Dear My・・・

(3)


 ゼフィーリア公国の領地に入り、神殿までもう、目と鼻と先、と言う地点でのこと。
 ガウリイと合流してから、通算43回目の襲撃に出くわした。
 最近、下級魔族が各地で出現していると聞くが、セイルーンとゼフィーリアというたいして長くもない道程に、何故こんなにも魔族と遭遇しなければならないのか。
 この分だと、神殿につくまでに50は超えるのではなかろうか?
 ……的中するであろう予感に思わず溜め息をつく。
 確かに出て来る魔族は皆雑魚ばかりで、足止めにもならない奴らだ。このメンバーならば、何ら問題は無い。
 ただ、ひとつ、気になると言えば……。
 俺達の前に現れ、ガウリイを見た時の魔族の反応。
 何故か奴らは旦那の姿を見ると、驚き…喜ぶ。

 おっと。
 眼前に飛び出てきた魔法の矢を見切って交わし、順繰りになる思考を断ち切る。
 思考を巡らせるのは後だ。今は沸いて出てきたこいつらをどうにかするのが先だ。
 いくら雑魚と言えども相手は魔族。まして今回は2日連続の襲撃で、疲れがないといえば嘘になる。
 特に只の人間であるアメリアやシルフィールには、大分辛いモノになってきているのは明かだ。

 ……そう、判っていた筈なのに。防げなかった。
 アメリアは、出現した敵の最後の一匹を倒し、皆が互いの無事を確認している時。気を抜き、不用意な一言を発してしまったのだ。

 「…全く、何だって言うんですかね。毎日毎日。」
 「程度はどうであれ、数が多いからな。」
 乱れた衣服を整えながら愚痴をこぼすアメリアに、放っておいても治るような浅い傷に、リカバリイを掛けながら俺も応える。
 長引く旅と繰り返される戦闘に、ちょっとした傷が命取りになる、と。二人の巫女に口をすっぱくして言われているからだ。
 「…まぁ、一般の人々が襲われるよりはずっと良いですけど。」
 「私達がセイルーンを発ってからずっと続いていますものね。」
 荷物の確認を始めてシルフィールも後を続ける。
 「これも誰かの陰謀ね!…どこかの悪がわたし達を付け狙っているのよ!!」
 「まさか。彼女ではないんですから…。私達が魔族に目を付けられるなんて理由は、有りませんでしょう?」
 「シルフィールさんったら。…でも、毎回あれだけ数を揃えられると、流石にきっついですよね。」
 「……兵糧攻めか。」
 「だな。ちょこちょこ手を出して、俺達の力が弱まるのを見計らっているんだろう。」
 「やっぱり広範囲の呪文を習っとけば良かったわ。」
 「あいつみたく問答無用に見境無くやられても、それこそ迷惑だがな。」
 あの破天荒な戦い方を思い出し、思わず苦笑が浮かぶ。
 型破りで、だがしかし、何だかんだと収まるところに収まる、結果的に見ればどれも、評価に値する戦術であった。

 ……やはり、慣れないことはするモノではなかったのだ。
 いい加減溜まっていた疲労感に加え、珍しく感傷的になってしまったためか。話題を変える気は起こらず、…更に反応が遅れてしまった。

 「でも即戦力として、不可欠ですよぉ。」
 流石のガウリイも執拗に続けられる襲撃に疲弊していたのか、何時になく続けられる話に興味を持ち、何気ない気持ちで訪ねてしまう。
 「あいつって?…誰に習うんだ?」
 「決まってるじゃないですか。」
 「…おい。」
 「もちろん…リっ…「よすんだ、アメリア!」……あぁぁっ!!!」
 ゼルガディスは止めようとしたのだが、一瞬遅く。剣はのつばにはめ込まれた玉は怪しい光でアメリアを指し照らし、次の瞬間その光度が一気に強くなる。
 「ぃやゃぁぁぁぁ!!!!」
 突然の発光に他の二人と同様、驚愕の顔を浮かべたガウリイだったが、真っ先に我に返り、剣の光を少しでもアメリアから遠ざけようと抱えこむ。
 しかし、光は収まるどころか益々効力を強め、ついにはアメリアの全身を包み込むまでに至る。
 「あぁぁぁ、あああああぁぁぁぁぁ!!!」
 高波が逆巻く広大な海に浮かぶ、たった一枚の葉でしかないアメリアの意識は、その絶大な力に抗う術を持ち得ない。
 頭からつま先まで細胞が覆されるような痛みに、アメリアは、只、悲鳴を上げるしかなかった。

 暫くして。ようやく剣と光との共鳴が終わる。
 光が薄れていくその中で、力無くその場に崩れ落ちるアメリアをゼルガディスは優しく受けとめ、木に寄りかからせて座らせる。
 虚ろな目をしていたアメリアは、その揺れに反応する。
 「……?……ん…。」
 「意識はあるようだな?」
 「ゼル…ガディスさん?」
 「あぁ。」
 すぐ目の前で自分を気遣う世に優しく見つめる青紫の瞳に、アメリアの波立つ心は徐々に落ち着いていく。
 「よかった。何もなかったようですね。でも念のためリザレクションをおかけしましょうか?」
 「いえ、平気です。」
 ぼやけた意識も次第に覚醒し、たどたどしくも笑顔で応える。
 「本当に大丈夫なのか?」
剣 の光が完全に収まったのを確認し、腰の位置に差し直したガウリイもアメリアの安否を問う。
 が、しかし。アメリアは……
 「え、……と?貴方は、どちら様ですか?」
 「…!?」
 かしこまった口調で首を傾げるアメリアに、声すら出なくなる男二人。
 「アメリア、お前さん…。オレの事を…?」
 「貴方とは初対面だと思いますが。何用ですか?」
 近づくガウリイを跳ね返すように、ぴしゃりとアメリアは言い放つ。
 「アメリア、俺の事は判るか?」
 「何言ってるんですか、ゼルガディスさん。当たり前じゃないですか。」
 「じゃあ、こいつの名前は…?」
 「ですから、初めて会う方なんですよ、判る訳ないじゃないですか。
…もしかして、ゼルガディスさんのご友人ですか?でしたら、紹介してくださ…」
 「アメリアさん。」
 今まで黙って何かを考えていたシルフィールが、アメリアを遮って口を開く。
 「ガウリイ様、いえ、こちらの剣士に、本当に見覚えはないのですか?」
 「何度も言ってるじゃないですか、初めて見る方だって、…って、あれっ……?」
 光に包まれてから初めてガウリイをまじまじと見つめるアメリアは、琴線にかかるモノがあるのか、何時までも視線をずらさない。
 「…そう言えば。……以前どこかでお会いしたことがある様な、ないような…そんな気がする。どうしてかしら?」
 「……そうか。」
 自分の記憶の曖昧さに首を傾げるアメリアを哀しそうな、それでいて困ったような目で見つめるガウリイに、やはり、同じくらい強張った顔をしているシルフィールが声をかける。
 「あのっ、ガウリイ様。少し宜しいですか?アメリアさんにいくつか確認したいのですが…。」
 「……っあ、あぁ、判った。終わったら呼んでくれ。」
 彼女の名前に剣が反応してしまう。それを気にしていたらどこまで忘れているか確認もできない。
 そういうことらしい。
 瞬時にシルフィールの意図を汲み、この場にいるべきではないと判断したガウリイは、やるせない顔を浮かべたまま輪を抜けて行った。

 旦那の後ろ姿を申し訳なさそうに見送るアメリアにシルフィールが問いかける。
 「ねえ、アメリアさん?」
 シルフィールはアメリアに目線を合わせて側に腰を下ろす。
 「今の方の事で、何か憶えている事はありませんか?どんな事でも構いません。仰ってみて下さい。」
 アメリアを追いつめることの無いよう、優しく、ゆっくりと確認をとる。
 「えっとですね。どこかで会ってる気はするんだけど、でも名前すらも…判らない。」
 「リナ=インバースの事は?」
 同じく腰を下ろした俺の質問に
 「誰ですかそれは。」
 即座に返される。
 「……。」
 あいつのことをきれいに忘れているのが、当人でないのに悲しい。
 決して長い付き合いだとは言えないが、こいつはあれの妹分だったというのに…。
 「…すみません。」
 場の空気が重くなったのに気がついたのか、アメリアはさも済まなそうに詫びを入れる。
 「いや、いい。あんたが悪い訳じゃない。」
 「それで、さっきの剣士の事はどこまで憶えていらっしゃるんですか?」
 「えぇっと、確か…彼は旅の傭兵、なんですよね?」
 確証を得るために上目遣いで訪ねてくるアメリアに頷く俺。
 「…凄腕の剣士で…。」
 アメリアは、しばし考えながら記憶の糸を探っていく。
 「…そうです。初めて会ったのは、セイルーンでごたごたがあった時で、その時とってもお世話になって…。」
 自分に確認するように。少しずつ、浮かんでいったイメージを口にしていく。
 「事件の後、あの人が何かの陰謀に巻き込まれてるんじゃないかって思ったから、二人の旅に無理やりくっついていって。…二人は、羨ましいくらいに信頼しあっていて…。」
 いいぞ…。
 アメリアの邪魔をしないように、心の中で呟く。
 このまま上手くいけば…。
 「彼の方は、一流の腕を持っているのに普段はクラゲで…えぇ、そうなんです。」
 苦笑にも見える笑みを浮かべて続ける。
 「ガウリイさんったら、見ているこっちが照れてしまうほどの過保護な、リナの自称保護者で。
 ……!そう。リナに、ガウリイさんよ!!」
 「思い出したのですね?」
 「はい!…わたしったら、何であの二人を忘れたりしたのかしら。あんなに大切な時間を過ごしたというのに!!」
 拳を握り俯くアメリアの顔をこっそりと覗く。先程のぼやけた色は無くなっている。
 術の効力が途切れたか。
 「ああぁ、ごめん、リナぁ、ガウリイさん。ごめんなさい、ごめんなさいぃ。
……謝まるから、だから、ドレスレだけはやめてぇーー!!!」
 続けてこの場にいない二人に向かって土下座まで始めるアメリアを見やり、本日何度目かの溜め息をつく。
 (あいつら一体、こいつに何してきたんだ?)
 って、泣くなよ。そんなに怖いか?あいつが。…その気持ち、判らなくもないが…。
 「あのぉ、アメリアさん?」
 シルフィールもアメリアを気遣い声を掛けるが、本人には聞こえていないようだ。
 「あの二人の事を忘れるなんて正義じゃない!もう二人に合わせる顔がないわ!!」
 益々己の世界に入り込み、先程まで寄り掛かっていた巨木へ頭を打ち付け始める。
 夜の静けさに木をつつく音が冴え響きわたり…っと、森の情緒を味わってる場合じゃない。
 急いでアメリアを止めようとするが、一足遅く。悲鳴を上げていた木は、頭を打ち付けられる度に体積を縮めていき、ついには折れてしまう。
 おい!まだ青々と茂ってる若木だぞ!?
 「大丈夫です、アメリアさん!落ち着いて下さい!!」
 「おちつけ、アメリア。」
 過剰すぎる反応に、どっと疲れが吹き出る俺達二人。
 俺は、アメリアを落ち着けるようにそっと両肩に手を置く。
 いつも旦那がリナにやっていたように。
 もっとも、旦那は頭にぽんっと掌を乗せる方が多かったが。…よく気軽に髪の毛に触れるもんだ。
 「記憶を封鎖されていたんだ、仕方がないだろ?」
 「でも…。」
 「えぇ、アメリアさんの記憶が戻って、本当に良かったですね。」
 「…そうですね。」
 いい加減落ち着いたのか、やっといつもの笑顔が戻る。『正義のお陰ね』というアメリアの呟きはこの際無視するとして。
 「これで確定しましたわ。ガウリイ様の記憶障害は“赤竜の剣”を手に入れるための代償ですわ。」
 「ああ。だから契約者でも所持者でもないアメリアには、本来関係のない呪縛なんだ。」
 「なのにガウリイさんにリナの名前を話そうとしたから、わたしにも術が発動してしまった。…ですね?」
 俺の言葉を継いで、アメリアが結論を導き出す。
 「でも、契約の施行力って、絶対じゃありませんでしたっけ?」
 よく元に戻りましたね、と、尤もな疑問を口にする。
 「ええ、でもアメリアさんは契約に関わらない人間でしたから、術そのものが不完全だったのですわ。
 それにアメリアさんは、スイーフィードに仕える、巫女頭ですもの。ガウリイ様と術の影響の仕方が異なっていても不思議ではありませんわ。」
 「それもそうですね!ゼルガディスさんが途中で遮ってくれまし、ぎりぎりセーフだったんですよ!!」
 「きっとそうですわ。」
 セーフって!……神と交わす契約とはそんなに軽いモノだったろうか?
 「そういうもの、なのか…?」
 「ええ。神様って結構気紛れなところがありますから。ねぇ?」
 「そうなんです!」
 一体今までどんな神託を受けてきたのだろうか?
 赤龍を崇める巫女達に妙なところで神の実態を暴露され、どっと疲れを感じる。
 ……まぁ。俺には関係のないことだが。
 今話すべき事は、
 「理由なんかはどうでも良いさ。アメリアの記憶が戻った、それで十分だ。問題は…」
 「ガウリイ様の記憶、ですね。」
 「わたしの時みたいに連想していってもらうというのはどう?あれだけ修羅場をくぐり抜けてきた二人なんだから、深層心理の奥底に、きっと何かが残ってるはずよ!」
 何を根拠にしているのか、アメリアの表情は既に成功したかの様に自信に溢れている。
 「そう上手くいくかな。」
 対する俺達は、というと。嬉々としているアメリアとは逆に重く沈んでいる。
 「…何でそんなに暗い顔してるんですか?」
 あのですね、と一息ついてシルフィールは言う。
 「良いですか?アメリアさんの場合と違って、ガウリイ様のは完全な“代償”なんですよ?
 想いが深ければ深い程、それを奪う力は強くなります。」
 「ハッキリとしたことは本人達も気づいていないだろうが、あいつらの絆は軽いもんでもなかろう?」
 「アメリアさんのように上手くいくかどうか…。」
 「…だから、どうだって言うんです!何もしないまま術の期限が来るまで黙って待ってろって、そう言うんですか!?」
 言った分余計に沈んでいく思考を、すっくと立ったアメリアの渇が粉砕する。
 「…わたしは、そんなの嫌よ!ガウリイさんがリナの事を忘れてるのも、リナを忘れているガウリイさんを見るのも…。
 何かの拍子にまたリナの事を忘れてしまう自分は、もっと嫌!!!」
 大きな瞳に今にも零れてしまいそうな涙を抑えながら、一気にまくし立てるアメリアを見て、
 「…そうだな。」
 熱血は趣味じゃないはずだったが、知らず腰を持ち上げる。
 「ですね。……この術は早く終わらせなくてはなりませんわ。」
 シルフィールも、同じ気持ちらしい。
 「リナの耳に触れたら、何が起こるか判らん。」
 「全くです。」
 アメリアは遅れて立ち上がった俺達の前に、すっと右手を差し出す。
 「旦那も少しずつだが思い出してきているようだ、…今がチャンスか。」
 「はいっ!何事もチャレンジ有るのみです!!」
 俺達もそれに合わせるように乗せていく。
 「やりましょう。」
 三つ重ねられた掌を暫くの間、皆、頼もしい気持ちで見つめたのだった。

 リナと出会ってからの共通する思い出と、本人から聞いた話、いくつもの噂。
 彼女の事を連想させるモノを出し合い確認した後。俺達はガウリイを呼び戻し、再びたき火を囲んで一同に座る。
 ぐるりと見回す。
 皆、悲痛な面もちだ。
 神の掛けた術に取り除くための緊張を隠せない俺達と、記憶障害から気の休める場所を失った剣士。
 「皆さん、私がこれから実験してみます。もし、私まで彼女のことを忘れてしまったら、その時は…。」
 「まかせてください!」
 意味もなく胸を張るアメリア。先程のダメージは、既に彼女の中から完全に消え去っているようだ。
 「宜しくお願い致しますね。」
 ガウリイへのカウンセリングの役はシルフィールが買って出た。
 アメリアは先程のように不用意な発言する可能性があり、俺も、人と話すのを得意としない。
 …一番の適役であろう。
 そっと視線を合わせ、俺達は頷き合う。
 「では、始めたいと思います。」
 決意を固めてシルフィールは、ガウリイの方へと向き直る。
 「…ガウリイ様、貴方は今まで旅をされていましたよね。」
 「あぁ。」
 「それは独りだったのでしょうか?…貴方はサイラーグの事件を解決された後、
アトラスシティへ向けて旅立たれ…ある方と出会いました。それは単なる偶然だったのかもしれません。
 山の峠にさしかかった時………。」

 実験は、失敗に終わった。
 リナという存在を明確にイメージするところまではいったものの、それとガウリイの中の“彼女”とを結び付ける事がどうしてもできなかったのだ。
 延々と連想ゲームを繰り返したが、ついぞ解決の糸口は掴めず、日も落ちたということでその場はお開きになった。
 アメリアやシルフィールは思い出すきっかけとなればと、その後も野営の準備を進めながら些細な思い出話すらも残さず伝えたが、…旦那の記憶を閉ざす蓋の、取っ手となる事はできなかった。
 旦那が『わからない』という度に本人に気取られないように、だが、少なからず気落ちし、暗い表情のまま寝具へと潜っていく。
 しかし、誰よりもガウリイ本人が一番やるせない気持ちで一杯だろうに。

 俺は寝る気が起こらず、旦那と二人、黙ったまま火に目をやっていた。
 そして。
 我ながら余計なことを、という気はしたが、旦那の気の乱れ具合が気になり、同じく眠る気配のない本人へと問い掛ける。
 「なぁ…、ガウリイの旦那よ。」
 「何だ?」
 「さっき言ったのは、本音か?」
 ささやかな炎に照らされた表情は限りなく深くて、暗い。
 野宿の際、自分から見張りの役をかってでる辺りは以前と全く変わらないのだが、身に纏うその雰囲気は、まるで別人のものだ。
 「ドラマタ、ロバースキラー、魔王の食べ残し…。オレは本当にそんな奴と4年も旅を続けていたのか?」
 あいつの話を思い浮かべた旦那の顔が多少青ざめるのは仕方がない、とは思う。
 普通の人間があれの話を聞いたら、こういった反応するのは当然だ。
 当然なの、だが。しかし……。
 「旦那の口からそういう反応があるのは、はっきり言って驚きものだな。」
 溜め息混じりにぽつりと呟く。
 「そうか?至極真っ当な反応だと思うが。」
 「確かに、そうなんだが……。」
 ふと、背を凭れ掛けている木に体重を掛け夜空を見上げる。
 木々の隙間から覗くのは…あれと初めて遭ったあの事件の決戦前に見たような、曇り一つない、満天の星空だ。
 「……以前のあんたは。周りの人間がどう評価しようと、あんただけは、彼女を普通の人間として見ていた。普通の少女として扱っていた。」
 「………。」
 「なぁ、ガウリイの旦那よ。あんた、本当に思い出したいのかい?」
 偶然再会して旦那の事情を聞いてからも、うやむやのまま今に至っている。
 そう肝心の、旦那の気持ちをまだ聞いていない。
 二人が元のようにふたりでいる事を望んでいるのは、俺達だけ、という気さえする。
 「…………。どう、なんだろうな……。」
 ガウリイの方も組んでいた足を延ばして楽な姿勢を作り、同じく空を見上げる。
 「話を聞く限りじゃ、何年も彼女の傍にオレは居た。
 それなのに今、ここにその彼女が居ないというのは、彼女に嫌われたか、愛想を尽かされたか、だろ?
 …だとすれば、オレは彼女を追ってはならない、…そう考えるのが妥当じゃないか?
 彼女がお前さん達の言う通りの人間なら、オレはこのまま忘れているべきなのだろうとも、思う。」
 「本気で言ってるのか?」
 あんまりと言えばあんまりな台詞に、二人が眠っている事を忘れ僅かに声を揚げる。
 「しかし、今のオレには何もない。生きていく意味も、何もかも……。」
 オレが口を挟もうとしたのと同時に、ガウリイは話を続ける。静かに空を見上げながら。
 その瞳には何が映っているのだろうか?
 遠く過ぎ去った過去か。それとも…。

 話が途切れて自然な沈黙が漂う中、ガウリイの気配が変わった、気がした。
 「さて、っと。」
 惚けているように見えた旦那は、不意にかけ声と供に立ち上がる。
 「ゼルガディス。悪いが火の番を代わってもらえないか?」
 「…構わないが、どうした?」
 「じっくり考え込むってのは性に合わないようだから、ちょっと身体に聞いてくる。」
 「はぁ?」
 「ここはあいつが育った故郷なんだろう?あの性格ならきっとここも縄場りだったに違いない。
 だから、今、あいつがここに居なくても、森があいつを憶えてるはずなんだ。」
 そう言って旦那が一度目を閉じるのを見て、俺も同じく聴覚を研ぎ澄まし、遠く、森の果てまで意識を飛ばす。
 感覚の中、彼女が森を駆ける姿を見る。

 やがて開かれた旦那の瞳は…以前彼女と共に前を見ていた時と同じ、力強いものだった。
 「オレは思い出す。彼女を、全て。そうしなきゃいけない、いや、そうするのが当然なんだ。」
 正直面と向かって言われたら赤面ものの台詞をさらりと言ってのけ、器用なウインクを一つよこすと、ガウリイは『ここを頼む』と呟き、森の中へと消えて行った。
 「そうだ。足掻いてみるがいいさ。何もしなかったら、お終い…ゼロなんだよ。」
 遠ざかっていく仲間にそっとエールを送り、柄にもなく星の導きが有らん事を願ったのであった。

 「…で、あんたはこれで良いのか?」
 暫くは気づかない振りをしていたが、一向に眠る気のない気配に声をかける。
 「何が、でしょうか?」
 そのまま無視されるかと思ったが、やがて彼女は体を起こして寝袋から抜け、見張り用にこしらえた椅子に腰掛ける。
 「旦那のことだ。あんた、……。」
 「ええ。今でも私はガウリイ様を好きですよ。」
 「だったら…。」
 言いかけた言葉を飲み込んだ。
 表情が、判らない。
 捕らえることが出来いのは、炎の明かりが乏しいだけでは決してない。
 当人も恐らく今の感情を計りかねているのであろう。
 「だったら、このままガウリイの記憶が戻らない方が良いんじゃないか?」

 ゼルガディスさんのもっともな言い分に、一時だけ沈黙が降りる。
 「……。えぇ、そうですね、…そう考えなかったとは言いませんわ。」
 彼には隠す必要がないと思い、本音を少しだけさらけ出す。
 「ですが、今のガウリイ様はひどく哀れです。以前サイラーグでお会いした時と同じ、いえ、それ以上に……。
 だって、探し求めていた光を見つけて、そして、失ってしまったのですもの。その絶望は計り知れませんわ。」
 ガウリイ様が消えていった方を見やり、本人に決して伝えるつもりのない言葉を、代わりに聞いてもらう。

 巫女として、人と接する機会を持つ私は知っている。
 飲み込んだ言葉は重く、いつか溢れてしまうかも知れないけれど。こうやって誰かに聞いてもらうことで、やがては昇華していくものだと言うことを。
 「でも、私ではガウリイ様の支えにはなれないんです。リナさんだけが、…あの方の光であり得るんです。
 私はリナさんの代わりにはなれません。……私は私でしかないのですから。」
 そして、彼女だけしか彼女にはなりえない。
 「…すまん、無神経な事を聞いた。」
 「いいえ。前から思っていた事です。」
 思わず苦笑が浮かんだのでしょう。私に謝りかけるゼルガディスさんに、慌てて手を振り訂正を入れる。
 「ゼルガディスさんに聞いて頂いたお陰で、すっかりけじめが付けられましたわ。」
 こんなにもハッキリと言い切れたのには、正直言って少し驚きました。でも、
 「それに、私は一度ふっきれていますの。…それは、リナさんのお陰なんです。」
 目を閉じると今も瞼に鮮烈に浮かぶ、颯爽と歩く彼女の後ろ姿。
 共に旅をした期間は短いけれど、とても大切な、貴い時間でした。
 「その事には本当に、感謝していますのよ。」
 『……シルフィール……』聞こえて来るのは私を優しく諭す父の声。
 『……シルフィールさん……』聞こえて来るのは私を諌める神官達の声。
 『……シルフィール嬢……』聞こえて来るのは私へ嘲り笑う赤法師。
 今も静かな夜には必ず聞こえてくる、昔の映像。
 あの時私は、己の身の可愛いさに、変わっていく父に、街に何もできずにいた。
 ……ようやく動いた時には全てが遅く、立ち向かうべき敵に対し自分はあまりにも非力だと、そう思い込んで己の心を守っていた。
 でも彼女は……こんな私を攻めもせず、ただ目の前の敵に向かっていき、…そして力の足りない私に介錯という形で仇を討たせてくれた。
 彼女にとって重要なのは“誰のせい”という原因ではなく、“どう乗り切るか”なのです。
 ガウリイ様が連れ去られた時も…敵はあまりにも強大で、普通の女の手に負えるモノではなかったのに…でも、彼女は逃げなかった。
 ……そう、信念を貫くだけの強さが、それを押し切るだけの力が、彼女にはある。

 「……ですが、そのリナさんがガウリイ様の側を離れるなんて、許し難い事だと思いませんか?
 リナさんにどんな思惑があるのか知りませんが、ガウリイ様を苦しめるのは許せません。なんとしても、お二人には再会して頂きます。
 …それが当然の報いと言うものですわ。…それに、」
 一度、敢えて言葉を区切り、そして、少し冗談めかして言う。
 「それに、あの二人が一緒に居ないのって、不自然だと思いませんか?」
 そう、あの方の隣には彼女が居る。
 それが当然の事のように自分の目にも映る。
 決して依存するのではなく…支え合う、パートナー。
 自分ではなり得なかったけれども、彼女と居るときの彼は、とても幸せそうだった。
 必ず二人を元の鞘に押し込めてみせる。
 それは自分勝手な決意であり、自分を強くしてくれた彼女への、せめてものお礼なのであった。

 こちらも静かな森の中。
 獣達は男が発するオーラに怯え、寝床の奥で隠れるように眠る。

 そんな、無意識下の事でも他人へと影響を与える、強い生命力。
 今、その魂は、果てることのない苦痛に飲まれている最中であった。

 (……思い出せ。)
 襲いかかる苦痛に、冷や汗が全身から噴出ていく。
 (一度知ってしまったんだ。もう彼女なしの自分は考えられない。……そうだろ?)
 自分自身に問いかける。
 思い出すべきか否か。何度も自問自答を繰り返した末に、仲間達の後押しに感謝しつつ覚悟を決めた。
 彼女が何故、自分から離れて行ったのか。知りようもないが……知る必要もない。
 それは本人に聞かなきゃ判らないことだから。
 そう、もう一度彼女に会って、確かめるんだ。
 (追いついてみせる!)
 しかし頭に蔓延る靄のようなモノは今だ健在で、脳裏に彼女の姿を思い描こうとする度に強烈な痛みが全身を走る。
 「ぐはぁぁぁぁっっっっっっっっっ!!!」
 全身から流れ出る脂汗。気を抜けば意識が途切れてしまう程の激しい衝撃。
 「な・めるな、よ。」
 身体の熱に全身を流れる汗が蒸発していくのにすら気がつかず、オレは一心に想った。

 (守っていこうと誓った少女は?)
 痛みが最高潮に高まり、心臓が体への負荷に悲鳴を上げる。
 (傍にいるべき娘は?)
 しかし、そんなものを気にする間もなく、只ひたすらに、彼女を想う。
 (大切な女は?)
 神殿で目を覚ましてから度々視界に映る、輝く力を秘めた女性。その陰影が浮かんでは消えていく。
 しかしこのまま消えさせやしない!!!
 痛みを押さえ、一心不乱に彼女を想い描き。
 (……オレは、)
 もう二度と彼女を逃さないよう、必死でその腕を伸ばし、今度こそ……掴んだ!!!!
 (オレは、………オレはぁぁ…!!)
 「…ナ、リ…ナ、リナぁーーーー!」
 そう…リナだ。オレの大切な、愛しい人。
 「リナ………、……!?」
 改めてリナの名を口にした途端剣の柄から溢れ出した光に、優しく包み込まれる。
 頭の中を縦横に駆け抜ける鮮烈な、紅。
 鮮やかな出会い。色ある世界との再会。
 全てが彼女を中心に回っている。
 (…これは、デジャブ!?)
 アメリアの時とは異なり、今度は痛みも恐れも感じない。有るのは優しい光と、温かい朱の時間だけ。
 さっきまで全身に走っていた痛みは何時しか消え、頭から赤みがかっていた靄が晴れていくのが感じられた。
 彼女の名と共に抜け落ちていた記憶が一つ一つ埋められていく。

 やがて光は収縮して剣に戻り、森は静けさを取り戻していく。
 オレは伸びをしながら、今にも太陽が昇らんと白じむ東の空を見やる。
 汗ばんだ身体に心地よい風が吹き抜けていく。

 「ガウリイ!」「ガウリイさん!」「ガウリイ様!」
 オレの叫び声を聞き付け、駆けつけてくれたらしい3人に、久しぶりの、リナと分かれてから本当に久しぶりの、爽快な笑みを投げ返す。
 「どうした?……思い出した、のか?」
 そんな、オレのちょっとした変化に気が付いたのか、ゼルガディスは恐る恐る尋ねてくる。
 「あぁ。全部な。」
 そんな仲間達に、オレは正面から向き合う。
 「その剣は…?」
 オレがリナの名を叫んだ瞬間から発せられていた光は既に収まっている。
 言われて気がつく、剣のその、様態の変化。
 白銀だった刀身は、今はまるで燃えているかのような、赤い光沢を煌めかせている。
 そう。まるであいつの瞳のように、力強くて温かい、そんな輝きだ。
 「綺麗な赤銀ですね。」
 「ええ、まるでリナそのものみたいで…、はっ!?」
 慌てて口を押さえるアメリアだったが、今度は剣からの発光は起こらなかった。
 「旦那があいつを思い出した時点で、記憶封鎖は意味をなさなくなったんだな。」
 冷静に分析するぜルガディス。
 「これからはリナさんの名をうっかり口にしてしまっても、何も問題は無い訳ですね。」
 「よかった。とっても不便でしたぁ。」
 「みんな、迷惑を掛けた。今まで、本当にありがとな。」
 ほっと胸をなで下ろす面々に頭を下げる。
 「……記憶を取り戻したところで旦那、これからどうするんだ?」
 ゼルガディスの問に、何を聞くんだ、とばかりの微笑を浮かべて答える。
 「決まってるだろ?あいつを連れ戻しに行く。…ずっと傍に居ると、約束したんだ。」
 「はいはい。のろけは後にしてくださいね。遅れた分を、一気に取り戻しますよ。」
 「おう!」

 取りあえずは野営の後片付けをしなくてはならない。
 晴れ晴れとした面持ちで先を歩く仲間に続いて森に入り、しかしふと、木々の間から朝日が差し込む場所で立ち止まる。東の空に昇ったばかりの真っ赤な太陽を見つめ、誓いを立てる。
 (待っていろよ、リナ。オレから逃げられると思うな!)
 記憶にぽっかり開いた穴は埋められた。
 だが、肝心のモノが抜けたままなんだ。
 ………そう、リナが居ない。
 必ず見付け出してみせる!!!
 そうして。オレの記憶を探る旅は漸く終わり、リナを求める旅が始まった。