|
――――生きてる時間を増やしていくだけで『大人』になれるって、そんな考え方はしていないけど。
でも。
じゃあ、人はいつ『子供』から『大人』へとなるのだろう。
◇◇◇◇◇
「ねぇ、ガウリイはいつ『大人』になったの?」
「へっ!?」
――――カラランッ
あたしのこの台詞に、剣の手入れをしていたガウリイが珍しく動揺して剣を取り落とした。
夕食が済んだ宿の1室。
飲みにも行かずにおとなしくお互いの部屋に戻りかけたんだけど、まだ寝るには早かったから。
最近は理由がなくてもどちらともなく一緒にいることのが多いから、普通にガウリイの部屋に行って。
床に座って剣の手入れを始めたガウリイを、窓際に持っていった椅子の上からボーっと眺めながら、朝から考えていたことを口にしたのだ。
「リ、リナ?」
どもって顔を微かに赤く染めている。何か珍しいや、ガウリイがこんなに焦ってるなんて。
「ガウリイは『大人』なんでしょ?頭の中身は3歳児以下でも、年令とか外見的には一応さ」
「・・・3歳児以下って・・・」
「反論の余地無しでしょーが。それはともかく、ねぇ、いつから自分は大人だって思った?」
「・・・・いや・・・その・・・それはだな・・え〜と・・・」
「・・・・何よ。言いにくい事なの?」
あたしから視線を泳がし、しどろもどろで躱そうとするガウリイを逃がさないように、あたしは椅子から降りて彼の前にしゃがみ込んだ。
「ガウリイ」
「・・・・あのなリナ。一般的に『大人になる』ってのがどういう意味だかわかって聞いてるのか?」
「?だから、何を基準にして大人だって言えるかわからないから聞いてるんじゃない」
「・・・・・・・・・・・あのなぁ・・・・」
盛大にため息をついてガウリイががっくりと頭を落とした。片手で顔の半分を覆っているけれども、指の隙間から覗く肌は、やっぱり赤いまま。
「ガウリイ?」
「・・・・あのな・・・なんつーか・・・あれだ。その・・・ぶっちゃけた話、『初体験』ってやつをしちまった後からってことになってる・・・んだが・・・」
「・・・・・・・・・は?・・・・・ちちちちちち違うーーっっ!あたしわっ、そーゆーことを聞きたいんじゃないのっっ!」
ガウリイの言葉の意味を理解した途端、ボンっと爆発する勢いであたしの顔が真っ赤に染まった。
「違うのか?」
「違うわよっっ!」
きょとんとしているガウリイに勢いよく怒鳴り付けて、すーはーと深呼吸をくり返した。
心臓バクバク言ってる。
知らぬ事とはいえ、あたしってばとんでもない事聞いたんじゃ・・・・
「・・・・じゃあ何だっていきなりそんな事言い出したんだ?」
まだうっすらと赤いままポリポリと頬を掻くガウリイに、何とか呼吸を整えたあたしはそのまま床に座り込む。あたしもまだちょっぴり顔が赤いままだけど。
「あたしは純粋に『大人』と『子供』の境界線がどこかわからないから、聞いたのよ。あんたとあたしの違いは何なんだろうって思ってさ」
「・・・そりゃ色々違うだろう?」
「そーかしら?・・・・まぁ、確かに違う部分はあるけれども・・・」
・・・・確かにそーゆー部分は子供なんだけど・・・。
コホンと軽くせき払いをして思考を切り替え、首を傾げるガウリイの前であたしは指を折っていく。
「大人になるのは自立する事だってよく言うけど。経済的なものと精神的なものよね。でもこの2つはとっくの昔にあたしは出来てるわけでしょ?」
ガウリイに出会うよりもっと前から、あたしは旅に出ていたわけだし。
それは当然、親からの自立ってことになる。
何しろきっかけはねーちゃんの一言だったとしても、旅に出る事を決めたのは自分の意志だし。
旅立つ前に軍資金もらったわけでもない。『自分の事は自分で何とかしろ』ってのがうちの基本方針だから、それだって当たり前。
でも、今までそれで生きてきたんだし。
「肉体的なものは・・・まぁ、まだ多少は成長してくれる事を願っているけれどもっ。でも、まぁ・・・ね」
ちょっと恥ずかしくなってそっぽを向いた横で、微かに笑った気配がして、もっと顔が赤らんだ。
身長とか胸とかはさ、そりゃー確かに子供って言われても仕方ないかもしんないけどっ。でも、個人差ってものはどーしたってあるじゃない?
それに一応『あの日』がくるって事は、子供が産める身体になったってことだし。
「年取れば大人?何歳から?でもその日を境に変わるなんてあり得ないじゃない」
外見だけ大人で中身は子供だっていう人だって世の中にはいる。逆に、子供にしか見えないのに変にしっかりしすぎて大人みたいな子も。
『誕生日おめでとう。これで今日から君も大人だ』なんていう人もいたりするらしいけれど、そんなのも何か納得出来ないし。
「お酒だって飲めるわよ。まぁ、体質によってあんたみたいに強い酒パカパカ飲める人や、あたしみたいにそんなに強くない人だっているけどさ」
甘いお酒じゃなく強く辛いお酒が飲めるようになれば大人?
そんなの変。
だって味覚は個人差が大きいもの。大人になったって甘いケーキが大好きな人もお酒が飲めない人も、ピーマン嫌いな奴のように好き嫌いする人だって当然いるんだし。
『大人』と『子供』の明確な境界線なんてどこにもないような気がする。
だけど世間的にはもうあたしぐらいの娘は結婚適齢期。
結婚すれば、結婚できれば『大人』?
――――でも、あたしはまだ『子供』扱いのまま。
世間から見て。
ガウリイから見て。
あたしは『子供』?それとも『大人』?
「確かに難しい質問だよなぁ、それは」
くしゃっと、頭にいつもの感触。とても穏やかな、苦笑を含んだ声。
「・・・・とか言って結局子供扱いしてんじゃない」
拗ねた声を出しながらも、あたしはガウリイの大きな手を振り払わない。
「してるつもりはないんだけどな」
「してるわよ」
「そうやってすぐムキになる所は、ちょっと子供っぽいけどな」
「・・・・やっぱり子供なんじゃない」
「違うって・・・何て言やいいのかな・・・」
ガウリイが出しっ放しだった剣を鞘にしまって不意に立ち上がった。ベッドの枕元から何かを取り出してごそごそやっている。
「リナ。ちょっと目閉じててみ」
「え?何で?」
「いいから」
首を傾げながらあたしは言われた通りに瞳を閉じた。目を閉じていてもガウリイの気配は感じる。さっきのようにあたしの目の前に来て座って・・・
ぴくっと、思わず肩が震えた。
「ちょっ、ガウリイ!?」
「動くなって。まだ目も開けちゃダメ」
顎にかけられた指の感触に、焦って目を開けようとした途端に、ガウリイの手が視界を覆った。
顔が真っ赤になったのがわかる。堅くなった身体が一瞬にして熱くなって、心拍数が上がったのも。
この手を振り払って逃げたい気がするのに、押さえ付けられているわけじゃないのに動けない。
ぎゅっと堅く瞳を閉じると、ガウリイが小さく笑った気配が伝わってきた。
「そう、ちょっとだけそうやって動くなよ?」
あたしの目を覆っていた手を離すと、もう一度くいっと顎をすくわれた。
――――心臓が痛い程バクバク言ってる。
至近距離で見つめられているガウリイの視線が、目を閉じていても伝わってくるから。
――――ビクッ
唇に何かが触れて、思わず身体が跳ねた。
何かをなぞっていく感触。
微かに鼻孔をくすぐる甘い香り。
・ ・・・・・あれ?・・・これって?
ふっと身体の力が抜ける。
ほっとしたのと同時に、ほんのちょっとだけ期待を裏切られたような気分にもなったけれど。
「よし、と。リナ、立てるか?あ、まだ目は開けちゃだめだぞ」
「・・・危ないじゃない」
言いつつも、立ち上がるとガウリイの手が支えてくれた。そのまま身体の向きを変えられて導かれるままに部屋の中を少し歩く。
「いいぞ、リナ。目を開けて」
「はいはい」
楽し気なガウリイの声にそっと目を開く。目の前には予想通り鏡があった。
「鏡の中には誰がいる?」
「・・・・・・あたしがいるわよ」
「鏡の中のリナは、『子供』か?」
「・・・・・ガウリイには、どう見えるの?」
「そうだな・・・『女』に見えるぞ」
掠れた声で問いかけたあたしに、鏡の中のガウリイが微笑みながら、あたしの髪を一房掴んで唇を落とした。
鏡に映っているあたし。
ガウリイにつけられた深紅のルージュ。
戸惑って、顔を赤く染めているあたしは。
・・・・・・『子供』には見えなかった。
「・・・・あたしにはちょっと赤すぎない?」
「そんなことないさ。こういう色もよく似合うよ」
「・・・そっかな」
恥ずかしさを誤魔化そうとして、余計にやられた。
あたしが持っている口紅は、もっと明るい淡いピンクとかで。それもめったにつける事なんてなかった。
ガウリイを女装させる時に使ったりとか、本当にたまにつけるだけ。
あたしにはまだ似合わないと思っていた、深紅の口紅。
だけど・・・・鏡に映っているあたしはまるで別人のように見える程、大人っぽく見えた。
「リナはどうしたいんだ?」
「何が?」
「まだ『子供』でいたいのか?それとも『大人』になりたいのか?」
「・・・・・・・・・わかんない」
正直な思いを告げたら、苦笑された。
いつの間にか、肩に置かれていた手がお腹の前で組まれていて、緩やかに抱き締められていた。戸惑っているあたしを逃がさないかのように。
「女の子はさ、多分。『子供』から『大人』に変わるんじゃなくて、『子供』から『女』に変わっていくんじゃないのか?」
「・・・・そーなのかな?」
「俺も改めて言われると、何をもって『大人』っていうのかはわからんが・・・今のリナは『子供』と『大人』の混ざりあった時期にいるんだよ。咲き始めた花、ってとこだ」
堅く閉じてまだ自分だけの世界や価値観に捕われている蕾ではなく。
艶やかに咲き誇って自分を主張しながらも、広い世間を受け止める大輪の花でもなく。
閉じたり開いたりしながら徐々に変化していく、ためらいがちな咲き始めの花。
その絶妙な美しさを楽しめるのは、とても短い期間でしかなく。だからこそ、その危うさを大事に見つめていたい。
穏やかに笑ってゆっくりとあたしの髪を梳いていく鏡の中のガウリイも、あたしと同じで普段とはちょっと違って見えた。
「・・・男の子は『男』になるの?」
「う〜ん・・・男はさ、大人になってもいつまでも子供っぽいとこが残ってるからな。だけどそうだな・・・守りたいものが出来てそれを自分の力で守れるようになった時、その時男は『大人』になるのかもな」
「ガウリイは・・・『大人』?」
「ああ。リナがいるからな。まぁ、お前はおとなしく守らせてなんてくれないけど」
「・・・・悪かったわね。でも、これでも頼りにはしてるのよ」
「わかってるけどさ、俺としてはもうちょっと寄り掛かってくれると嬉しいんだけどな」
笑顔は変わらないのに、瞳の色と声が深くなって、あたしを抱きしめている腕に力がこもったのがわかった。
ドキっとしたけれど、何だか不思議と心地いい。
顔を赤くしたまま鏡の中のあたしが、ふわっと幸せそうに笑った。
無理に背伸びする必要はなかったんだ。
『大人』になりたいんじゃなくて、『大人』にいつしかなっていく。
今はまだ、見えそうで見えない境界線を行ったり来たりしていいんだ。
あたしはガウリイに追い付きたいと思っていたけれど、ガウリイはあたしの変化をちゃんと見守っててくれているから。
そう思ったら、身体からふうっと力が抜けて、ガウリイの広い胸にトンっと背中をもたれさせる事が出来た。
鏡の中のガウリイが一瞬驚いた顔をして、すぐにあたしと同じように幸せそうに笑った。
「ところでさ、何で口紅なんてガウリイが持ってるの?」
しばらくしてから不思議に思っていた事を口にした。
・・・・・まさか、女装が趣味になったとか言わないでしょうね・・・・
「ん?ああ、これ」
疑わし気な瞳で見上げると、ガウリイが苦笑しながらポケットから口紅を取り出した。
「そう言えば昔、『誕生日が来て嬉しいと思う内は子供。これ以上年を取りたくないと思ったら大人』って誰かが言ってたけど?」
「えっ!?ガウリイ・・・?」
「リナはどっちだ?」
「うっ・・えっと・・・」
「だからいきなり『大人』と『子供』の境界なんて気にしだしたんだろう?」
「うそ、ガウリイなのに」
「あのなぁ・・・いくら俺でもリナに関する事は忘れないって」
苦笑しながらその口紅に軽く唇を当てて、あたしに手渡した。
「誕生日おめでとう」
「・・・あ、ありがと」
耳もとで囁かれたお祝の言葉に、あたしは口紅を握りしめて、小さな声で囁き返した。
年を重ねるだけで『大人』になれるとは思えなかったけれど、それでも祝福されると嬉しい。
「誕生日が嬉しいって事は、まだ子供かな?リナちゃん?」
「バカ。いい男っていうのは、女の子の誕生日だけ覚えてて年は忘れていくものよ」
「欲張りだなぁ、女って」
「女の子は何歳になってもわがままなの」
身体を捻って正面から視線を合わせると、同時にぷっと吹き出した。
悩んで損した。
まさかあたしに口紅をくれるなんて、思いもしなかったもの。
少しはガウリイに追いつけたって、思っていいのよね?
「やっぱり口紅は失敗したかなぁ」
「・・・何でよ」
「こんなに色っぽく化けるなんて思わなかった」
「ふーんだ」
「俺の前以外ではつけるなよ?」
「何でよ?」
「・・・奪われたら困る」
「何を・・・んっ!?」
不意打ちのように、唇を奪われた。
一瞬目を見開いてしまったけれど、すぐに瞳を閉じて初めてのキスを受け入れる。
軽く触れただけですぐに唇が離れたけれど、あたしの抵抗がないのを知って、再びゆっくりと触れてきた。
探るようなキスは、すぐにお互いの心の底に触れるかのように深くなっていく。
真っ白になっていく意識の中で、『女』になっていくってこういう事なんだな、と満足して納得したあたしがいた――――
◇◇◇◇◇
「・・・リナの唇は俺だけのもんだからな」
「・・・・・・・・わがまま」
唇が離れた時には力が抜けきっていたあたしの身体を支えながら、ガウリイがちょっと意地悪気な笑みを浮かべて囁いてくる。
潤んでしまった瞳で睨み付けるけれど、効果なんてまったくないだろう。
「くらげのくせに確信犯よね、あんたってば」
「そりゃ、今まで我慢してたからな・・・知ってるか?男が女に口紅を渡す意 味?」
「・・・・・こういう事でしょ?」
ふうっと小さくため息をつくと、あたしは再び唇を寄せて瞳を閉じた。
――――心も身体もあたしが『大人』になるのは、時間の問題かもしれない。
|