で、あたしの身体は深い安堵で力をなくし。
再びポンッと頭を撫でられてから、ふわりと抱き上げられた。
すでに定位置のような肩の上に落ち着いて、視線は一気に月見草とススキより高くなる。さわりと流れてきた風に火照った身体を冷やされて、少し冷静になった頭が今さらながらさっきまで抱き合っていた事実に恥ずかしくなってくる。
でも、何だかここから降りて歩いていく気にはなれなかった。
「帰るか」
「そだね。眠くなってきたし。寝不足は美容の天敵だしね」
「つか、お前さん。いくら真夜中とはいえ、パジャマにマントとブーツって間抜けな格好でよく出歩いたな」
「・・・・そこ、冷静に突っ込まないで」
そんな他愛無い軽口を交わしながらゆっくり歩き出すと、鳴き交わしていた虫たちの声がつかの間ピタッと止まる。
「なぁ・・・一緒に寝ないか?」
その一瞬にぼそっと呟かれたガウリイの一言で完全に固まって思わずガウリイの肩から落ちかけてしまったあたし。
不安や寂しさを吹き飛ばして満ち足りたあたしたちを、どこか羨まし気な十六夜の月が見つめていた――――
それから宿に戻ったあたしたちが結局どうやって眠ったかは、十六夜の月にも秘密。
2人とも次の朝は朝食を食べそびれるほどぐっすりと熟睡してしまったのも、出来ればないしょの方向で。
|