|
エルメキアの王城に、リナを連れ帰ったガウリイでしたが、数ヶ月の間は、亡き父王の葬儀、自身の戴冠式と、忙しい毎日で、2人はなかなか会えませんでした。
ですが、リナはガウリイ王子―いえ、戴冠式を済ませたのですから王ですね―が約束したとおり、森の中に居た頃と変わらず、イラクサで上着を編み続けます。
リナとガウリイが会ったのは、戴冠式から3ヵ月後のことでした。
「悪い...忙しくて、会えなかった.....いい訳だな...」
自嘲気味なガウリイの言葉に、リナは頭を振ります。
「疲れた...ってのが、本当のとこだな...」
そう言いながら、ガウリイはリナの栗色の髪を梳きます。
ふわふわで、癖のあるリナの髪を梳くのは、2人が森の中で会っていた時も、度々ありました。
初めは不快に思っていたリナでしたが、段々とその行為が心地良いものに変わってきました。結果として、今ではおとなしく、ガウリイに髪を梳かれています。
「なあ...リナ」
ガウリイの声音に、リナは上着を編む手を止め、ガウリイを見つめます。
そこに居たのは、真剣な表情をしたガウリイでした。
「2週間後に、舞踏会があるんだ...出てくれないか?」
ガウリイの言葉に、リナは不思議そうにガウリイを見つめます。
その表情に、ガウリイは困ったように頬を掻きました。
その仕草はまるで、ただの青年のようで、エルメキアの国王に即位した人間とは思え無いものです。
「1日だけ....オレに時間をくれないか?」
ガウリイの真剣な表情。そして強制ではなく、懇願の声音に、リナは頷きました。
* * * * *
舞踏会の当日、リナは薄紅色のドレスを身に纏い、ガウリイの異母妹であるフィリア王妹殿下と共に、舞踏会の行なわれるホールに居りました。
ホールに居るのは、当然貴族達ですが、男の人よりも、着飾った令嬢のほうが多いようです。
実は、この舞踏会は、王位に就いたガウリイのお妃選びのためのものでした。
その為、ガウリイはリナに舞踏会の出席を願ったのです。
歓談していた人々が、扉の開く音と共にそちらへ視線を向けました。
現れたのは、国王の名に恥じない服装のガウリイと、宰相であり、ガウリイの大叔父でもある、ミルガズィアでした。
人々の視線が見守る中、ガウリイは真っ直ぐに、リナの元へ向かいます。
リナの元へ行くと、ガウリイは手を差し伸べました。
その手を取るがどうかリナが逡巡していると、音楽が流れ始めます。
ゆったりとしたワルツの曲が、ホールを満たします。
リナは流れている曲がわかると、恐る恐るガウリイの手を取ります。
自国の国王が、隣国の王女でなく、自国の貴族の令嬢でもないリナと踊り始めるのを、苦々しく思っていた人々ですが、リナがガウリイ国王に合わせて、踊り始めると、感嘆のため息が零れます。
ウェストからふんわりと広がるドレスは、リナの動きに合わせて楽しげに動きます。
丁寧に梳られ、艶を帯びた栗色の髪も、揺れ動きます。
元々ライゼールの王女であるリナです。ダンスくらいは常識ですし、王宮に居た頃から、リナはダンスが得意で、よくダンスの教師に誉められていました。
令嬢達は、嫉妬の目で2人のダンスを見ていますし、貴族の夫妻はそんな2人を感嘆の表情で見ています。
ミルガズィア宰相と、数多くのガウリイの異母妹の中で、ただ1人、舞踏会に出席できる身分の母君を持つフィリアは、穏やかな表情で、2人を見ています。
嫉妬の眼で見つめる令嬢達の中で、一際苦々しげな色を浮かべている1人の令嬢と、リナの姿に驚きの表情を浮かべている某国の王女が居りました。
踊り終わったリナは、自分に向けられた驚きの視線に気づきました。
視線をめぐらせると、1人の少女が居ります。
肩ほどで切りそろえられた黒い髪。藍色の瞳が、驚きに見開かれています。
「リナ?」
腕の中で身動きしたリナに、ガウリイは視線を向けます。
リナはガウリイの手を取ると、『知り合いが居る』と告げ、身を翻しました。
ガウリイが見たのは、1人の少女と共に、テラスへと出て行くリナの姿でした。
「やっぱり...リナさん」
リナを見つめていたのは、セイルーンの第二王女アメリアでした。
―アメリア...
言葉をつむぐ事が出来ないリナは、心の中で友人の名を呼びました。
「どこに居たんですか?!ライゼールでは大騒ぎになっていますよ!!
ゼルガディスさんたち王子だけでなく、王女であるリナさんまで居なくなったんですから!!!
わたしだって心配でしたし、レゾ王だって.....?」
ふと、アメリアの声が途切れました。
「?」
リナは訝しく思います。
思い込んだら一直線、猪突猛進のアメリア王女のお説教にも似たこのお話が、こんなところで途切れるとは当然、リナは思っておりません。
「...リナ....さん?」
アメリア王女は、以前と違うリナ王女に、戸惑いを覚えました。
それが、お説教にも似た言葉が途切れた理由でした。
違和感の正体...それを探ろうと、アメリア王女はリナ王女をまじまじと見つめます。
しばらくして、アメリア王女は違和感の正体を悟りました。
それは、目の前にいる友人の表情でした。
アメリア王女記憶の中にあるリナ王女は、感情豊かな女性です。
くるくると変わる表情。
楽しげに煌く紅い瞳。
鈴を振るような年相応の少し高い少女の声。
ですが、今アメリア王女の目の前に居るリナ王女は、記憶の中の彼女とはあまりにも違いすぎました。
リナ王女がダンスが得意なのは、アメリア王女も知るところです。実を言えば、ダンスが得意ではなかったアメリア王女は、舞踏会でリナ王女が踊るたび、彼女を羨ましく思っていたのです。
ですが、舞踏会の中で微笑んでいた少女は、今日の舞踏会では一度も笑顔を見せません。
それに、言葉を発してすらいないのです。
「...リナ...さん....」
呆然と呟くアメリア王女の手を、リナ王女は取りました。
「?」
『ごめん、アメリア』
掌にかかれた文字に、アメリア王女はリナ王女を見つめました。
いつも笑っていた紅の双眸は、今は悲しみが宿っています。
『ゼル兄さまね...ちょっと、どうなってるか言えないの。
でも、あたしがなんとかするから....だから、待っててもらえる?』
「リナさん....」
『もう少し...あと1年。待ってもらえない?』
「何が....何があったんですか?!1年って.....リナさんが喋らないのと、関係があるんですか?」
しばしの沈黙の後、堪えきれなくなったのか、アメリア王女は叫ぶように、リナ王女に言い募ります。
突然消えた5人の王子。そして、王女。
レゾ王に聞いた話ですが、王の後妻であるエリシエル妃は、先妻の王妃の子供である王子たちや王女を快く思っていないようなのです。
そして、王子、王女を探す過程で知ったエリシエル妃の祖母が呪術に精通しているということ。
王子、王女が姿を消す前に、エリシエル妃がその祖母の元に足繁く通っていたこと。
それらの事から、レゾ王は、行方の知れない子供たちが、エリシエル妃に呪術か何かを掛けられたのではないかと、心配していました。流石に、お妃のエリシエルに知られると厄介ですので、レゾ王はセイルーン
を訪れた際、人払いを願い出た上で、フィリオネル王に話したのでした。
そして、レゾ王の第5王子ゼルガディスの婚約者であるアメリアは、父王フィリオネルからレゾ王との会話の内容を聞かされたのです。
『ごめんね...アメリア』
リナ王女は、アメリア王女の質問に答えず、掌にその文字を綴ると、身を翻しました。
* * * * *
アメリア王女との会話の後、リナは舞踏会の行なわれていたホールには戻らず、自分に宛がわれた部屋へと戻りました。
そして、編みかけの上着を手に取りました。
アメリア王女に言ったように、あと1年程で、5着の上着を編まなければなりません。
イラクサで編むという条件のため、初めの1年は、なかなか編む事が出来ず苦労の連続でした。
茎や葉にある棘のため、指先にはひっきりなしに痛みが走ったのです。
初めの1年が過ぎる頃には、そういったことはなくなったので、後は時間との勝負です。
アメリア王女との再会で、リナは兄王子たちを元に戻すべく、再びイラクサを編み始めました。
* * * * *
「リナ....」
上着を編む事に夢中になっていたリナは、突然の声にビクリとしました。
ですが、聞き覚えのある声に、恐る恐る顔を上げます。
直ぐ近くに、エルメキア国王たるガウリイが居りました。
服装を見れば、舞踏会のままです。舞踏会の会場からそのまま来た事がわかります。
―ガウリイ?
リナは心の裡で、国王の名を呼びました。
目の前に立つガウリイは、リナを舞踏会に誘った時のように、真剣な表情です。
―な...に?
戸惑いの表情を浮かべるリナに、ガウリイは視線を合わせるために跪きます。
戸惑いを浮かべる紅玉の瞳と、真剣な青玉の瞳が重なります。
ガウリイの真剣な瞳が和らぎ、微笑を浮かべます。
それを見ているリナの手を取り....
「?!!!」
リナの顔が真っ赤に染まりました。
ガウリイはリナの手を自分の口元に持っていき、唇を寄せます。
半年以上前に森で出会ってから、2人の間で交わされたのは、ガウリイがリナの隣に座る事と、リナの髪をその大きな手で梳く事くらいのものです。このような触れ合いは初めてのことでした。
「オレと結婚して欲しい...リナ」
その一言にリナは硬直しました。
しばしの沈黙の後、リナはそっとガウリイの手を取りました。
「リナ?」
『ごめん....』
掌に書かれた言葉に、ガウリイは目を開きます。
『結婚、できない』
「何故?....オレのこと、嫌いなのか?」
ガウリイの問いに、リナは頭を振ります。
「じゃあ、何故?」
『...やらなければならないことがあるの』
「それが、終わらないとダメなのか?」
「.....」
リナはしばらく躊躇った後、頷きました。
「...終わるのは、いつだ?」
『1年』
「...それは、結婚したら、できないことなのか?」
今度は頭を振ります。
「じゃあ、結婚しても続けていい。って言ったら、結婚してくれるか?」
「?」
「...リナが好きだ。
だから、結婚して欲しい。
やらなければいけないことがあるなら、それをしてもいい....
だから....結婚してくれないか?」
真剣な空のような蒼い瞳。その瞳が、リナの紅い瞳を真っ直ぐに見つめます。
リナは視線を反らし....しばらくすると、ゆっくりと頷きました。
* * * * *
「........」
目の前の政務に終われている主君を見て、ミルガズィア宰相は内心ため息を吐きます。
目の前のガウリイ王と、王妃であるリナが結婚してから2ヶ月が過ぎようとしています。
結婚した当初、ガウリイ王は何かと暇を見つけては、王妃となったリナの元へ行っておりました。
それは、今も変わってはいませんが...ミルガズィアが内心ため息を吐いた理由は、目の前の主君の表情でした。
なんだか、結婚する前よりも、王妃に対する態度に、余裕が見えないのです。
切羽詰ったというのが、正しいといいましょうか....
「陛下...」
「なんだ?」
ミルガズィアの呼びかけに、ガウリイ王は、視線を書類に向けたまま答えます。
「どうかなさったのですか?」
「なにが?」
「...ガウリイ....不満が在るなら言え」
宰相としてではなく、大叔父としての言葉に、ガウリイはようやく視線をミルガズィアに向けます。
「....不満...って...」
「自覚が無いのか?」
「自覚?」
「...王妃さまに不満でも....」
「不満って....」
そこで、ガウリイは硬直しました。
「...自分が望んだんだろう。王妃さま以外とは結婚しないと。」
そう、実はガウリイには自国の貴族の令嬢や、他国の王女との結婚話がありました。父王存命中からあったのですが、ガウリイが王となってから、その話は頻繁に重臣たちから言われておりました。
ですが、ガウリイが選んだのは、リナでした。
「どこの馬の骨かわからない」
「そんな女に、王妃などさせられない」
等、重臣たちをはじめ、名のある大貴族の当主にも言われたのですが、ガウリイは
「リナ以外と結婚するつもりは無い」
と、言い張り、最終的には国王の権威を使って認めさせたのでした。
ですが、反対した重臣たちも黙って引き下がったわけではありません。
「その....な」
ガウリイは言いにくそうに、頬を掻きました。
そして、視線を巡らせると、今執務室に居るのが自分とミルガズィアだけだというのを確認すると、声を顰めました。
「...オレとリナは...形だけの夫婦なんだ....」
ガウリイの言葉に、ミルガズィアは呆然とし...次いで大きく息を吐きました。
「...何をしている...」
「....リナが...な....怖がるっていうか...なんていうか....」
「つまり...王妃さまを大切にするあまり...手が出せないのか?」
「...はっきり言わなくても.....」
そう、結婚式を挙げたといっても、ガウリイとリナとの間には、何もありませんでした。
確かに、寝室は一緒でしたが、何をするでもなく、ガウリイはリナと共に眠るだけでした。
式当日の夜に、リナが怯えたというのが、ガウリイがリナに無理強いしない理由でした。
実はリナは、ガウリイとの行為により、声を出してしまうことを恐れたのです。
「ガウリイ...忘れたのか?
王妃さまとの結婚の際に、重臣たちから出された条件を....」
「それくらい覚えてる」
ミルガズィアの言葉に、ガウリイは忌々しげに吐き捨てます。
リナとの結婚の条件として、反対した重臣たちは、『王妃が1年以内に子を産む』もしくは、『1年以内に懐妊の兆候が現れる』というのを出したのです。
もし、その条件が満たせなければ、1年後にガウリイは国内の貴族の令嬢を妾妃として、召さなければなりません。
当然、ガウリイにはいい迷惑です。
「...ならば、どうにかするんだな...」
「どうにか...って.....」
「王妃さま以外望まなければ、重臣たちが出した条件を満たす事だ。
方法は知っているだろう?」
こともなげに言う大叔父を、ガウリイは半眼で睨むように見ます。
「そんな目をしてもしらん....」
「...なあ。大叔父上」
躊躇いがちに発せられた声音に、ミルガズィアは視線を向けました。
そこには、先ほどの会話で、困った顔をしていた青年は居ませんでした。居るのは、思案顔の青年。
「一定期間、喋らず、笑わずって、何か意味があるのか?」
ガウリイの問いかけに、ミルガズィアは目を見開きました。
端然と過ごすこの宰相の、そんな表情は初めてです。
「それが、どうかしたのか?」
「......」
ミルガズィアの問いに、しかしガウリイは答えません。
実は、リナに拒まれた時、ガウリイはリナに質問を投げかけました。
「なぜ、喋らないのか?」と....
リナは目を見開きましたが、ガウリイはそのままリナを見つめました。
実は、ガウリイはリナが何度か、その唇を開いたのを知っていました。その動きは、喋れない人間が何かの拍子で、開いたのではなく、喋ろうとして...しかし、喋るのを止めてしまう行為でした。
その質問に、リナはガウリイの手を取ります。
『3年...いえ、後1年喋れないの』
「なぜ?」
『...ごめん...それは、教えられない』
すまなそうな表情のリナに、これ以上の無理強いは出来ません。
ガウリイは、それ以上の問いを重ねず、その日の会話はそれで終わりました。
「特定の期間、喋らず、笑わずの場合、考えられるのは2つ」
「2つ?」
「1つは、呪い。
もう1つは、解呪」
「ずいぶん、極端なんだな」
淡々と言ったミルガズィアに、ガウリイはため息交じりに言いました。
その夜のことです。
いつもとは違うガウリイの様子に、リナは困惑しました。
空のような澄んだ蒼い瞳が、今は暗さを宿しています。ですが、その双眸に真剣な感情が浮かんでいるのが、リナにはわかりました。
「リナ....」
ガウリイが名を呼びながら、リナの頬に触れます。
大きなガウリイの手は、リナの頬をなぞり、顎を伝い、唇に触れます。
その手の動きに、リナは身体を強張らせました。
それは、結婚式当日―初夜のガウリイの行為とほとんど同じでした。
硬直したリナに構わず、ガウリイはリナに口付けます。
唇に触れた柔らかい感触に、リナは身じろぎますが、頭と腰にガウリイの手がかかり、抱きしめられている格好では、抵抗など満足に出来ません。
―何?...何をする気なの?
リナの頭は混乱します。
唇を割って入る暖かいものに、その混乱は、更に拍車を掛けます。
ガウリイは、リナが混乱しているのを知りながら、止まりません。
舌は彼女の小さな唇を割り、口腔を探ります。小さな舌を見つけると、嬉々として絡めとり、腰にまわしていた手は、夜着の胸元を肌蹴ていきます。
存分にリナの口腔を味わい、唇を離すと、彼女からは小さな吐息が漏れます。
潤んだ紅い瞳。
上気した頬。
何よりも、誰よりも愛しい少女。
その少女のそんな表情を見ては、ガウリイが止まるはずがありません。
項に唇を寄せ、強く吸い上げます。
赤い華が咲いたのを見て取ると、ガウリイは満足げに、リナを見つめます。
リナは真っ赤になっていましたが、ガウリイの双眸を見ると、何かを悟ったのか、瞳を閉じました。
その夜、2人は名実共に夫婦になりました。
* * * * *
|