弱虫モンブラン〜プロローグ〜


 

 どこからか微かな音楽が流れてくる。
 賑やかなのにどこかもの悲しげな、わくわくするようでいて胸を締め付けられるような。  どこかで聴いた事があるような、初めて耳にするような。
 (……どこから聞こえるのかしら……)
 夢現のぼんやりとした意識の中に、するりと忍び込んで来た音を辿ろうとする。
 何故か気になって仕方のないその音楽は一体どこから流れてくるのだろう。
 (……ナイトメア……?)
 重い瞼を何とか開くと、そこはいまだに夢の中。薄闇の中に幾つもの貴石の欠片を溶かし込んだようなぼんやりとした光が淡く輝く、見慣れた夢の空間だった。
 時間の狂ったこのおかしな世界(ワンダーランド)に連れて来られてから、夢は1人で見るものとは限らなくなった。おかしな世界のおかしな住人たちの中でも特におかしな『夢魔』が支配する夢の世界には、時々その主が現れるから。
 でも、今は1人だけだった。
 ナイトメアがここへ眠った私を呼ぶのか、眠った私の意識がこの場へ引き寄せられるのかわからないが、この場で目覚めてナイトメアの姿がないのはあまりないことなのに。
 ナイトメアの支配する夢は私を傷つけない。だからこの場所は私にとって最も安全な場所の1つだ。
 けれど、1人で見る夢は不安になる。
 いつもなら夢の中で目覚めた意識はハッキリしているのに、今は瞼を開いているのがやっとの状態なのも、いつもと違って不安を招く。
 (ナイトメア……?いないの……?)
 心で呼びかけても、返事はない。現実でも人の心の声を聞く彼に、夢の中で呼びかけて聞こえない事なんてないのに。
 ……ああ、でも。私が休憩に入る時もナイトメアは仕事のノルマが終わらなくてグレイに捕まっていたっけ……
 ぼんやりした意識の中で眠る前の事を思い出す。


 最初に『白ウサギ』のペーターに連れてこられた『ハートの国』では、夢の中でしか会う事の出来なかったナイトメアだけれど、とんでもない『引越し』によって『ハートの国』が『クローバーの国』に変わったこの世界で、なんと彼と現実で再会した。
 しかも、『クローバーの国の領主』で『クローバーの塔の塔主』なんていうとんでもない身分付きで。
 常識的に考えれば偉い人。だけど服装が変わっていても中身は変わらない。夢の中でもわかっていたが、夢から出てきた彼は更に輪をかけてとんでもないダメ男だった。
 仕事からは逃げる。病院と薬と注射からも逃げまくり、挙げ句吐血して倒れる。それなのに格好つけて煙管をふかしてまた咽せる……とんでもなく子供っぽいどうしようもない人。
 そんなダメ領主だけれど、不思議とどうにかしてあげたくなるのはこれも一種の人徳なのだろうか。
 彼の補佐役であるグレイは、もはやどこから見てもナイトメアの『お母さん』だし、私もつい世話を焼いてしまうのだ。
 すっかり落ち着いた今でもやっぱり納得出来ない『引越し』によって、ずっと滞在していたハートの国の『時計塔』とその滞在主であるユリウスと強制的に、一方的に離ればなれになって一時はかなり落ち込んだけれど、今はすっかり『クローバーの塔』の一員として馴染んでいるのは、良くも悪くもナイトメアの存在が大きかった。
 誰よりも手のかかる子供なのに、誰よりも思慮深い大人の顔も持っていて、ユリウスとは違ったやり方で私を守ってくれている。

 

 


   (まだ仕事中なのかもしれないわね)
 夢の世界に現れないのもそれなら納得がいく。グレイに監視されながら渋々書類の山に向かっているナイトメアの姿が容易に浮かんで思わず溜め息をついた。
 でも、それなら何故私はここに来たの……?
 眠くてたまらないのに不思議な音楽に引き寄せられてしまう。
 ナイトメアが呼んだのではないのなら、これは私の紡いだ夢?
 潜在意識の中にこんな音楽が埋もれていたのだろうか……現れたこれは願望?それとも、何かの警告?
 知りたいような、知ってはいけないような……でも、その音源をそっと覗いてみてみたい。  私を呼ぶのは一体何?  

 「おやおや、気が早いお客さんだね。俺たちの到着がもう待ち切れないのかい?」

 不意に聞こえた声にはっと後ろを振り返ると、そこにはいつの間にか現れた1人のピエロが色違いの4つの風船を手にして仰々しくお辞儀をしてみせた。
 「あなたたちの、到着……?」
 「そう。俺たちのサーカスだ」
 ピエロの顔には白い仮面。その表情は笑っているのにどことなく怖いと思うのはそれが作り物だからなのだろうか。おどけた仕草で差し出された風船を受け取りながら、無意識に足が下がった。
 少しずつ近づいてくる不思議な音色。これがサーカスのものだというのならその不思議さも納得出来る。
 最高に楽しいのにどこか怖い……サーカスも、それを象徴するピエロも。子供の頃からなんとなくそう感じてきた。
 「そう硬くならないでよ。君を楽しませるのが俺の役目……ほら」
 「えっ……っ!?」
 ピエロがパチンッと指を鳴らした途端、手の中から風船がすり抜けてしまう。慌てて手を伸ばそうとするとパンッパンッと次々に風船が割れてしまった。
 「ええっっ!?」  
 その瞬間、穏やかな闇に包まれていた夢の世界に鮮やかな色が広がった。私を取り巻くようにその四方に見知った場所が映し出される。
 けれど、初めて見る景色だった。


 春らしい淡いピンクの花で覆われたハートの城。
 照りつける日差しに更に活気を増しているような遊園地。
 見事な紅葉に染められた帽子屋屋敷。
 白銀の雪に静かに埋もれているクローバーの塔。


 今まで季節のなかった世界なのに、いきなり何故?
 見事な景色に見蕩れる前に、不安がよぎる。何と言ってもこの世界の『常識』は私の世界の『非常識』だ。
 「ふふ、これからは俺の季節……『嘘つきの世界』だ。歓迎するよ、『嘘つきな』アリス」  「っ!?」
 ざあっと強い風に吹き付けられて咄嗟に目を庇った。
 花が若葉が紅葉が雪が、全て入り乱れてきらきらと輝きながら視界を覆い尽くしていく。  遠くなっていく意識の中で、ピエロの楽しげな笑い声を聞いたような気がした……ーーーー

 

 

 


 

♪『弱虫モンブラン』よりプロローグです。

『ジョーカーの国のアリス』のナイトメアルート本です。ジョカはむしろナイトメアが影の主役だと信じて疑わない!!ジョカの彼は可愛くて格好良くて情けなくて大好きです!!
そんなナイトメアをもっと幸せにしたいが為の脳内補完本です(笑)
ジョカvsメアとかさ!!大好きすぎるんだから仕方ないじゃないか!!ジョカのメアは本当に色々頑張ってたと思います。うん、もっと評価されてもいいはずだ!!

巡る季節とサーカスに振り回されながら、ナイトメアに惹かれていくアリス。迷うアリスが最後に帰るのは、時計塔?ナイトメア?それとも…監獄?

気が向いたら読んでやって下さると嬉しいです♪