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むげんにのぞまれしもの
えいえんよりたふたきもの
しかくをもちしもの
なんじはなにをおもふ
なんじはなにをねがふ
これは……、なんだ?
目の前に輝く存在が佇んでいるのを、オレはただじっと眺めている。
彼女は…燃ゆる炎を従えていた。
空気中を泳ぐ髪はまるで踊っている様で、そして細身の身体にとてもよく似合った真白のローブを纏っていた。
先程聞こえてきた声は、そんな彼女の問いかけに返されたものだ。
オレと彼女が立つ所よりも少し高い場所に漂う気配。そして頭の奥へと響いてくるそいつの、厳かな声。
対する彼女もそれに怯むことなくまっすぐ前を見据え、その存在との問答を続けている。
そんな光景を…オレはそこにいるのが当たり前のようにただ、只眺めていた。
彼女の斜め後ろ。
ここがオレの居場所なのだから。
われはなにぞ
なんじはなにぞ
厳格な声との掛け合いはまだ続いている。
悠久の時に埋まりし偉大なる力の奔流よ
我は汝が望むる資格を持ちし者
今ぞ誓いを交わし賜え
高く澄んだ、軽やかな声だ。
決して大きな声ではないけれども、大きな泉に小さな波紋がやがて全体に行き渡っていくように、一つもこぼれず耳の奥へと響いてくる。
ならばわれはなんじにとふ
われがもとめしちからはなにぞ
…神魔の狭間を行き交いし、魔道の力
不可視の相手のプレッシャーを物ともせずに応えた彼女は、全身で魔力を発し、そして印の組まれた両手にそれを集中させていく。
………くっ!
彼女は体中を巡る力の奔流に苦痛を浮かべながら、今にも弾けそうな力を無理矢理押さえ、更に凝縮させていく。
オレは見ている、だけ……。
やがて。彼女は掌中でビー玉ほどの大きさにまで圧縮した光球を、目の前の大きな存在へと解き放つ。
彼女の手を放れた魔力の塊はソレに触れるや突然輝きだし、…やがて完全に吸収されていった。
なんじがしかく しかとみうけた
ちからをしめしものよ
なんじがのぞみをのべよ
我が求めしモノは……
彼女は先程の作業にも疲れた様子も見せず、変わらず凛とした声を響かせる。
……りょうかいした
さらば ふたたびなんじにとふ
なんじがささげしものは なにぞ
その後、しばらく問答はつづき……。再び彼女からまばゆい光が放たれる。
極部ではなく、今度はこの空間一帯を覆うほどのものが降り、辺りを包み込んでいく。
オレは……。
やがて全てのモノが光に飲み込まれ、オレは優しい光の波に揺られながら、
そっと意識を手放した。
次に気がついたの時、オレは人里離れた神殿に設けられた、救護室のような所に寝かされていた。
祭壇の前に倒れていたのをここの神官が見つけ、手当てをしてくれたらしい。
隣の国へと抜ける街道を歩きながら、改めて自分の身体を確認する。
治療の腕が良かったのか、以前負った怪我の傷跡は跡形もなくなっていた。
(しかし……。)
何か、おかしな違和感がオレを覆っていた。
…大切なモノが抜け落ちているような、…そんな喪失感。
郷里を離れてから数年。オレは傭兵を生業としていた。
綺麗事だけでは済まされない、血生臭い場所…戦場に身を置いていた。
それなのに今、身体から血の臭いが消えかかっているのは何故なのだろうか?
あれは短い時間で拭えるものでは、決してないのに。
そして、どんなに仕事をこなしても、誰に何を言われようとも消えなかった、あの、暗い焦燥感も無くなっていた。
しばらくそうこう思考を巡らせて…、やめた。
そんな事はどうでもいい。今までだって別段目標を持って生きてきた訳でもない。
このまま適当に進んでもいれば、“何か”を見つけ出せるだろう。
そう思い直して肩からかけていた旅道具を一度地面に置いて立ち止まる。
瞬時に取り出せるよう調節して腰に差した剣を鞘から抜き出し、陽にかざす。
空の下、陰影の関係で剣を取り巻く赤い龍はまるで生きているかのような錯覚を映し出す。
ふと、もと来た道…神殿の方へ視線を送る。
赤い龍に抱かれた剣。
その神々しくも深い朱色は、神殿で自分を世話してくれた女神の瞳を強く彷彿させるのだった。
「ここは…?」
傭兵を始めて日が浅くないオレが“行き倒れる”と言うのは珍しい事だが、実際オレは、岩壁に囲まれた、それ以外何もない所で気を失っていたらしい。
気が付いたのは神殿が開放している診療所の、ベットの上だった。
「気がついた?」
白い一枚布を頭から被った女性が聞いてきた。
「………。」
「全然目を覚ます気配がなかったから心配したのよ?どう、気分は?」
瞳以外、紅いモノなど何も身に付けていないのに、何故か朱のイメージを湧かせる彼女は、ずっと看ていたのだろうか、目を覚ましたオレを嬉しそうに見ている。
雰囲気は大人びているものの、声は落ち着いたソプラノで、見た目より少し若い感を与えている。
聡明で意志の強そうな瞳はもろに好みなのだが…しかしオレは、知らない人間に世話を焼かれるのは好きではない。
「あんた、誰だ?」
至極真っ当な質問を投げかける。
「!?」
「ここはどこなんだ。」
あぁ。頭がぼうっとする。
…神殿特有の、得体の知れない香でも焚かれているのではないだろうか?
「あんた、何言ってんのよ、ここは…っ!!」
彼女は何か言いかけて、何故か一度言葉を切る。
「………ここは、…赤の龍神を祭る神殿よ。
何でここに居るのか、どうやってここに来たのか。憶えてないのね?」
まだ口にも出していない疑問を、目の前の女性は読み取っていた。
職業柄、初対面の人間に読み取られるほどの表情は、持ち合わせていない筈なのだが…。
「記憶障害…ね。」
沈黙を肯定と受け取り、彼女は今のオレを表す適切な症状を断定した。
「…らしいな。」
マインドコントロール系の香でも焚かれてるかとも思ったが、そうでもないらしい。
頭にモヤが架かっているのは、どうやらオレの身体に原因があるようだ。
「何故こんな所に居るのか憶えてなければ、ここ数年、自分が何をしてきたかも 判らん。…まぁ、想像できなくはないが。」
「そう。………それで?」
オレの話を聞きながら、彼女はベットの側に引き寄せられた椅子に腰をかけ、
まっすぐ目を合わせて尋ねてくる。
「えっ?」
「だから、どこまで憶えてるのよ?名前とか職業とか、全部忘れた訳じゃないでしょう?」
「そうだな。…名前は、ガウリイ=ガブリエフ。傭兵を生業としている。」
初対面の筈なのに、その女には不思議と抵抗もなく話を進めていた。
看病してくれたらしい、という後ろめたさがあるから、だろう。
起き上がりベットの端に、彼女と向き合うように腰を下ろす。
「確か、アトラスシティに向かう峠を歩いていたんだが…。ここはどこなんだ?」
「ゼフィーリア公国の東。数ある赤の龍神を祭る祭所の中で、その最高位にある神殿よ。」
「で、あんたは?」
「……あたしは、……。……そう、この神殿に使える、ただの女官、よ。」
(そう言われてみれば。)
彼女の出で立ちに目をやる。
清潔な白い生地を吉兆として、所々を青いフェルトと金糸で縁取られたローブは病人のイメージもあったが、…成る程、それらしい人間に見えなくもない。
しかし、神官と言うよりは神を崇める殉教者といった感じのするそれは…彼女に似合うとは思わなかった。
銀色の髪に映える意志の強い、燃えるような赤い瞳が、彼女が“信仰”という言葉から最も離れた存在であることを雄弁に物語っているのだ。
「で、何んでオレはこんなところに来たんだ?おっと、失礼。だがオレは信仰心が薄い方なんでね。」
「赤龍の剣を取りに来たのよ。」
「赤龍の剣?それは…?」
「ベットの脇に立てかけてあるでしょ。それがそうよ。」
“赤龍の剣”という言葉に聞き覚えがないか記憶を辿っていると、彼女は床を引きずるほどに長い裾を、上手く捌きながら枕元に置いてあった剣を取り、オレに手渡してくれた。
柄からツバまで…全てが赤い、彼女の身長半分はあるロングソードだ。
柄の先に黒曜石が填められ、ツバの中心には白銀に輝く玉が取り付けられている。
鞘から少しだけ刀身を出してみると、意外にも白色の刀身にはこちらを威嚇する今にも動き出しそうな龍の頭があった。
よく見かける彫刻の類じゃない。表面は普通の剣と変わらず平らで、どうやら剣の材料となる鉱物が光を複雑に反射させて、まるで龍が刻まれているように見せているのだ。
ふいに、その龍の赤い双眼と目が合う。
オレはそのまま剣に引き込まれ、半ば無意識に鞘から全てを抜き出し全身を見やる。
これが剣の名の由来なのか、龍は、その身で刀身全体を守るように巻きついていた。
刃先に注意してそっと、龍の腹に触れる。一瞬、龍の瞳が睨んだような気がしたが、あえてそれを無視して刀身を握ると、剣は…いや龍は、突然光り出し、反応の遅れたオレを容易く飲み込んでいった。
触れた指先から、光の洪水が流れ込んで来るのを感じる。
赤い、紅い光。
この刀身を守る龍の記憶なのか、…どこか優しく、切ない記憶。
光に目が慣れたところで両目をうすら開く。
精神だけ飛ばされたのか、…上も下も大地の感覚すらない、真っ白な空間にオレはいた。
唯一色があるのは、手の中の“赤龍の剣”。
無意識に握りしめた、赤龍の剣が突然どくっと脈打つ。と、同時に、柄から高熱が感じられる。
慌てて投げ捨てようと思ったが、それより先に再度龍が発した激しい閃光に目を焼かれ…
…次に目を開いた時、目前を先程刀身に見たその龍が、今度はオレの周り取り囲むように、ゆっくりと飛んでいるのが判った。
初めて見るその姿が、何故かとても近くに感じられた。
…そして、漠然と思った。
暖かいこの剣は、自分の物であると。
「大丈夫?」
暫く心地よい暖かさに身を任せていたオレだったが、やがて現の世界へ意識を戻す。
目を開けると、先程の女官が心配そうな面持ちでオレを覗き込んでいた。
(えっ?)
一瞬彼女が赤光を放っているかに見えたが…、しかしすぐに消える。
「ねぇ、大丈夫?もう少し横になってた方がいいんじゃない?」
「…あぁ。」
(幻覚を見るほど疲れているのか…?)
とりあえず剣を鞘に戻してベットに横に立て掛け、しばらく眺めていたが、ふと、ある物が見あたらない事に気がつく。
「…光の剣!…光の剣は?」
突然起きあがって叫びだしたオレに彼女がビクつくのを見て、慌てて彼女に判るような説明を加える。
「もう一つ、これと同じ様な形態の剣を持っていた筈なんだが。」
まさか。盗まれたか?
知らず目つきが鋭くなる。
「それだけしか、ないの。…ごめん、なさい。」
怒気を露にしたせいか、彼女の顔もまた強ばる。
「驚かしてすまない。一応大切なものなんだ。」
“好き嫌い”は別として、一応、家宝だからな。
「本当に…。…ごめん…。」
「いや、あんたのせいって訳じゃない。気にするな。」
何とか気を落ち着けてオレに向けられた表情は、何とも儚げなものだった。
「やっぱり。とっても大切なもの…だったんだよね。」
目を伏せて下を向き、唇を青白くなるまで強く噛み締めている。
彼女があたかも自分を責めるかのように呟くものだから、オレは慌てて訂正を入れる。
「そうでもないさ。さっきはいきなり無くなった事に気付いたから、つい声を上げたが…実の所、あまり悔しいとか、そう言う気持ちはないんだ。…何故かは判らないがな。
……まぁ記憶喪失なんだから仕方ないんだけどさ。」
言って少し戯けてみせる。
彼女は…泣きそうな、そして困ったような表情を浮かべていた。それでも、
(さっきよりは幾らかましになったかな?)
「ほら、ここまであっさりと受け入れられる位なんだ、きっと納得のいく理由で手放したんだと思う。
…だから、あんたが気に病む必要はない。」
「…有り難う…。」
それでも彼女が眉間に深い溝を浮かべ、無理矢理笑おうとするから。とりあえず、話を変えることにする。
「なぁ、この剣はどうしたらいいんだ?龍神の名を持つ位なんだから、ここに祭られているものなんだろう?」
「そこんとこは、心配いらないわ。赤龍の剣は一定の条件を満たし、契約を交わした者にしか扱うことが出来ない、まさに伝説の剣だもの。そうやってその剣を携えられるってことは、貴方が条件を満たし剣に認められた者であるという何よりの証なの。
第一、赤龍の剣は契約時に所有者を定めるから、今更持ち主は変えられないわよ。」
オレの手に乗せられている剣に二対の視線が絡まる。
「判った。ここにコレが収まっていると言うことは、オレがその所有者ってことで良いんだな?」
その視線の向こうにはもう、光の剣は見えなくなっていた。
「…しかし、流石に光の剣と同じようには使えないよな…。」
(少し戦闘パターン変えないといけないかな?……まっ、別にいいが。)
オレんとこの一族に、代々受け継がれて来た光の剣。
伝説の剣が故に起こった悲劇の数々。数年前、それが原因で家を出てきたのだが…、使用者が予め定められているというこの剣なら、そういった問題は起こらないだろう。
もうごたごたは、たくさんなんだ。
「伝説の光の剣…別名“烈光の剣”。その真の姿は魔王と同じ性質を持つため、魔族をも打ち砕き。
さらに、精神力を糧として生み出された刃は、魔法すらも弾く事が出来る…。」
オレの呟が聞こえたのか、光の剣との違いを教えてくれる。しかし…!
「確かに光の剣と比べれば多少見劣りするかもしれないわね。でも、これだって名前の通り、赤の龍神の加護を持つ剣。四つに別れた魔王の一部である光の剣と、竜神の加護を受ける赤龍の剣…その身に宿らす力に、決して大きな差違はないわ。
強度はもちろん、魔法への抵抗力も並の剣と比べものにならない筈よ。」
「ちょっと待て!一女官に過ぎないあんたが、光の剣について、何でそんなに知ってるんだ?」
いくら伝説の剣とは言え、おおっぴらに使ってきたわけじゃない。
「…ミプロスの伝承や、サイラーグの勇者。…噂なんてどこからでも出てくるわ。」
疑惑を露わに問いかけるオレに、彼女は静かに受け答える。
「ここは龍神を祭る神殿よ。そう言った逸話が集められて来てもおかしくはないでしょう?
そしてあたしは、人よりも魔道について興味を持っているだけ、よ。」
(そういうものなのか?)
何となく腑に落ちないものの一応納得したオレは、次に剣を扱う者として不可欠の、獲物の特性を尋ねる。
「…で?結局の所、これでも魔族なんかとも十分やりあえるってことなんだな?」
「魔族なんかと関わるつもりなの?」
一気に彼女の顔色が悪くなる。
(オレ、何か悪いこと言ったか?)
「いや。記憶が抜けてるからはっきりとしたことは判らないが、そんな気がするんだ。
人には作り得無いような傷の感触が体に残ってるし。」
その手の気配はそうそう消えるものではない。
「魔族と関わるなんて馬鹿げてる!命が幾つあっても足りないんだから!」
女官としての使命か、はたまた自身に魔族関連で嫌な思い出があるのか、声を上げて説法をたれてくる。
彼女の燃えるような瞳がちりり、と火の粉をとばす。
(こうやって人に食ってかかる時の方が魅力的なんだな。)
そんな彼女を見て、はたと、場違いなことが頭をよぎる。
(…何考えてるんだ?オレは…。)
「心配してくれるのは有り難い。だがオレは、傭兵だ。必要があれば誰とでも戦うさ。…例えそれが魔族だとしてもな。……何ら価値のある命でもない。」
余計なことまで言った、と。すぐに気がついたが、一度口から出た言葉は戻らない。
一瞬、彼女は泣き出すかと思った、…そんな悲しそうな瞳をした。
何故だろう、彼女にそんな瞳をさせたく無いと思ってしまうのは…。
つい見つめてしまう、彼女の瞳。
髪の毛に触れたい、指に絡ませたい…、そんな欲求が沸々と膨れ上がってくる。
(…って、だから。何を考えてるんだよ、オレは!)
慌ててその気持ちを押し込め、取り敢えず必要な情報を得ることに専念する。
「質問に答えてくれ。この剣は魔族に対しても有効なのか?」
「恐らくわね。」
「もう一つ。魔法衝撃に対しては?」
「随分荒い戦い方をするのね。」
「今までそんな風に戦っていたような気がするんだ。そーいうのに関わることが多かったんじゃないか?しょっちゅう魔法の直撃を受けていた気さえするし。」
「多少の魔法なら問題なく防いでくれるわよ。そりゃ完全、って訳にはいかないでしょうけど。」
「完全なモノなんか、世の中にはないさ。魔法の衝撃に剣が耐え得るなら、それで十分だ。」
今知るべき事はこれくらいか。
「さて…、」
そう言ってオレは立ち上がり、荷物をまとめ始める。
「……なぁ。」
ブレスト・プレートを身につけながら、背中越しに、目覚めたときから疑問に思っていた事を口にする。
「あんた、オレに会ったことないか?あんたと話していると、偉く懐かしい気がするんだが。」
「…さぁ、どうかな?見ての通り、あたしは強い腕力も魔力もない、只の普通の女よ。今時、こんなんで旅が出来ると思う?」
魔力が有るか無いか、ってのはよく判らないが、確かに魔道士特有のオーラってのは感じられない。
「力が有り溢れてる気がしてならないが…。試しに今度、旅に出てみるといい。」
こんな所に埋もれているのは、もったいない。
「まぁ、こんな時勢、女性の一人歩きは危険だ。そん時はオレを護衛としてでも雇ってくれよ。
手当てしてくれた礼もある、あんたなら喜んで守るぜ?」
軽口を叩きながら身支度を整えていたオレは、彼女の瞳が雲ったのに気がつくことはなかった。
彼女の瞳を、表情の一つ一つをもっと見ていれば、あるいは何かに気がついたかもしれなかったが…。
彼女を見る度にやるせない気持ちが溢れてくるから。
同時に現れる彼女を求めてやまない欲求を必死に押さえ、顔を合わせない努力をしたんだ。
そうこうしている内に旅支度は整い、いざ部屋を出ようとする。
「もう…行くのね。」
心底オレを心配してくれているのが判る、表情と声。
オレ自身、もっと彼女と居たいような気がするが、気のせいということにした。
神殿が持つ不可思議な雰囲気が、オレをこういった感傷に浸らせるのだろうと…。
「大丈夫さ、怪我をしている訳でもないんだ。…それに、早いとこ記憶を取り戻したいしな。」
ビクンッ!
記憶と言う言葉に彼女が反応し、瞳に緊張が走る。
「…ねぇ。ここ数年の事で、何か覚えていることはあるの?」
「いや、全く。」
「だったら!無くなった記憶なんかに捕われないで、この先のことを考える方がよっぽど建設的じゃない?
…なんだったら仕事を回すわよ?あんた、傭兵なんでしょ…?
……何も覚えてないなんて、覚えるに値しないモノだったのよ。…わざわざ思い出す必要なんか、な……。」
「オレの記憶の価値はオレが判断する。余計な口は挟まないでくれ。」
「あ……、ごめん。」
しゅん、とうつむく彼女の顔に銀色の髪がぱらりと掛り、彼女の表情を隠す。
口を挟んだのはオレの方だというのに。途端流れる、気まずい沈黙。
それを打ち払うように一度深く呼吸をし、彼女の方へと向き直る。
「…いや、気にしないでくれ。オレも記憶が無いことで気持ちが高ぶっているんだ。こっちこそ心配してくれてるってのに、悪かった。」
(だけど……。)
窓からふと、外を見やる。
優しい採光の中に、暖かい時間を見る。
逆光でハッキリとは見えないが、色彩富んだ、確かな幸せが感じられる。
「だけどな…恐らく……いや、きっと。無くした記憶の中にはとても大切なモノが有るんだ。
だからこそ、それを失ってる今とても不安定なんだ。」
窓から見える景色から視線を反らさずに心境を伝える。
頭に残る“記憶”じゃないんだ。体に染み付いてしまった、最早、自分自身と変わらない、…大切な、時間。
「…そう…。じゃあ、……ガウリイ、さん。…どうか、気を付けて。」
部屋を出るオレを見送ってくれる彼女。
「赤い神のご加護が有りますように。」
「有難う、世話になったな。…じゃあ。」
顔色の悪い彼女を置いて行くことに、痼りを感じながらもオレは、診療所を後にした。
そして、今。ゼフィーリア公国から抜ける街道にオレはいる。
このまま歩いていけば昼には国境を超えるだろう。
しばらく耽らせていた懐古をやめ、視線を目の前の道へと戻して再び歩き始め る。
「……さて。」
(これからどうしたものか?)
診療室で彼女に言ったように、記憶は取り戻したい。
しかし、記憶がないものだから仕方ないのだが、“目的地が定まらない”と言う、困った状態なのだ。
幸い金の心配はないが…。
そう。荷物の中には、大人一人が生活するには十分過ぎるほどの金が入っていた。
(まさか、やばいことに手を出しての金じゃないよなぁ?)
一応その手の依頼は受けないことにしているし…。って、あれ…?
『…あんた、あたしのこと馬鹿にしてるでしょう?』
何かが頭を駆け抜ける。
『あたしはぜぇったいごめんよ。そんなんで稼いだお金でご飯食べたって、全然美味しくないし。
そんな事するくらいなら、貧乏になって飢えてる方が、ずぅーっとまし!』
意地っ張りだけれども、貫くべき筋は何がなんでも通してしまう、強さ。
一瞬で心奪われた、光を宿す瞳。
その瞳が、ずっと背の高いオレを見下ろす為に、目一杯踏ん反り返っている。
『…もっとも、そうなる前に、取るべき所から金目の物はぶん取るから、そんな心配は皆無だけどね。』
自信満々の笑みを浮かべ、それでいて挑戦的な瞳がオレを射抜く。
(今のは…?)
目の前で繰り広げられた光景が、スッと周りの空気と溶け合わさり消えていく。
行って欲しくなくて慌てて掴もうと手を伸ばすけれど、それに触れる寸前、淡雪の様に溶けていってしまう。
何も掴む事の出来なかったオレの手に残った物は……。
暗い冷たい感傷がオレを包み込む。
傭兵の仕事をこなしている時の、深い闇に閉ざされるような感覚…。
(いや、それとも違うか。)
きっとオレは暖かいものを知っている。世界がこんなにも明るく見えるのだから。
「絶対に、取り戻してみせる。」
先程口にした言葉を、もう一度繰り返し決意を固める。
とりあえず着の身着のまま、あてのない旅でも始めるか?
(…………そうだな。サイラーグにでも行ってみるか。)
オレは最後に記憶しているサイラーグへと続く、アトラスへ抜ける道へと進んでいった。
一ヶ月ほどあちらこちらを回り、とある疑問がオレの頭を占めていた。
“世界はこんなにも味気無いモノだったか”と。
傭兵として戦争に参加していた頃、あそこには静寂の闇と、狂気に染まった血の色が有るだけだった。
しかしその後知ったんだ。世界はもっと色鮮やかだと言う事を。
(…まてよ?)
なぜ、世界に色があることを知っているんだ?ここ数年、闇の中にのみ身を置いていたというのに。
光を求めるあまり、常闇の戦場で見た明るい夢を、まるで現かのように思いこんだのか?
(いや……、)
違う。やはり…この抜け落ちている時間に何かがあったにちがいない。
(……おっと、またか。)
取り止めのないことを考えながら歩いていると、森の少し奥まった所から何かが
争う音が聞こえてくる。
…人と、そうでないモノとの。
記憶から零れている間に世界に何かあったのか、最近デーモンの出現がやたらと多い。
獣たちもそれに触発されてか、妙に凶暴性が増している。一般人が言う所の“非常事態”ってやつだ。…おかげでこっちは仕事の依頼に事欠かない。
助けるのが商人や富豪の類ならめっけものだ。それなりの報酬が手に入る。
オレはそんな打算を一頻りしながら音元へと行き先を変える。
(今回の相手はどんな奴なんだろうか?)
走っている間も衝突の気配は続いている。
(これだけ持ちこ耐えるってのは、そこそこ使える奴が居るってことか?)
だったら自分の出る幕はないか、…そう考えた矢先のことだった。
若い娘の悲鳴が森中に響きわたる。
「やれやれ。」
そう呟きながら、オレは駆ける足を速める。
少し進み、…叫び声を聞いた辺りから2.3百メートル進んだ所で主街道にぶつかった。
道の中央には押し倒された高速移動用の馬車と、数人の、護衛であったと思しき死体。
そして、20数匹のレッサー・デーモンに囲まれながらも必死に対峙している、男女三人の姿だった。
先程の悲鳴はこの二人の女性の内、どちらが上げたものだろう。
全身を白い布で覆っている男は…致命傷に近いモノを受けたのか、出血がやたら酷い。
それでも尚、敵に向かって魔法を放とうとしているのを見た長髪の方が慌てて止め、治療を施し始める。
同じく黒髪の、短い方の娘は男を気にしながらも輪を縮めて迫り来るデーモンを、魔法と拳で牽制している。
金になりそうにないってのはすぐに判った。
しかしこの場を黙って見逃す後味の悪さと、何故だか気になる三人の顔が頭をちらつき。
「加勢する!」
街道に飛び出したオレは、そのまま剣を鞘から取りだして、雄叫びを上げているデーモンへと切りかかっていったのだった。
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