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「加勢する!……状況は?」
オレは剣で一角のデーモンを凪払いながら渦中へと駆け込んだ。
「あなたは!ガウリイさん!!」
体中に傷を作りながらも敵を牽制していた娘がオレを見て、驚きを隠せずに叫ぶ。
(何故オレの名を?)
「…君は、オレを知っているのか?」
「何を言ってるんですか、ガウリイさん。…まったく、あれだけ探しても見付からなかったと言うのに、まさかこんな所で会えるなんて…。」
ズガン、ズガシャァァンッ!!
オレは剣で、彼女は呪文で敵を倒しながら話を続ける。
「…すまない、ここ数年の記憶がないんだ。」
「なんですって!じゃあ、…っおわっと!!」
デーモン共がこちらへ向けて魔法の矢を一斉に放つ。
オレは振り向きざま剣気とその刀身でもって数十の矢を打ち落とし、そのまま彼女と、治療中の男を挟んで立って、構え直す。
「話は後だ。敵の数を教えてくれ。」
「わ、わかりました。えっと、中級の魔族一体とそれによって召喚されたレッサーデーモン20匹です。大した敵じゃないんですけど、デーモン達の中心にいるあの魔族を倒さないと、デーモンは無制限に出て来ます。」
改めて拳に魔力を込め、デーモンをしばきながら説明を続ける。
しかしその口調は…既に負った傷が深いのだろう、息も絶え絶えだ。
(早く決着をつけた方がいいな。)
「オレは親玉魔族の方を叩く、デーモンの方は…」
「わかりました!…こちらでなんとかします!!」
視線で確認しあうと、オレはデーモンの群れの中へと切り込んでいった。
突進して来るデーモンを両断、或いは叩き切り、その数を確実に減らしながらデーモンの山に身を隠している魔族を探る。
娘の方も、足下がふらつくも拳から魔力を直接叩き込み、一体づつ確実に仕留めていく。
そういえば…こんな場面だと言うのに、既に満身創痍だと言うのに。少女が浮かべるものは…確固たる自信だった。
どんな時でも希望をなくさない。
…果たしてそれは、誰の信条だったか。
「さて。」
オレは魔物の群れを見渡す。
とっとと片付けて、どうやら自分を知っているらしい彼女と話をしたい。
(………居た!)
デーモンの群の中、最も瘴気の濃い箇所にそいつは隠れるように縮こまっていた。
全身黒尽くしのそれは、なんとか人の形をとっているものの顔はのっぺりと凹凸がなく、手足は不自然に長い上に指は手首まで裂けている。
(…なるほど。中級、か。)
その姿を認めたオレはデーモンの群れを一気にかい潜り、それに向かって剣を振りかざす。
この剣を使い始めてから、純魔族とやるのは初めての事である。
体中に緊張を走らせながらも、剣にスピードを乗せ…、
(えっ、…軽い!!?)
今までもちょくちょくと使ってきた剣だったが、ここまで軽く感じた事は無かった。
思わず自分の腕を見る。
剣の重みなど、まるで感じさせない赤い剣は、牽制のつもりで放った一撃を黒尽くしにまで届けていた。
「き・さま…」
右肩から腹にかけて斜めに走った裂け目から黒い瘴気を漂せ、しかし反撃を狙い魔力を集中させる魔族。
「よくも…、人間の分際で…」
見れば、切れ目から無が侵食し始めている。放っていても暫くすれば滅びるだろうが…。
妙なものを召喚されても厄介だ。
(一気にカタをつけよう。)
「中々、良いモノを…持っているようだが、…それだけで、我を倒す事は…できぬ。」
…よく言うよ。
「軽く牽制しただけで、もう、そんなだろ?もしかしてお前さん、もの凄く弱いんじゃないか?」
「!!人間如きが!何を言うかぁぁぁぁ!」
オレの言葉に激怒したのか、そいつから噴出る瘴気が質・量共に格段と高まった。
デーモン共は歓喜に震え、さっきの娘は吐き気を堪えるように顔をしかめている。
(…って、あれ?……なんでオレは何ともないんだ?)
「こしゃくなぁ!これでも食らえええ!」
魔に属する空気に当てられてなお、飄々としている様子に痺れを切らした黒尽くしは、畳一つ分の空間に隙間無く光球を作りだしオレへ向けて打ち放つ。
(しまった!!この位置は!)
スピードの無い魔力の塊を避けるのは訳ない。……しかし、
視界の隅には治療中の男の姿が見える。
(……どうする!!?)
『多少の魔法なら問題なく防いでくれる』
神殿で交わされた会話を思い出す。
オレは瞬時に決断し、飛んで来る光球に対し正眼に剣を構える。
(来た!!)
魔力の塊は、剣の刃先に触れるやあるものは弾け飛び、またあるものはその場で蒸発し消えていく。
弾かれた魔力弾のいくつかは、群がるデーモンに丁度ぶつかり、それらを軽々と塵に変える。
それほどに威力のあるモノを捌いているというのに、剣はこたえている気配が全くしなかった。
それどころか、覚悟していた伴うであろう熱や爆風すらも、オレには届かない。
(これは、…上手くいくかもしれない!)
魔力弾の連射が一度途切れ、黒尽くしが再び魔力のチャージを始めたその瞬間を見計らい、オレは一気に間合いを縮めてそれの懐に飛びこんだ。
すびばぁぁぁぁぁぁん!!!
先程の傷と合わせてバツの字に斬りつけると。それは、断末魔の叫びを上げる間も無く完全な塵へと変わり、その存在はこの世界から抹消された。
「やりましたね、ガウリイさん!」
この短時間であらかたのデーモンを片付けた黒髪の娘が、こちらを向いて笑いかける。
しかし、
「まだ気配は残ってるぞ、余所見は…後ろ!!!」
事切れているデーモンの山から這い出てきた、恐らく最後の一匹であろうデーモンは、オレの方に気を取られた娘の、一瞬の隙を見逃さない。
「え!はっ、きゃぁーーーー!」
至近距離で魔法の矢が炸裂する!!
オレの声に反応したというか、直感的に身を返して何とか直撃を交わすも、バランスを崩したために、次の動作に対応できない!!
デーモンの、鋭い牙が降り掛かると思った、その瞬間。
「ラ・ティルト!!」
力ある言葉と共に放たれた蒼い光は最後のデーモンを飲み込み、言葉通り跡形もなく消滅させた。
「ゼルガディスさん!」
よたつきながなら少女は、術を発動させた、先程まで治療を受けていた男の方へと駈け付ける。
「もう大丈夫なんですか?」
「あぁ。あんたら巫女さんのリザレクションはよく効くからな。」
「ごめんなさい、ゼルガディスさん。あたしを庇って…あたしの、せいで…。」
ひっく…、っく…ひっく……
男の無事な姿に安心したのか、張り詰めていたものが途切れてしゃくりだす娘の背を、ゼルガディスと呼ばれた男はそっと、擦ってやる。
「もう大丈夫だ。だから、泣くな。」
「ゼルガディスさん…。」
暫くして彼女が落ちついてきた頃、背中に当てた掌はそのままに、ゼルガディスとやらはオレに視線を投げ掛けてよこす。
「ところで、旦那。…さっき、記憶が無いとかどうのこうと言っていたが、どういう事なんだ?
あいつがここにいないのと何か関係があるのか?」
「あいつ…?」
「覚えてないのか?何があっても、流石にあれの事だけは忘れないと思っていたが。」
「待ってくれ、オレには連れが居たのか?……あんたも、オレを知ってるのか?」
訳知り顔で、半分呆れて話す男に向かい、オレは疑問を投げかける。
「そこまで記憶に無い、か。…詳しく、話を聞く必要があるらしいな。」
赤い神の御利益にでもかなったのか、ありがたい邂逅を果たしたオレは、
そのまま彼ら三人の旅に加わったのだった。
「………成る程な。」
魔族の襲撃の起こった場所から数キロ移動し、野宿を決めた俺達は諸々の準備を終えて食事を取り、その後たき火を囲んでガウリイが記憶を無くしてからの経過を聞いた。
旦那の話を聞いて、判った事。それは、
“旦那の中で、ここ4年の記憶があやふやになっている事。”
そう、旦那は記憶を無くした訳じゃない。ある特定の情報、即ち、リナ=インバースに関係するモノだけが、ガウリイの記憶から消えていたのだ。
軽く自己紹介をした後、俺達の事は思い出したことからそれは推し量られる。
しかし、俺達が始めて出会ったあの事件も。ガウリイの中では、リナの存在だけが綺麗に切り取られており、つじつま合わせか、ガウリイ自身があの術を使って魔王を倒した事になっていた。
……何か、第三者の思惑を感じずにはいられない。
「キーワードはその、“赤龍の剣”だな。」
腰に携えられたロングソードに目を向ける。
記憶を無くしたのと同時期に手に入れたのだ、無関係の訳がなかろう。
それにしても…。
赤龍の剣が本当に存在するとは思ってもいなかった。
この身体をもとに戻すため各地を旅している時。とある神殿で聞かされた、既にその名を語る伝承すらも失われかけているという、伝説の剣。
それを何故、ガウリイは持っているのだろうか。やはり……
…思わず考え込み、ふと、視線を感じて顔を上げると、申し訳なさそうな顔を浮かべるガウリイと目があった。
「……迷惑をかけるな、ゼガルディス。」
「ゼルガディスだ。」
「悪い、悪い。」
「あれの事は記憶障害が原因だが、俺達の事は、いつものボケで忘れていたんじゃないか?」
旦那の事だ。強ちハズレていないだろう。
「い、いや。そんな事は無い、…と思う。」
「まぁ、今更そんなことはどうでも良いがな。」
冷や汗を掻きながら自信無さげに言うガウリイに、内心溜息をつき、もう一つ。
確認すべき所を尋ねる。
「…ところで旦那。あんたはこれからどうするつもりなんだ?」
「それなんだがな…、……未だ決めかねているんだ。」
呟く旦那は、焚き火に目を向けてはいるが、実はそれを通り越してどこか遠くを見ているかのようだ。
場違いな考えだが、旦那のこんなシリアスな顔は初めて見るのではないだろうか?
「それは……」
「あのぉ、ガウリイさん。」
旦那の言いかけた意図を汲もうと俺が口を割るより前に、会話が途切れるのを待っていた
アメリアがぴょこん、と顔を出す。
「ガウリイさんのその剣、見せて頂いても宜しいですか?」
「……ああ。構わないよ。」
ガウリイは一度立ち上がり、剣帯ごと腰から外しアメリアに手渡す。
旦那があんまり軽々持ち上げるものだから、重さなど気にしていなかったのだろう。剣を受け取ったアメリアは数歩、たたらを踏む。
「これ、見た目よりも、ずっと重いんですねぇ。」
必死に抱えるアメリアを、見かねてガウリイは剣をひょいと持ち上げ、見やすいように側に生えている木に立ち掛ける。
「そんなに重いか、これ?」
未だ腕が痺れているのか、両腕をパタパタと振るアメリアに向かい、ガウリイはさも不思議そうに訊ねる。
「よくこんな物を振りまわして、あれだけ俊敏に動けましたね。」
「そうか?殆ど重さなんか感じないんだが…。」
「ガウリイさんが、バカ力持ちなだけですよ。」
腕が抜けるかと思いました、と呟くアメリアを見ながら、思い出したようにシルフィールが口走る。
「契約を交わしき者にのみ、その所有を認める。…単なる伝説ではなかったのですね。」
「…あ、それ赤龍の剣の伝説ね?」
わたしも知ってます、とアメリア。
「伝説?」
「ええ。何でも、龍神が求める力を示して認められた者は、1つだけ、願いを叶えてもらえるんですって。」
「俺も各地で伝承の類は見てきたが、そこまでしっかりとしているモノは初めて聞くな。」
「わたし達が知ったのも、つい最近ですよ。」
「僧侶や巫女の修行の一環に、神殿に寄せられる腐敗の進んだ伝記の類を、ゆっくりと手間と時間とをかけて浄化し、解読していくというものが有ります。」
「何人もの手に癒されて、少しずつ蘇っていくのよ!」
シルフィールの説明を受けて、アメリアがうっとりしながら続ける。
「ロマンを感じるわ!!…それでこの間神託を受けた後、ふいに思い出したんです。わたしが修行したセイルーンの神殿に“赤龍の剣”に関する伝記があったのを。」
「私はアメリアさんからその話を伺って、伝承の保管所へ問い合わせてみました。
アメリアさんを含む何人もの修行者によって、伝記は何とか読めるくらいには修復されていましたわ。
私達が受け取った神託と合わせると、こんな感じになります……。」
そう、神託だ。
“ねがいしもの しかくもちしもの
たつとのかみ のぞみしもの ついにあらわん
りゅうにいだかれし かのもの やがて せかいのゆるぎ うみださん”
俺達が今しがたこんな山道を旅しているのは、一月ほど前、各地の神官達が一斉にこの神託を受けたからだ。
……果たしてそれは神託と呼べるものだったか。
ある晩、激しい耳鳴りと共に響いてきたこの啓示は、どこかの神殿のイメージが伴っていたらしい。
それは特別彼等に送られたものではなく、何者かが行った神と交信があまりに強かった為に当事者でない者にも伝わってきた、と言うものであった。
力有る者ほどそのイメージは鮮明で、協議の末、その交信の示す地がゼフィーリアの東に位置する、今では訪れる人も少なくなった神殿である事が結論付けられた。
その問題の神殿に巫女を派遣し、真実を見極めようという所で神殿側は落ち着き、シルフィールが使者に選ばれた。
それをどこからか聞きつけたアメリアは、
やれ、最近の魔族に対抗する武器が必要だの、
各地に出現する魔族を放って置けないだの、
これだけ神に近づけた者なのだから、本人に会ってその徳を分けてもらいたいだの。
屁理屈とも聞こえなくない理由をつらつらと並べ上げ、反対する親父さんを半ば強引に納得させ、シルフィールに無理やり同行する形に収まった。
更に。たまたまセイルーン近くの神殿に寄っていた俺を神託の力だとかで探し出し、ここでもよく判らん理屈をこね回され…ついに折れた俺は、護衛を引き受ける事になり、…今に至る。
まぁ、成功報酬としてセイルーン王家のみが閲覧が許される、特別閲覧室を特別に見せてもらうという条件を取り付けたのは言うまでもない。
…おっと、説明が長くなったな。以上が俺達がここにいる経緯だ。
……いかにも説明的文章なのは気にしないでくれ。
さて。今後の為にも、アメリアとシルフィールが纏めた赤龍の剣に関する説話を聞かせてもらうとするか。
シルフィールは、巫女が信者に与える説法の調子で静かに語り始める。
遙か昔に生まれ、後世、ついぞ実行されることのなかった、古の契約を。
時は遙か昔。降魔戦争の時代。
神と魔の、圧倒的な力に対し、人間はあまりにも非力で。
来る日も続く神魔の攻防に、そして数で勝る故に破壊を促進させる魔族の干渉に、対応する術を持ちませんでした。
神に使える者達は一心に問いかけます。
何か、手は無いかと。
このままでは自分等人間だけでなく、全ての生き物や、大地そのものが滅びてしまうと。
赤い龍神は人々の声を聞き入れました。
生きとしもの達の滅び…それは彼の望むモノではなかったからです。
龍神は自身の体を用い、人間に神の力を持つ剣を一振り与えたのでした。
人間も、ただ賜るのを待っていた訳ではありません。
傷付いた神の力を少しでも補おうと、幾人もの高位の神官が何日にも渡って祈りを捧げ、人間はついに龍神の加護を持つ剣を手に入れたのです。
龍神に祝福されたこの神剣は、魔族の力を弾き返し、その刃は魔王直属の腹心すらも容易に引き裂いたと伝説は伝えます。
…時は流れ。
ついに、人々が待ち望む神魔戦争の終焉を迎え…同時に龍神の剣は、姿を消しました。
神器を振るい、魔族と対峙していた者が亡くなるのと同時期に、人々の前から消えたのです。
その後、龍神の剣を見た者は一人として伝えられていません。
「この武具が素晴らしいのは、契約者以外には取り扱う事が出来ない所ですわ。
…戦いが終結した後、それが新な争いの原因になる事を恐れたのでしょう。」
「しかも龍神の求める力というのが、かなりレベルの高いものらしくって、その後、契約に成功した者は一人も報告されていないのよ。」
「そうこうしている内にこの伝説を知る者は減っていき、龍神の剣は時代の流れと共に消えていきました。」
「得られる力に見合った大きな代償。この契約の存在が普及されなかったのは、その残酷性にあるかもしれませんね。」
「はっ!…もしかして、ガウリイさんの記憶障害って、この契約の代償なのかしら?」
「そうなのか?」
「……可能性は、否定できんな。」
「えぇ。」
アメリアの提案は、赤竜の剣にまつわる話を聞きながら俺も考えていた事だ。
同じ結論に達したシルフィールが更に続ける。
「今回の代償はどうやら、ここ4年間の記憶だと思われます。その核を占める、あの人の存在の一切が封印されてしまったのでしょう。」
「…どうしたらいいのかしら。単なる記憶喪失ならまだしも、契約に基づくものなら、契約に関わっていないわたし達にもその作用が及ぶかもしれないって事よね?」
「契約についてハッキリとしたことが判るまで、ガウリイ様にこの4年間のことを故意に思い出させるのは控えた方が良いかもしれません。」
「てことは、リ、じゃなくて、……えっと。」
「えぇ、あの方の事も、口にしない方が賢明でしょう。」
「そんな……。」
共通して浮かんでくる魔道士の名を口にするのを、俺達は互いに牽制した。
しかし、インパクトの強いあれの話を控えるのは少し難しいモノがある。
…やはりコレも三人が共通して抱いた考えだろう。目線を配ると、皆が同じような表情を浮かべているのに気がつく。
俺は更に視線を動かし、そっとガウリイの様子を伺った。
先程のデーモン襲撃の時よりも、幾分顔色は良くなってはいる。
僅かだが、記憶を取り戻す手がかりを得られて落ちついたのだろうか?
それでも身に纏う気配は依然と殺伐としたモノで、…瞳に見え隠れしているのは、間違い無く『危険』の二文字だった。
セイルーン間近の街道で、ゼルガディス達と再会してから数週間が経った。
オレは今、神託の事実を求める彼らに付き合いゼフィーリアへ向かっている。
記憶を封印された後、初めて目を覚ました土地ゼフィーリアに背を向けて歩き出した時は、只、落ち着かなかった。
しかし、ゼルガディス達と会ってから、記憶から弾き出されてしまった彼女の陰影が頻繁に視界の端をちらつくようになった。
濃くなったり、薄くなったりと…掴めそうで掴めない彼女の影に、歯がゆい思いをする。
ゼルガディスに言われて初めて気がついたのだが、歩きながら、話しながら、斜め下を見る癖が出来ていた。
それがさも当然の事であるかのように、何度も繰り返される。
それだけこの視界はオレにとって当然の事なのだろう。無意識に、何かを探している。
今の自分には何かが足りない。……記憶の他に、大切な何かが。
戦闘時のアレも、これと原因を同じくしているのだろう。
昨日の戦いの時もそうだった。
峠を越える最中だったか…オレ達は、またもや大量デーモン発生の場に出くわした。
新しいこの赤龍の剣に代わったばかりだろうか、上手く戦闘が進まない。
(……いいや、違う。)
むしろそれは、このパーティでの戦闘がしっくりこないせいなのだ。
ゼルガディスとはかつて仲間として共に戦った記憶がある。だが、そのわりには連携が、甘い。
敵の包囲を回潜り、トップに一撃を当て隙を作る、という所までは良い。
しかし相手に隙が生まれた瞬間、あろう事か振り向いてしまうのだ。誰もいない虚空を。
(こんな一発逆転を狙うような戦い方は、とどめとなる破壊力の高い一撃を打てる者がいないこのパーティには不向きなんだ。)
そうは判っているものの、どうしても、最後の一撃を逃してしまう。
誰もいないことは判っていて、何故後ろを振り向くのだろうか?
………やはり、もう一人いるのだ。
オレは正体の掴めない、彼女の事を知りたかった。
だが、あいつらがオレにそいつの名を伝えようとすると、逆に向こうも記憶を失うという
危険性が判ってからは、無理にその名を尋ねてはいない。
しかし、頭では理解しているつもりだが、反面、自分の中では彼女の存在がどんどん膨れ上がっていく。
“彼女”の存在が…こんなにも大きかったのだと、今更ながらに実感する。
時々視界に入る赤毛の彼女。
そう、彼女が大切な“彼女”なんだ。
頻繁に起こるデーモンの発生、そして魔族の襲撃に。旅程はなかなか進まなかった。
あれから…赤い髪の少女を強く想うになってから数日は経っているというのに、オレ達はまだ、ゼフィーリアまで自治領を二つほど挟むネクマテシティという街にいた。
この街でオレ達は久しぶりの宿をとり、今日は、珍しく街中まで来たゼルガディスと、階下の酒場で酌を交わす。
「………あいつと出会って、俺は人生というか考え方がだいぶ変わったと思っていたが、旦那は俺以上だったんだな。」
酒が回り、何時になく饒舌になるゼルガディス。
(頼むからうっかり彼女の名前を口にして、記憶封鎖されないでくれよ?)
「今のあんたを見たら、…きっと、悲しむだろうな。」
出された酒は味も濃度も上等で、テーブルに並ぶ空き瓶の数に比例して酔いは深まっていく。
しかし、何故か意識だけは冴えていて、相手の話を冷静に受け取っていた。
彼女を忘れているオレは、まさしく4年前の傭兵上がりの自分で。飢えているくせに、何も求めない、いわゆる“いやなやつ”だ。
4年前と違うのは…。それでも心の隅に彼女が住み着いていることくらいだ。
ゼルガディスが言うところの“彼女と出会ってから”のオレは。
自称保護者を名乗る割に考え事にはノータッチで。常にボーっとしていて単純で、楽天的で。詰まるところのクラゲらしい。
……酷い言われ様だ。
(しかし、)
苦笑しながらそんな光景を思い描く。
それが本当だとすると、オレは彼女の事をよほど信用していたのだろう。でなければ、そんな事、許される筈がない。
“仲間、相棒、パートナー…。”
オレ達の関係を表そうとする言葉の羅列。
どれも馴染み深いようで、どれもしっくりこない。
酔っているのは酒か、はたまた思い出か。
更にゼルガディスは、オレと彼女の旅の過程をまことしやかに話して聞かせてくれた。
4年前から始まる冒険は…。
初めは盗品の奪い合いだった。ゼルガディスとの対峙。魔王との決戦。
…それから暫く続く、彼女との気ままな旅。
再び赤法師との対局を迎え。王家のお家騒動、伝説の魔獣退治と続き。
ついには、魔竜王、冥王の、魔王五大腹心らとも刃を交え…。
その後、各々の旅へと戻る。
人間に戻る方法を求めるクエストへ、はたまた自分のなすべき仕事をこなすため祖国へと。
彼等と別れた後のオレ達は、戦いの最中失った光の剣の代わりを捜す旅を開始した。
破天荒なくせにお人好しで、どんなに困難なときでも無理矢理筋を押し通してしまう奴で。
えらくアンバランスで。
そんな彼女がいるだけで癒される自分が居て。
……だから、何時までも側で見守っていたくて。
話に出てくる“彼女”と出合ってからのオレは、それまでの自分とはかけ離れた存在だった。
そうありたいと思っていても出来なかった、自分。
しかしオレは見つけたのだ、…守るものを。
神殿で目覚めた時、身体から血臭が薄れていると感じたのは、…神殿の空気がそうさせて
いたのだと思っていたが。
彼女の傍らを歩くうちに、自分にも熱い血潮が流れるようになっていたのだ。
体は今も覚えているのだろう、その温かい時間を。
だからソレを失った今、取り戻そうと知らず体がそれを求めてしまう。
ゼルガディス曰く、常時殺気があふれているらしい。
一応自覚はあり、抑えているつもりなのだが…心にブレーキがかからない。
…まさか、気をコントロール出来なくなるとは思ってもいなかった。
(これはもう、傭兵としては使えんな。)
もっとも、あの戦場に戻る気は毛頭ないが。
オレの無くした時間は、確実にオレの中に足跡を残している。
剣の代償が、何故この4年間なのか…今なら判るような気がする。
何よりも大切だったのだ。
彼女が。彼女と居る世界が。
「だから、だ。俺はあの時思ったんだよ、こいつは只者じゃないって、な。
…それでも、普通の人間なんだよ。あれだって…。」
無茶は相変わらずの様だが、と、グラスを煽り喉を湿らせて、ふっと笑う。
(そう言えば、こいつ。なんか変わったよな?)
石の部分が溶けてきた、とかじゃなくて、笑うようになったというか、表情が柔らかくなったというか…。
酒のせいか?
「よく見ているんだな。」
「…旦那ほどじゃないさ。」
優しい苦笑を浮かべるゼルガディス。
「まるで……。」
「おっと。言っとくが、俺の感情はあんたらのとは違う。…勘違いするなよ。
……もっと早くあいつに出会っていたら、とは思うがな。」
後半は、人には聞き取れないくらいの声で呟く。
「しっかしオレは、なんとも大変な奴と出会ってたんだな。やること成すこと無茶苦茶じゃないか?」
「そう、無茶なんだよ。」
オレの言葉を拾いガンとグラスをテーブルに置くや、半分据わった目つきで語り出す。
「…判るか?赤龍の剣ってのはな…神官クラスの加護と術力を持つ奴が何人も集まってやっと創ったモノなんだぞ。
…それでも、その術者どもは大量に魔力を消費したせいで、暫く初級の魔法しか使えなくなったらしいんだ。
いくらあれのキャパシティが人並みはずれて高いからって、…例え増幅器を使ったとしても、だ。
人間である以上、限界があるんだ!」
難しいこと喋るのは相変わらずだよな。
「限界を超えた力を行使すればどうなるのか。…もちろんタダじゃ済まないだろうよ。」
彼に後ろめたさを感じてもらいたくないと、だからガウリイの前から消えたのではないか。
他にも理由は考えられる。
ゼルガディスは心中でそっと続ける。
…何より、自分を忘れたガウリイといるのは辛いだろう、と。
ゼルガディスの話を肴に、酒はどんどん進んでいく。
彼女を忘れているからだろうか、却ってゼルガディスの感情がはっきりと見て取れる。
即ち…彼女への好意だ。
やがて酒場は閉店の時間を迎え、オレ達は各々の部屋に戻る。
ごろんと横になり、今は居ない彼女を想う。
何処からか聞こえてくる、少女の声。
『まぁったく、飲み過ぎよ。程々にしとけって、言ったでしょう?……明日に響いたって、知んないかんね。』
酒の為か、頬を真っ赤に染めた彼女とじゃれ合いながら宿への道を歩く。
(あぁ。あいつと飲んだ酒は、どんな高級酒よりも美味かったな…。)
何の根拠もなしに、そんな言葉が浮かんでくる。
…………。
失った時間を夢見ながら、オレは。今日も、闇へと誘う眠りの淵へと身を落とす。
『……じゃあ、…あたしは……。』
待てっ!いくな、オレを置いて行かないでくれ!!!!!
どんなに叫んでも、どんなに願っても。オレの言葉は届かない。
必死で伸ばした腕をするりと抜け、そのまま彼女は遠くとおくへと薄らいでいく。
彼女の輪郭がぼやけて行く程に、オレは益々必死になって手を伸ばす。
引き千切れんばかりに伸ばされた腕は。しかし、…彼女へと届く事はなかった。
また、か…。
何度も何度も繰り返される別れの光景。夢の中にいることを、冷静に自覚するオレがいる。
届く事のない、名前すら自分の中から消えてしまった彼女。
再び彼女の傍らに立つ事は不可能なのか?
疑問が浮かんできては、虚無感だけが募っていく。
彼女が居ないだけで、全ての感覚が麻痺していき、そして、…………。
…………………………?
不意に自分の体が揺さぶられている感覚に目を覚ます。
「………?」
うっすら目を開くと、そこにはウンザリした表情を浮かべるゼルガディスの顔があった。
「……また夢か?」
オレが完全に起きたのを確認すると、肩を掴むために前屈みになっていた姿勢を元に戻す。
辺りに気を配る。
たき火のはぜる音。安全な位置で睡眠をとるアメリアとシルフィール。そして遠くでざわめく森の住人達。
火の番を続けるため、毛布にくるまり直すゼルガディスを見て、自分が夢にうなされていた事を思い出す。
「…悪い、五月蝿くしたな。」
「いや。危険は感じられないとは言え、見張りをしているんだ。…眠るわけにもいくまい。」
丁度良かったさ、とフォローを入れてくれるゼルガディス。
確かにそれも事実なのだが…、自分を気遣ってくれている事にそっと感謝する。
(それにしても、…問題なのは…。)
段々押さえが効かなくなりつつある自分に恐れを抱く。
いつか、彼女への思いが溢れ出し、壊れてしまうのではないだろうか?
………。はた、と記憶を辿るの止め、目前の男を見る。
こんなに優しさを表面に出すような奴だったか?出会った頃は確か、もっと…。
「大丈夫か?酷い魘され方していたぞ。」
「……まぁ、な。」
オレの視線に気づいたのか、調子を合わせて口を開く。
ぐっすりと眠っている彼女たちには届かないほどの小さな声で。
「俺が口を出す迄もないだろうが、最近寝ていないだろう?それで保つのか?」
「あぁ。」
「街に行って一度休みを取るか?少しくらい道程から外れても構わないだろう?」
「いや、いい。」
「しかし、」
「あいつを…思い出しかけているだけなんだ。」
「…そうか…。」
一度頷き、そして再び疲れた顔でこちらに向きやる。
「……だったら。いいかげん、その、力強く握り締めてるモノをしまってくれると有り難いんだが…。」
「えっ?」
指摘を受け、視線を落として初めて気が付く。
彼女と自分を繋げる唯一の手がかり、赤い龍の剣を大事に抱えながら。あろう事か、オレはその柄を今すぐ戦いを始めるかの様に、堅く握り締めていたのだった。
「……すまん。」
記憶から零れてしまった彼女を知る人間の側にいるからだろうか。未だ、その姿をはっきりと思い描く事は叶わないが、それでもふと、彼女を感じ取る事がある。
…そしてそんな日は必ずあの夢を見る。ゼルガディス達との旅が進むに連れ、その回数が随分と多くなった気がする。
それこそ最近は、毎晩のように。
(…そういえば、)
あの夢を見た後は、無意識に、しかし必ずその剣を抱えているような気がする。
子供が親に縋るように、それが当然の事であるかのように。
この鋼鉄の塊は、何故か温かい。
本来、人を切り裂く道具であろうその剣は。ともすればバラけてしまいそうなオレの心を繋ぎとめてくれているのだ。
「あいつの…剣、か…。」
「迷惑をかけるな。」
「気にするな。」
暫く沈黙がおり。
再び口を開いたのは、やはりゼルガディスの方だった。
「…最初は、気にする程のモノでもなかったんだ。」
直ぐさま誰かを斬りつける訳でもない。
「だがな、ここ数日は特に酷くなっている。あれほどの殺気をばら撒かれておちおち休めるほど、俺は安らかな生活を送ってきたつもりはない。」
「………。」
再び自分の不甲斐無さを感じ空気が暗くなりかけた時、ゼルガディスはその場を茶化すように言った。
「ま、おかげで野党や獣の類も近寄って来なければ、虫に煩わされることも無い。
…こいつ等もさぞかし快適に眠っているだろうよ。」
そう言ってゼルガディスは、傍らで穏やかな眠りに包まれている二人の巫女の方を見やり、こちらへ器用なウインクを投げてよこす。
彼女と彼の関係を気にする黒髪の娘達が起きていれば、もしかしたら判ったかもしれないが。
二人とも、彼の微妙な変化に気がつかなかった。
彼は記憶から消えてしまった彼女の事を“あいつ”と呼んだのだ。
以前と同じ…温かい声で、優しい口調で。
「…なぁ。ゼルガディス。」
「何だ?」
「一つ聞きたいんだが、…良いか?」
「あぁ。」
改まって訪ねるオレに、ゼルガディスも足を組み直して耳を傾ける。
「…一応ノーマルな人間のつもりなんだが。オレって本当はクラゲなのか?」
「はぁ?」
すぐ傍で眠っている二人を起こさないよう、器用にも音を立てずに腰掛けから転げ落ちるゼルガディス。
そして心底呆れてオレを見上げる姿を見やり、頬を掻きながら夢の続きを話して聞かせる。
「いやぁ。ここんとこ良く彼女の夢を見るんだが…最終的に、いっつも“このクラゲ!って、スリッパでどつかれるんだ。」
「………。」
「痛くないんだろうが、良い音しててなぁ。…なのにオレは殴られて嬉しそうだったし。
記憶を無くす前のオレは、もしかしてソノ気があったのか、と思って心配してるんだが…。」
「知るか!」
「そうか…。……なぁ。」
「今度は何だ?」
「ゼルガディスはどうなんだ?お前さんもよく、あいつに絡まれていたようだが…。」
「んな事はどうでも良いだろう!おい。さっさと寝ろ!明日起きれなくてもオレは知らんぞ。」
(…………、…………。)
ぽむ。
それもそうだと手を打って、ゼルガディスに夜の番を任せて眠る体制にはいる。
シュラーフに入ってから程なくして、胸にあるしこりが一つ消えたオレは、久しぶりに心地よく眠ったのだった。
…ここは…?
足場がないのに落下の気配もない、酷く不安定な空間。
これは…夢か?
毎晩のようにうなされる、あの悪夢を思い描き思わず身構える。
……が、しかし、いつものような胸苦しさはない。…暖かさえ感じられる。
何があるのか、何を見ることになるのか判らない。しかしオレは心を決め、その空間を進んでいった。
『お前なぁ…。流石にそれはひどいと思うぞ?』
遠くとも近くとも思えるような所から声が聞こえてくるや、突然視界は替わる。
…いつの間にかオレは、どこかの見晴らしの利く丘に飛ばされていた。
それまでの無色透明の空気とは異なり、そこだけは暖かく彩られている。
『全く、お前さんは…。』
再び、よく見知った声が聞こえてくる。
そちらに目を向けると、旅人が二人、丁度丘を登って来るのが見える。
『何があっても一緒に居るって言っただろう?』
あそこに居るのは、オレと……?
『そんなに信用無いかぁ、オレ?』
何時とも無く、繰り返された言葉。
『オレはお前さんの…「保護者なんだから?」…そうだ。』
オレの言葉に重ねられる、彼女の声。自然とこぼれる、笑い声。
何となく判る。
これが『幸せ』というモノなんだろう。
惚けている間にも目の前の光景は進んでいき、オレは、いつしか彼女の隣に佇んでいた。
『…あんたこそ、忘れたりしたら承知しないわよ?』
頬を赤く染めながらも、挑戦的な瞳は変わらずオレを捕らえて放さない。
『忘れないよ、絶対。』
その視線をそのまま返すように、真っ直ぐ見つめ返す。
『とか何とか言って。いつものクラゲ頭発揮して、明日にはけろっと忘れてるんじゃない?』
『忘れない。』
先のよりも、もっと気持ちを込めて。
『な、何、真面目な顔して言ってんのよ。……何で、そう言い切れるのよ。』
体から湯気が吹き出そうなほど真っ赤になった彼女に苦笑して、場を和ませようと、少しちゃかしてみる。
『お前さん。顔、真っ赤だぞ?』
『う。うっさいわよ。あんたが変な事言うから、調子狂っちゃったんじゃない!』
『オレのせいか?』
『…そりゃぁ、ち、がう…、けどさぁ。』
『照れちゃって。…お前さん、本当に可愛いな。』
『何言ってんだか…。………ねぇ。さっき言った事、本当?』
『もちろん。』
『…忘れない?』
『絶対に。…これ、約束の証だ。受け取ってくれるか?』
…………。
夢の中でオレは、断片的な記憶を垣間見る。
記憶の欠片は、オレの意識とは関係なく次々と進んでいった。
シュン、シュューン、シュパパーン!
「……?」
何だろうか、この音は。
俺は火の番をしている最中だというのに、周りが見るからに安全で。ついつい微睡んでしまったらしい。
森の奥から聞こえてくる風の蠢く音に、寝ぼけていた意識が一気に覚醒する。
何事か確かめるために、眠る彼女達を残し音が流れてきた森へと入っていく。
常人ならばついぞ聞き落としてしまうような、微かな音ではあった。風向きが変わり、音源に対して風下になったからこそ聞き取れたのだろう。
森を駆ける風の気が変わらないうちに、と獣道を進む足を速める。
やがて、風を切る音は近くなり、そこで何が行われているか大体予想をつける。
後少しで正体が判るといった所で自身の気配を断ち、残った距離を詰める。
そこで見たものは…。
剣鬼。いや、剣気を纏い、滝壺に佇むガウリイだった。
怒濤の如くに落ちる滝の流れに逆らって剣をつきたて、静かに、剣先に雫を乗せる。
それが宙に舞い上がったかと思うと…一体いくつ切込みを入れたのか、直前まで水滴だったものが、瞬時に霧散する。
予備動作もなく振り下ろされる剣は、まるで動きの決められた、舞踊のようであった。
何度も何度も繰り返され、奴の周りにはそうやって創り出された霧が漂っている。
気合を入れて物を断つというのは、ある程度鍛錬を積んだ者ならば苦も無く出来る。
難しいのは形の無い、柔らかいものを切り刻む事。それも通常の呼吸において。
ガウリイがやっているのはまさにそれだ。
ふっ。…まったく、こいつはいつも常人を超えた技術を披露してくれる。
あまりの剣技の見事さに、ついぞため息を着く。
「誰だ!!」
大分離れているにも関わらず俺の呼吸を聞き取ったガウリイは、人間一人殺しかねない程の殺気を放ち、真っ直ぐ俺の方へと近づいてくる。
……このまま身を隠しているのは、却って危険だな。
「俺だよ。」
そう感じた俺はガウリイの射程距離から十分離れた所で集中を解き、存在を伝える。
しかしそれだけでは不安が残り、枯れた喉に無理やり唾を飲み下し、言葉を掛ける。
「なんだ、…お前さんか。」
俺の言葉が届いたのか、先程の殺気は見る見る消え、いつもの調子で呟いたのが耳に届く。
「こんな時間に何をやっているんだ?」
「別に…。」
そう言うなりきびすを返したガウリイは、滝壺に戻り先程の動作を再開させる。
「俺も暫くここにいさせてもらおう。あちらは心配ない。」
どちらかというと、危険なのはあんたの方だと、心中で付け加える。
意図的に視線を外す事など、以前は無かった事だ。
彼女は決して許さなかったから。そんな素振りを見せようものなら、電光石火の如くにスリッパが飛んで来たモノだった。
続かない会話の隙間を縫って夜風が通り過ぎていく。
お互い黙ったまま暫く時が経ち、
「………、ただ…。」
「ただ?」
「ただ…こうしなければいけないような気がしたんだ。」
体中が汗とも雫とも判らないような水分に浸され、髪の毛の先からしたたり落ちる頃。
乱れる気を落ち着けるため、オレは岸に上がりゼルガディスの隣に腰を下ろす。
誰かと話をしたくなったのかも知れない。心の葛藤を、わだかまりをどうにかしたかった。
「あんたはもう充分強いんじゃないのか?…その剣もある事だし。」
「その剣が問題なんだよ。」
見えない何か、を睨み付け、話し出す。
「大事なのは剣(うつわ)じゃない。自分の力量なんだ。今のオレじゃ、彼女を守る事など出来やしないんだ。」
それは……と言いかけた言葉を一度飲み、しかし改めてゼルガディスは口を開く。
「自分の力を低く見すぎていやしないか?」
「このまま彼女に会ったとしても。彼女に何かが有ったとき、オレはこの身を呈するくらいしか出来ないだろう。
…死ぬのが怖いわけでは決して無い。でも、それじゃ、彼女の心を守れないんだ。」
ぼやけた記憶の中。ほんのり残るのは、誰かにすがるわけでもなく、ただ押し黙って涙する彼女の姿。
そんな顔は彼女には似合わない…して欲しくない。
「……判った。…見張りは俺が続けておこう。」
もう少し剣を振るいたいのだろう?と、目で問われる。
「悪いな。」
「構わんさ。旦那も、せいぜい無茶はしない事だな。夜通し剣を振って昼間倒れたら、それこそ本末転倒だ。」
「あぁ。」
「あんたが倒れたりしたら、あいつに合わせる顔が無くなる。」
「あいつ、か…。」
「旦那に何かあると、決まって…」
「おっと、それ以上は言わんでくれ。お前さんまで記憶を無くしたら一大事だ。」
「…それもそうだな。じゃ、俺は先に戻るが。」
程々にしておけよと、ひらひら手を振り、ゼルガディスは去っていく。
「判ったよ。」
聞こえたか判らない小さな声で返事をし、ゼルガディスが視界から消えるのを見届けると、よっこらせと、立ち上がる。
獣達のざわめきもどこか遠い静かな森の中、姿勢を正し、剣を正眼に構え直す。
しかし、雑念を払い集中しようとすればするほど、却って、夜更けに見た夢が鮮明に思い出されてしまう。
今日見た夢は、いつものとは違っていた。
最初に見たのは、あの丘の場面。幸せなひととき。
そして涙で歪む、彼女の顔。
最後は…どこだか判らないが、厳粛な雰囲気の漂う真っ白な空間だった。
うぎゃああああぁああぁああぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!
ふっ、と、目の前に華奢な彼女の体が傾く。前もって止められていたが、オレは構わず彼女の下へと駆け寄り、そして!
彼女の体を抱きとめた所で、オレの意識はホワイト・アウトした。
次に目を開いたのは、誰かの声が直接頭の中へと入ってきた時だった。
…なんじがささげしちかいはなにぞ
えっ?
…なんじがたてしちかいはなにぞ
ささげし、って前に…が、ぼろっと言っていた代償の事か?
…なんじがおもいはいかなるものぞ
オレか?オレにとってかけがえの無いものは…
…なんじがおもいたしかにうけとった
……
けいやくをかわせしもの なんじがのぞみははたされた
しかくをもちしもの
たましいまじわり ゆいつなるもの
じゅんすいなるちからよ
ここにけいやくおわりしことをしめさん
この場面が一番切なかった。
彼女が苦しんでいるというのに自分は何もできなくて…。
彼女は言った。
これは自分がやるべき事だと。だから手出しは無用なのだと。
でも、それを言ったときの彼女は今にも泣きそうな瞳をしていて。
……何故彼女をあのまま行かせたのだろうか?
前に進むのが彼女の仕事だとしたら、それを支えるのがオレなのに。彼女だけが行ってしまった。
彼女といる事こそがオレの意味だというのに。
目が覚めた後、身体が勝手に動き出していた。
…強さが欲しい。彼女があんな顔をしなくて済むくらいの。彼女を守れるくらいの。
オレは静かな闇の中、深まる夜を断ち切るように、何度も刀身を煌めかせたのだった。
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