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それはいつもと変わりのない夜だった。
宿での夕食も済ませ、眠る前の一時。
いつものようにふらりとガウリイが部屋を訊ねてきて、たわい無い話をしている時に、突然切り出された一言。
『結婚しないか』
いつもと変わらない穏やかな笑顔であたしを見つめるガウリイに、あたしは凍り付いていた。
――――その言葉だけは、聞きたくなかったから・・・・
◇◇◇◇◇
いつからあたしはこんなに狡くなっていたんだろう。
ガウリイと旅するようになって、いつの間にかお互いに惹かれあって心を交わして身体を重ねて・・・いつの日か、ガウリイの口からこの言葉が出てくるだろうと、そんな予感はしていたのに。
◇◇◇◇◇
「リナ?」
硬直したまま突っ立ってなんのリアクションもしなかったあたしに、ガウリイが呼び掛ける。
どこか不安そうな顔に、あたしはなんとか微笑んでみせた。
「ねぇ、ちょっと昔話しない?」
ベッドに座って手招きした。ガウリイが怪訝な視線を送ってくるがあたしは無視する。
隣に座らせたのは、ガウリイの瞳を真直ぐ見返す自信がなかったから。
――――来るべき時が来た。
いつかは必ずこの時が訪れると、覚悟はしていたのに。
ガウリイがベッドに座った重みで、微かに身体が揺れる。ギシっと軋んだ音が、あたしの胸の軋みと重なった。
「あたしたちが一緒に旅するようになってから、もう何年たったっけ・・・・ずっと一緒にいたよね」
「そーだなぁ」
静かに話だしたあたしに、ガウリイは何かを感じたのか、聞きたい事もあるだろうに調子を合わせてくれる。
いつものように、聞いてくれる。
それが切ない。
「いろんな事があったよね。いろんな事件があって、いろんな人と出会って・・・たくさんの人が消えていった・・・」
「ああ。あいつら元気かな?ゼルとかアメリアとか・・・ルークやミリーナも・・・あいつらも向こうで一緒にいるといいよな・・・」
ガウリイが懐かしむ。
その口調にも眼差しにも、懐かし気なものを滲ませて。
それは彼の強さだ。あたしにはなかなかまね出来ない。
そんなガウリイと対称に、あたしは、心臓が軋む。
でも、声を震わせないようにゆっくりと息を吸い込んで、声と共に吐き出した。
「・・・最初に魔王を倒してから、どれくらい魔族とやり合ったかな。よく生きてるよね、あたし。ガウリイが守ってくれたおかげもあるけど、悪運だけは強いからね」
「リナが頑張ったからだろ?どんな時も生きる事を諦めなかったからさ」
「確かに、生きる事には貪欲だわ。でも・・・そのせいで、あたしの存在のせいでどのくらいの人が犠牲になったと思う?」
俯く事はしない。それはあたしが生きていく事と引き換えた自らの重さ、罪だから。
でも、真直ぐにガウリイの瞳を見るなんてまねは出来ないから、真直ぐ前を向いて、告げた。
「・・・・リナ、それは」
「わかってる。悲劇のヒロインのつもりは全然ないけどさ・・・でも、今、あたしがここにいる為に、どれだけの夢が消えたと思う?」
強ばったガウリイの声を遮って、再び問う。
ぎりぎりと心臓が締め付けられていく。
でも、逃げる事は出来ない。
「あたしをおびき出す為に一瞬で消滅したり炎に包まれた街があった・・・たくさんの人がそれぞれ生きていたのに。あたしの判断ミスで命を落した人も、救えなかった人もいる・・・ルークとミリーナだって・・・」
「リナ。それは違うだろう!?」
「違わないわ」
たしなめるガウリイの声に強く首を振った。
今、あたしの隣にガウリイがいなかったら。
今、ここにいるあたしが、ガウリイ無しで生きていたのだとしたら。
その時は、こんなふうに思ったりはしなかっただろう。
胸は痛むかもしれないけれど、けれど生きていく為には仕方なかったと、そう割り切っていた事だろう。
幸せになるのは当然だと、それこそ望む未来を手にする為に突き進んでいたに違いない。
でも、あたしの隣にはガウリイがいる。
ずっと自称保護者としてあたしの隣にいてくれた。あたしが初めて恋して、そして愛してくれた人が。
愛おしいからこそ、今さらながらあたしが引き起こした悲劇の重さがのしかかる。
あたしが奪った、たくさんの夢。
一瞬にして消えた命、想い。
それだけじゃない。
直接被害に会わなくても、間接的に深い悲しみを背負ってしまった人たちもたくさんいるだろう。
シルフィールのように、肉親を、住んでいた故郷を一瞬にして奪われた人も。
恨まれても憎まれても、仕方のない。
あたしが望んだ事ではないけれど、その事態を引き起こしたのは間違いなくあたしなんだから。
悲劇のヒロインになるつもりはないけれど、今までの生き方を否定もしないけれど。
あたしが背負うべき罪は、あまりにも重いから。
だから・・・・本当は、こうなる前に・・・・
「・・・・別れよう、ガウリイ。あたしはあんたと結婚なんて出来ない」
指先が白くなるほど強く手を握りしめて、なんとか絞り出したセリフに、あたしだけじゃなくガウリイも震えた。
「本当は、もっと早く別れるべきだったけど・・・ごめん。甘えて、あんたの優しさに付け込んで・・・狡い女で、ごめん」
あたしは、狡い女。
普段は何でもないように笑ってみせてるくせに。
罪の重さに耐えられなくなりそうな時には、ガウリイを求めて、すがって。
泣く変わりに、啼いていた。
快楽に溺れる間だけ、総てを忘れられるから。
ガウリイの想いを利用して・・・・引き止めて。
ずるずると、ここまで来てしまった。
初めて身体を重ねてから、何度抱かれただろう。
いつも、抱かれる度に嬉しくて、同時に罪悪感にさいなまれていた。
こんな事、許されるはずがないのに。
たくさんの人の夢をうばったあたしが、幸せな夢を見る事なんてできるはずがないのに・・・!
「リナ」
ガウリイの厳しい声があたしを呼ぶ。
あたしの間違いをいつも叱ってくれた声。でも、だけど・・・
「罪人のあたしが幸せになっていいわけないじゃないっ・・・!」
自分があげたのだとは思えないような悲痛な叫びが、部屋の中に響き渡った。
今まで、心の中に封じて押し込めて・・・ぎゅうぎゅうに圧縮させた思いが弾け飛ぶ。
「何度も世界を滅ぼしかけて、数えられないほどの人が何も知らない所で死んで行って・・・それなのに、その元凶があたしなのに、死んだ人は戻ってこないのに、あたしが・・・あたしが生きてるだけでも本当は許されないのに・・・っ」
「リナっ」
「魔族だってまだ狙ってくるわ。だけどあたしは死にたくない、簡単に死んだりしない、そんな事出来ない。生き続ける気ならば、それ相応の代償を背負って行くべきだもの。あたしは・・・あたしは1人で生きて行かなきゃいけないの!」
喚き立てるあたしの肩をガウリイの大きな手がガシっと掴んだ。強く、痛みすら覚えるほどに強く掴まれてあたしを覗き込んでくる瞳。
「違うだろっ!?そうじゃない。それはリナの望んだ事じゃない。リナの意志で引き起こした事じゃないっ!」
「違わないっ!あたしの意志じゃなくても起きた事実は変わらない、消せないのよっ!」
その瞳から逃げたくて、決心が揺らいでしまいそうで、必死になって頭を振った。
「今度また同じ事が起きないとも言えないわ。そうしたら今以上にあたしは自分が許せなくなる。だから・・・っ」
「だから、それでどうして俺と別れる事になるんだっ!?」
「あんたがっ・・・もしあんたが死んじゃったら・・・あたしは今度こそ世界を滅ぼしてしまうのよっっ!!」
叫びが、世界を震わす。
あたしと、ガウリイの世界を、揺るがす。
涙腺が壊れたように、とめどもなく涙が溢れて、頭を振るごとに飛び散った。でも、泣き顔を隠す事も拭う余裕も、ない。
「別れてよ、ガウリイっ。あんただけは・・・あたしのせいで死んで欲しくない・・・っ」
――――人は幸せになる為に生まれてくるんだよ。
そう言ったのは誰だったろう。
幼い頃の記憶の片隅に、魔法の呪文のようにこびりついていた言葉。
それは、当然の事だと思っていた。
当たり前の事だと。
誰だって、生まれてきたからには幸せになりたい。
たった一度の人生、幸せを求めようとするのは本能のようなものだ。
みんな、その為に頑張ってる。
・・・・だからこそ、その『幸せ』を奪うことは許されない、大罪。
そのつもりがなかったとしても、罪は罪。あたしが請け負った重さ。
その重さを投げ出したくはない。
それは、今までの生き方を、歩んできた過去を投げ出す事になるから。
だからこそ、ガウリイと別れなくちゃいけない。
あたしが、初めて愛した人。
あたしと『幸せになりたい』と望んでくれた人。
罪人なあたしを誰よりも知っている人。
それなのに、あたしを愛してくれた人――――
この人だけは失いたくない。
一緒にずっと、生きたいと望むのは傲慢だから。
彼の一生を縛り付ける事なんて、出来ない。あたしの罪に付き合わせる事なんて、出来ない。
あたしと一緒じゃ・・・あたしじゃガウリイを幸せにしてあげる事なんて出来ない。
誰よりも大事な人だから。
誰よりも幸せになって欲しい人だから――――
「バカだよ・・っ、あたしも、あんたもっ。ごめん・・・ごめんなさい・・・っ」
ガウリイに向かって深々と頭を下げた先の床にいくつもの水滴が落ち、染みとなって広がっていった。
爪が食い込むほどに握りしめた手は、でも痛みを感じない。息をするのも苦痛なほどの胸の痛みに、そんなものは飲み込まれているから。
部屋の空気さえも、あたしの肌を斬り付ける。
鋭い針のように、突き刺さる。
「・・・っ、バカか・・・お前は・・・っ」
けれど、次に与えられたのは、更なる痛みを生じさせる熱さだった。
・・・・こんなに、内臓が破裂しそうなほど強く抱きしめられた事は、今まで一度もない。
――――ダメっ!これ以上は、絶対にダメ!
「離してぇっっ!!」
「ダメだっ!!」
ガウリイに向かう感情を必死に押さえ込んで、あたしは猛烈に暴れた。
もがけばもがくほど、拘束は強くなっていく。
――――ぐいっ・・・ボスッ・・・
突然身体が宙に浮き上がり、背中に衝撃が走った。
ギシっと、ベッドが軋む。
「・・・・泣けよ、声をあげて。泣きわめいて、溜め込んだもの全部掃き出せよ」
「っ!?だめっ、ガウリイ!」
ベッドに押し倒したあたしの上にのしかかってくるガウリイを、必死で押し退ける。
「嫌ぁっ!やめてっ・・・・やめてーーっっ」
悲鳴をあげて激しい抵抗をするあたしを見下ろすガウリイは、でも、やめてはくれなかった。
涙でぼやけた視界に、苦し気な彼の顔が写し出される。
今にも泣きそうな、見ているこっちが辛くなる表情。
「・・・思いっきり、泣いてくれよ。ずっと、抱いてるから」
「ダメぇっ!!」
「・・・独りになんか、させるかよ・・・」
――――ガウリイ・・・!
ダメなのに、別れなきゃいけないのに、これ以上一緒にいちゃいけないのに、これ以上愛しちゃいけないのに!
何で、何で、何で・・
・ ・・・・・ふっ・・・えっく・・・うえっく・・・
・ ・・・うぐ・・・ふ・うえ・・っ・・・え・・っ
・ ・・うっ・・うわあぁぁぁぁあんっっっ!!
涙は、ずっと前から流れていた。
彼の前で、以前に涙を見せた事も、時にはあった。
けれど。
あたしの喉から、声と言うよりは獣の叫びに近い音が放たれる。
こんな泣き方をしたのは、子供の時以来で。頭の片隅で自分でも信じられないと思ったけれど、でも、溢れ出したものは、勢いがよすぎてもう止められなくて。
腹の、心の奥底から。封じ込んでいた蓋が弾け飛ばされる。
生まれたばかりの赤ん坊が声を張り上げて泣くように、あたしは、大声で泣いていた。
そんな状態のあたしを、ガウリイが抱き締める。
いつもより強くあたしの身体を探り、突き崩していく。
泣きながも最初は拒絶していたのに、あたしの細胞の1つ1つは素直にガウリイを迎えていた。触れられる度に正直に熱くなってくる。
どんどん、わけがわからなくなってくる。
泣きながら、啼いて。
拒絶しながら、縋って。
別れてと叫びながら、強く求めて。
・ ・・・・たすけて・・・・
罪悪感にまみれながら、あたしはガウリイから与えられる快楽の渦へ、意識を落していった―――――
◇◇◇◇◇
――――金色の夢を見ていた。
夢だと、即座にわかった。
だって、夢でしか会えない人たちがいたから。
金色に満たされた空間で身体を淡く輝やかせながら。あたしを見つめて微笑んでいる。
見知らぬ人も、見知った人も。
皆、微笑んでくれている。
・・・・どうして?
心の中に浮かんだ疑問は、空間に溶け、即座に答えが返される。
その意外な答えに戸惑い、困惑する。
・・・・・・・・どうして?
すると、呆れと叱咤と慈しみ、そんな様々な思いが伝わってきた。
それは、厳しくて暖かい。
・・・・・・・・いいの?
胸の痛みは消えないのに。
あたしの罪は消えないのに。
けれど、金色に染まっている人たちの表情は穏やかに微笑んだまま―――――
◇◇◇◇◇
柔らかな刺激に意識が覚醒してくる。
いたわるような、優しい手。
あたしの髪を何度もそっと梳いていく、ごつい、でも優しい指先。
耳に直接感じる、鼓動・・・命の音。
――――本当は、わかってた。
どんなに、自らの罪をまくしたてても。別れてと叫んでも。
あたしは・・・・この人から離れられないって事。
この人は、あたしの手を絶対に離さないって事。わかってた。
・・・・なんて、狡い女。
「・・・・・リナ?」
微かな声があたしを呼んだ。いつもの朝と変わらない、穏やかな声で。
「・・・まだ早いから、もう一度寝た方がいいぞ」
いつもと変わらない。
シーツからはみ出た肩を引き寄せて包み込んでくれる温もりも、無意識の癖のように髪を梳いてくれる行動も。
ガウリイの気持ちを利用して、想いを踏みにじったあたしに。いつも通りの愛情をくれる。
罪悪感と自己嫌悪にまみれそうになりながら、無意識の内にガウリイの流れる金色の髪を一房握りしめた。
「リナ?・・・・眠れないようなら、そのままちょっと俺の話を聞いてくれないか・・・・?」
俯いたまま顔をあげる事もないあたしに、ガウリイはそっと語り出す。囁くように、呟くように。
「・・・例えば・・・朝起きてすぐにおはようって言える相手がいて、その相手におはようって言ってもらえたら、俺は幸せだぞ・・・・一緒に飯を食って、並んで歩いて、他愛無い話をして笑って・・・そんなのが、俺の幸せなんだ・・・・単純だろ?」
優しい声。
「リナがここにいる・・・・俺の隣で生きている・・・・それだけで俺は何よりも嬉しい・・・」
柔らかな声。
「綺麗事だけじゃこの世界で生きていけない・・・それは嫌になるほどわかってる・・・傭兵だったんだからな・・・・人を殺して、金を貰ってた。俺だって罪人だ・・・・」
静かな、押し殺した声。
「・・・・でもな。そんな自分を今じゃ認めてる・・・他の誰が許せない罪人だと言っても、その過去がなければお前を守れるほどの腕はなかった・・・リナが俺にとってどんなに大切な存在なのか知る事も、な・・・」
静かな、でも力強い声。
「リナだけが間違っているわけじゃない・・・悪いんじゃない、不安だらけなのは俺だってそうなんだ・・・・だけどさ、俺たちは生きているだろう?これからも生きていくなら出来るだけ楽しくやっていった方がいいに決まってるさ。忘れるんじゃなく、しがみついたままじゃなく・・・お前は難しく考え過ぎるから変に力が入っちまうんだろうけどさ」
穏やかだけど力強い、すべてを包み込んだ声。
「・・・俺はさ、特別な事を望んだわけじゃないんだぞ。ただ、ちょっと欲張ってみたくなっただけだ。リナと一緒にいる、今までと変わらない日々をずっと続けていく・・・その約束をしたくなっただけなんだ・・・・」
愛おしむ声。
「だから、結婚しよう。リナが・・・自分を許せるようになったらさ。それまで待つから。側にいるから、な」
相変わらずあたしの髪を梳きながら。
ガウリイの声が染み渡っていく。
・・・夕べさんざん泣いたのに、また涙が沸き上がってきた。
金色の夢が蘇る。
――――世界は1人の人間ごときに背負えるほど、軽いものじゃない。
自分のなすべき事を果たしたのなら、それでいい―――
「・・・・・・・ごめんね」
掠れたつぶやきに、ガウリイが強く抱きしめてくれた。
こんなにもバカみたいに強くて優しい男を、あたしは知らない。
「・・・・ごめんね・・・ガウリイ・・・」
彼の金色の髪を握りしめ、あたしはまた泣いた。けれど、胸の痛みは昨日とは全く違っていた。
まだ、ためらいはある。
都合のいい夢だと、頭の片隅で冷ややかな声がする。
完全に納得したわけでも、自分を許せたわけでもない。起きた罪は消えない。
でも・・・だけど。
生きてもいいのだろうか。あたしは・・・ガウリイと一緒に生きていっても・・・・いつか、幸せな夢を見る事を望んでも、いいのだろうか――――
「・・・・もう一度、泣きたいだけ泣いて、眠っちまえよ。出発は明日に延長してさ」
穏やかな声と髪を梳いていく指に、あたしは言葉もなく、ただコクンと頷いた。
それだけでガウリイから安堵の気配が溢れて、あたしを包み込む。
「眠りな、リナ・・・ここにいるから」
その言葉にもう一度頷いて。
あたしは彼の胸を涙で濡らしながらもおずおずと腕を回して抱きついて、命の紡ぎ出す鼓動を直接耳にしながら目を閉じた。
闇の深淵のずっと先に、確かな金色の光が見えてきた。
そんな気が、していた―――――
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