雨が過ぎ去ったら 

 


 

 雨は感傷を連れてくる。

 その優しい音と共に乾いた大地へ染み込むように、ゆっくりと確実に。
 忘れかけていた思いを、願いを心に染み込ませていく。

 

???

 

 

 さぁぁぁぁぁ……っと途切れることなく続く雨の音。
 湿った風がたき火を揺らす。
 しゅんしゅんと湯気をたてる小さなヤカンと、身体を温める為の香茶のカップ。
 冷え切っていた身体が薬草入りの香茶を飲むことで、少しずつ暖まってくる。

 「リナ、まだ寒いか?」
 毛布に包み込まれた腕の中の存在を見下ろして、オレはそっと額に触れようと手を伸ばした。
 「だ、大丈夫よ……まったく、過保護なんだから……」
 その手を払いながら小さくつぶやく彼女の顔が赤いのは、熱のせいじゃなくたき火の炎を受けているからでもない。
 下着だけの姿で毛布に包まり暖炉のたき火にあたっている少女の身体を少しでも暖めようと、後ろから抱きしめたのはついさっきの事だ。
 じたばたと少しの間暴れはしたけれども、結局寒さには勝てなかったか、今はおとなしく抱かれていた。
 雨期だから仕方のないことなのだが、突然降り出した雨。 雨宿りする場所もなく、ようやくこの木こり小屋を見つけた時にはお互い全身をびっしょりと濡らしていた。
 ただでさえ寒がりなリナは、急な温度変化にさっきまでカタカタと震えていたのだ。
 マントを外して武装を取れば、そこにいるのは華奢な女の子でしかない。 過保護にもなるさ、と胸の内でつぶやく。
 ロープに掛けた濡れた衣服からぱたぱたと水滴が落ちていく。
 今さら恥ずかしがることもない、と思うのだけれども。 いつまでたってもこの初心な彼女が、可愛らしい。
 いつからだろう。 リナの存在が、こんなにも愛おしいと思い始めたのは。
 雨の勢いは増すばかりでちっとも止みそうな気配はない。
 木の扉越しに聞こえてくる雨の音。 どこからかカエルの鳴き声まで微かに聞こえる。
 パチパチと時折はぜる火の音。
 そんな静かな空気の中で、くすっと、不意にリナが笑った。
 「リナ?どうした?」
 不思議そうに尋ねたオレの顔を見上げて、またもクスっと笑う。どこか懐かし気な微笑みを浮かべながら。
 「何かね、不意に思い出しちゃって」
 「何を?」
 「ちっちゃかった頃の事。まだ魔道を習い始める前だからいくつの時だろ……?ねーちゃんと2人で森に探検に出かけた時、やっぱりこんなふうに急に雨が降ってきてね。雨宿りする場所なくって2人で走り回ってたら洞窟を見つけたのよ」
 「うん。それで?」
 「多分、熊か何かの動物が冬眠に使ってたらしい穴でね。中には木と枯れ草とか一杯あったから取りあえず火をつけて暖まれたのはいいんだけど、雨がなかなか止まなくってさ」
 「うん」
 「仕方ないから今日はここで野宿するって事になったんだけどね。ねーちゃんがやけに入り口を見つめてぴりぴりしてるのよ。珍しいこともあるもんだと思って、そーっと近づいて背中突ついたら、すごい悲鳴上げて飛び上がってね」
 「ほお?」
 「『驚かすんじゃないわよっ』ってげんこつ5、6発食らって倒れたんだけどさ。ねーちゃん、プルプル震えてんのよ」
 「……げんこつ5、6発って……」
 「教育的指導。うちのねーちゃん、手加減なしだから痛いのなんのって……ともかく!あの天下無敵のねーちゃんが震えてるから、なにかとんでもないことが起きるのかと思ってあたしも緊張したわけよ。武器になりそうなものなんてナイフとたき火ぐらいしかないし、何より、ねーちゃんのあんな姿見たのは初めてで動揺しちゃったしね」
 「それで?何が起こったんだ?」
 「なーんにも」
 「へ?」
 「2人して緊張してたけど、なーんにも起きなかったの。今みたいに、絶えまなく雨の音が響いてて、雨垂れの音が時々して、微かにカエルの鳴き声が聞こえてただけ」
 「……それで何で震えてるんだ?寒かったのか?」
 「それがねぇ……」
 くすくすっと耐えきれない笑いがリナの口から漏れる。
 「後で知ったんだけどね、ねーちゃん、カエルが何より苦手だったのよ」
 「カエル!?」
 「そう。あたしにとって、ねーちゃんは強くて怖いものなんかなくって無敵の人だと思ってたから意外でね。その頃にはもう赤竜の騎士(スィーフィードナイト)を継承してたからよく大人たちの挑戦なんかも受けてたし、もちろん負けた姿ってのを見たことがなかったから余計に意外でさ。何か、嬉しくなっちゃって」
 懐かしい、愛おし気な眼差しと声を受けて、オレの手はゆっくりとまだ湿っぽいリナの髪を梳いていく。
 「ねーちゃんも可愛いとこあるんだなって。ねーちゃんも普通の人なんだなって思って嬉しくなっちゃったんだ」
 「そうだな。でもお前、それでからかって遊んだりしただろ」
 「うっ……まぁ、子供の悪戯って事で……」
 ブルっと身体を震わした所を見ると、その悪戯のせいで味わった『おしおき』を思い出したらしい。 そんな様子にクスっと小さく笑って、きゅっと強めに抱きしめた。
 「リナだってアレ嫌いだろ?ナメ……」
 「その名前は言わないでっっ!」
 ぎゅうっとしがみついてくる小さな手。実物が出たわけでもないのに怯えている様子に、愛おしさが湧き出てくる。
 ここにいるリナも、ただの普通の女の子だ。
 世間じゃ色々言われているが、確かに言われても仕方のないくらい暴れているのも認めるが。
 普通の、守りたくなる小さな、女の子なんだ。
 リナを通じて、まだ会ったことのないリナのねーちゃんの姿が浮かぶ気がする。
 自分の苦手なものがいつ入って来るかもわからない恐怖の中で、それでも大切な妹を守っている小さな少女の姿が。
 「……いつも守ってもらってるんだよね、あたし……いつもねーちゃんには負けたくないって突っかかってたけど、本当はいつだって守られててさ。あの頃はそんなことにも気付かないでいたけど、ね……」
 「お前はいつだって、後ろを見ないで突っ走ってるからな」
 「……悪かったわね」
 ぷうっと膨れながらも、ゆったりと背中を預けてくる小さな身体。
 「……今は、ちゃんと感謝してんのよ」
 「……わかってるよ」
 言葉に出せない部分も、ちゃんとこの温もりが伝えてくれる。
 こうやって素直に背中を預けてくれるようになったのは、いつの頃だろう。
 彼女のねーちゃんのように。無条件でただリナを守りたいと、守ってみせると誓ったのは、いつの時だったのだろう。
 静かでゆったりとした時間が流れていく。
 雨の勢いは更に増しているようだ。
 「そういや、珍しいよな」
 「……何が?」
 「お前がねーちゃんの話するのって。いつも名前出すだけで怯えてただろ?」
 「うっ……まぁ、そうなんだけどさ……」
 覗き込んでいる俺の視線をかわし、なんとも複雑な表情で遠くを見つめて、こてっと頭を預けてきた。
 「……雨のせいかな。なんかしみじみと思い出しちゃった。しばらく実家に帰ってないからかもね」
 「……そっか」
 雨は感傷を連れてくる。
 擦り寄ってくるリナの髪に軽く唇を落として、そっと包み込むように抱きしめた。
 オレたちが出会ってから何年が経ったのか正確には覚えてない。もう、とんでもなく遠い昔のようにすら思える。
 それだけ2人でいることに馴染んでしまった、と言うことなのだろう。
 嬉しい反面、忘れていた。
 リナには、まだ帰るべき家がある、ということを。
 普段は忙しさや目標や目先の騒がしさに忘れてしまっているが。こんな雨の静かな日やふと目を覚まして眠れなくなった夜などに、ふっと、思い出すこともあったのだろう。
 暖かい、家族の記憶。
 ――――オレには望めない、幸せな家族の思い出。
 リナがどれだけ大事に育てられてきたかは、これだけ一緒に過ごしていればわかる。
 「……いいな、リナは……」
 ゆっくりとリナの髪を撫で下ろしながら、自分でも思い掛けない声が唇から漏れた。
 「……ガウリイ?」
 「……オレには、暖かい家族なんてもの、ないからな……」
 自嘲気味の声に小さな溜め息。
 雨は感傷をつれてくる。
 らしくない本音が漏れてしまったのは、腕の中のリナがあまりにも暖かく、当然のようにいてくれたからかもしれない。
 長いこと、考えることすら忘れ去っていたオレの家。
 『光の剣』に呪縛されていたあの家は、今も変っていないのだろうか。
 守る、という本当の意味も知らず。変なエリート意識と義務感に圧迫されていたあの家。
 光の剣がなくなった今は、少しは変わったのだろうか。オレが望んだように。それともいまだ呪縛から抜け出してはいないのだろうか。
 「……俺は、家族を……故郷を捨ててきちまったからな」
 帰る場所を、安らげる場所を。 もともとそんな場所ではなかったけれども。リナのように実家が懐かしむ場所でないことが寂しい。
 あの日、光の剣と僅かなお金を持って飛び出した時の、あの時の感情が蘇ってきたようで、思わずリナを抱き締める手に力が入った。
 世界中でたった1人になってしまったような、あの時の感覚から逃げるように。
 「……後悔してるの?」
 小さな、でもハッキリした声が腕の中から聞こえた。
 見下ろすと揺るぎない紅い瞳が、まっすぐオレを見つめている。
 いつからだろう。
 この瞳の前では嘘など付けないと思えるようになったのは。
 「……してないよ」
 「本当に?」
 「本当に。光の剣をもって故郷を飛び出したことは後悔してない。ただ……リナがあんまり嬉しそうな顔してるからさ、ちょっと羨ましくなっただけさ」
 微笑んでみせたオレをじっと見つめて、リナが急にごそごそと身体の向きを入れ替えた。
 向かい合いになって、両手を持ち上げてパチンっとオレの頬を挟んで引き寄せる。
 至近距離で見つめられて何だかそわそわした気分が沸き上がる。
 「何そんな困ったような顔してるのよ」
 クスっと笑った表情に、今さらながらどきんっとした。
 「初めてだよね、ガウリイが自分の家の事話したのって」
 「……そうだっけ?」
 「そうよ。あたしも改めて聞いたことなかったけどね。いつか話してくれればいいなぁって思ってたから」
 「……そっか」
 そっとリナの小さな手がオレの頬を滑り、ぽんっと頭の上に着地した。
 くしゃっと掻き回される髪。いつもオレがリナにしているように柔らかく掻き回してくる。
 「ねぇ、ガウリイ。あたしはあんたの家族に感謝してるよ」
 「―――――え?」
 思い掛けない言葉に困惑するオレを真直ぐ見つめて、手の動きは止めないままにリナは言葉を紡ぐ。
 「全然知らないけど……でもガウリイを産んで育ててくれた家、でしょ?ガウリイがガウリイになった、その根本を育ててくれた家だもの。だから、あたしはあんたの家族に興味があるし、感謝もしてる」
 「……リナ……」
 「何があったかは知らないよ。まだ聞かない。でもあんたが話してもいいって思えた時には聞いてあげるから」
 そう言った時のリナの微笑みと優しい手が、記憶の底に沈んでいた懐かしい暖かさに触れたような気がした。
 身体に染み込んで魂に刻まれた、忘れ去っていて今も思い出したわけじゃないけれども。この暖かさはきっと、遠い遠い昔に感じた、母親の温もりに似ている。
 「………かなわないよな、リナには」
 こてん、と頭をリナの肩に預け、抱き締める手に力を込めた。
 こんなにも情けない姿を見せたのは、初めての事だったかもしれない。
 けれど、リナはそんな情けないオレを当然のように受け入れてくれていた。


 雨は感傷を連れてくる。
 雨音は閉じられていた心の扉を叩く。
 扉を開くことが出来たのは、きっと1人じゃなかったからだろう。
 誰よりも愛おしい守りたい人に、実はそれ以上に守られていたことに、今気付いた。
 人は独りでは生きていけない。


 「ガウリイ知ってる?雨上がりに虹が出る事があるでしょう?その虹の橋をくぐり抜けたら願いが1つ叶うんだって」
 「は?」
 『願い事』などという珍しいリナの台詞に、思わず先ほどの感傷も忘れまじまじとリナを覗き込むと、紅い瞳に挑戦的な光を宿してニッと唇に笑みを乗せてきた。
 「さっきの話の続きよ。雨が上がって洞窟から出たら大きな虹が出ていたの。それを見た瞬間にねーちゃんが飛び出していったのよ。虹の橋をくぐってみせるって」
 「それで?」
 「あたしも一緒に走っていったけれど、どんなに走っても虹には追いつけない。そのうちに消えちゃったわ」
 「……そーだよなぁ」
 追い掛けても追いつけない。視界にはっきり写っているのにあやふやで、手の届かない虹の橋。
 「その時は消えちゃったけど、虹が出るたびにねーちゃんは何度も挑戦してたみたい。強いねーちゃんが何を願っていたのか知らなかったけれど、本気で何かを望んでいたのは確かなのよ」
 「ふーん……?」
 「何年かしてからふと気付いたんだけれどね、いつの間にかねーちゃんはカエルが平気になってたの。本当に虹の橋をくぐったせいなのかははっきりしないけれど、ね」
 リナが何を言いたいのかよくわからなくて首を傾げながら覗き込んだら、ウィンクをしながらオレの鼻を細い指がピシっと弾いた。
 「だから!雨が上がって虹が出たら、一緒に走ってあげるわよ。いつまでも逃げてるなんてあんたらしくないでしょ?」
 「……あ……!」
 「それとも、1人で走ってく?」
 「……いや……一緒に行こう。来て欲しい」
 抱きしめて囁くと、満足げに笑って、ポンポンと小さな……でもとても大きくて暖かな手が俺の背中を叩いてくれる。
 欲しいものは何でもその手で貪欲に掴んできた手が、『しっかりしろ』と。
 「……ありがとな」
 「………別に、何もしてないでしょ」
 

 

???

 

 雨はまだ降っている。
 雨は感傷を連れてくる。
 けれど、雨の後には虹が出るだろう。
 神頼みしたくなるような問題に立ち向かうのは、虹の橋をくぐり抜けることと同じくらい難しいことだけれど。
 虹は、きっと出るだろう。
 リナが、一緒に走ってくれると約束したのだから。
 だから逃げないで追い掛けよう。
 そうすれば。 虹の向こうには、きっと、素晴らしい世界が待っている。


 「……雨……早く、上がるといいな」
 「……そーね」

 

 

Fin


 

♪『sai〜零れた6つの小話』から『雨が過ぎ去ったら』をお届けしました。
あちこちにお渡ししたゲスト原稿の中から、取りあえず健全なもので(笑)あまり内容が被らないようなものを6つ集めた短編集です。
それぞれで全て知っていると言う方がもしいらっしゃったら、特別賞をお渡しせねば(笑)

よろしかったらお気楽に読んでやって下さいね♪