Dear My・・・

(4)


 もしも、もっと力があったら。
 こんな事にはならなかったのに。

 彼は事件が終わったあと、始終その二言だけを呟いていた。
 自分の弱さを嘆き、絶望だけを只、瞳に宿して。

 護衛の依頼が一段落すると、あたし達は休む間もなく次の街へと出発した。
 流石にあれ以上、あの街に留まることはできなかったから。

 隣の街まであと3分の1を切った頃。
 今までは雑木並木が続いていたのだけれど、何故かそこだけはすらっと切り開かれていて。
 …息を飲むほどの景色ってのは、こういうのを指すのかな?
 なだらかな丘を手前に、その向こう側には…樹海と山の尾根とがどこまでも、どこまでも続いていて、ドラゴンが宙を舞っているかのようなその雄大な光景は、人間なんか軽く飲み込んでしまいそうなほどだった。

 あまりの見晴らしの良さにすっかり釘付けされたあたし達は、にべもなくここで休憩をとることにした。
 旨いことに丘のてっぺんには大きな樫の木があり、旅人たちに手頃な木陰を提供してくれているのだ。

 マントやショルダー・ガードを適当にはずし、木陰で一時のブレイクを楽しむあたし達。

 「……もしも。自分に力があったら、かぁ。」
 「………さっきのおっさんの事か?」
 後味の残る事件に、沈みがちなあたしに、ガウリイは水筒から熱々の紅茶を入れてくれる。
 「やだ、声に出てた?」
 「ああ。」
 「…あの人はこれからずっと、ああやって悔やみ続けていくのかしらね。」
 受け取ったカップを、照れ隠しも含めて半分顔を隠すように抱え持つ。
 鼻腔をくすぐるお茶の香りを楽しみながら、あたしは街を出てからずっと引っかかってた事を口にする。
 「どうかな。」
 「あの時、あの人が思うだけの力があれば、事件は本当に起こらなかったのかしら。」
 「そんなことはないんじゃないか?程度はどうであれ、いつかは必ず起こっていたと思うぞ。」
 だからお前さんが気にすることはない、と、ガウリイは言う。
 でも、あたしがあの街に入った事が事件の契機になったのも、また事実なのである。
 あの街に立ち寄らなければ良かったと、後悔するつもりは微塵もないけど…。
 ………ホント、後味が悪い。
 「大きな力は更なる力を引きつける。…人の欲望に果て、なんて無いのかもしんないわね。」
 無限の力、永遠の時。
 人は、命に限りがあるゆえに力を求め、時間すらも従えようとする。
 「自分が望むだけの力を身につけるって、どんな気持ちなのかしら。」
 「…リナも、そんな力が欲しいのか?」
 「う、うん…。」
 さも意外そうに聞いてきたガウリイに、語尾を濁す。
 「どっちなんだよ?」
 「ううん。あたしは絶対、そんな事は言わない。」
 「…だろうな。」
 「精一杯生きてるもの、あたしは。いつだって…できる限りの事はしてきたつもりだもの!」
 言い聞かせたかったのかも知れない、自分に。
 彼に突っ掛かるのはお門違いというのは判ってるけど。ただ、黙って聞いてくれるガウリイに…あたしはつっかかってるもの、すべてをぶちまけた。
 「第一、 いちいち昔のこと振り返ってたらキリが無いじゃない!どんなに悔やんだって過去を変えることはできないんだし…。」
 言って…浮かんでくるかつての事件を思いながら、空になったカップを両手で遊ぶ。
 「あたしは。…うしろばかりを見て、今を見失いたくはない。」
 「ああ、そうだよな。」
 そのまま俯いたあたしの手をカップごと取って支え、お代わりを入れてくれるガウリイ。
 再び暖かい湯気が顔を覆う。
 「…オレも後悔しないように、全力でお前さんを守らんとな。」
 あたしの頭よりもちょい上で、同じく樫の木に背を預けて座り直した彼が呟く。
 何ともこう、返答に困ることを言うのだろう、こいつは。
 …お気楽な気持ちで言っただけかも知れないのだけれど。こういう言葉を聞き慣れないあたしは、どうも上手く交わせない。

 「ねえねぇ。……鳥の言葉が判ったら良いと思わない?」
 何となく流れるしんみりとした空気に耐えかねて、あたしは唐突に話題を振る。
 「あたし達とは違う視界でさ、色んな所に行っててさ、…もしも話ができたら面白いと思うのよ。」
 頭上を丁度、雁の群が通り過ぎていく。
 どこから来たのか、どこへ向かうのか。
 ただ、今、頭上を通っただけの彼らだけど。彼らの視界には一体何があるのか、出来るものなら聞いてみたい。
 「……そうだなぁ、」
 お茶をすすり、ガウリイも話に乗ってくる。
 「オレは魔法が使えんからなぁ。自由に空を飛ぶ気分ってのを聞きたいな。」
 「動物の言葉って、奥が深そうよね。あたし達にはキィキィってしか聞こえなくても、ちゃんと意味があって、彼らの中ではそれで通じるんだから。」
 「…なんだ。リナは動物と友達になりたいのか?」
 「そうじゃなくて!彼ら独自の言葉で、呪文を唱えてるんじゃないかって言ってんの!
 例えば、……そうね。鳥が空を飛ぶのは、彼らが独自の言葉で風を操る術を唱えてるのだとしたら?」
 「………………どうなんだ?」
 少し考える素振りを見せ、しかしいつものすっとぼけた返事に、怒鳴る気力もないあたしは呆れ顔で説明する。
 「クラゲが空を自由に泳ぐ日が来るかもしれないって事よ。」
 机上の空論にしかすぎないけど。もしも鳥も何ら術を使っていて、それを体系化することが出来たなら…ただの歴史的発見じゃすまされない。きっと世界が覆されるだろう。
 今でも獣使いなんかは精神面でそれを乗り越えてるけど、あたしはそんなんじゃなくて誰でも使える実用的なものがいい。
 …理論が確立した暁には、そう。
 先ずは王家や研究所に高値で売る。協会に報告なんぞ、間違ってもやらない。
 ……もちろん重要な原理の一部は削っとくってのはお約束。
 んでもって、皆に広まった頃合を見計らって魔道士協会でも通して発表すれば……あたしは苦労せずに大金をゲッッット!!!
 これぞ魔道の極み!乙女の夢!!

 そんな理論が出回れば、魔力許容量が極端に小さい人や魔道の心得のない、そう、ガウリイにだって2、3の言葉で風を従わせることも風の結界を使わせることも可能になる。

 目の前のガウリイを見る。自分が飛んでる姿でも想像してるのか、やたらとニコニコしている。
 「じゃあいつか人間も、渡り鳥みたいに群になって空を飛ぶ日が来るのか?」
 「そうよ。」
 「なんか……すごそうだな……。」
 確かに、うん十人って人間が列を作って大空を闊歩してるのって、ある意味壮観よね。
 例えばそれがむさいおっさんの豪壮な集団とか、高笑いしながら飛ぶどっかの悪役の格好をした女魔道士の群だったりしたら、公害以外のなんでもない。
 そんなモンが飛び交う世界なんて、いやだぁぁっ!!
 (実用化はやっぱ、ムリかなぁ?)

 ………、でもさ………。
 まだあたしが魔道士協会に通ってる頃、郷里の獣使いから聞いた話を思い出す。
 なんでも、空高く羽ばたくことで求愛を表す鳥がいるんだとか。
 なんか芝居じみてるけど、すっごくロマンチックで、すごく難しい表現だと思わない?
 だって、もしもあたしが相手に気持ちを伝えるんだったら、世界の果てまで飛んでったって足りやしないんだもの。
 ……もっともこれも、もしもそんな場面が来たら、の話なんだけどね。
 「もしもお前さんが群の頭になったら、さぞかし大変だろうな?」
 そんな、柄でもないことを考えていると、隣からふいに含み笑いが聞こえてくる。
 「どう言う意味よ?」
 さっきのガウリイとおんなじ言葉で返す。
 「鳥の群って一匹のリーダーが絶対だろ?餌場を選ぶのも、降り立つ場所を決めるのも。」
 「だから……?」
 「リナが先頭で飛んでたら、あちこちが一気に賑やかになってって、…うわって、よせ!!」
 失言に気がつかないガウリイに当然の制裁を加えるべく、右手に魔力を集めるあたしだったけれど、…遠くの空から風が運んできた鳥の鳴き声に、呪文を中断する。
 彼らは今、何を話してるんだろう?……そんなことを考えたからだ。
 先程通り過ぎた群を、瞼の中にもう一度浮かべる。

 「……なぁ、離れてみると鳥の群ってさ、何かの形をなぞってるように見えないか?」
 ガウリイってば時々、あたしが考えつかないような事をポロッと言う。…案外ロマンチストなのかもしれない。
 「…そうねぇ、さし当たってあれは…?」
 「矢印かな。」
 鳥の群を指さしながらガウリイが応える。
 (そうね…。)
 彼らが進む先を指してるのよ、きっと。
 「子供の時ってさ、こうやって遠くに消えてく鳥とか、流れる雲とか、よく見たもんよね。」
 「そうだな。小さい時は鳥になれたらいいなって、思ってたっけ。」
 遠い目でどこかを見つめるガウリイ。あたしも瞼を閉じて、幼い頃に見た景色を思い浮かべる。
 「どこまでどこまでも、世界の果てまで飛んで行くんだって。そんなこと考えてたな……。」
 「そう、ね……。」
 郷里にいるときはその中を余すとこなく駆け回ってたけど、空を見上げては世界の広さを思ってた。
 あ、…なんだ。今もあんまし変わんないね、あたし達。

 それから暫くぼーっとして、…カップの中身が再び空に近づいた頃、前から気になっていたことを聞いてみる。
 「……ねぇ、ガウリイ?」
 珍しく素直な気持ちになれたのは…きっとそれは眼下の景色と、温かい紅茶のお陰だろう。
 「んー?」
 「ねえ…もしもよ?直ぐに…そう、例えば次の街とかであんたの剣が見つかったら…、あんたはどうするの?」
 「どうするって、…どうするんだ?」
 ウットリするほどのどかな雰囲気は、熱つぅいお茶に脳味噌まで溶かし込んでしまったガウリイの一言に、ものの見事に壊される。
 (っ、たぁく、)
 「このっクラゲ!!」
 あたしはガバッと立て膝でガウリイに向き合って立ち、…相手は長座だってのに、大して高低差のないガウリイの頭を見下ろす。
 「……あんたの事だから忘れてるとは思ってたけどね…。『剣が見つかるまで』は一緒に旅をするって言ったでしょ!?」
 「………。…リナは…、どうしたいんだ?」
 「へっ?」
 最後まで勢い良く疑問を投げたものの、まじめ顔のガウリイに逆に訊ねられ…あたしは言葉を失った。
 ……そういえば考えたことなかったかも。
 「……、えっと……?」
 (あたしは…どうしたいんだろ?)
 「………、なぁ、オレと旅をするのは嫌か?」
 急な事に応えをつまらせるあたしを見て、ガウリイは応えやすい質問に変えてくれる。
 「そんなことはないよ。」
 今さら何を聞くんだこいつは。
 嫌いな奴と何年も旅を続けるなんて殊勝な趣味、持ち合わせてはいない。
 「まぁ、お前さんに付き合えるのはオレくらいなんだからさ、もっと重宝しろよ?」
 さっきまでの真摯な空気はどこへやら。
 今の返答のどこに納得したんだか、ガウリイは一人満足気に頷き。そしていつもの、のほほんとした顔に戻ると、あたしの手を引いて彼のすぐ隣へと導く。
 あたしは反発する理由もなく、そのままガウリイに並んで腰を下ろすが、…ガウリイが黙ってしまったために会話が途切れてしまった。

 樫の木陰に沈黙のベールが降りる。
 でも、不快な気分は起こらない。むしろ頬を撫でる風や木漏れ日は、日溜まりの中、縁側で昼寝をしてるみたいに心地良い。

 そんな中、暫くは丘を駈ける風に揺られる景色に目を向けていたけれど。優しい景色に後押しされたあたしは、思い切って、今一番気になってる事を訊ねることにした。
 「…ねぇ、がうりい。…あんたはさ、いつまであたしの保護者でいるつもり、なの?」
 「そうだなぁ、」
 内心ドキドキして答えを待つあたしに対し、変わらずのほほんと応えるガウリイ。
 「……一生か?」
 「一生って、あんた!」
 (“一生”って言葉がどんな意味なのか、判って言ってるの??)
 体温が一気に上昇し、あたしは顔を真っ赤に染め上げる。しかし、
 「リナの無鉄砲さは一生治らないだろうからな。隣で見てるのも一生か?」
 「おのれは一生、子供扱いするつもりかい!」
 勢い半分、照れ半分。なるべく恨みがましい顔を作ってバシィっと怒鳴りつける。
 でも、その後どういう顔をしたらいいか判らなくなり、結局あたしはそっぽを向く。
 ガウリイは、何を考えたのか…今の自分の言葉に苦笑を浮かべている。
 あたしの気持ちを乱すだけかき乱しておいて、言った本人は変わらず飄々としていて。
 こういったところが大人の余裕、なのだろうか?こういった部分って、あたしには……ない。
 ほんとは…どういう意味なのか訊ねたい。でも……。
 タイミングを外したあたしは、じっと黙って動悸を抑えることしか出来なかった。

 「………、リナが…さ、……。」
 非常に小さい、単なる呟きだったのだろうけれど、しかし後ろから自分の名前が聞こえたあたしは、ギュッとつぶっていた瞼を少しだけ開く。
 「……いつまでも側にいたいって事だよ。リナと居たいんだ。」
 声が近くなった。…ガウリイがこっちを向いたんだ。
 (…今のって、どう取ったらいいんだろう?)
 血圧が上昇し、頭の中が再び真っ白になってしまったあたしは、……ふいにこの雰囲気を壊したくなった。
 今のうちにとめないと、感情だけが先走って…あたしはきっと、とんでもないことを言ってしまう。そう思ったからだ。
 内心の高揚を抑え、いつものあたしらしく受け応える。…ちょびぃっと失敗しちゃったかもしれないけど。
 「あ、あたしは誰かに守ってもらわなきゃいけないほど、弱くなんかないわよ?」
 「知ってるよ。だから、…そんなリナだから、側にいたら楽しいと思うんだ。」
 「あたしゃ、あんたのおもちゃ箱かい!?」
 「うーん。どちらかって言うとびっくり箱じゃないか?」
 「どっちも変わんないわよ!」
 言った勢いついでに振り返る。
 「リナの生き方はすごいよ。だから、それを見ているのが好きなんだ。」
 その先にあったのは…、どこまでも優しいガウリイの瞳で。
 さっきまでの混乱していた自分も、それを頑なに否定しようっていう自分も。モヤモヤしてたのと一緒にスゥッと消えていき、自然といつもの自分が戻ってくる。
 「側で居るだけでこっちも新しい何かを見つけられる、そんなリナを、リナの生き様を見守っていきたい。
 って、勝手に人生の目標にされても困るか。…悪い。」
 「別に…嫌じゃないわよ。でも、わざわざあたしに関わろうなんて、あんたって本当、物好きね。」
 自分で言うのも何だけど、平穏無事な人生送ってるつもりはないもの。
 短くとも太くがっしりと生きてみせる!…これがあたしのモットーなのである。
 「……でも、まあ?付き合うって言うんなら、どこまでも追っかけて来なさいよね!」
 「あぁ、望むところさ。」
 大きく頷くガウリイを見て、あたしは胸のあたりが温かくなるのを感じた。
 (えへへ。ちょっと、嬉しいかも。)
 「手始めに、…そうねぇ。そろそろ盗賊いぢめに行こうかなぁっと思ってるんだけど…。」
 「駄目だ。」
 「見守るって言ったじゃんかよぉ。」
 即座に否定するガウリイにじぃーっと眼で訴えるが…軽く受け流されてしまう。あぅぅ!!
 「それとこれとは話が別。」
 「嘘付きぃぃ。」
 お得意のブリッコ泣き真似も、ガウリイには通用しない。
 「うそって……お前さんな…。…何でまたそんな、盗賊いぢめにこだわるんだ?」
 「合法的にストレス発散。兼、明るい将来設計のための資金稼ぎ。」
 「……ったく。もしもこの世界に盗賊って職業がなかったら、どうなってたんだろうな。」
 即答したあたしに呆れ顔を見せつつ、先程あたしが創った『もしも』の世界に興味を感じたのか、話題がそちらへ流れていく。
 「そんな世界、ぜえったいイヤよ。ストレス発散の相手が居ないのって、疲れんだから!
 …ほらぁ、あたしってデリケイトでしょう?」
 「……まぁ。お前さんがストレスため込むのは、確かに危険だな。」
 どういう意味じゃ、そりゃ!
 リナちゃん愛用スリッパでその意図を聞き出そうとしたところで、向けられたガウリイの笑顔に止められる。
 「……それに、お前さんとも出会えなかったしな。」
 思いの他優しいそれに、振り上げられた腕はそのままゆるゆると戻っていく。
 クラゲ頭がよくそんな昔のこと覚えてたわね。
 (そっか……。)
 色んな事が脳裏を横切り、軽くため息をつく。
 もう4年になるんだね…アトラスに続く山道でガウリイと出会ってから。
 「そうそう、コナかけようとしてたのよね、あんた。」
 「そうだっけ?」
 「クラゲ。もし世界が明日水の中に沈んだとしても、あんたなら平気ね。何たって身体の主成分(主に脳が)クラゲだもの。」
 「お前なぁ…。流石にそれはひどいと思うぞ?」
 じとーっと睨まれあわてて話題を転換。
 「ねぇねぇ…もしもよ?魔法が存在しない世界があったら、面白いと思わない?」
 「今でも魔法が使えんからな。オレはあまり変わらんぞ。」
 「それもそうね。…でも、もしそんな世界に生まれてたら、あたしはどうしてるんだろう?」
 ガウリイと出会ったあの道へと続く空を見上げて、あたしも空想の世界を楽しむ。
 「お前さんはお前さんだよ。魔法が無くったって自分を守る力を身につけて、世界中をぐるぐる回っていると思うぜ。」
 「そうね。」
 それがきっとあたしらしい。
 「ね、もしもよ?あたしが本格的に剣士として修行したら、あんたをかるーくのしちゃうくらいに強かったりしてね!」
 いっくらあたしの本業が魔道士だからって、いつまでも一本も取れないってのは、なかなか悔しいものがあるのよね。
 「なぁ。もし…」
 「もしもの話はもう止めにしましょ。そろそろ出発しないと、今日、野宿よ!」

 どれだけ話し込んでいたのやら。陽は木陰に入った時よりもだいぶ移動している。
 のどかな空気に未練を残しながらも立とうとしたあたしは、しかし腕を捕まれ元の位置に戻される。
 何事かと振り向いたあたしが見たのは…ガウリイの、真摯な瞳で。…そのあまりの真剣さにあたしは動けなくなってしまった。
 そんなあたしを見て苦笑を漏らしたガウリイは、ゆっくりと、まばたきを一つ。再び開いた目はいつものあの、暖かい太陽の色。
 「……ガウ……?」
 その瞳の意味を聞く前に、彼から訊ねてきた。
 「なぁ、…リナ。…もしも、…オレが“好きだ”って言ったら、どうする?」
 「えっ?」

 不意に一陣の旋風が巻起こり、辺りを駆け抜ける。
 木々はそよぎ木漏れ日の形を変え、若葉の隙間からすっと差し込んだ太陽があたし達を包み込み…、ガウリイの微笑みを優しく照らし出す。
 あたしは不覚にも、動けなくなってしまった。
 ガウリイの視線に絡みとられて。
 顔が赤くなってしまったのは…、太陽の暖かさのせい、だけじゃなかった…。

 ……………。
 ……………。
 ……………。
 (……………。なぁんて事もあったわね。)
 あたしは現実逃避に走っていた自分を笑い、『よっ』というかけ声と共に身を起こす。

 今まであたしは、地表に近い太陽がさんさんと降り注ぐ河原に、大の字になって寝そべっていた。
 (あぁっと、勘違いしないでね?バカンスの類じゃないんだから!)
 その証拠に、ほら見てよ。
 あたしは隣で天日干ししていたローブを手に取り、乾き具合を確かめて身につける。
 今の格好は、よく術者が好んで着るホーリーコートを上下に分割して、更に動きやすいように肩からちょん切ったベスト風の上着と。それからコートの下半分を仕立て直した半ズボンと、余った生地で作った巻きを仕込み針でとめている。
 腕と両足に覗いているのは、毎度お馴染みボディースーツ。
 全体に金糸の刺繍で描かれた絵文字のような呪符は、アクセントになると同時に防御力を高めてくれている。……もちろん全部あたしのお手製である。
 動き安さを重視した服装と腰に差した細身の剣が“いかにも剣士”という雰囲気を醸し出している。
 (えっ、何でこんな格好してるかって?)
 説明するのもめんどいからはしょるけど…まぁ、色々あってね。今、あたしは初級魔道士レベルの魔法しか使えないのよ。理由は追々説明するとして、とにかく今は剣士としての修行の真っ最中なの。
 それがどおして河原でなんか寝そべっているのか、っていうと…。
 他でもない剣のお師匠様・姉ちゃんの提案で、手足を縛られた状態で重りをくくりつけられ、急流逆巻く大河に蹴落とされたからに他ならない。
 “剣士たるもの、常に冷静さを欠いてはならない”どんな状況に陥っても落ち着いて対処しなくてはならないって、事らしいけど……、
 「ふつうここまでやる!?」
 思わず口からグチがこぼれるのは仕方ないでしょ?姉ちゃんに面と向かってはとても言えないけどさ、河の中で三途の川を見たわよ!
 山間部を縫うように流れる川の水は“飲むんだったら最高!”てな感じによく冷えていて。とどのつまり、キンキンに冷えた天然水は、あたしから体力をとことん奪っていったのよ。
 しかも、川底を流されたのはほんの数秒で…気が付いた時には滝壺を下っていたんだから冗談じゃない。
 浮力に任せて浮き上がることもままならなくて、酸素が無くなる寸前…魔力を解放し手足の戒めをぶち切って、まさに死に物狂いで川岸まで上がって来たんだけど。
 もし滝壺に落ちたとき何かに頭ぶっけたりして意識を失いでもしたら、どうなってたんだろう?
 …………。
 (あはは…………。まぢで洒落になんないね。)
 まぁ、そんな経過があったわけで。河原に寝ころんで体力回復に勤しむと供に、服を乾かしていたのである。

 あたしは強くならなければいけない…生きるために。
 だからこそ、選んだのだ。
 この方法を。

 今までもあたしは一流の剣士にして天才魔道士を自称していた。客観的に見てもそうだったと思う。
 だけど、高位の魔法を使えなくなった、今。剣技において一流程度の腕前ではいけないのだ。
 最大魔力が著しく低下したあたしは、魔力を内で高めることはできても、それを外に解放する術がない。黒魔術なんてもってのほかで、精霊魔法もやってファイアー・ボールが限界だ。
 ま、全く使えなくなることを覚悟していたんだけどね。
 あの存在に近づく程、気まぐれ起こすのが好きらしい。そこん所は不幸中の幸いとでも言っていい。

 強くなろう。一流の中の一流に。
 そう、……あいつのような剣士に。

 強さって言っても色々あってね、普通は『心技体』これら三つの要素がバランス良く高められることによって上がっていくものなの。
 あたしは剣士としては思いっきり小柄の部類に属するだろうから、人並みの体力を期待するのはこの際無理だときっぱし諦める。
 体格なんかの下地の部分を無視して強くなろうとしたって、却って体を壊すだけだけだし。
 でも、魔道士であった分の強みもある。例えば魔術を行使するのに培われてきた集中力は剣を振るう時にも有効だし、補助呪文とかへの抵抗力も高い。術士系の攻撃パターンに精通してる事なんかも、体力面での弱みを補うだけのものが充分にある。

 残る要素は『技』……即ち、素早さ、柔軟性、そして技のキレ。これを如何に高められるかが、剣士としてのあたしに課された課題なのだ。
 有り難いことに、身近に見本とすべき屈強の戦士があたしにはいる。姉ちゃん…ルナ=インバースは、戦士として最高の部類に属している。
 故郷に帰って真っ先に彼女に稽古を願い出たとき、思わず苦笑してしまった。
 数年前故郷を飛び出した時には、よもや彼女に再び稽古を付けてもらうなんて、思いもしなかったから。
 予想通り彼女の修行は半端じゃなく、気を抜けば3秒も保たずに死んでしまうであろう事が何度もあった。
 その筆頭が集中力を高めるための、目隠ししての一本糸渡り。
 一本“橋”なんぞ、生やさしいモノではない。一本の絹糸を渓谷の両岸に繋ぎ、その上を渡れという課題だったのだ。
 冷気系の魔法で足場を創り出せってやつなんだけど、デモナ・クリスタル辺りを使えれば一発なんだけどね。もちろん、そんなものは使えない。
 試行錯誤の末、何とか足下だけに魔力を局地的に開放し、足がつく周りだけに氷板を発生させて、一歩一歩進むことで氷の橋を完成させたのである。
 …とは言っても、流石のあたしでも最初っから成功したわけでなくて。何度か、谷底にダイブしたっけ…。
 人間死ぬ気になれば何でも出来るもので、その時ついでに体の一部に魔力を込めて大地を弾く、飛翔の術を編み出したのだけれどね。
 他にもね…。
 素早さを身につけるため、体中に油を刷り込まれた状態で火の中に投げ込まれたり。
 瞬時の動きに対応できる目を作るため、急流に流れる米粒を拾わされたり。
 (……一粒でも零せば夕飯は抜きだったというのは言うまでもない。)
 等々。思い出すだけでもゲッソリとしてしまうようなメニューの数々であった。

 だけど。以前、花嫁修業と称して無理矢理鍛えられていた時とは、何もかもが違った。
 技量も、心持ちも。
 これは受け身じゃない。…あたしが望んだことなのだから。

 何回目かの死線を見たときは流石に、ちょびぃっと後悔したけど。

 そして。
 しばらく姉ちゃんに修行を付き合ってもらって、取り敢えず剣の腕だけで世を渡っていく自信がついた頃。
 あたしは再び故郷を出る準備を始めた。

 あたしは…死んだりなんかしない。負けたら元の木阿弥だ。
 必ず、勝つ。

 ………………。
 これからやろうとしていることの大きさに、思わずプレッシャーを感じるけど…。
 あたしの選択を……後悔はしない。

 荷物を背負い、いざドアの前に佇む。

 只の木製ドアのくせに。やたら存在感が大きく、重たく見える。
 ふるふるふる
 頭の中を切り替える為、2・3度首を振る。
 (行こう、けじめをつけるために。)
 …姉ちゃん、見送りに来てくれてもいいのになぁ。
 隣の彼女の部屋には、彼女の気配は微塵もない。
 来たら来たで何か言われそうで怖いけど。やっぱり、お礼の一つくらい言いたかった。

 改めて部屋を出ようと扉に手を掛ける。…世界へと続く最初の扉。
 これの内側にいれば、安全なんだろうけど…。
 (すぅーーー。)
 あたしは深呼吸をして気合いを込め、世界を区別している扉を押し開き…。
 …………!?
 崇高な雰囲気を味わっていたあたしが見たものは…お勝手を背にリビングに佇む、ウェイトレス姿の姉ちゃんに他ならなかった。
 あ、あの?…何か、怒っているように見えるんですけど??
 「何ぐずぐずしてるのよ。私を遅刻させたいの?」
 ぶんぶんぶん
 激しく首をふるう。
 (何かこわひ…。)
 待っててなんて一言も言ってないのに。
 これって、もうトラウマよね。反射的に身を縮込ませるあたしを妙におかしく思う。
 そんな恐怖に身をすくませるあたしとは対照的に、落ち着いた声で姉ちゃんは聞いてきた。
 あたしの決意を。
 「……行くのね?」
 「うん。」
 あたしもまっすぐ見つめ返す。
 「特訓も、もう、終わりね。…まだまだ足りない気がするけど、まぁ、仕方がないわ。」
 あたしが姉ちゃんに稽古を求め、この扉をくぐった日の事を思い出してるのかな?
 えらく遠い目をしていた姉ちゃんだが、ふいに思い出したように付け加える。
 「ねぇ、リナ。……貴女、これ覚えてる?」
 姉ちゃんが差し出したのは、純粋無色の細身の剣だった。 翼の形のつばが、やけに印象的である。
 (これって…?)
 確かに見たことがあるその造型を求め、記憶を遡らせる。
 (そうそう、これは確かあたしが旅に出る前…)
 魔族に唆されたどこぞのアホな王様がこの地に乗り込んできた時、ミもフタもない圧倒的な力でそれを追い返した姉ちゃんが、慰謝料代わりにぶん捕ったモノである。
 王様が間抜けな割にその国には様々な魔法の武具が収められていて、これは、城の宝物庫の一番奥に仕舞われていた、由緒正しきモノなのである。
 何か、えらい曰くがついてた気がするけど、…何だったっけ?
 この刀身全体に纏つくオーラといい、只の剣じゃないってのは確かなんだけど。
 「…………。」
 無言のまま、あたしはまるで吸い寄せられたかのように手を伸ばし、姉ちゃんからその剣を取り、刀身全体をまじまじと見る。
 深く考えずに何気なく鞘から抜き、そのまま鏡のように輝く刃の腹を指先で撫でる。

 チクッと切れ味の良い刃が、触れただけのあたしの親指を軽く切りつけ、つつっと溢れてた赤玉が刀身に伝わる。
 慌てて手を引っ込め、こびり付いた血を拭おうとした、その瞬間。剣は、眩いばかりの光を放ち始めた。
 「あぁぁぁぁっっっ!?」
 思わず大声を上げるあたし。
 (お、思い出した!!これ…。)
 あたしがその剣の呼び名を思い出した時には、既に剣は白銀の煌めきへと変化を遂げていた。
 「……エルメキア・ブレード……。」
 契約を交わすことによりその真価を表す、伝説の剣。
 ぱっと見は普通の鋼のレイピアなんだけど、一度契約を交わす事で剣は持ち主の精神力を反映し、思うが侭に精神波を出すようになる。
 アレンジの仕方によってはその衝撃波に属性を付加し、魔法みたく使い分けることも可能である。
 「そうよ。」
 「『そうよ』って、姉ちゃん!」
 この魔法剣を使いこなすのに必要なのは、最大魔力ではなくて、最大許容量。
 天才魔道士とまで言われたあたしなら、使いこなすなんぞ、訳がない。
 いいや、最大魔力が激減してしまった今のあたしには、これ以上の剣などないとも言える。
 ……もしかして、これを…あたしに?
 「姉ちゃん……」
 あたしは柄にもなく感激し、瞳を潤ませ彼女に向かって駆け出し……
 「貴女に『あげる』なんて、一言も言ってないわよ。」
 ずべごきぃぃいいい!!!!!
 頭っから床に突っ込んでしまった。……いたひ……。
 (ここまで感動させるようなことを用意しておいて、見せびらかせるだけ!?)
 立ち上がりながら内心で激しくツッコミを入れるが………。
 ……でも、これって、確か…。
 「っで、でも……。」
 「そうよねぇ、リナちゃん。貴女、“私の物”と勝手に契約交わしてくれちゃったわよね。
 ……どういうつもりなのかしら?」
 その表情の意味するところに気がつかない人ならば、十中八九一目惚れしてしまいそうな、観音様のような微笑でにっこりと笑ってあたしを覗き込んでくる姉ちゃん。
 しかしその裏側にあるものを誰よりも知ってるあたしは、ひたすら怯えるしかない。
 「一度契約を交わしたら向こう百年は他者を近づけないのよね。
 リナが契約しちゃったから、私はそれ、使えなくなっちゃった訳よねぇ?」
 走馬燈のように次々と浮かんでくるのは地獄絵図よろしくな折檻の数々。
 (お、おしおきはやめてぇーーー。プリーズぅぅぅぅ!!)
 「だ、だって、姉ちゃん。あたしの方に向けてたし…、あたしが受け取ってもなんにも言わなかったし。…あ、あたしはてっきり……。」
 見上げると、先程と変わらない表情でこちらを向いてる姉ちゃんが見える。
 「私の所為だと言いたい訳?…自分が忘れていた事を棚に上げて??」
 「……いえ。すみませんでした。わるいのは、あたしです。」
 これから行われるだろうお仕置きの数々を思い、あたしは“蒼白”と言うに相応しい顔色を浮かべる。
 「何に怯えているんだか知らないけど。…今回、お仕置きは無しよ。」
 「へっ?」
 あまりにあっさり言われたので、思わずお間抜けな声をあげてしまう。
 「本当!?」
 「…あら。特訓を続けたいってのなら、私はそれでも全然構わないけど?」
 「いえっ滅相もございません!!謹んで、遠慮致します!!!」
 いい加減、出発しなければなんないし。これ以上姉ちゃんのしごきには、正直体が耐えられない。
 ……でも姉ちゃんのことだ、タダですむはずは無い。
 「ただし、」
 ほらね。
 「その代わり、神封じの結界を壊してきなさい。」
 ………………………………………。
 しばし思考が停止する。
 (はいっっっっっ??????)
 冗談だと信じたく、一抹の望みを託して姉ちゃんの方を見…その表情から姉が決して冗談で言ったのではないと、かえって実感させられる。
 「あんた、また何かしでかしてくれたみたいね。この間龍神と話してたらあんたの話が出てきてね……って、リナ、聞いてるの?」
 「っう、うん。」
 反射的に返事をし、あたしは姉ちゃんの顔をまじまじと見つめ返してしまうが、
 「本当は……、だけど………………、……………。」
 やっぱりその内容はあたしの耳には入ってこない。
 突きつけられた事実に頭の中でごぉぉぉんと鐘が鳴らされている。
 はっきし言ってあたしは、気を失わずにいるので精一杯だった。
 「…………って事だけど、判ったかしら、リナ?………リナ、返事は?」
 冷ややかに言う姉ちゃんに対し、あたしは別の意味で全身が冷えているのを実感する。
 「………はひ。やらせて頂きます。」
 今更何言っても姉ちゃんは聞かないだろう。その事はあたしが一番よぉーく知っている!
 もしもここで頷かなかったら、間違いなく血の海を見ることになるって事も!!
 …あたしは今ほど“後悔先に立たず”という諺の由来を実感したことはなかった。

 しっかしなぁ…。
 (素直にうなづいちゃったけど、どうしろって言うんだろう?)
 暫くの間、ハードルのあまりの高さにがっくり項垂れているあたしに、姉ちゃんは何かをすっと差し出してきた。
 おそるおそる見上げると…姉ちゃんが勤めるバイト先の制服のタイだ。
 「これは選別よ。受け取りなさい。」
 そう言って惚けたままのあたしから剣を取り、その柄にくるくる巻き付けてい く。
 手慣れたものであっという間に作業は終わり、あたしは手に戻された剣を鞘ごと振る。
 握りの癖を知り尽くしているのか、その巻き方はあたしの手にしっくりしていて、…涙が出そうになる。
 「いつも全快で居るわけにはいかないでしょう?」
 エルメキア・ブレードは所持者の精神力を使って攻撃力に変換するのだから、当然といえば当然なのだが、持ってる限り使用者の精神をとことん奪っていく代物なので、ある意味諸刃の剣ともいえる。
 だから姉ちゃんは、赤龍の力を宿す自分が常に身につけてるモノで、その力を抑える封印を施してくれたのだ。
 「今の貴女にはフォローしてくれる相手が居ないんだから。この位しとかないとね?
 ……あんた、体力ないし。」
 いや、姉ちゃんと比べたら、ほとんどの人が…と思いかけ、姉ちゃんの読心術には計り知れないものがあることを思い出し、慌てて後半を飲み込む。でも……。

 バイトの時間が近づいたのか、玄関へ向かう姉ちゃんを呼び止める。
 「ありがとう、姉ちゃん!」
 頭を下げるあたしに、姉ちゃんは目をぱちくりとさせたが、にっと笑いそのまま部屋を出る。
 …本当にありがとう、姉ちゃん。

 追うように部屋を出たあたしを待っていたのか、姉ちゃんは玄関口に立っていた。
 「私はバイトの準備をしてから出かけるけど、…あんたは?」
 あんな無茶な条件出した割に、その口調はまるで、これから買い物に行く時のそれで。
 だから…、
 「あたしは、行く!」
 「そ。…じゃ、気を付けて行ってらっしゃい。」
 「うん!」
 だからあたしも、普段の調子を取り戻す。
 「行って来ます!!」
 最後に姉ちゃんに挨拶し、あたしは後ろ手に玄関を閉める。

 そのまま一度も振り返らずに歩き出す。
 (そうよ…。)
 精一杯のことはやったもの。後悔は、…しない!!