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秋、独特の澄み切った空。つい先程まで渦巻いていた雲は今は影も見当たらない。
見上げた上空からは、見事な真円の月が白い光を放っている。
夜になり、今だ真夏の名残りを見せる太陽の熱を躱した涼しい風が大地を掠めて行き過ぎた。
どこからか聞こえる虫たちの合唱。
見渡す限りの花畑の先に黒くわだかまっているのは森だろう。
明るい月の光のせいか、咲いたまま吹く風ごとに微かに頭を揺らすコスモスの群れ。月の白い光と薄闇の間で、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。
まるで、現実ではないような美しさ。
そう、おとぎ話の中にでも迷いこんだかのように―――
「・・・・って、こっちだけ見てればの話だけどさ」
「・・・・後は、匂いがなければってやつだな」
「・・・・・・・・言えてる」
そんな幻想的な景色に埋もれていた2人の人間が、どこかくぐもった声を上げた。
文字どおり、埋もれているのだ。
コスモスの花の群れの中に。
「いつ起きたの?」
「ん〜・・・ついさっき。リナがぶつぶつなんか呟いてたのが聞こえて」
「・・・・・・・・・それって、あたしが思いっきり危ない人みたいじゃない」
羞恥か怒りか、微かに顔を赤らめて、リナがガウリイを振り返る。
すぐ傍らにある鼓動に、小さく吐息をついて。
「これでも故郷にいる時は、『ポエムのリナちゃん』って言われてたんだから」
言いながら、リナは重い身体をなんとか起こす。頭を上げた途端に襲ってきた目眩を数秒目を閉じてやり過ごし、ガウリイに向き合った。
寝たまま――――いや、倒れたまま。リナを見上げてガウリイは苦笑する。
「別に何も言ってないだろ?乙女チックしてるリナがかなり物珍しかっただけで」
「やかましっ!充分言ってるじゃないのよっ」
照れ隠しにガウリイに噛み付いたリナだったが、でもいつものような勢いはない。
交わす会話はいつも通りの軽いものだが、お互いの声に隠しきれない濃い疲労の色が滲んでいた。
無理はない。
幻想的な景色に埋もれていた2人の回りで揺れる、コスモスの花の群れ。
澄んだ、清浄な月の光に晒された地上。
どこまでも続くように思われた美しい景色。だが、2人が倒れこんだ反対側には ――――おびただしい数のデーモンの死体で埋め尽くされていた。
元はと言えば、よくある依頼だった。
だけど、避ける事は出来ない依頼だった。
もとより、どんなに面倒だと思っても・・・これが依頼ではなくとも、2人は躊躇うどころか自分たちから突っ込んでいくだろう。
最近では収まりつつあるとは言ってもある事件がきっかけで爆発的に増殖した下級魔族、レッサーデーモンやブラスデーモンたち―――自然発生的に状況は近いので、リナなどは『野良デーモン』などと呼んでしまっているが―――魔界に戻る事もなくうろついているそれらが、見境なく今もなお人間たちを襲っていた。
リナたちにとっては取るに足りない敵ではあっても、ごく普通の人間たちにとっては一匹であってもとてつもない脅威をもたらす。
そんなものが群れをなして山や森に蠢いているのだ。それも、人間の恐怖の感情を糧にしている本能なのか、襲いやすい街道の近くに。
ゆえに、人が近付けない場所が各地に増えた。
この場所も、そうだった。
山あいののどかな小さな村と、この先の大きな街をつなぐ街道沿いの森。そこに巣くっているレッサーデーモンを何とか退治して欲しい、と村長さんに頼まれたのだ。
ここの村長と隣街の町長は一応の分別があるらしく、デーモンが出るという話を聞いてすぐにこの街道を封鎖した。
同時に領主へ兵を動かしデーモンを退治してくれるよう要請をかけた。
その行動は確かに間違ってはいない。
しかし、相手は下級とはいえ魔族。人間相手なら強い兵士たちも迂闊に手を出せない、そんな厄介な相手をする兵士たちの士気が下がり渋るのは仕方のない事だろう。
自ら進んでそんなものに殺されたいと思うものなどいないのだから。
それでも領主や王の命令ならばどんなに望まなくとも動かなければならない。
それに、このようなことは本当に各地で起きているのだ。
つまり、性急にはこの場所に派遣出来る兵士がいない、と、言われてしまったのだ。
しかし、事情はわかっていても「はい、それなら待っています」とのんびりしていられるわけではない。
いつ村にデーモンたちが襲ってくるかもしれないという恐怖もあるが、何より街道の封鎖が長引けば村は孤立し寂れてしまう。人も物資も動けず、まるで真綿で首を絞められていくかのようにじわじわと衰退への道を辿っていく。
そんな二重の危機感に、何も知らずに村を訪れた旅をしている傭兵や魔道士たちに、村長が片っ端から声をかけていたのだ。
どんな方法を使ってでも、何とかしてこのデーモンの群れを倒して欲しい、と―――――
そして、リナとガウリイはここにいる。
話に聞いていたよりも遥かにデーモンたちの数が多くて、戦い慣れた2人でもさすがに無傷というわけにはいかなかった。
それに。
今ガウリイが持っている伝説の名剣である妖斬剣。
やたらめったら見境無しに触れたものを斬りまくるとんでもない代物だが、当然のことながら『斬り付ける』という行動が第一条件になる。
それは剣ならば当たり前ではあるのだが・・・彼が以前使っていた光の剣に限っては、剣というものの常識を遥かに越えていた為、光の刃を『打ち出す』という離れ業が使えたりしたのだ。
そして、今のリナからは、魔血玉の呪符が失われている。
簡単な動作と呪文で魔力容量を増やす事ができたそれがなくなった今は、発動のかなわなくなった呪文があり、攻撃力が落ちた、ということでもある。
それでも、一般人に比べたらまだまだ人間離れした能力を持っている事に変わりはないのだが。
それから。
今夜は満月。
魔力が増す光の元で、リナの魔力と同時にデーモンたちも力を増していたのだ。
・・・・よって、さすがに手こずった。
2人だけでこの数のデーモンを倒したなど、本来ならば冗談にしか思われないだろうが。
遠くから狙いをつけて竜破斬の1発でも喰らわせれば楽に終わらせることも出来たのだが、さすがに街道をぷち切ってしまうわけにもいかなかったため、そこそこ派手ではあるけれど地道な手段で倒していくしかなかったのだ。
累々と倒れているデーモン。
下級魔族なせいなのか、死んだ後もその屍は塵に還る事なく流れ出した血にまみれたまま。
微かに渡る風が生臭い臭気を孕んで、幻想的な花々を揺らしていく。
まだ燻っている煙り。
踏みにじられ、千切れ飛んだコスモスの花弁。
一面の花に覆われていたはずの野原は、瓦礫と土砂と死体で覆われている。
それでも、この場所に先程まであった殺気はなくなった。
怯え隠れていた虫たちの鳴き声が戻ってきた事で、デーモンたちの残党がいないことの証明になっている。
綺麗で、血なまぐさい。
視線の前と後ろで、あまりにも違い過ぎる世界。
小さく息をつき軽く頭を振ると、リナはガウリイに向き直った。
「さて、と・・・どこから治癒かけるか・・・」
わずかに眉間をしかめて身を乗り出そうとしたリナに、ガウリイが首を横に振る。
「俺は大丈夫だ」
「・・・ってやせ我慢しても意味ないっての。それのどこが大丈夫だってのよ?」
無理に起き上がろうとしたガウリイの肩を軽く押しただけで再び倒れる、そんな彼を呆れた眼差しで見つめてリナは首を竦めた。
「・・・だが、お前だって・・・」
「見ての通り、あたしはあんたほど怪我してないわよ。確かに魔力も体力も限界に近いけど。でも、今ここであんたの体力がまだあるうちに怪我を治しておけば、少なくとも2人で倒れっぱなしってことにはならないじゃない?」
見下ろすガウリイの姿は、思わず顔をしかめるほどにぼろぼろだった。胸当ても割れてしまっている。
大怪我をしているわけじゃないが、身体全体に広がる火傷や浅くはない傷、それに見た目ではわからない打ち身の痛みに起き上がる事さえ出来ないでいるのだから。
ガウリイが短い間だけど気を失っている間に、血が流れているような酷い怪我は治したけれど、完全じゃない。
「あたしが復活使えるんなら問題はないんだけど、治癒しか使えないんだから、どっちみちあんたの文句は聞かないわ」
「・・・・・」
ガウリイが何か言いかけて、でも結局苦い顔をしたまま何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。
リナは微かに苦笑して口の中で小さく呪文を唱える。すぐに手の中に柔らかい白い光が溢れだした。
傷ついた身体に触れて癒していく白い光は、どこか頭上から降り注ぐ月の光にも似ている。
血なまぐさい景色を作り出したこの手で、生々しい怪我をした身体を元通り綺麗な状態に戻していく。
・・・・矛盾してるな。
でも、これが、あたしの選んだ道。
そして、彼も選んだ道。
極端な世界が両脇に広がっている。その真ん中を綱渡りしていくかのように進んでいくのだ。
今は亡い、友人を忘れない為にも。
別に、デーモン退治をする事で、あいつの尻拭いをしてるってわけじゃない。そんな恩着せがましい事を思っているわけじゃ決してない。
今も、あいつが生きてるってなら、話は別だけど・・・
綺麗ごとだけじゃ、生きていけないから。後悔も何もない。けれど――――
ガウリイの傷を癒すごとに身体から力が抜けていく。確かにガウリイが苦い顔をして止めようとするくらいには、リナの体力も魔力も限界だったのだから仕方がない。
多分、癒されているガウリイも同じ感覚を感じているのだろう。
ガウリイの身体に手のひらを翳していたリナの身体が、彼の上に覆いかぶさるように崩れ落ちた。
力の入らない腕を持ち上げて、ガウリイの手が栗色の髪を梳き頭を撫でていく。
「・・・・ごめん。ここまでで限界だわ・・・・」
「ああ、大分楽になった。ありがとな・・・・・」
先程よりはしっかりした柔らかな声に、ガウリイの上に倒れこんだままリナはゆっくりと笑った。
割れてしまった胸当ての下から、確かな鼓動が耳に伝わってくる。
とくん、とくん・・・と、命を紡ぐ音。
今回もなんとか命をつなぎ止めたことが、嬉しい。
無事に・・・とはちょっと言えないが、お互いがどんなに無茶をしても、この手が血なまぐさい景色を作り出しても。
この命の音が響く場所は、何よりも美しいから。
「・・・動けそうにないからこのまま寝させてもらうわよ」
小さい、けれど照れ隠しの混じったぶっきらぼうなリナの声に、ガウリイは小さく笑ってもう1つの腕を彼女の身体に回す。
「抱き枕にちょうどいいな」
「・・・・・・間違っても変な事しないでよ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・その間は何よ」
「・・・悔しいが、さすがに体力がない・・・・今はな」
「・・・・・・・・・ばぁか・・・・」
小さく笑ってリナは目を閉じた。
多分、次に目を覚ますのは村の宿のベットの上だろう。
ガウリイを運ぶ体力も筋力もリナにはないからこそ、今、無理をしてガウリイに治癒をかけたのだから。
きっと朝になって目を覚まして体力も多少戻った彼が、目覚めないリナを運ぶだろう。今までにも何度かあったように――――
秋特有の澄んだ空。
明るい月の光のせいか、咲いたまま吹く風ごとに微かに頭を揺らすコスモスの群れ。月の白い光と薄闇の間で、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。
そのコスモスの花に埋もれて眠る2人。
まるで、現実ではないような美しさ。
累々と続くデーモンの死体。
一面の花に覆われていたはずの野原は、瓦礫と土砂と死体で覆われている。
まるで、現実ではないような惨たらしさ。
けれど。合わせ持つ景色はおとぎ話ではなく、時の流れる生の現実。
――――幻のような景色を見届けていたのは、ただ、真白の月だけ――――
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