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――――パタパタ・・・
うなだれた前髪から雫が零れる。
遠くの空で低く雷の音が転がっている。
強くもなく弱くもない、雨期特有の絶えまない雨が途絶えることなく、濁った空から地上のすべてのものに降り注ぐ。
雨を受けて輝く紫陽花の群れの上には、慈悲深く。
その紫陽花の群れの中に、傘も持たずに立ち尽くしているあたしの上には容赦なく。
冷たい、糸のような雨が身体を濡らしていくけれど。
火照ったあたしの身体を冷やしていくことは出来なかった――――
◇◇◇◇◇
ここ数日、雨が続いていたせいでずっとこの町で足留めされていた。
雨期だから仕方ないんだけれど、やはり何日もジッとしてなきゃならないってのは、苦痛なだけ。
魔道士教会で借りてきた魔道書も読み終わってしまって、あたしは退屈を持て余していた。
今日も朝からガウリイの部屋に転がり込んで、お茶飲みながらゴロゴロしていたんだけれど、もうそれも飽きた。
「だぁ〜〜もぉ〜〜〜、暇っ!暇だよぉ〜〜〜っっ」
「・・・・叫んだって仕方ないだろう?それとも雨の中出発するか?」
「濡れるからヤだ」
「・・・・・このわがまま娘」
窓から空を見上げても相変わらず音もなく雨は地上に降り注いでいる。止みそうもない雨の様子にベッドに倒れこんでじたばたしていると、ガウリイが呆れた顔で笑った。
「まぁ確かに、ずっと宿から出てないからな」
「・・・・このままじゃ、カビが生えてきちゃうわよ」
拗ねた顔でガウリイを見上げると、笑いながら窓に近付いて外を眺めに行った。
・・・・ガウリイは退屈じゃないのかな?
防具の点検も荷物の整理も、考え付く事は全部やって暇を持て余しているのはあたしと同じはずなのに。
雨の様子を眺めている視線はとても穏やかで、柔らかい。
優しい微笑が浮かんでいるけれど、きっと無意識なんだろう。
雨が降ると、ガウリイはいつも嬉しそう。
そりゃ、あたしだってたまにの雨だったら、久しぶりにのんびりゆっくりできるから嫌いじゃないけど、すぐ飽きちゃうし。
窓の外には降り続く雨の景色。
「カビちゃ困るし、出かけるか?」
窓の外を見ながら不意にガウリイが言い出した。あたしはきょとんとしてベッドから起き上がる。
「・・・・どこに?雨降ってるじゃない」
「宿の人に傘借りてさ。ここの飯も全メニュー制覇しちまったし、気分転換の散歩がてら、外で飯でも食いに行こうぜ」
・・・・・パチパチ
何度か瞬きを繰り返して、ガウリイと雨を何度も見比べた。
「・・・・・・雨はずっと降ってる・・・・ということは明日は晴れるかもしれないわね・・・・」
「どうしてだ?」
「だって、ガウリイがまともなこと言ってるのよ!ああっ、もしかしたらさらに嵐にまで発展するかもっ!?季節はずれの大雪とかっっ!」
「お前なぁ・・・・そこまで言うか・・・?」
「でもまぁ、出かけるってのはいい案ね。雨もそんなに強くはないみたいだし、いい加減外に出て動かないと本気でカビが生えちゃうわ」
情けない顔をしたガウリイにニヤっと笑うと、あたしはベッドから飛び下りて思いっきり伸びをする。
そうよ、別に雨の日に出かけちゃいけないなんてことあるはずないんだもん。
「んじゃ、あたし先に行って宿の人に傘借りてくるわね」
「おう」
ガウリイに軽く手を振って、思わず弾むような足取りで部屋を出ていった。
パラパラと微かな音を立てて雨が傘の上で跳ねている。
ひんやりと身体に纏わリつく湿った空気。
ところどころに出来ている水たまりを避けながら、あたしたちは人通りのまばらな街を歩いていた。
「傘なんてさして歩いたのって一体何年ぶりだろ」
宿で借りた薄紫色の傘を無意識にクルクルと回しながら、あたしは自分がどんどん上機嫌になっていくのを感じていた。
しっとりとした空気が肌に心地いい。
「そーだなぁ・・・旅を始める前かもなぁ」
「そーよねー。普通傘なんてもって旅なんてしないしね。何だか懐かしいな、こーゆーのって」
いつもだったらちゃんとマント着てショルダーガードもつけて武装して出かけるんだけれど。
今日は別にちょっと雨の中を散歩しよう、ってだけだから、あたしたちはお互いに腰に剣を帯びただけの楽な格好で出かけていた。
完全武装に傘さしてるのも変だし。
ガウリイの方をクルっと振り返るとその勢いで傘についていた雨粒が弾け飛ぶ。空はどんよりと曇っていたが、その飛沫はキラキラと光って見えた。
子供の頃はよくこうやって雨粒の飛ばしっことかやったなぁ。
何だか、懐かしい感じがする。
こうやって身軽な格好で傘をさして歩いていると、まるで自分の故郷へ帰ってきたような気分になってしまう。
隣にいるガウリイが、何だかくすぐったい。
「雨の日に出かけるのもたまにはいいもんだな」
「たまにはね」
「んで、どこに行くんだっけ?」
「山裾の公園よ。宿のおばちゃんが傘を貸してくれる時に言ってたじゃない。雨の日に散歩するならそこが一番だって」
「何で雨の日だと公園がいいんだ?」
「そんなの知らないわよ。でも勧めるくらいだから何かあるんじゃない?」
そういいつつ、ちょっとだけ歩調を速めてガウリイから遠ざかった。
(彼氏とデートするならそこがいいよ。人も少ないだろうしムード満点だよ)
――――ガウリイはおばちゃんの話聞いてなかったからこれも聞いてなかったはず。
不意に蘇ったおばちゃんの声に、微かに赤くなった顔を誤魔化そうとしてずんずんと歩いていく。
別に、あたしとガウリイはそんな関係じゃないんだけれど。
最近、よく間違えられる。
その度に、何だかくすぐったくてちょっと切ない、居心地の悪い気分に捕われる。
勘ぐられる度に「そんなんじゃない」ってムキになって否定するけれど、実際その通り「何でもない」んだけれど。
・・・・・どうなのかな?
あたしは、この関係を人にどう言われれば落ち着いて納得できるのかな。
どう、なりたいのかな?
自分でも、まだ曖昧でわからない。
「うわぁ・・・!」
目の前に広がる景色に思わず絶句する。
「すごいなぁ」
ガウリイの口からも珍しく感嘆の声が零れた。
宿のおばちゃんが教えてくれた公園に足を踏み入れた途端に目の前に広がった景色に視線を奪われる。
雨に濡れて艶っぽく光り輝いている、色とりどりの丸い花の群れ。
白、青、紫、ピンク・・・それらの色が滲んでグラデーションを作っているような、そんな鮮やかな花たちが、濃い緑の葉の中でまるで宝石のように咲き誇っていた。
「すっごいわねぇ・・・こんなに見事な紫陽花の群生なんて初めて見たわ」
あたしの身長よりも高い、紫陽花の樹。
よく手入れされているからこそ、こんなにも大きな花をいくつも咲かせていられるのだろう。
「紫陽花って言うのか、これ?」
「そうよ。この花は雨に打たれて濡れたほうのが、大陽の下よりも似合うの」
「確かに、宝石みたいに光って見えるよな」
「あら、ガウリイにしては気のきいた表現じゃない」
1つの花に手を触れながら、あたしはすぐ後ろを振り返ってにっこり笑った。
あたしも、まるで宝石のようだと思っていたから。同じように感じてくれて、嬉しかったから。
ぼんやりと立っているガウリイの横を通り過ぎて、あたしは奥に続く紫陽花の小道をゆっくりと歩き出した。
艶やかな花。
雨の恵みを一心に受けて輝く紫陽花。
青々とした大きな緑の葉が花を守るように茂っている。
表面からは見えないけれど、太い枝がしっかりと大きな重い花を支えている。
だからこそ、安心しきって。花は生き生きと咲いている。
ため息が出る程、美しく。
花に惹かれ歩いているうちに、ガウリイと少し距離が出来てしまっていた。
「ガウリイ?どーかしたの?」
くるくると傘を回しながら振り返ると、ぴっとガウリイが側の紫陽花を指差した。
「ん?いや、この花の色が綺麗だなーっと思ってさ」
「どれどれ?」
ガウリイの目に止まった花に興味を覚えて、あたしはとことことガウリイの元へ向かう。
「どの花?」
「ああ、これ」
「本当だ。この絶妙な紫のグラデーションがいいじゃない」
ガウリイにしては上出来。
濃い紫の紫陽花。
赤と青が滲み出て1つになった、絶妙な紫色がその花を彩っていた。
「紫陽花ってね、土によって色が変わるんだって。不思議よねぇ、同じ花なのに。でも、これは本当に綺麗ね」
「あ、ああ」
同じ敷地内の土なのに、この樹でさえも1つ1つの花は微妙に色が違うのだから、その話に信憑性はないんだけれど。
すごく近くでよく見たくて、そうっと手に触れた。
指先に雨の雫が弾ける。
きらきらと雫が跳ねて花を煌めかせる。
あなたは愛されてるのね。
この土に、この枝に、この葉に。
だからこんなにも誇らし気に咲き誇っているんでしょ。
あ、この雨にも愛されているわね。
あなたを更に彩る為に。
・・・・・ほんのちょっと、羨ましいかな。
薄く苦笑してそうっと花を元の場所に戻そうして・・・・
「〜〜〜〜〜〜っっっ!?」
紫陽花を支える葉の影に、不吉な影。
一瞬で身体が凍り付き、見たくはないのに本能がそれを確認しようとする。
雨に濡れて光っている、それが。
――――恐怖に立ち尽くす、あたしの視線とかち合った。
「うっきゃあぁぁぁ〜〜〜っっ!」
次の瞬間、恐怖が身体を駆け抜けた衝撃で動きを取り戻したあたしは、悲鳴をあげながら傘を放り投げ、泣きながらガウリイの背中にしがみついていた。
「リ、リナ?」
「ガウリイ〜〜〜〜」
ぞわぞわと背筋に残る嫌な汗。
ガクガクと震える足。
あれがそう素早く動く事が出来ないとわかっていても、追い掛けてくるような気がする。
「いいいいい・・・・いたぁ〜〜〜」
「いた?・・・・・ああ、あれか、なめ・・・」
「言うなぁ〜〜〜っっ」
固有名詞を出されると恐怖が倍増される。
言いかけたガウリイの声を遮って、ますます強く背中にしがみついた。
長い金髪越しに触れるシャツ。
ガウリイの体温が雨の湿気で少し冷えた指先を温めていく。
・・・・・情けないとは思うけど。でも、どうしても生理的に合わないものってあるじゃない!?
いつものあたしだったらガウリイにしがみつくなんて事出来ないはずなのに、昔だったら速効であれから全力で逃げたのに。
震えるあたしの頭にいつもの感触が降りてくる。
雨に濡れてしまったせいで、頭を撫でられると少し冷たいけれど、恐怖に支配されていた心がぽうっと暖かくなった。
「ほら、もういないから。大丈夫だって、な?」
「だってだって・・・目が合ったぁ〜〜〜・・・」
「気のせいだって。もういないよ」
ゆったりとした優しい声が、あたしの心を溶かしていく。
まだ握りしめている、ガウリイのシャツ。
あたしの頭を何度も撫でていく、大きな手。
すぐ近くにガウリイを感じて、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「ふえぇぇ・・・・ガウリイ〜〜〜」
思いきって顔を上げたら、すぐ近くにガウリイの顔があった。
視界は溢れていた涙でぼんやりと滲んでいたけれど、驚いたようなガウリイの表情は何故かはっきりと映る。
青い瞳が揺れていた。
くしゃと、頭を撫でる手はさっきまでと変わらない・・・と思ったら。
――――突然ぐいっと、強く引き寄せられた。
ポスっとガウリイの胸におさまってしまう、あたしの身体。それは、何だか変な感じがした。まだ頭があれによるパニックから完全に抜け出していなかったのかもしれない。
いつもの鎧もなく、無防備な薄いシャツだけのガウリイに抱き寄せられて。
一瞬だけ。
とても、安心したから。
でも、反射的に腕の中からガウリイを見上げた途端に、あたしはまた別のパニックに襲われた。
――――えっ・・・・えぇぇぇっ!?
今の状況を把握して、驚くのと同時に頭の中で声がした。
あたし、何されてるの?
ガウリイは、何してるの?
何で振りほどけないの?
恥ずかしいのに、何で暴れる事も出来ないの?
微かに湿ったシャツ越しに伝わってくるガウリイの体温を感じて、顔が真っ赤に染まっていく。
見開いた瞳に、ガウリイが少しずつ大きく広がっていく。ガウリイの青い、青すぎる瞳に飲まれてしまって、視線を外す事も身動きすることも出来ない。
――――あたし・・・あたしは・・・・
頭の中で聞こえる質問に答えるよりも早く。
ガウリイがあたしの唇を塞いでいた――――
◇◇◇◇◇
静かに雨が降り続く。
周りの音を一切閉じ込めて。
何の音も聞こえない。声も、何も。
細い雨が身体を濡らしている事も、あたしの頭からは消えていた。
あれからどのくらいの時間が経ったのかわからない。
ただ、胸が。
・・・・無性に痛かった。
何が起きたか、わからなかった。
唇が触れた瞬間。思考回路は停止して、何も考えられなかったから。
触れた唇は柔らかくて、優しく思えた。
でも、そう思った次の瞬間に、強く抱き締められて頭を押さえ込まれてしまった。
それで、我に返って・・・・・怖くなった。
何にだろう。
何でだろう。
今まで一度もガウリイの事を怖いだなんて、思った事ないのに。
押さえ込まれたガウリイの腕から必死になって逃れようと暴れたけれど、びくともしない。かえって余計に強く抱き締められて逃げさせてはくれない。
抵抗している間も、唇はずっと重なったまま。
優しく感じたのは始めだけで、我に返ってからはその熱さが怖かった。
――――やめて・やめて・やめてっ!
こんなガウリイ、あたしは知らない。
何でいきなりこんな事するのよ。
何も言わないで、何も示さないで、何も聞かないで!
でも。
何度も激しいキスをされて、なすがままになっているうちに、抵抗が弱くなってくる。
憤りや恐怖すらも、熱さで混乱させられて、何も考えられなくなっていく。
痺れ薬を盛られたかのように、身体から力が抜けていくのをぼんやりと感じていた。足に力が入らない。
どのくらいそんな状態が続いていたんだろう。
身体を拘束していた腕がふっとゆるんで、唇から熱が離れた。息をつく間もなく、あたしは力の入らない腕を思いっきりふりかざし、目の前の男の頬に叩き付けていた。
目の前にいたのは、あたしの知らない男。
知らないガウリイ。
呆然とした表情であたしを見下ろすガウリイの腕を力任せに押し広げ、あたしはそこから逃げ出していた。
どうやって走ったのか、覚えていない。
ただがむしゃらに紫陽花の咲き乱れる小道を走って、あたしはガウリイから逃げていた。
すぐ追い掛けてこられる気がして、怖くて、悔しくて、腹が立って。
やっと立ち止った時は、息が切れていた。
後ろから追い掛けてくる気配も足音もしないのを感じて、大きく息をつく。
「・・・・・・・・・・・バカぁ」
――――ぱたぱた・・・ぽと
髪の先から雨の雫が落ちていく。
雨とは別の水が、あたしの目から落ちていく。
・・・・あたし、何で泣いてるんだろう。
そんなにガウリイが怖かった?
泣く程、キスされたのが嫌だったの?
「・・・・・・ちが・・・」
多分、違う。
それも多少あるけれど、多分もっと根本的な事で涙が出てくる。
「・・・・いきなりなんて・・・・ひどいよ、バカ」
そう。
何もかもいきなりで、心の準備どころか自分の気持ちすら曖昧だったから。
ずっと旅の相棒で、自称保護者を名乗ってて、すぐあたしのこと子供扱いして、いつでも一番近くにいて、躊躇いもなくどんな場面でもあたしを守ってくれる人。
金髪碧眼の見た目だけなら文句のつけようもない美青年で、性格もいいけど、脳みそからっぽなクラゲ頭。
そんなガウリイとずっと過ごしてきて。
2人の関係を勘ぐられる度、何だかくすぐったくてちょっと切ない、居心地の悪い気分に捕われてきた。
ここ最近は特に。
それは何故?
「だって・・・ずっと、子供扱いしてきたじゃないかぁ」
だから、そんな事ない。そんなはずない。
ガウリイは、そんな目であたしを見るはずがない。
・・・・そう、無意識に思い込もうとしていたんだ。
いつか、自分の気持ちに気付いてしまった時に、傷付かないように。
だってあたしは・・・あたしは、ガウリイが・・・!
――――震える指をそっと持ち上げ、唇に触れた。
まだ、さっきの熱が残っているように感じる。
「・・・・・ガウリイ・・・」
急に男の部分を見せられて、さっきは怯えてしまったけれど。怖いと思ってしまったけれど。
ガウリイならば、怖くない。
でも・・・・何で急に?
あたしの気持ちはわかってしまった。
でも、いきなりあたしにキスしてきたガウリイの気持ちは全然わからない。
「・・・・ガウリイ?」
クルっと走ってきた道を振り返ってみても、ガウリイはいない。気配もしない。
自覚してしまったばかりの心が、再び不安に染まっていく。
ガウリイは大人で、あたしは子供。
あたしはこれがファースト・キスで、ガウリイはきっと違うだろう。
思いっきりひっぱたいて逃げてしまったのは、あたしだ。
呆れてるかもしれない。早まったって。
こんな子供に手を出したことを。
「・・・・・そんなの、ヤだ」
ゾクっと、小さく身体が震える。
手のひらに、さっきひっぱたいてしまった時の熱がジンと蘇ってくる。
拒絶したのは、いきなりで怖かったから。
でも、ガウリイが嫌なわけじゃない。
だけど・・・・ガウリイには通じてないだろう。呆れて、あたしはいつまでたっても子供だと・・・・手を出したことすら後悔しているかもしれない。
最悪の場合子供の相手はもうたくさんだと・・・ガウリイがいなくなってたら・・・!?
「そんなのヤだ!」
くるりと振り返り、あたしは再び走り出した。
ぴちゃぴちゃと足元で小さく泥が跳ねるけれど、気にならない。
「・・・そんなの嫌よ。冗談じゃない・・・!」
不安が焦りを呼ぶ。たった一度拒絶しただけで別れる事になったらと、恐怖が胸に忍び込む。同時に何も言わなかったガウリイに対する怒りも沸き上がってきた。
感情がぐるぐると混ざりあう。
ただ、ガウリイに会いたかった。
ガウリイの気持ちを、確かめたかった――――
どこをどうやって走ってきたのかわからない。
けれど、走る足を止め気配をこらすと紫陽花の群れの奥にうずくまっているような人の気配を感じた。
「・・・・・ガウリイ・・・?」
弱々しい・・・まるで迷子になって泣いている子供のような、そんな気配に一瞬ガウリイじゃないかと思ったけれど。
呼吸を整えゆっくりと紫陽花の茂みの角を曲がると、そこには放り投げ出された傘の存在を綺麗に忘れ、紫陽花の中にうずくまり雨に濡れそぼっているガウリイが、いた。
・・・・・ずきん・・・・
その、あまりにも痛々しい姿に、胸が締め付けられる。
前髪から垂れる雨粒が、まるで涙のように見えた。
「・・・・・なんて顔してんのよ、ばか・・・」
ガウリイの姿を見た瞬間に、あたしの中からガウリイがあたしに呆れて消えてしまうんじゃないかって言うバカげた恐怖は消えていた。
こんなガウリイ、初めて見た。
「・・・・わかんないよ、ガウリイ・・・・あんなことしといて、追い掛けてもくれないなんて・・・・」
それとも・・・追い掛けられなかったの?
追い掛けるのが、怖かった?
・・・・・あたしと同じ?
突然の事で、もう一度拒絶されるのが怖くて動けなかったの?
あたしの小さな声にガウリイがビクっと身体を震わせた。ハっと顔を上げ、あたしを見つめる瞳には、戸惑いと切なさの色。
「・・・何で・・・・?」
ガウリイから零れた微かな声に、あたしの中で何かが堰を切って溢れだした。
「それはっ・・・あたしのセリフよ!・・・・何で来てくれなかったの?何も言ってくれないの?何でそんな・・・辛そうな顔して座ってんのよ・・・・」
「・・・何でって・・・・」
「ひ、ひっぱたいちゃったのはっ・・・悪かったわよ。だって・・・びっくりして・・・だって、あんたはあたしの事、ずっと子供扱いしてたし・・・・あたしは・・・」
「・・・・リナ?」
「・・・・い、いきなりでびっくりしてひっぱたいちゃって・・・・逃げちゃったけど・・・・その・・・あんたが嫌ってわけじゃ・・ない、から・・・」
言ってるうちに恥ずかしくなって、視線はガウリイから泳いでしまうけれど。今日、今じゃなきゃ伝えられない。
ここでまた逃げたら、あたしは・・・あたしたちは歪んでしまう。
「・・・怒って、ないのか・・・?」
「・・・・怒ってるわよ。あんな・・・不意打ち・・・」
不意にさっきの感触が蘇ってきた。唇に触れた熱さも。
「・・・・おっ・・乙女のファースト・キスをあんな形で奪っておいて・・・お、怒るに決まってんじゃないっ」
口では怒ってると言いつのっていても、確かに少し怒ってはいたけれど。それよりも・・・・
「・・・・怒ってるのに・・・戻ってきてくれたのか?」
「だって・・っ・・・・・・だって・・・あんたが来てくれないから・・・あたしが、ひっぱたいて拒絶しちゃったから・・・もう・・・あんまり子供っぽいから・・・やっぱり・・・気が変わっちゃったのかもって・・・」
「・・・・リナ・・・っ」
すぐ近くで声が聞こえたと思ったら、ふわっと大きな腕があたしを包み込んだ。
「リナ・・・リナ、悪かった・・・」
濡れた髪を大きな手がゆっくりと撫で下ろして、そのまま頭をそっと胸に押し付けてくる。ドキっとしたけれど、あたしはそのまま抵抗もせずにいると、耳にガウリイの鼓動が直接響いてきた。
速い、鼓動。
多分、あたしと同じくらいに。
「・・・憶病者で・・・ごめんな」
「・・・・バカクラゲ・・っ」
小さな謝罪にあたしはガウリイのシャツを強く握りしめていた。同時に遠慮がちに包み込んでいたガウリイの腕が、ぎゅうっと強く抱きしめてくる。
速い鼓動。雨で全身が濡れているのに熱い身体。
言葉じゃなくても伝わってくるような気がする。
憶病者は、あたしも同じだよ。
ごめんね、ガウリイ。
「・・・・不意打ちじゃなかったら、許してくれるか?ちゃんと言ったら、逃げないでくれるか?」
「・・・・時と場合によるわ」
しばらくしてから、ガウリイが声をかけてきた。さっきまでの掠れた声じゃない。いつもの、でもいつもより真剣な声。
ガウリイの腕の中が安心出来る場所だとわかったあたしは、ちょっと意地悪してみたくなる。
「・・・・抑えがきかなかったんだ。あんまりお前が可愛かったから」
「・・・・・バカ・・・なに、んな恥ずかしい事言ってんのよ」
「本当の事だ。本当はずっと前からリナに触れたかった。ずっと抑えてたけど・・・限界だったんだ」
「・・・ずるいよ。ずっと『保護者』だって言ってたのに。そんな素振り全然見せてくれなかったくせに・・・」
「リナに逃げられると思ったからさ・・・」
クスっと、ため息のような笑みが漏れる。
「でも、逃がさない。もう、俺も逃げたりしない。だから・・・」
「・・・だから?」
「だから・・・・今はリナの事を1人の女として見ているから・・・俺の事も、少しずつでいいから、男として見てくれよ・・・」
クスクス・・・押さえきれない笑みが零れていく。
これを、聞きたかったの。
ちゃんと、言って欲しかったの。最初から言ってくれれば逃げたりなんかしなかったのに。
ガウリイは大人なんだと思ってた。
こういう色恋もお手のもんだと思ってた。だから変な心配までしちゃってたのに。
だけど、あたしと一緒だったんだ。ガウリイも、あたしと一緒で不器用でかっこわるい。
何だか今まで以上にガウリイを近くに感じる。
ガウリイを可愛いなんて、初めて思った。
「・・・本当にバカ・・・ガウリイは最初から男じゃない。あたしの保護者を名乗ってる1人の男じゃないのよ。そんなことも忘れちゃってたの?まったく、クラゲなんだから」
「リナ」
笑ってるあたしの顔をガウリイが持ち上げた。至近距離で覗き込む青い瞳。
保護者とはちょっと違う、包み込まれる熱い眼差し。
初めてまじかで見る男のガウリイに、恥ずかしさを感じながらも真直ぐに見つめ返した。
「・・・・キスしていいか?リナ」
熱い声が囁かれる。
どこか予想していた言葉に戸惑いながらも、逃げる気はまったく起きなかった。
このガウリイは、怖くない。
「・・・・・・えっ、あっ・・・・しっ・・・仕方ないから・・・許してあげるわっ」
それでも恥ずかしくて、ぶっきらぼうに言い切ってプいっと顔を背ける。
小さくガウリイが笑ってあたしの顔を引き戻すのを見ていられなくて、あたしは目を閉じた。
2回目のキスは。
とても熱くて優しかった――――
◇◇◇◇◇
細い雨が絶えまなく降り続く。
雨を受けて輝く紫陽花の上には慈悲深く。
地面に転がっている傘の上には滑稽に。
そして。
紫陽花の群れの中で、すでに全身をしっとりと濡らしながらも傍らに転がった傘を拾う事も忘れ、数時間前までは予想もしなかった幸せな展開を現実のものとして 刻み付けるべく、お互いを抱きしめあっている2人の上には・・・祝福と共に。
人の心によって感じ方が変わる雨が、柔らかくすべてを包み込んでいた――――
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