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今はもういない、あの人の優しい歌声が聞こえる。
その旋律は高く、低く。
切ないまでの願いと祈りを乗せて、風にたゆたう。
そして想いの込められた静かな唄は。
今でも自分の中でひそやかに息づいていることを知っている。
―――ねむれよ ねむれ ねむれよ わが子―――
「……え?」
聞き憶えのあるフレーズに、耳を疑う。
誰が唄ってるんだ?
思わず立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回すけれど、それらしい人影はどこにもない。
まあ、当然といえば当然か?
今いるのは街道のど真ん中で、ここを歩いてるのはオレとリナだけなんだし。
「ガウリイ?どしたの?」
「…いや。その…唄、がさ。聞こえなかったか?」
振り返り、不審そうに声をかけてきたリナに尋ねると、彼女はきょとんとして瞬きをし、ぶんぶんと首を横に振った。
………どうやらあの唄が聞こえているのは、オレだけらしい。
―――あなたの夢には のぞみが花さく―――
すっかり春めいた、ほこほこと暖かい日差しの中、緩やかに渡る風に紛れるようにして聞こえてくる唄。
この唄を知っている人間は、オレが知っているだけでも2〜3人程しかいないはずだ。
一体……誰が唄ってるっていうんだ?
―――ねむれよ ねむれよ―――
「ガウリイ、あんたホントに変よ?
次の街までそれ程遠くないし、ちょっと休む?」
とてとてと近づいてきて、心配そうに顔を覗き込みながら小さく首を傾げるリナ。
変、か。
確かに傍(はた)から見てれば、そう見えても仕方ないんだろうな。
「そう……だな。ちょっと、休むか」
「OK!
そーね、あそこに見える大木の下なんてどぉ?」
彼女が指さしたのは、少し先にある小高い丘の上に立つ巨大な樹だった。
「いいんじゃないか?日当たりもよさそうだし」
オレの答えに満足そうに頷き、リナはその豊かな栗色の髪と、月のない夜の漆黒を切り取ったようなマントをはためかせて走り始める。
せっかちだな、なんて思いながら。
それがあいつらしいってことをよく知っている自分が『今更だろ?』と内心で苦笑しているのが解る。
そうだな。確かに。
オレはひとつ深呼吸をすると、大切な彼女を追って走った。
それは、随分と年老いた桂の樹だった。
軽く30メートルはあるだろうそれは、紅色の美しい花で着飾っているようにも見えた。
枝葉や花々の間を縫って差し込んでくる幾つもの陽の煌きが、先に辿り着いていたリナを嬉々として迎えている。
そんな錯覚に陥りそうになりながら、オレは奇妙な既視感に囚われた。
―――前に、この場所で似たような光景を見たことがあるような気がする。
けれどそれは、ほんの一瞬のことで。
いつの事なのか。
途中まで出掛かっているのに、胸の奥で詰まってしまったような感覚に軽く首を横に振り、思い出すことを諦めた。
そして何故か先刻から灰色がかった樹皮を愛しそうに撫で続けているリナの横へ歩み寄り、声を掛ける。
「どーした、リナ?」
「ん?んーとね。
この樹、何だか魔法が掛かってるみたいなのよね。
それがどういった種類のモノなのかってゆーのまでは解んないんだけど、何となく優しくて温かい雰囲気がするのよ」
顔だけこちらに向け、微笑みながらリナが答える。
その正体が気になって、幹を撫でてるのか。
よく見れば、確かに木漏れ陽とは違う白く輝く細かな光の粒子が、大木の周りにふわふわと漂っているのが判る。
それはまるで小さなフェアリー・ソウルの群れが、桂の樹をいたわっているかのように。
あるいは抱きしめているかのように。
彼女の言葉に頷きながらそう言うと、リナは呆れたように溜息をついた。
「ほんと、あんたの視力って信じらんないわよね。
魔力の流れが見えるなんて、人間じゃないわ」
「…誉めてんのか?貶(けな)してんのか?」
ジト目でそう言おうとして、ふっと意識が別の方へ向く。
―――ねむれよ ねむれ ねむれよ わが子―――
まただ。
けれどさっきまでのように、風に紛れて聞こえてきたというよりも―――。
とりあえず二人して幹に背を預け、座り込む。
「………ね、ガウリイ。
もしかして、さっきあんたが言ってた『唄』って、これ?」
「―――ああ、そうだけど」
どうやら今度はリナにも聞こえているらしい。
―――あなたの夢には 平和の実がなる―――
ああ、やっぱり。
この唄は、この樹が唄っていたんだ。
不思議と気味悪さは感じなかった。ただ、懐かしいその声に胸を衝かれたような。
そんな想いが溢れてくるばかりで。
「……ばあちゃん……」
空を仰ぎ目を閉じる。
無意識に、この唄を唄ってくれていた人を呼ぶ。
『これはね、私の実家に代々伝わっている子守唄なの。
だからガウリイが覚えていてちょうだい。
そしていつの日か、大切な人ができて、あなたの家族ができた時。
あなたの子供に唄ってあげてね』
憶えてるさ。忘れるわけがない。
大好きな、ばあちゃんが唄い続けてくれた温かい思い出の唄。
『覚える』ことに抵抗を感じ始めていた、あの当時のオレでも素直に覚える事ができた、短いけれど優しい唄。
突然、樹の周りを漂っていた『魔力の流れ』とかいうヤツがオレ達の目の前に急速に降り積もり、凝縮しながら強く輝き始めた。
「え?ちょ、ちょっと!一体何なの?!」
驚きうろたえるリナを背中に庇い、片膝を立てて剣の柄に手を掛ける。
それはゆらゆらと姿を変え、やがて人の形を取った。
「―――!!」
心臓が、止まるかと思った……。
『それ』は………オレが、よく知っている人間の姿だったから。
そして、決してありえないはずの再会だったから。
「……ばあ、ちゃん……」
あまりのことに、オレは呆然としていたらしい。
後ろからリナが軽く背中を叩いてくれたことで我に返る。
「久しぶりね、ガウリイ」
目の前に立つ初老の女性は、記憶の中にあるそのままの微笑みを見せ、同じ声でオレを呼ぶ。
「…ばあちゃん…何で…」
感情に流されそうになるのを堪え、必死になって気配を探ったが。
彼女からは魔族の気配は欠片も感じられず、張り付く喉をこじ開けるようにして言葉を吐き出した。
「憶えていないかしら。
小さなあなたを連れて、よくここまでピクニックに来たものだけど」
口元に手をやり、ころころと笑う。
あぁ、あの既視感はそのせいだったのか。
ばあちゃんの実家に程近いこの場所に。
ばあちゃんお手製の弁当を持って、二人だけでよく遊びに来たっけ。
胸につかえて出てこなかった記憶が、紐を解くようにするすると流れ出てくる。
「ここなら忘れることはないと思って、残留思念を残せるように魔法を掛けておいたの」
そういえば、ばあちゃんは高位魔法を扱うことの出来る人だったな。
生きていれば、リナと一晩中でも魔道談議をしていたのかも知れない。
「…あの唄を唄う声が似てる、とは思ったけど…。
まさか本当に、ばあちゃんが唄ってるなんて思わなかった…」
まだどことなく現実感を伴わない、現実。
今、目の前にいるばあちゃんは『残留思念』だと言ったけれど。
それが冗談なんじゃないかと思うほど、その身体はしっかりと存在を主張していて。
遠いあの日、オレを庇って死んでしまったばあちゃんは……そちらの方が、幻なんじゃないかと疑ってしまいそうなほどで。
ばあちゃんは微笑みを深くすると、小さくよいしょと呟いてオレの目の前に座った。
「あの唄を、憶えていてくれたのね」
「―――ばあちゃんとの、約束だから」
答えると、嬉しそうに目を細め、いつの間にかぺたりと座り込んじまっていたオレの頭を少しだけ年齢を感じさせる、しわの刻まれた優しい手で昔のように撫でていく。
オレの後ろで、同じように驚きのあまり未だに放心したままのリナに視線を移すばあちゃん。
「こちらのお嬢さんが、あなたと旅をして下さっている方なの?」
「え?あ、ああ。そうだよ。
リナって言うんだ」
間の抜けた答え方だよな、と思いながら、とにかく頷く。
くすくすと楽しそうに笑いながら、ばあちゃんはリナに向かって手を差し伸べた。
「こんにちは、リナさん。私はエレナと言うの。
ガウリイの祖母よ。どうぞよろしくね」
「あたしはリナ=インバースです。はじめまして」
慌てたように自己紹介をして、ぱたぱたとオレとばあちゃんの間に座りなおすリナ。
そうだよなあ。
一緒に旅をするようになってから、『残留思念』がここまでしっかり形作る瞬間に、出くわした憶えはないもんな。
誰でも驚くと思うぞ。うん。
それでもきちんと自己紹介をして、丁寧に頭まで下げてるリナは大したもんだよな。
やっと落ち着いてちょっとだけマトモに回り始めた頭で、他愛ないことを考えてみたり。
そうしているうちに、やっぱりと言うか、何と言うか。
リナはばあちゃんと魔道談議を始め、どうやったらこんなにしっかりとした『残留思念』を遺しておけるのか、とか、どうしてこの桂の樹を魔法の媒体として選んだのか、とかいったことを、矢継ぎ早に質問し始めていた。
こーなっちまうと、オレの出る幕はないな。
こっそり苦笑しながら、それでもいつものように眠りこけてしまうには、あまりにも勿体なくて。
懐かしい人に。誰よりも、逢いたいと願っていた人に。
もう一度、逢うことができた。
大切な人に。誰よりも、逢わせたいと願っていた人に。
逢ってもらうことができた。
その光景を見ることもなく眠っちまうのは……どう考えたって、勿体なさすぎるってもんだろう?
いつだって強い意志を宿したその紅い瞳を生き生きと輝かせ、話に花を咲かせるリナと、そんな彼女を愛し気に目を細めて見詰める、穏やかなばあちゃんの微笑。
緑や黄色、白といった色を纏わせた、柔らかな温もりの木漏れ陽が惜しむことなく降り注ぎ、紅色の花の香りが辺りを包む。
微かな春風が草や葉を揺らし、さわさわと優しい音を立てながら、時間と共に濃くなる花の香りを適度に運び去っていく。
まるで夢を見ているかのような、穏やかで、優しくて、幸せで、暖かな空間。
幼かったオレが、ずっと家族に求め続けてきたモノ。
そして……決して、手に入れることが出来なかった、モノ。
いっそこのまま、時間(とき)が止まってしまえばいいのに。
身代わりとなって死んでしまったばあちゃんは、幻であればいいのに。
……ばあちゃんと、リナと、オレと。
3人だけのこの世界に、ずっと留まっていられればいいのに。
ふと、願ってしまう自分に気付き。
オレは心の中で、ゆっくりと首を横に振る。
―――そんなことは、ありえない。
―――そして、そうであっては、いけない。
………後ろを振り返り、縛られるために、ばあちゃんは想いを遺した訳じゃない………。
時間というものが流れ続けていく限り、タイムリミットは必ずやってくる。
再会を果たした時、中天にあった太陽は、もう1刻もすれば地平線にかかるだろうという位置にまで移動していた。
それを確認すると、ばあちゃんはリナとの会話を収め、膝立ちになってオレを抱きしめた。
―――昔、よくしてくれたように。
「そろそろお別れね。
こうして立派に成長したあなたの姿を、見ることができたし。
魔道の知識豊かなリナさんと、楽しくお話しすることもできたし。
もう魂(こころ)を、ここに繋ぎ止めておく理由もなくなったわね」
そう言って、名残惜しそうに腕を解いて立ち上がる。
本当は、引き止めたかった。
けれど、それは無駄なことなのだと、頭のどこかで解っていた。
だからオレは―――
「…そっか。
もう逢えないと思ってたから……嬉しかったよ、ばあちゃん」
そう言って、心配させないように微笑(わら)って見せるしか……できなかった。
ざあああぁぁっ。
強い風が、吹き抜けていく。
樹の葉を、紅色の花びらを、リナの、オレの髪を巻き上げて。
『ガウリイ。私との約束を……あの唄を、憶えていてくれてありがとう。
そして、私の魂が消えてしまう前に、あなたの大切な人に逢わせてくれて…ありがとう。
もう二度と逢うことはできないけれど、祈っているわ。
あなたの夢に、希望(のぞみ)の花が咲くように。
あなたの夢に、平和の実がなるように。
しっかり掴んで、放さないでいるのよ?
あなたが求め続けた幸せを。あなたが夢見た、温かい時間を』
言葉が、頭の中へ流れ込んでくる。
ばあちゃんが得意としていた、思念波能力(テレパシー)。
『リナさんと2人で、幸せに……ね』
『ああ……必ず』
自分の髪に視界を阻まれ、ほんのわずかな隙間から見た光景は。
力強く頷いて見せたことに満足そうに微笑んだまま、風にさらわれるように溶け消えていく、ばあちゃんの姿だった。
オレの中にひそやかに息づいている、ばあちゃんのくれた、優しい記憶を。
いつか、自分の子供たちに伝えたいと思う。
生まれ育った家は、とても冷たいものだったから。
たかだか『剣』1本に、『勇者の子孫・ガブリエフ家』と言う名に振り回されて。
人知れず誰かを傷つけて、命の奪い合いさえ当然とするような家じゃなくて。
温かくて強い絆に結ばれた家をつくりたいと思う。
できるなら―――誰よりも、何よりも大切な、リナと一緒に。
ねむれよ ねむれ ねむれよ わが子
あなたの夢には のぞみが花さく
あなたの夢には 平和の実がなる
ねむれよ ねむれ ねむれよ わが子
END
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