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――――パタパタ・・・
前髪から雫が零れる。
遠くの空で低く雷の音が転がっている。
強くもなく弱くもない、雨期特有の絶えまない雨が途絶えることなく、濁った空から地上のすべてのものに降り注ぐ。
投げ出されて転がった、宿で貸してくれた傘の上には滑稽に。
雨を受けて輝く紫陽花の群れの上には、慈悲深く。
その紫陽花の群れの中に埋もれるように座り込み、自責の念に苛まれている俺の上には・・・容赦なく。
冷たい雨が身体を濡らしていく。
心の奥まで冷やしていくように――――
◇◇◇◇◇
ここ数日、雨が続いていたせいで俺たちはこの町で足留めされていた。
雨期だから仕方ないのだが、やはり何日も目的もなく留まらなければならないというのは、ジッとしていることの苦手なリナには苦痛なのだろう。
魔道士教会で借りてきた魔道書も読み終わってしまい、宿の食事にも飽きてしまったリナが、退屈だとごねたのだ。
まるで閉じ込められた猫のように、ベッドの上で伸びを繰り返し、窓に張り付いて恨めし気に空を眺めたり。
俺はそんなリナの様子を見ているだけで、そんなに退屈を感じなかったが。
こんなにのんびり出来ることなんてそうないことだし。
この雨じゃ、さすがのリナも盗賊いぢめに出る気はしないらしく、夜も平和だし。
こうやって、どちらからともなく1つの部屋にいて。リナが煎れてくれた香茶を飲みながら他愛無い話をして、やることないから昼寝してみたり。
何でもない日を過ごせること。
当然のように、リナが側にいて過ごせる日々。
だから、雨の日は嫌いじゃなかった。
まぁ、イライラしたリナにスリッパでどつかれる回数はいつもより多くはなっても、そのくらいのことは仕方ない。
「だぁ〜〜もぉ〜〜〜、暇っ!暇だよぉ〜〜〜っっ」
「・・・・叫んだって仕方ないだろう?それとも雨の中出発するか?」
「濡れるからヤだ」
「・・・・・このわがまま娘」
空を見上げ、止みそうもない雨の様子にベッドに倒れこんでじたばたしているリナに思わず苦笑した。
「まぁ確かに、ずっと宿から出てないからな」
「・・・・このままじゃ、カビが生えてきちゃうわよ」
ふて腐れたリナの声に笑いながら、俺も立ち上がって窓の外を眺めた。
どんよりとしている雲から絶えまなく流れ落ちてくる、細い雨。
さほど雨足が強いわけでもない。
じっくりと大地に染み込んでいく、草木にとっては恵みの雨だ。
雨が降っているせいで町の通りには人影は少ない。
それでも、時折色鮮やかな傘が眼下を通り過ぎていく。
「カビちゃ困るし、出かけるか?」
「・・・・どこに?雨降ってるじゃない」
「宿の人に傘借りてさ。ここの飯も全メニュー制覇しちまったし、気分転換の散歩がてら、外で飯でも食いに行こうぜ」
俺の提案にきょとんとして、それからすぐに俺と窓の外を何度も見比べた。
「・・・・・・雨はずっと降ってる・・・・ということは明日は晴れるかもしれないわね・・・・」
「どうしてだ?」
「だって、ガウリイがまともなこと言ってるのよ!ああっ、もしかしたらさらに嵐にまで発展するかもっ!?季節はずれの大雪とかっっ!」
「お前なぁ・・・・そこまで言うか・・・?」
「でもまぁ、出かけるってのはいい案ね。雨もそんなに強くはないみたいだし、いい加減外に出て動かないと本気でカビが生えちゃうわ」
情けない声を出した俺に、ニヤっと笑いかけるとリナが思いきり伸びをした。
本当に、猫みたいだな。
外に出ると決めた途端、身体中にピンっとした力を巡らせて生き生きとした表情になったリナを見て、俺は再び窓の外を眺めた。
雨は、相変わらず細い糸のように、地上に降り続いていた。
パラパラと微かな音を立てて雨が傘の上で跳ねている。
ひんやりと身体に纏わリつく湿った空気。
ところどころに出来ている水たまりを避けながら、俺たちは人通りのまばらな街を歩いていた。
「傘なんてさして歩いたのって一体何年ぶりだろ」
宿で借りた薄紫色の傘をクルクルと回して、リナは機嫌良さそうだ。
さっきまで宿でふて腐れていた人間とは思えないほどに。
「そーだなぁ・・・旅を始める前かもなぁ」
「そーよねー。普通傘なんてもって旅なんてしないしね。何だか懐かしいな、こーゆーのって」
にこにこと笑いながらリナがクルっと振り返った。その勢いで傘についていた雨粒が弾け飛ぶ。空はどんよりと曇っていたが、その飛沫はキラキラと光って見えた。
普段はしっかりと武装して出かける俺たちだったが、今日は雨が降っているし、仕事を見つけに行くわけでもなくただ食事を兼ねて散歩に出ただけなので、いつもの重い鎧やマントをつけずに軽い格好で出かけていた。
さすがに2人とも腰に剣は帯びているけれど。
それでも、こうやって身軽な格好で傘をさして歩いていると、何だかここが自分の故郷のような気分になってしまう。
「雨の日に出かけるのもたまにはいいもんだな」
「たまにはね」
「んで、どこに行くんだっけ?」
「山裾の公園よ。宿のおばちゃんが傘を貸してくれる時に言ってたじゃない。雨の日に散歩するならそこが一番だって」
「何で雨の日だと公園がいいんだ?」
「そんなの知らないわよ。でも勧めるくらいだから何かあるんじゃない?」
言いながらもリナの足は跳ねるように進んでいく。時々小さな水たまりをブーツで弾きながら、機嫌のよさをそのまま現したようなそんな歩調。
雨などまったく気にしていない。
周りに人影もほとんどないせいもあるんだろう。
これだったらもっと早く外に連れ出してやればよかったかな?
そんなことを思いながらなんともいえないゆったりとした気分で俺はリナの後をついていった。
「うわぁ・・・!」
リナが思わず絶句する。
「すごいなぁ」
俺の口からも感嘆の声が零れた。
宿のおばちゃんが教えてくれた公園に足を踏み入れた途端に目の前に広がった景色に視線を奪われる。
雨に濡れて艶っぽく光り輝いている、色とりどりの丸い花の群れ。
よく見ると、小さな花が固まって丸いボールのように咲いているのがわかる。
白、青、紫、ピンク・・・それらの色が滲んでグラデーションを作っているような、そんな鮮やかな花たちが、濃い緑の葉の中でまるで宝石のように咲き誇っていた。
「すっごいわねぇ・・・こんなに見事な紫陽花の群生なんて初めて見たわ」
驚きの表情からじわじわと滲み出て満面に広がっていく笑み。
リナの身長よりも高い花の群れにリナは引き寄せられていく。
「紫陽花って言うのか、これ?」
「そうよ。この花は雨に打たれて濡れたほうのが、大陽の下よりも似合うの」
「確かに、宝石みたいに光って見えるよな」
「あら、ガウリイにしては気のきいた表現じゃない」
振り返ったリナがにこっと笑った。
その瞬間だけ、まるで日の光が射し込んだように眩しく映る。
思わずぱしぱしと瞬きをしている間に、リナは再び俺に背を向けて紫陽花の小道を歩き出してしまっていた。
・・・・・ぽり・・・・
何となく落ち着かない気持ちになって、無意識に指が頬を掻く。
リナの無邪気な笑顔を向けられるとそわそわしてしまう。
そんな自分に気付いたのはいつだっただろう。
最初は無茶苦茶ばかりして目と手を離せない、まるで妹のように思っていたリナに。
ある時、急に。
本当に、突然。
女としての魅力を感じてしまった自分が、信じられなくて。
後ろめたい事など何もないのに。
そう・・・ずっとすぐ近くで見ていたから気付かなかっただけ。
出会ったばかりのリナはまだ本当に子供っぽかったけれど、あれからもう3年以上が経っていて、少女は女になりかけていただけの事なのだ。
細い事には変わりがないが、少しずつ丸みを帯びてきた身体。
時々覗かせる、妖艶な笑み。
髪をかきあげる、何気ない仕種。
そのすべてが、すでにリナが子供ではない事を示していた。
リナはリナだと思っていたのに。
気がつけば、リナと言う『女』から目が離せなくなっている俺がいる。
それは、俺の意識が変化したからなのだろうか。
リナに見とれて。リナを独占したいと思った瞬間に、『保護者』の意識は拡散していった。
その後の俺は、ただの男。
相変わらずリナの『保護者』の顔をしながらも、リナに送られる男どもの視線をはね除け、今まで以上にいろんな意味での敵から執拗に守った。
それは、ただの独占欲にすぎないとわかっていても。
リナが俺のことを『保護者』としてしか見ていないと、わかっていても・・・
「ガウリイ?どーかしたの?」
紫陽花の花のような薄紫色の傘をくるくると回していたリナの後ろ姿をぼーっと眺めていると、リナが再びくるりと振り返って俺を呼んだ。
いつの間にかリナとの間に少し距離が開いていた。
「ん?いや、この花の色が綺麗だなーっと思ってさ」
「どれどれ?」
適当に目についた花を言い訳に使ったのだが、その言葉にリナが興味を示して戻ってくる。
「どの花?」
「ああ、これ」
指差した花を見て、リナが微笑んだ。
「本当だ。この絶妙な紫のグラデーションがいいじゃない」
その微笑みは、可愛いと言うよりも。
艶やか、だった。
また1つ、女のリナが顔を見せる。
本人は何の意識もしていないくせに、俺の心だけ奪っていく。
「紫陽花ってね、土によって色が変わるんだって。不思議よねぇ、同じ花なのに。でも、これは本当に綺麗ね」
「あ、ああ」
―――ドクン
間近で覗き込まれて、鼓動が跳ねた。
耳から雨の音が消える。
雨が降り続いていてひんやりしていた空気が、途端に熱いものに変わる。
体温が上がったのを感じて、リナに気付かれないように乾いた唇を湿らせた。
外見はどんどん女に変化していくのに、中身はまだ外見に追い付いていないリナ。
男を誘うその笑みも、無意識のものだとわかっている。
だから、こんな俺の感情なんて気付いてはいない。気付かれるわけにもいかない。
さり気なく、一歩リナから下がった。
間に傘があるとはいえ、今の俺にこの距離は危ういから。
周りは紫陽花に囲まれてて人気がない。
まるでこの世界にリナとたった2人だけ存在しているような、そんな奇妙な感覚がする。
軽く頭を振ってその先に進みかけたその時――――
「うっきゃあぁぁぁ〜〜〜っっ!」
背中にドシンと暖かい衝撃。はずみでぽろっと手から傘が落ちた。
「リ、リナ?」
「ガウリイ〜〜〜〜」
背中にしがみついて震えているリナの声は涙声だ。どうしたんだ?・・・・といつもならすぐに訪ねる事が出来るのに。
跳ね上がった鼓動は今度こそ誤魔化しきれない。
さぁ・・・っと降り掛かる細かい雨が、身体に触れた途端に蒸発していく感じがする。
「いいいいい・・・・いたぁ〜〜〜」
「いた?・・・・・ああ」
リナの子供っぽい怯え方とこの場所、この時季とくれば、何があったかわかった。
「あれか、なめ・・・」
「言うなぁ〜〜〜っっ」
どんな強大な敵が相手でも怯えた素振りなど微塵も見せないのに、こんな小さな生き物相手にこんなになってしまうなんて、意外すぎて微笑ましい。
こんなところは普通の女の子だよな。まだまだ子供なんだから。
リナがしがみついている背中はどんどん熱くなっていくけれど、こっそりと何度も深呼吸を繰り返し心を落ち着かせていく。
不自然な行動だが、パニックを起こしているリナにはわからないだろう。
何とか落ち着きを取り戻しリナと向かい合う。
飛び上がって逃げた拍子にリナも傘を放り出したのだろう。落ち着かせようといつものように髪を撫でてやると、しっとりと濡れていた。
滅多に見れないリナの姿に苦笑しながらゆっくりと言葉をかける。
「ほら、もういないから。大丈夫だって、な?」
「だってだって・・・目が合ったぁ〜〜〜・・・」
「気のせいだって。もういないよ」
「ふえぇぇ・・・・ガウリイ〜〜〜」
少し落ち着いたのか半泣きの状態で、それでも恐る恐るリナが顔をあげた。
――――ドクン
鎮めたはずの感情が一気に戻ってくる。
大きな瞳にいっぱいの涙を溜めて、縋るように俺を見つめてくる視線に。
リナにそんなつもりはないのは充分わかってる。
ただ、苦手ななめくじからの恐怖でこんなになってしまっただけだ。
だけど。
リナのそんな行動とは裏腹に、その表情と視線は。
どうしようもない程、男の心をぐらつかせる。
誘う気がなくとも、搦め取っていく。
無意識だった。
見上げてくるリナの頭を撫で、そのまま強く引き寄せる。
驚きに大きく見開いた瞳から、ぽろっと涙が転がり落ちた。
焦りと狼狽、そんな表情が一瞬交差してすぐさま顔が真っ赤に染まっていく。
そんなリナを頭のどこかで冷静に観察しながら。
俺は、リナの唇を奪っていた―――――
◇◇◇◇◇
静かに雨が降り続く。
周りの音を一切閉じ込めて。
転がった2つの傘の上には滑稽に。
紫陽花の花の群れの中に座り込む俺の上には容赦なく。
熱くなっていた心と、リナに叩かれて熱をもった頬が、徐々に雨に冷やされていく。
あれからどのくらいの時間が経ったのかわからない。
感情も身体の感覚も麻痺していた。
ぱたぱたと、俯いている前髪から雨が雫となって落ちていく。
――――止められなかった。
理性などと言うものは、あの瞬間に吹き飛んでいた。
そのくらい、抑えがきかなかった。
気がつけばリナの頭を押さえ込み、柔らかな甘い唇を貪っていた。
驚いて抵抗する女の身体など、男の力の前では無力にも等しい。暴れるリナを抱き寄せて一切の抵抗を封じ込め、どんどん熱くなる身体と欲望に支配された俺は夢中で口付けを交わしていた。
力の抜けたリナが身体を預けてきたのを感じて、名残惜しくもそっと唇を離した途端・・・・
――――パチィン!
潤んだ瞳で俺を射抜く。
唇を噛み締めて、真っ赤に染まった顔を歪ませて。
そんなリナの表情を見た瞬間に、意識が戻った。
思わず自分がしでかした行動に呆然とした。その僅かな隙をついて、まだ腕の中にいたリナが細い腕で俺の胸を力任せに押し退けた。
・・・・何も、言えなかった。
細い雨が降り続く中、紫陽花の群れの中に走り去ったリナの後を、追い掛ける事さえ出来なかった。
普段の俺だったらリナが押したくらいでよろけるはずもないが、身体から力が抜けていた。そのままずるずると濡れた地面に座り込む。
――――なんて事しちまったんだろう・・・
自分から、大事にしていたものを壊しちまうなんて。
真っ赤な瞳に、傷付いた光が滲んでいた。
思い掛けない裏切りに対する、抗議と悲しみの色。
その事に対する言い訳が何も出来ないから、追い掛ける事も弁解する事も出来なかった。
ただ雨だけが、俺を冷やしていく。
リナの、あの顔だけが俺の脳裏から消えない。
こんなことをしちまった後で、あいつの保護者に戻れるわけがない。
早く謝りにいかなくてはいけないという焦る思いはあるのに、実際には会って決定的な拒絶の言葉を恐れて動けない。
なかった事になんて出来ないから。
後悔と共に、リナの甘い唇の感触がまだ残っている。
拒絶されたら、今度はこんなもんじゃ済まされない。
リナのすべてを奪ってしまうだろう。唇だけでなく、それこそリナに殺されても文句言えないほどに。
リナと離れるくらいなら、きっとリナを壊してしまう。そのくらい深く捕われている。その自覚はある。
だからこそ、ゆっくり進めたかったのに。
他の男からも、自分自身からも。
守って、大事に守って。いつの日かリナが女の自覚を持った時こそ、保護者の枷を解いてこの想いを告げようと、そう決めていたはずなのに・・・・
どうしよう。
どうしたら・・・許される?
どうしたら・・・・・
◇◇◇◇◇
―――――ピタピタ・・・・
湿った音が耳に届いた。
濡れた地面を歩く人の足音だと気付いても、動く気にはならなかった。
身じろぎする度に髪の先から雨の雫が落ちていく。
「・・・・・なんて顔してんのよ、ばか・・・」
――――ビクっ
かけられた声に身体が震えた。
「・・・・わかんないよ、ガウリイ・・・・あんなことしといて、追い掛けてもくれないなんて・・・・」
小さなリナの声にはっと顔を上げる。
そこには全身を雨でしっとりと濡らした、まだ赤い顔のリナが思いつめた表情で立っていた。
「・・・何で・・・・?」
掠れた問いが口から零れる。その問いにリナの身体がピクっと身じろぎした。
「それはっ・・・あたしのセリフよ!・・・・何で来てくれなかったの?何も言ってくれないの?何でそんな・・・辛そうな顔して座ってんのよ・・・・」
「・・・何でって・・・・」
「ひ、ひっぱたいちゃったのはっ・・・悪かったわよ。だって・・・びっくりして・・・だって、あんたはあたしの事、ずっと子供扱いしてたし・・・・あたしは・・・」
「・・・・リナ?」
「・・・・い、いきなりでびっくりしてひっぱたいちゃって・・・・逃げちゃったけど・・・・その・・・あんたが嫌ってわけじゃ・・ない、から・・・」
ひどく言いにくそうに。
視線を泳がせながらも、リナが必死で言葉を紡いでいく。
あの、極度の照れ屋なリナが。
「・・・怒って、ないのか・・・?」
「・・・・怒ってるわよ。あんな・・・不意打ち・・・」
さっきの事を思い出したのだろう。リナの声が更に小さく顔もこれ以上はない程に赤く染まっていく。
「・・・・おっ・・乙女のファースト・キスをあんな形で奪っておいて・・・お、怒るに決まってんじゃないっ」
明後日の方向を向きながらも言いつのるリナに、胸の中で燻っていた恐怖が溶けていく。
ゆっくりと立ち上がり、一歩近付いた。
「・・・・怒ってるのに・・・戻ってきてくれたのか?」
「だって・・っ・・・・・・だって・・・・」
リナの身体が小さく震える。
「・・・・だって・・・あんたが来てくれないから・・・あたしが、ひっぱたいて拒絶しちゃったから・・・もう・・・あんまり子供っぽいから・・・やっぱり・・・気が変わっちゃったのかもって・・・」
「・・・・リナ・・・っ」
もう一歩近付いて、震えるリナをそっと抱きしめた。
俺と同じに、全身がしっとりと濡れていた。いつもだったらあちこち気紛れに跳ねている柔らかいくせっ毛も、しゅんとしている。
「リナ・・・リナ、悪かった・・・」
濡れた髪に手を這わせゆっくりと胸に押し付ける。微かにビクっと身体を震わせたけれど、それ以上の抵抗はなかった。
「・・・憶病者で・・・ごめんな」
「・・・・バカクラゲ・・っ」
小さなつぶやきと共に、小さな手がきゅっとシャツを掴んでくる。
たまらずに、強く抱き締める。
――――いつも、どんな時も。こいつにはかなわない。
こんなに、強い奴・・・見た事がない。
後悔の念に苛まれてこの場を動けなかった俺に比べて、リナは震えながらも真実を確かめに来た。
俺の前から逃げ出したのに・・・それでも今はこの腕の中に戻って来てくれた。
なんて、強い・・・・!
・・・・そのリナに、俺はちゃんと伝えなければいけない。
誤魔化しや言い訳とか、そんなものじゃなくて。
俺の、真実を。
「・・・・不意打ちじゃなかったら、許してくれるか?ちゃんと言ったら、逃げないでくれるか?」
「・・・・時と場合によるわ」
小さいながらも気丈な声に、思わず苦笑する。
ほんの僅かに覗いている耳は、真っ赤に染まっているのに。
「・・・・抑えがきかなかったんだ。あんまりお前が可愛かったから」
「・・・・・バカ・・・なに、んな恥ずかしい事言ってんのよ」
「本当の事だ。本当はずっと前からリナに触れたかった。ずっと抑えてたけど・・・限界だったんだ」
「・・・ずるいよ。ずっと『保護者』だって言ってたのに。そんな素振り全然見せてくれなかったくせに・・・」
「リナに逃げられると思ったからさ・・・」
・ ・・・・クス。
「でも、逃がさない。もう、俺も逃げたりしない。だから・・・」
「・・・だから?」
「だから・・・・今はリナの事を1人の女として見ているから・・・俺の事も、少しずつでいいから、男として見てくれよ・・・」
・・・・・クスクスクス。
「・・・本当にバカ・・・ガウリイは最初から男じゃない。あたしの保護者を名乗ってる1人の男じゃないのよ。そんなことも忘れちゃってたの?まったく、クラゲなんだから」
「リナ」
クスクスと笑うリナの顔を持ち上げる。
真っ赤に染まったまま見上げてくるリナの顔は、始めて見るものだった。
どこか満たされた嬉し気な笑みが唇に浮かんでいる。恥ずかしさが残っていながらも、俺を見つめる瞳はまっすぐで。
それは初めて向けられる、意識的な誘う女の視線。
「・・・・キスしていいか?リナ」
「・・・・・・えっ、あっ・・・・しっ・・・仕方ないから・・・許してあげるわっ」
しどろもどろで真っ赤になりながらも、逃げないで許可をくれたリナに。
俺は恭しく、心を込めて。
そっと、口付けを贈った――――
◇◇◇◇◇
細い雨が絶えまなく降り続く。
雨を受けて輝く紫陽花の上には慈悲深く。
地面に転がっている傘の上には滑稽に。
そして。
紫陽花の群れの中で、すでに全身をしっとりと濡らしながらも傍らに転がった傘を拾う事も忘れ、数時間前までは予想もしなかった幸せな展開を現実のものとして刻み付けるべく、お互いを抱きしめあっている2人の上には・・・祝福と共に。
人の心によって感じ方が変わる雨が、柔らかくすべてを包み込んでいた――――
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