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『黄金(きん)の悪夢』
それがオレの、傭兵時代の二つ名。
あの頃は、何とも思わなかった名前。
―――けれど、今は。
「ガウリイ?!何してるのよ!」
すっかり聞き慣れた澄んだ高い叫び声が、ぼんやりと霞んだ意識を引き裂く。
まだあどけなさを色濃く残す顔を蒼白にして、ぼたぼたと血を流すオレの左腕を取って早口で治癒を唱えるリナの表情は、見た事もないほど険しかった。
『――あぁ、また…やっちまったか…』
小さな手に宿る柔らかな輝きを眺めながら、気付かれないように溜息をつく。
悪い癖だと思っていても、オレの無意識は未だにこれをやめようとしない。
ふぉん、と魔力が途切れる微かな音と共に、狭い範囲で舞っていた光の粒子がその姿を消す。
たった今まで血が流れ続けていたのが嘘のように、決して浅くはなかったはずの刀傷は綺麗になくなっていた。
「………すまん、ちょっとばかしドジ踏んじまった」
いつもの『くらげ』な仮面を被り、へらっとリナに笑って見せる。が、それはどうやら失敗だったようだ。
安心したように瞼を閉じていたリナは、オレの言葉を耳にした瞬間に物凄い勢いで睨みつけ、僅かに唇を震わせて言葉を紡ぐ。
「嘘つき…」
奥歯を強く噛み締める、きり、という音がオレの耳にまで届く。
「……ちゃんと見てたんだから。あんまりあたしを馬鹿にしないでよ…っ!」
オレの腕を取ったままだった手を乱暴に振り解き、くるりと踵を返す。
細く柔らかな栗色の長い髪が風を孕み、赤くなり始めた陽光の中を朱金に煌きながら、ふうわりと舞った。
「早くしないと、野宿になっちゃうでしょ!さっさと行くわよ!」
「ああ、そうだな」
こちらを見ようともしない怒気を含んだままのリナの声が先へと促し、オレは『見られていた』という罰の悪さに、呆けたように返事を返すしかなかった。
ぱん、と鋭い音を立てて木が爆ぜる。
宿を取る予定だった村はレッサーデーモンに襲撃されたらしく、廃村になっていた。
そこに着いた時には既に夜の帳が降り始めていて、仕方なく壊れ方のマシな家で一夜を明かすことにした。昼間はまだそれほど寒くはないが、さすがに夜になれば冷え込んでくるようになった屋外で野宿をするよりはずっと運が良かったと言える。
リナもそれが解っているから、村へ着いたばかりの時はぶつぶつと文句を言っていたものの、暖炉に火を入れる頃には大人しく毛布に包まって蹲っていた。
「……ねえ、ガウリイ」
「ん?」
「何で、あんな事したの?」
やっぱり来たか、と半ば諦めながら彼女の方へ顔を向けると、さっきまで暖炉の火をじっと見つめていたリナがこちらへ視線を移していた。
「あんなことって?」
リナは絶対に引かないだろうと解っていても、とりあえず惚けてみる。
あまり、すすんで話したいことじゃなかったし。
「ごまかさないでよ!」
怒りを隠そうともしない彼女の紅い瞳は強靭な意志の光を宿し、炎の煌きを受けて更に強く輝いていた。
はぐらかす事は許さない、と。
言外に、しかし雄弁に。
一瞬その輝きに見入ってしまってから、応えを促すように黙ったままのリナに気付く。
本当は彼女に出会う前の事なんか知られたくはなかったけれど。リナがそれを望むのなら……そして、『あれ』を見られてしまったのなら。
ほんの、少しだけ。
オレは大きく一つ深呼吸をすると、腹を括って彼女に向き直る。
「――オレは、馬鹿だから」
消してしまいたい過去を、一番知られたくないひと存在に欠片でも話さざるを得ない恐怖に、声が震えてしまわないように。
ゆっくりと言葉を紡ぎながら、注意を払う。
「ああやって、忘れないようにしようと思ったんだ」
抱えたまま切り捨てる事も、昇華する事もできないままでいる深く、重い罪。
リナの顔を見れば、きっと話せなくなってしまうだろうから。
そう思って目を伏せていても、話を洩らさず聞こうとしてリナが音を立てないように近寄ってくるのが気配で判った。
「……初めは、ただ強くありたかった。
けど…だんだんそれも、どうでもよくなっちまってさ。
そのうち自分の死に場所を探すためだけに、戦場を転々としてた。
オレより強い奴を捜して……オレを殺してくれる奴を捜して」
彼女が、小さく息を呑む。
そうだろうな。これはリナの知らない――多分リナが想像もしてなかっただろうオレのあまりにも弱い姿。
軽蔑、したかもしれないな。
ふと思い、内心で自分を嘲笑う。自業自得って奴だろう。
「…強くなりたくて、傭兵団に入って。初めて人を斬った時、その事実が恐ろしかった。
恐怖に狂いそうになりながら、考えて、考えて―――。
その夜からオレは奪った命の数だけ、身体に傷をつけるようになった。
その数が多い時は、傷はひとつだったけど深くて大きなヤツを。
それで罪が消えるわけじゃないって解ってても……どうしても、やめられなかった。
いつの間にか大層な二つ名で呼ばれるようになって、心を失くしちまっても、な」
こんな自分を知ったリナは、どうするだろう。
まだ、傍に置いてくれるだろうか。
ぴりぴりと音を立てて、リナといるために『傭兵としてのオレ』の表面を取り繕っていたものが剥がれ落ちていくような気がした。
それは想像していたよりもずっと鋭く叫び出したいような痛みを伴っていて、じくじくとした傷口があっという間に露になって。どうしたらいいのか解らなくて狼狽する自分がいる。
こんなのは……初めて人を殺した、あの日以来の事で。
そして今は、あの時以上の恐怖に竦んでいるのが自分で判る。
―――リナの傍に、いられなくなるかもしれないという恐怖に。
突然さらり、と絹糸が流れるような微かな音が耳を打ち、視界が陰る。
額に温もりを感じて目を上げると膝立ちになったリナに頭を抱かれていて、微かな音の正体が彼女の豊かな髪が流れ落ちた音だという事に気付く。
「――ホント…馬鹿なんだから……」
寂しそうに、苦しそうに微笑みながらオレの髪に頬を埋め、目を閉じる彼女の白い小さな顔に、ゆらゆらと火影が映る。
その姿はいつもの『少女』ではなく『女』としての美しさを際立たせていて、素直に綺麗だと思う。そして自分の中に生まれてかなり経つ密かな想いに、確固たる名がつくのを自覚した。
『保護者』としてではなく、一人の『男』として彼女の傍にいたいのだと。
だからこそ、彼女に拒否されることが怖かったのだと。
「でも、ガウリイらしいよね」
ぼんやりと思考の海に漂っていたオレを引き戻すように、ぽつりとリナが呟いた。
「優しすぎるのよ、ガウリイは。
消してしまった命を忘れないように自分を傷付け続けるのも。
傭兵であるために、心を失くしたように生きてきた事も。
そういうの全部、あたしに隠して微笑み続けてきた強さも。
優しいからこそだと思う。優しいから、罪を忘れられなくて、苦しんで、もがいて。
それなのに、あたしの抱える重さまで『半分背負ってやる』なんて……」
きゅっと頭を抱き直し、片手でオレの髪を梳きながら小さく息を吐く。それが何だか小さな頃の温かい思い出に重なって胸が苦しくなる。
オレに優しい時間と思い出をくれたのは、いつだって両親じゃなくて、ばあちゃん唯一人だった事に今更のように思い当たる。
そして同じ温もりをくれるのが、子ども扱いしていたはずのリナしかいない事に驚き、状況を忘れて思わず苦笑する。
「ねえ、あたしじゃダメなの?」
零れた苦笑をどういう意味に取ったのか、不服そうに、けれどどこか不安そうに顔を覗き込んでくる。
「あたし、ガウリイに背負ってもらうばかりでいるほど、弱くないよ?
…そりゃ、凄く強いって訳でもないけど、あたしだって……ガウリイの重さを半分背負えるくらいの事はできるんだって、思わせてよ。
ガウリイは辛さとか、苦しさとか、たくさん知ってるから…あたしにそういう思いをさせたくなくてわら微笑ってくれるんだろうけど。
あたしは、泣いてる事に自分で気付かずにいるガウリイを見てるしかないのは嫌なのよ」
ゆっくりと、静かに説き伏せるように言われ、リナの小さく温かな手がオレの頬を柔らかく拭う事で初めて自分が泣いている事に気付いた。
人前で泣くなんて、一体どのくらい振りだろう。
少なくとも『光の剣』を持って家を飛び出してからは、泣いた記憶はない。正確には、泣く暇なんてなかった。
泣く事に抵抗もあったから、ってのもある。
けど、今。
リナの前でだけなら。
オレは泣けるのかもしれない。
「我慢なんてしないでよ。独りで背負って、こっそり苦しんだりしないでよ。
いつだって、あたしが隣にいるんだって事、忘れないでよ。
ガウリイは今まで自分のだけじゃない、たくさんの悪夢を取り込んで独りで抱え込んできたんだから」
『悪夢』という言葉に、びくりと身体が震える。
リナは、オレの二つ名なんて知らないはずなのに。
弾かれたように顔を上げると、そこには一世一代の告白をしたのだとでも言うように、真っ赤な顔をしたリナの恥ずかしさの極みにあるような、でも穏やかで優しい眼差しがあった。
そんな彼女の姿が何だか愛しくて、自然に笑いがこみ上げる。
「ああ。そうだよな。
リナがいてくれるなら、オレはそれだけでいい。
何も、怖くないさ」
「そーよ!この天才美少女魔道士リナ=インバースが隣にいるんだから、天下無敵よ?!
それを忘れたりなんかしたら、許さないんだから!」
顔を赤くしたまま、いつもの勢いを取り戻したリナはそそくさと身体を離すと、くつくつと喉の奥で笑うことを止められないでいるオレに向かってびしぃっ!と指をさし、
「明日は早いんだかんね!ちゃっちゃと寝る!」
と言って毛布に包まり直し、こちらに背を向けてごろりと床に横になった。
「はいはい。お休み、リナ」
未だ笑みを消し切れないまま、オレも自分の毛布に包まり横になる。
ぱちぱちと、静かな空間に響く火の粉が生まれる音に耳を傾ける。
「……これは、独り言よ」
小さな、よくよく注意していなければ聞こえないような声で、ぼそぼそとリナが呟く。
「ガウリイが、ガウリイであること。あたしにとって大切なのは、それだけ。
過去がどんなものであれ、あたしはガウリイが――す、好き……よ?」
一瞬、時間が止まる。
言葉の最後の方は、本当に消え入りそうな声だったけれど。
き……聞き間違い……じゃ、ない、よな?
今の言葉が同情とか、そんなものから生まれた訳じゃない事を確かめたくて。そろりと上体を起こし、背中を向けたままの彼女を見つめる。
さっきと姿勢は変わっていないけれど、耳まで赤くなっているのは炎に照らされているせいだけではないようで。
オレはリナの傍へ寄ると、背中合わせになるように寝転ぶ。
毛布越しに彼女の温もりと思いっきり緊張しているのが判る鼓動が伝わってきて、さっきの言葉がほんとう真実で、かなりの勇気をもって唇に乗せられたのだという事が知れた。
「……ありがとな、リナ」
彼女の心に届くようにと祈りを込めて囁いて、自分の恐怖が現実のものにならなかった安堵と、思いがけず手に入れたしあわせ幸福に、改めてそっと微笑んだ。
『黄金(きん)の悪夢』
それがオレの、傭兵時代の二つ名。
あの頃は、何とも思わなかった名前。
―――けれど、今は。
今は、リナを狙ってくる世界中の全ての『モノ』に対して。
誇りを持って、高らかに名乗ってやるさ。
オレの闇を照らす、小さいけれど何処までも自由で鮮烈な光。
その光を、決して失わないように―――。
END
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