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静かな夜だった。
月を隠していた雲が晴れ、月の光が降り注ぐ。
長い金髪がキラキラと反射し、湖のほとりで月を仰ぐ彼は壮絶なほどキレイだった。
そう、哀しいほど。
表情は崩れない。
でも、彼の心を伝う涙を、あたしは確かに目にしたと思った。
「涙(sideL)」
強い日差しをさえぎるために街道を少し外れた森の中を歩きながら、あたしは気付かれないようにそっと後ろを盗み見た。
あたしの旅の連れ、ガウリィ=ガブリエフの様子がおかしいのだ。
先ほど少し遅めの昼食をとったあと、あたし達は言葉を交わしていない。
といっても、そんなことは別に珍しいことじゃない。
一日中一緒にいて、四六時中話をしているわけじゃない。
むしろ、彼との間では会話をしなくても不自然にならないことが、あたしはとても気に入っていた。
言葉がなくても彼の気配はすぐ側にあり、いつも全身であたしを気遣い、包み込んでくれているのがわかっているから。
でも、今日の彼はちがっていた。
今、彼の目は前を向いているようで、実際はどこも見ていない。
たぶん、今あたしがとなりにいることさえ、忘れている。
考え込んでいる、というのも少しちがう感じだ。
何かにとりつかれでもしたかのように、どこか遠い一点をにらんでいる。
険しい瞳で、まるで何かと戦うかのように。
何か…あったのだろうか。
あたしは思わず「どうしたの?」と尋ねそうになって、あわてて言葉をのみこんだ。
ここから先は、あたしの踏み込めない彼の領域だとわかっていたから。
出会って4年。
ガウリィが見かけほどクラゲではないことに、あたしはとっくに気付いている。
まぁ、もともと体資本で、難しいことを考えるのが得意でないことは事実だろうが。
記憶力もよい方ではなくても、肝心なことはきっちり覚えている。
早い話、彼は「前の日に食べたものも忘れるような、バカでのーてんきでのほほんとしたにーちゃん」を演じているのだ。
どこまでが意識的でどこまでが無意識なのか、あたしにはわからない。
でも、少なくともあたしの前で見せる半分はおそらく意識してやっている。
出会ったころはおそらくあたしの警戒心を解くため。
今はおそらく…あたしに心配をかけないために。
そして半分は、彼は恐れているのだ。
あたしに本性を見せることを。――あたしに、拒絶されることを。
だからあたしはだまされたフリをする。
「まったくクラゲなんだから!」と口にして、彼を安心させてやる。
都合の悪いことはクラゲのフリをしてすぐごまかしてしまう彼に、心の中で苦笑しながら、何も気付いていないフリをする。
目の前の男の演技にまんまとだまされる、バカな女を演じ続ける。
あたしもたぶん恐いのだ。
彼が隠したがっていることに踏み込み、――拒絶されることが。
あたしはもう一度彼を盗み見て、小さくため息をついた。
湖の近くに火をおこし、いつものようにあたしとガウリィは簡単な夕食を済ませた。
ガウリィはいつもより少し無口だった。
そして時折じっとあたしをみつめた。おそらくは本人も無意識のうちに。
まるですがるようなその視線に、あたしは気付かないフリをした。
瞳の中に見え隠れする焦りと哀しみ。
そのあまりのひたむきさに、あたしは戸惑っていた。
口を開けば、あたしは核心に触れてしまう。
彼がずっと隠してきた、その本質に触れてしまう。
そのとき彼はどうするだろう。
あたしは拒絶されることが恐かった。
と、不意に何かの異変を感じ取り、あたしは浅い眠りから覚醒した。
焚き火の火が消えそうになっている。
そして、あたしのそばにガウリィの姿はなかった。
月は西よりに傾いているが、夜が明けるにはまだかなりの時間がある。
あたしはそっと起き上がると、足を忍ばせて湖にむかった。
ガウリィは湖のほとりで木に寄りかかって座っていた。
月に照らされた彼は壮絶なほどキレイであたしは息をのんだ。
神秘的な外見と、崩さない表情。
けれど、美しければ美しいほど、そこには冷たさしか感じられなくて。
胸が痛んだ。
彼が孤独を感じるとき無表情になると知ったのはいつのときだったか。
思えばあの頃からあたし達の距離は縮まっていないのかもしれない。
バカな芝居を続けながら、いつか近づく日が来るだろうと。
互いに一歩も動かないまま。
声をかけようと数歩ガウリィに近づいて、あたしはハッとした。
蒼色の瞳の奥に渦巻く彼の感情に気付いたから。
もはや隠そうともしない彼の感情は強くて。
焦りと悲しみと苛立ちと。
抑えきれずに自分をもてあまし、助けを求める幼い子供のような目で。
普段あたしには絶対見せないような等身大の男がそこにいた。
不意に月が隠れ、あたしは耳にした。
「助けてくれ…リナ…」
暗闇の中で。
搾り出すような彼の声を。
そしてあたしは唐突に理解した。
彼があたしに何を求めているのかを。
「泣きなさい。」
あたしの気配がわからなかったのか、ガウリィは驚いて顔をあげた。
途方にくれた表情で、瞳が大きく揺らいだ。
戸惑う彼を見据えながら、あたしはくりかえした。
「泣きなさい、ガウリィ。」
何か言おうとしたのか、彼の唇がかすかに震えた。
ぎこちなく、右手をそっとあたしの方へのばす。
指先が震えていた。
そして。
彼の手があたしに届くより早く、あたしは彼の頭を引き寄せた。
見開いた蒼い瞳から幾筋も頬を伝う、彼の涙をみとめて。
「ばかね。」
人一倍包容力があるくせに、自分のことには誰よりも不器用なガウリィ。
お互いに限界を感じていたのに、肝心なことは避けて考えないようにしてきた。
こんなに追い詰められてさえ動けない彼も、それを薄々わかっていながら動くのをためらっていたあたしも。
ばかよ、あなたもあたしも。
そっと髪を梳き上げると、それに応えるかのようにガウリィはあたしをきつく抱きしめ、そして、激しく、泣いた。
月が西へ傾く。
もうじき夜が明ける。
やがて陽が昇り湖を優しく照らしたら。
あたしは今度こそあなたに伝えるわ。
拒絶を恐れる心をできるだけ隠して。
本当のあなたが知りたい、と。
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