holey night


 

 時の秒針は常に一定の速度で流れていくはずなのに。
 何故、楽しい時間はこんなにも早く過ぎ去ってしまうものなんだろう。
 煌びやかでありながら、どこまでも和やかだったクローバーの塔でのクリスマスパーティー。
 いつも冷静なグレイやぶっきらぼうなユリウスも、塔のメンバーだけのパーティーだったせいか、いつもより穏やかな表情でそれぞれに楽しんでいたように見えた。
 グレイが選び抜いたクリスマス料理の数々もとても美味しかったし、ナイトメアが自慢げに振る舞ってくれたワインも美味しかった。
 ゴーランドが手土産に持たせてくれたアイスケーキにユリウスは初め呆れていたけれど、実は甘い物が好きな彼が1番たくさん食べていたし。
 キラキラと輝いていた大きなクリスマスツリー。
 嫌みじゃない程度に演奏されていたクリスマスキャロル。
 大きな暖炉の中でパチパチと爆ぜる薪。
 窓の外には白銀の雪が積もっているのに、ここはとても穏やかで暖かい。
 まるで、塔に住む人たちのようだ。
 クローバーの塔に来ると、滞在地とはまた違った居心地の良さにいつもつい長居してしまうが、今夜は特に時間が過ぎるのを忘れていた。
 帰り難い…でも、いつか終わるからその時が楽しくて愛しく感じるものだから。
 パーティーはもう終わりの時間。
 どんなに名残惜しくても、もう帰らなければ。

 

◇◇◇◇◇

 

 「今夜こそ送らせてもらうぞ、アリス」
 「大丈夫だってば。慣れた道なんだから心配しないで、ナイトメア。それに外は寒いわよ?」
 「そのくらい我慢するとも!」
 「でも、寒さは我慢出来たとしても夏の暑さはあなたには耐えられないんじゃない?」
 「うっ……しかしだなぁ……」

 塔の入り口で、私とナイトメアはいつものように押し問答を繰り返していた。
 帰る時に夜の時間帯になると、ナイトメアはいつも私を送ってくれようとする。
 けれど、この世界に来てからの私はすっかり夜に出歩く事に慣れてしまっていた。着ている服はともかく、私は元々おしとやかなお嬢さまなんかじゃない。
 よっぽど暗い深い森の中などでなければ、夜道が怖いなんて思わない。
 そうでなくとも、ナイトメアはクローバーの塔の領主だ。
 領内であればまだ外をうろついていても問題はないかもしれないが…それでも、滅多に塔から出てこないナイトメアの姿を目にするだけで人々はむやみに怖れるけれど…いくらクローバーの塔は中立だとは言え、権力者が他の領地にのこのこ出かけるのは問題があると思うし。
 それ以前に、大量に仕事を溜めている彼に、仕事をサボるいい口実を与えるのは気が引ける。
 そのまま嬉々として逃げ出すのは目に見えているし、実際に途中でグレイに捕まって連れ戻された事もあるし。
 こうやって、塔の入り口まで見送ってくれるだけで充分だ。

 「風邪ひいちゃったら大変でしょう?そうでなくてもあなたは体調がいい時なんて滅多にないんだから」
 「そんな事はないぞ。たまには元気だし、寒さ対策も万全だ!」
 ぐるぐると首元に薄紫のマフラーを巻き付けたナイトメアが自信満々に言い切った。
 「でも……」
 「今夜はパーティーだからとワインも飲ませてしまったからな。ほろ酔いの君を1人で帰すなんてまねは出来ないよ」
 「……酔ってないわよ?」
 (そりゃあ…ちょっと飲み過ぎちゃったのは否定出来ないけど…)
 楽しいパーティーの場でワインも美味しければ、つい杯を重ねてしまうのは仕方のないことだ。
 でも、決して酔っぱらってはいない。確かにアルコールの影響で体温はいつもよりも高いかもしれないけれど、意識も足元もしっかりしているし。第一、そんなにお酒に弱いわけじゃない。料理もお菓子もしっかり食べたから、そこまで飲んだわけじゃないし。
 「ナイトメアだって飲んでたじゃない」
 「あれくらい大した事ないぞ?何しろ私は大人の男だからな。あの程度は嗜みというものだ」
 「………飲酒に喫煙って…あんたってば本当に病人の自覚ないわよね。もう少し自重しなさいよ。ただでさえ病院から逃げ回っているくせに」
 「何を言う!私は病人なんかじゃないぞ!だから薬も注射も必要ないんだ!………うぐっ……げほげはっ………がはっ……」
 「ああもう……そういうセリフは吐血しないようになってから言いなさいよね」
 (本当に、お約束を外さないんだから…)
 そんな律儀さはいらないってのに。
 呆れながらも慣れた手つきで自然とナイトメアの背を撫でている自分がいる。この男との付き合いも長くなったものだ。今では吐血程度でいちいち驚いてなどいられない。
 「今夜はもう仕事しないでいいんでしょう?もうおとなしく寝なさいよ。なんなら部屋まで送ってあげましょうか?」
 「私が君を送ると言っているのに、どうして私が君に送ってもらわなければならないんだっ」
 「だって……」
 そんな恨めしげな目で見られても困る。
 (心配なんだもの。今夜は少しはしゃぎすぎたでしょう?)
 待ちに待ったクリスマスパーティーを誰よりも楽しんでいたのはナイトメアだ。文字通りはしゃいでいた。
 一緒に特別なクリスマスを楽しめた事は嬉しいけれど、最後に倒れられたら意味がない。
 (少しは安心させてよ)
 私の心の呟きに、ナイトメアが表情を改めた。
 「それはこっちのセリフでもあるんだがな。いつも夜道を1人で帰っていく君の後ろ姿を見送る私の身にもなってくれ。毎回気が気じゃないんだぞ」
 見つめてくる片目に宿るのはどこまでも真摯な光。
 ただ、純粋に私の身を案じて心配してくれているのが伝わって来る。間違っても彼に『送り狼』的な思惑などない。
 呆れるくらい子供っぽくてすぐに格好つけようと空回りするナイトメアだけど、彼はこのおかしな世界の中で誰よりも無意識に紳士的に振る舞える。
 子供のようでいながら誰よりも思慮深く。
 (………心配性なんだから……)
 出会ったばかりの頃は、勝手に人の心にずかずかと踏み込んで来ては勝手に心配するナイトメアに苛立ってばかりだったのに、何時の頃からか、彼に心配してもらえるのがくすぐったいような嬉しさを感じてしまうようになった。
 もちろん、『おまえが言うな』的な呆れを伴う事も多いのだけれど。気にかけてもらえるのはやっぱり嬉しい。
 「当然だろう?だから、今回は大人しく私の言う事をきいてくれ。泊まっていってくれないのなら、せめてちゃんと送らせて欲しい」
 「もう。大丈夫だって言ってるのに。信用ないのね」
 「それとこれとは違うだろう?全く、君は強情な子だ。アリス」
 呆れながらも困ったようにナイトメアの手が、そっと私の頬を撫でた。
 体温の低い冷たい指先。けれど、触れられた場所は熱くなる。
 今夜は泊まっていくように勧めてくれたのは、ナイトメアだけじゃない。グレイも、珍しくユリウスも勧めてくれた。
 塔には会合の時にも滞在させてもらったから、泊まる事に抵抗があるわけじゃないし、貰った休みは泊まったとしてもまだ余裕がある。
 でも、泊まれない。
 このままその好意に甘えてしまったら、居心地が良過ぎて今度は帰るのを渋るようになってしまうかもしれないから。
 ナイトメアの事を好きだと自覚してしまったのならなおの事、ちゃんとけじめはつけなければ。
 「それとも…私に送られるのは迷惑か?」
 それなのに、ナイトメアが私の頬を撫でながら不意に不安げな声でそんな事を聞いてくる。
 いつも『私は領主なんだ。偉いんだ』と豪語し、人の心を読めるはずの夢魔は、些細な事で自信を無くすのだ。
 心を読めるのならば、不安などとは無関係なのだと思っていたのに。
 でも、そんな彼こそが愛おしい。
 本当に、こんなに色々とズルい人もいないと思う。
 「そんな事あるわけないじゃない」
 思わず、私も手を伸ばしてナイトメアの頬に触れた。
 白くて奇麗な肌はやっぱり少し冷たい。でも、触れた途端にさっと頬に朱がさしたのがわかった。
 お互いの頬に手を伸ばして、触れて。ほんのささやかな触れ合いなのに、現実でだと何でこうも照れくさく感じるんだろう。
 (……今更なのに…何であんたまで照れるのよ)
 「……君だって……」
 いつ、誰が通ってもおかしくない塔の出入り口で、お互いに微かに顔を赤らめながら頬に触れているなんて。わたしたちは一体何をやっているんだろう。
 かろうじて室内とは言え、塔の出入り口はかなり寒い。いつまでもこんな事してないで帰らなきゃいけないのに、今夜はやけに別れ難い。
 離れ難い理由なんてありすぎて、何だか悔しいのは何でだろう。
 「私もだ。送ったところで着いたそこでまた別れ難くなるのは目に見えているのに…それでももう少しと願ってしまう自分が悔しいよ」
 (…………読まないでよ。もう……)
 溜め息と共に吐き出されたナイトメアの言葉は、彼が愛飲している煙管煙草の煙のように掴み所がないのに、どこか甘い。
 夢魔は夢から出て来ても、思わせぶりばかり上手くて困る。
 私は臆病で卑怯だから。形になってしまった想いを認めても、傷つかない保証がないと怖くて踏み出せないでいる。
 もう少し、このままで……壊したくないから。
 「もう…帰るわね」
 「送っていくよ」
 「もう……ここで別れても後で別れても一緒ならいいじゃない」
 名残惜しく感じながらそっと触れていた手を降ろすと、ナイトメアも手を離した。その途端に頬に触れていった空気が妙に冷たくて反射的に肩を震わす。
 こんなに空気が冷たいのは、私の頬が熱を持っていたからか、ナイトメアの手が温かかったせいか。
 「どちらでも一緒なら、いいだろう?折角のクリスマスなんだ。もう少し余韻に浸らせてくれ」
 今夜は珍しくナイトメアも食い下がってくる。
 確かに、こんなにも離れ難く感じてしまうのは、『クリスマス』という特別な夜のせいもあるのかもしれない。
 ジョーカーが弄ぶ季節の狂った世界で、今日が『本当のクリスマス』とは限らない。冬になったクローバーの塔の領地だけ、その気になれば毎日がクリスマスだ。

 (どうしようかな……)
 このままここで同じ事をいつまでも繰り返していても仕方がない。
 (……ナイトメアに送ってもらう?)

 

 

 『送ってもらわない』→『ハートの欠片』

 『送ってもらう』→『宿り木の下で』