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ゼロスがガウリイの言葉の意味を知るよりも、少し前。
あたしは何か、壁のようなものに押し付けられた振動で目を開けた。
目の前にはゼラス。
鏡の中に見る形とそっくりなのに、瞳の色だけが違う。黒くて深い闇の色。
ぼやけていた意識の中で、首元にちくっと痛みが走る。
お陰で今度こそ意識がはっきりと戻り、あたしは今の状況を理解した。
両手両足を不可視の何かで十字に張り付けられてるらしい。視界の端に腕が止められているのが見える。
さっきの痛みは、目の前のあたしの形をしたゼラスが、指先を鋭利なナイフに変形させて当てているためだ。
指の動きに合わせて、つい、と赤い筋が引かれる。
「貴女の、その瞳のルビー色。……うっとりするわ。」
「…そ、りゃどうも。」
首を僅かに振って視線をゼラスから地面へとずらし、ぶちぶち呟く。
決して怯えてる訳じゃない。声帯を鳴らせば咽頭部がぱっくり口を開けるだろうから、下手には喋れない。そう判断しただけ。
「一思いに殺してあげようか。……それとも、」
あたしの顎を無理矢理持ち上げて、真正面からの除き込んでくる。
「貴女のその、秘められた力。…開放させたら、どうなるのかしら?」
ぞぞぞぞぉぉぉ
頬のラインを指でなぞられたあたしは、気味の悪さに鳥肌を立てる。
「……さぁてね。」
あたしは喋りながら自分の体が動くかどうか確認する。
見えない何かに枷付けられてるだけで、指とか先端部は細やかに動かすことも可能みたい。
すべてが無に属し、そして。何もないところに壁がある。……それが、アストラル・サイド。
「どうやらあちらもカタがつきそうよ。」
ちらりと横目でガウリイ達の方を見る。
全身から錐を生やして、あちらも相当やばそうだ。っていうか、見てるこっちが痛い。
「ここまでのようね?」
ほっそりとした指で頬をなぞられ、他方の手から伸び出た鋭器があたしを貫こうと鈍い光を発したとき、
「あんっまし、あたしを甘く見ると、やけどするわよ。エルメキア・ランス!!」
あたしは手首だけを動かして、ゼラスに向け、光の矢を放った。
しかし、
「ホント貴女って、退屈しない人間ね。」
力ある言葉とともに発せられた光の束は、いとも簡単にゼラスに弾かれ、あらぬ方向へ飛んでいく。
それをウットリと見とれていたゼラスは、こちらに向き直るや頬に当てていた指を顎にと移し、クイっとあたしの顎を持ち上げる。
…ダークオニキスの瞳とかち合った。
「でも、おいたはいけないわ。」
いぃぃぃぃぃんん
耳の奥につんざく音が響き、ゼラスを纏う空気が変わった。
(……何を?っって、…ぁぁ、ぁあああ!!)
声を発するよりも先に激烈な痛みが右手に走り、
「っ…ぁは、っぁっっっっっっっっっ………」
言葉にならない悲鳴が迸る。
そして剣の重さに耐えかねて、手の平からずり落ちる音を遠くに聞いた。
………右手の感覚がない。…折られたのかな?
くすくす………
脂汗を流して耐えるあたしと対象に、ゼラスは怪しげな笑みを浮かべ、満足げに舌で口元をなめ回す。
………負の感情を喰われたか。
「なんて好い声で鳴くのかしら。もっと楽しい声を聞かせてちょうだい。…次は左!!」
ゼラスの瞳孔にあたしの左手が写り、そして強く捻られるような、高い圧力をかけられている様な、そんな負荷が左腕全体にかかる。…でも、今度はせっつまったものじゃない。
「ぅっ、っっ…っぅっ………」
じわり、じわりと、あたしをなぶるモノだ。
ゼラスが笑い、その象徴たるオニキス・アイがきらり光る。
「くすっ、強情なんだから。
………でも、いつまでもつかしら?」
左腕への圧迫感は徐々に高まっていき、あたしの腕は悲鳴を上げていく。
………しかし、そこまでだった。
「なっっ!!」
驚きの声を挙げたのは、ゼラスだ。
煌々と光り輝く矢(もちろん、あたしがさっき放った術が、誘導した通りにユーターンしてきたやつ)が、ゼラスの背中に深く突き刺さっている。
予想外の術をくらい、あたしのからゼラスの意識がそれる。
身体の拘束が解けたあたしは地面に転がる魔法剣に手を伸ばし、持ち直す間も惜しく、そのまま声高に唱え終えていた術を解放する!!!
『激しく繰り返される剣劇。
先の先まで読もうと、張り巡らされる神経。
コンマ一秒の隙が身を滅ぼす…最終局面に相応しい、そんな戦いだった。』
「人間を、甘く見るなと、…言ってるだろ?」
光が収まって、最初に言葉を発したのはガウリイだった。
あたしが力ある言葉を結んだ後、セイルーン城内に作られた獣王の結界は青白い閃光に包まれて……消えた。
なんのことはない。ずっと前にもやったように、小動物を召還する事で結界をうち破ったのだ。セイルーンを覆う正の気と流れ込む気の力とを利用したからこそ、獣王の結界を破ることが出来たんだけどね。
そして、ゼラスとゼロスとが動き出す前に聖職者達の力ある言葉が声高に放たれた。
「ラ・ティルト!!!」
『それを破ったのは公女アメリアを筆頭とした、精鋭神官6人の一斉魔法攻撃だった。』
最後の礎を張るセイルーンに、高位の魔族が現れるのは十分予測できることだった。だから、アメリアを経由して前もって増援を願い出たのだ。
アメリアを筆頭としたセイルーンは快諾してくれた。
彼女とセイルーンの高僧達は、あたし達が結界内に引き込まれるや、予定通り結界を囲んで聖水で六紡星を描いて彼女達の魔力を高めた。そしてあたしが結界の境界線を壊すと同時に駆け込んで、精霊魔法・最高位の術を発動させたのだ。
人間ごときの精神系魔法が高位中の高位魔族、獣王とその神官に効くとは思わない。たとえ、それが巫女頭であるアメリアの渾身の物であったとしても。
だけど、六紡星で区切られているこの街は正の気に覆われている。更にこの戦いの場に方陣を組めば、二つの星の中心にいるあたし達に更なる破魔の力を与えてくれるはず。
加えて結界を中心に六人の術者が同時に術を発動させれば、威力は相乗効果をもたらすだろう。
アメリア達と相談した結果、打ち出した策が、これだった。
よほど練習を重ねたのか、カオス・ワーズも振りも、全てが虚像のごとくにそろった神官達のラ・ティルトは、通常の威力の何十倍にも上っていた。
しかし、魔族とのキャパシティの差は悲しいほどに大きい。
彼女らの懇親の一撃は、獣王らを一瞬束縛するので精一杯だ。
とち狂った獣王は、視界に移る僧侶に向かい咆哮を挙げると、アメリア達の廻りの空気が変わり、何匹ものレッサー・デーモンが現れた。
全ての力を先の一撃に費やし力尽きている彼女らには抵抗する術はない。……けれど、それを見越して待機させていたゼルガディスの部隊が、こと如くを剣と魔法とで防ぎ、打ち返す。
そして。敵の意識がそがれたその一瞬を逃すあたし達じゃない。
ガウリイは携えたその神聖剣でゼロスに致命傷を与えていた。
あたしはラグナ・ブレードをチャージした魔法剣で獣王の体を貫き、そのままアストラル・サイドに縛り付ける楔として、止めに、アレの力を具現化する術を応用させて打ち出し型へアレンジしたラグナ・スレイブを打ち放った。
獣王の体を戒める剣は、術に呼応するや否や…虚無の力は、剣が獣王の体から奪い取る力を術力に変換し、巨大なブラックホールへと変えていった。
獣王の、いや、魔族の巨大すぎる力が、却って獣王を滅ぼす力をあたしに与えたのだ。
『獣王は術から脱しようともがけばもがくほどその力を剣に奪われ、術に転換され……そして、消えていった。
…それが、紅眼の魔王・最後の腹心、獣王ゼラス=メタリオムの最期だった。』
獣王が消滅したことでセイルーンに張られた結界は完全に消え、足の裏は再び息づく大地の感触を取り戻す。
そして、あたしとガウリイは街の最北、城の裏手に向かって歩き出した。
そう。あたしとガウリイの二人だけ。
アメリア達は神官の看護のために、と言って一足先に王宮へ帰って行った。
歴史的な瞬間は、あまり多くの人が見るものではないから……
彼女達のその心遣いに、そっと感謝しながらあたし達は進んでいく。
『人間は 決して独りじゃない。
教えてくれたのは彼だった。
助けてくれたのは仲間だった。
“だからあたしは明日に前を向いて歩いていけるのよ。”
彼女はよく、そう言って笑ったものだった。』
セイルーン城の裏手に最後の礎を建て、いよいよ神封じの結界を無効化するモノの召還に入る。
集中して精神を研ぎ澄ませ、呪文の詠唱を開始する。
左手に掲げたもうひとつの相棒、エルメキア・ブレードに目をやる。
敬愛の意を込めて、一度刀身を撫でる。
今までの激しい戦いに、いかに伝説の武器といえども、所々ヒビが入ってもうボロボロだ。
きっと、次の術が最後になるだろう。
リナ、さん……りなさん………
(…………何?)
無視、しようとも思ったけど、あたしは一度、振り向いた。
何もない虚空を。
でも、そこに奴が、ゼロスが居るのをあたしは感じ取っていた。
主も滅び、消滅しかけているゼロスがあたしの頭に直接語りかけてきたのだ。
そっと、あたしに何が起こっているのか、直感的に悟ったガウリイが肩を抱いて支えてくれた。
肩に、背中にガウリイを感じながら、目の前にかざした両腕に残る力のすべてを集中させていく。
頭の中では、なおもゼロスとのやり取りを続けながら。
………僕たちの、負けですね?
(そーね、雑魚はまだ残ってるけど、腹心は一応全員死んだしね。)
まさか、人間ごときに破れるとは思いませんでしたよ。
「あんた、馬鹿?」
あたしはほとほと呆れた声を出す。
(人間、ニンゲンって言うけどね、あたしから言わせれば、あんただって、単なる“280分の1”でしょ!
あたし知ってるんだから。魔族の王さんの4分の1に過ぎないルビーアイの7分の1の、さらに5分の1の手下のくせに。
そんな140分の1に創られた神官ごときが、このあたしにに適うと思ってんの?)
………………………。
ふぅっと、肩で息を吐く。
(確かに人間のキャパシティはあんたに比べたら無いに等しいし、命だって短いわよ。
世代を経るごとに力も分かれていくしね。
でもね、分かれると同時に合わさって、混ざり合ってるの。そうやって、人間は生まれてくるの。
あんた達から見れば人間はずっと“死”に近い存在でしょうね。でも、命に限りがあるからこそ知識を蓄えていくことができるの。生まれ変わるからこそ、創造は無限に広がるの。)
判る?と聞いたけど、ゼロスは相変わらず黙ったまま。
もっとも、言いくるめよーなんて考えてないから別に良いんだけど。あたしもなんだか屁理屈って感じがするし。
だけどね、人間は、神でもない、魔でもない、間にある生き物だから、なんにも決められてない。だから、“可能性がある”それだけは確かだと思う。
ねぇ、リナさん……。僕は…滅びるのでしょうか…?
ようやく聞こえてきたゼロスの声は、初めよりずっと弱くなったように感じられた。精神体として存在していられなくなってきているのだ。
(さぁね。人間の力じゃあんたを消滅させるなんて不可能よ。かといって、アレを呼び出すにはあたしは消耗しすぎてるし。
ま、あんた達は滅びを求めてるんでしょ?丁度いいじゃない。)
そう、なんですか?
(なんでしょ?)
さぁ?
(さぁって、あんた。魔族でしょ!?)
でも、僕は、…このまま滅びたくない、そう、思っています。……長いこと、人間の監視役を任されていたから、でしょうかね……。
………僕は、滅びるのでしょうか?
ゼロスはもう一度、聞いてきた。
(…あたしは、………)
言いかけた言葉を飲み下し、
(………いいから、もう、ねむんなさい。常闇色の母が、あんたを待ってるわよ。)
精神だけの会話。そこに感情が在るのかは知らないけど、あたしは努めて優しく言った。
そんなあたしを見てゼロスはクスリと笑う。
(何よ?)
いえね、魔族の僕が人間の貴女に慰められるなんて、と思いまして。……ついさっきまで剣を交えていた敵なんですよ、僕は。
(あぁ、そーいやそうね。)
“そうね”って、それで良いんですか?
(いいのよ。)
あたしは即答する。
(良いじゃない、そんなの。ゼロスはゼロスよ。)
やっぱりリナさんは………普通の人間じゃありませんね。
(あぁら、あんた、ここまで来てあたしに喧嘩売ってんの?…やっぱり、ここらで一度、しっかり滅びとく??)
違いますよ。“普通じゃない”のは魔族にとって最高の賛辞なんです………
慌てて手を振り否定する、ゼロスの姿が見える、気がした。
(そーいや、親となる魔族の自由に創られるわけだから個性も何もないわね。)
(………あのね、いきなし黙んないでよ。)
……………どーやら、ここまでのようですね。
(ちょ、ちょっと、……ゼロス?)
……意識がかたどれません………
貴女に………あなた方に会えて、……良かった………
一方的にゼロスは話を進め、それが途切れると、…空気に溶けていくかのように気配は薄まっていき……あたしにはもう、感じ取ることが出来なくなった。
りな
りな
『獣王が配下、プリースト・ゼロス。
その性質は、生きるものに近かったのか。
最期には理解したのだろうか、あたし達を。
……もっとも、そんなこと、あたしには最早、知りえようはないけれど。』
あたしの中に十分な魔力が貯まると、一度、肩にあるガウリイのに自分の手の平を重ね、さらに頬で、そのぬくもりにひたった。
緊張したあたしの腕が温かさを取り戻したころを見計らって、あたしは、呪文の最後の一節を紡ぎ、膝をついた大地へと、剣を突き立てた。
『突き立てた剣から大地へ、大地から空へと、解放された魔力は広がっていく。
傍らに佇む二つの影は、真っ先に飲み込まれ………それでも光は止まらない。
そして、
世界は光に包まれた。』
暫く呆然としていたあたしは、丘を吹き抜ける風に髪を撫でられ、現実に眼を戻す。
左手に収まっていた魔法剣は、もう、ない。
放出された魔力に耐えかねて組織が崩壊したのだろう。
神封じの結界が消え、それに併した光が収まった後、あたしは安堵の息を吐いて深呼吸。
よーやく肩の荷が降りたってやつ?
その場に腰を下ろして大地の暖かさを感じる。
……それにしても。魔の空気がずいぶんと薄くなったような気がするなぁ。
街単位で空気を浄化した時とは、比べられないくらいに空気が澄んでいる。
「リナ…お前……、」
そんな清々しい空気には似合わない、普段より一オクターブ低い声が、直ぐ隣から聞こえたかと思いきや、ガウリイはあたしの視線に合わせてどかっと座ると、あたしの肩を掴んで痛いと思うほどの視線で訴えてくる。
「なに……?」
視線の先は、あたしの頭と…風に遊ぶ、髪。色素が失せたままの、髪。
そう。あたしの髪は、まだ、銀色のまま。
「…な、んで。何で、髪、元に戻らないんだよ!」
怒り出すガウリイに対し、
「ちょ、…痛いわよ、ガウリイ!!」
内心の葛藤を抑え、あたしは努めて軽く受け流そうとする。
「あ………す、スマン。」
あわてて腕の力は緩められたものの、しかし視線は相変わらず髪に固定されたまま。
「あんたね、」
あたしは溜息一つ、吐き出す。
「乙女をじろじろ見るモンじゃないわよ!」
スリッパ片手に文句の一つ、と思いきや、
「………でもなぁ、」
「高位の術を使って、ちょっと疲れただけよ。」
なおも食い下がるガウリイに、説明してやる。
「暫く休めばそのうち治るわよ。」
「そのうちって、いつだよ。…だいたい、髪の色もそうだけど、魔力だって、戻ってないだろ?」
「!?どうして……?」
あんたがそんなこと知ってるのよ?
「やっぱり。」
あたしの反応を読みとるガウリイ。
ヤケに冴えてるじゃない。……ったく、こんな時ばっかり。
「だいじょーぶよぉ。疲れてるってのはホントだけどね。」
そんなに拙いって気がしないのも本当なのである。
「魔力は完全になくなってるわけじゃないし、問題ないわよ。」
「そうは言ってもな、お前さんは………。」
「あー、もう。くどいわよ。………わかった。あたしもどれ位のものまで使えるかみたいし、おっきい技かますから、それで良いでしょ?」
ったぁく、心配性なんだから。
内心で文句を呟きながらあたしはカオスワーズを紡いでいく。
「凍れる森の奥深く 荒振るものを統べる王…って、ゼラスは死んだんだから、これは無理だったっと。」
どうも使い慣れた術ってのは気軽に使ってしまう。もう使えないんだから、気をつけなきゃね。
「ん、じゃね。
黄昏より昏きもの 血の流れより紅きもの……」
体の内に紅い力が逆巻いていく。
「時の流れに埋れし 偉大な汝の名において 我ここに、闇に誓わん
我等が前に立ち塞がりし 全ての愚かなるものに
我と汝が力もて 等しく滅びを与えんことを」
以前と同じように、いや、精神統一が巧くなった分、今の方が術に対するイメージがクリアになって、術力も高まっているのが判る。
あたしは声高く、力ある言葉を叫んだ。
「ドラグスレイブ!!!」
身の内の、高まった魔力は突きだした手の平に集まる、が………
「…………、っっぁぁぁああ!!」
しかし、高まった力は一向に外へ出て行こうとはせず、体の中で暴れだす。
そのまま暴走させるわけにはいかず、必死押さえ込む。
「リナ!!」
あたしの異常を感じ取ったガウリイが、あたしの強張りをほぐそうとそっと手を伸ばす。
「だ、だいじょうぶよ…、」
その手を軽く払ってガウリイから身体を離したけれど、更に一歩進んだガウリイに抱き留められてしまった。
「ダメ!ガウリイっ!!」
いつ溢れ出すか判らない、高く研ぎ澄まされた魔力。
そんな恐ろしいシロモノを抱えてるあたしに近づくなんて、危険極まりないってのに………
あたしはガウリイの手を外そうと藻掻いたのだけれど、それでもガウリイの腕は放れなかった。
実際はあたしの方が体温が尋常じゃないほど高いはずなんだけど。……ガウリイの腕は暖かかった。
「…うーん。やっぱり、だめだったわね。」
しばらくして、ようやくその熱が収まったあたしはぼやく。
「………オレが契約を書き換えちまったからか?」
あたしの顔を覗き込み、さも、申し訳なさそうにガウリイは言う。
「違うわよ。」
速効で彼の考えを否定する。
「そんな気はしてたのよ、結界壊しても無駄かなって。そりゃぁね、契約が書き換えられたってのも一原因かも知んないけど………」
「……すまん。」
「いいのよ!」
ガウリイはあたしの言葉に被さって勢いよく頭を下げる。そんな彼に活を入れるべく、あたしは努めて明るく言った。
「あんたが肩代わりしてくれたから、あたしは、一部だけど魔法が使えるのよ。
…そのお陰で、こうやって、あんたと旅が続けられた。………違う?」
だから、ガウリイが謝る必要ないんだから。
「リナ………、」
「ね?」
ようやく顔を上げたガウリイが浮かべるのは、まるでこの世の終わりを見たかのようなもので。
あたしは却って愉快な気分になって、吹き出してしまった。
「なんて顔してんのよ!黒魔術が使えないからって、魔力がなくなったわけじゃないんだし、精霊魔術なら使えるわよ、きっと。
大体ね、黒魔法自体が世の中のことわりを無視してるものなのよ。そんなモノにいつまでも頼っていられないわ。」
肩に置かれたガウリイの手をはずし、あたしは一度、のびをした。
目の前にはセイルーン領。さらに先の景色までが視界に飛び込んでくる。
「今までだってぽこぽこ黒魔法使えたわけじゃないんだもの。あんまし変わんないわよ。
………それにね、」
ガウリイに向き合って立ち、両手をめいっぱい広げる。この大地が、何処までも果てなく続いているのを表すように。
「この世界のどっかには、もしかしたら、あたしにも使える術があるかも知んないし、神聖魔法とかも色々試してみたいの。」
それに、魔力…ううん、髪だっていつかきっと戻るかもしれないじゃない。
ダメだって思わなければ、いつだって可能性はゼロじゃないわ。
「止まってる場合じゃないのよ。
まだまだ、これからじゃない!!」
あたしはビシぃっと活を入れ、回れ右をして歩き出す。
そして、
「………あぁ。…あぁ、そう、だな。……そうだよな。」
いつもの空気に戻ったガウリイがあたしの隣に追いつくのを見て、あたしは一度足を止め、改めてガウリイを見上げた。
同じように足を止めたガウリイと視線が合って…にっと、笑った。
そして、どちらからかともなく挙げた手の平にもう一方が当て、景気の良い音を生んだ。
「行くわよ、ガウリイ!!」
「あぁ!!」
『ついぞ伝えられることの無かった“結界消失”に関する事件のあらましは以上となる。
彼女達の最後の戦いが繰り広げられたセイルーンに来て、あたしの今回の旅は終わりを迎えた。
当初の目的は果たされたのだからと、あたしは一度家に戻って、旅の間に見聞きしたことをまとめている。
書き留め、のちに伝える必要があると思うのよ、彼女らの言葉は。
あれほどの偉業を成し遂げた彼女と彼の冒険は、交わした言葉のその内容すら、公的文章としては何一つ残されてはいない。
世界の改変は、一人の人間が行うには、大きすぎるのだと。
いらぬ嫉妬、危険を避けるためにも、歴史的事実は、どこか曲げられてしまっている。
あたしは…だからこそ知りたいと思ったの。
貴女達の冒険を。貴女達が見、聞いたことを。感じたことを。自分の足でたどりたかった。自分の目で見たかった、確かめたかった。
何時だったか、あたしにこう聞いてきたよね。
アトラスやサイラーグを回った時、彼女の言葉がふいに胸に蘇った。
“たったひとりの人間が、世界の存続に関わってもいいものか”って。
“日々を生きる人たちの明日を奪ってもいいのか”って。
悲しい瞳で訊いてきた意味、今ならわかるよ。
交易都市として、かつての繁栄を取り戻し始めたサイラーグには、確かにまだ、当時の傷跡が根深く残ってる。
あの時は意味するところに気がつけなかったから、
“一生懸命生きてるなら、今日で終わっても後悔しないし、それが嫌なら、自分がその役を買って出る!”って簡単に答えてしまってけど。
生死は自分で決めるものだから、世界を天秤に乗せることなど許すまじき行為だと、言う人はいるかもしれない。
でも、貴女も生きているのだから。誰にも、それを止めさせる権利はないし、貴女を責めることなんかできやしない。
……あたしが、そんなの許さないんだから。』
『魔族の張った結界が消滅して、残ったザコ達のあらかたが一掃された後。長いこと進み続けたその足を止めた貴女は、ひっそりと落ち着いた暮らしを始めた。
リナ=インバースの噂を聞きつけた盗賊やらどっかの自称名の知れた剣豪やら、無意味に元気なチャレンジャー達が良く訊ねてきてはどんぱちを繰り返して、日常茶判事に呪文が飛び交っていたから、平穏無事な幼少時代を過ごした、とは言えないけど。でもね………
あなた達に生み、育てられて、
不幸だなんて思ったこと、ないよ…母さん。
いつも母さんが一番だったね、父さん。
時々、もっとあたしのこと構ってくれてもいいのに、とも思ったけど。って、うそうそ。
貴方は全身で母さんを愛していたものね。
あたしはそれを見るのが大好きだったのよ。
人間という器で魔族の張った結界をうち破った貴女。
あなた達の生き様は、多くの人に希望を与えると思うの。
でも、あなた達は決して自分から語ろうとはしないよね、平穏な暮らしを望んでいたから。
だからあたしが代わって伝えたいって、いつからか、そう思ってた。
ねぇ、これを書き綴ることを知ったら、貴女は怒るかしら?』
『あなた達の歩んだ道を、そのまま沿うわけじゃないけど。
…そんなこと、出来ないけれど。
あたしはあたしの旅に出ます。
もっともっと色んな所を回って、たくさんの事を知りたいから。
大好きなあなた達に負けないように。
あたしが好きなあたしでいるために。
最期に………
願わくば、今のこの気持ちが一人でも多くの人に伝わりますように。
これが誰かを導く、バイブルとなるように。
あなたが、あなたらしく生きていけるように。どうか………』
彼女の娘によって残されたリナ=インバースの伝記は、そんな言葉で閉められていた。
あたしは、最後まで一気に読み終えると、同じ姿勢だったために固まってしまった肩を解してやりながら、眼を閉じた。
次々と浮かんでくる、彼女達の、冒険のコマ。……そして、あたしの、現実の問題。
再び開いた時、あたしはふと浮かんだある思い付きを実行すべく必要なものを探して部屋を巡り、ややあって、机の上にそれらを並べて座り直した。
ちょびぃっと照れるけど、彼女たちの冒険を読んで、何もしないわけにはいかないからね。
取り敢えず、と、頭に浮かんだ文句を書き出してみる。
『三年後のあたしへ、………』
って、三年後に読むとは限らないわよね。
……んと、じゃぁ。
便箋をめくって宛名を書き直す。
『()年後のあたしへ
()年後のあたしは、何をしていますか?
突然こんな手紙を見て、困惑するかもしれませんね。
あたしは、()年前の貴女です。
()年前、ある本を偶然見つけたあたしは………』
……って。一々めんどい、うっとぉしい!!!
だいたい、なんで自分に敬語使ってんのよ?
そうよ!
()年後のあたし、根性で思い出しなさい!!
一通り自分でツッコミしたあたしは、今度は一度頭の中で整理してから筆を走らせた。
書き始めは、…そう。
『しんあいなるあたしへ』
色々、書きたいことはたくさんある。
この先のあたしは何を見て、聞いて、感じているのか。
泣いてるのか、怒りに身を任せているのか、ちゃんと笑っているのか。
巧く書き表すのって難しいけど、………あたしは、あたしが好き。
うん。あたしらしくいられることを誇りに思うし、これからも、あたしに負けないあたしでいたい。
でも今好きな自分は、今までの自分。
じゃぁ、これからのあたしが好きになるあたしは?
………それは、今、頑張るあたしだわ!
あたしはしばらく考えて、手紙をしたためた。
『親愛なる あたしへ
貴女には見えますか?
明日へ向かい笑って歩く、あなたが!!』
おわり
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