Advent


 

 

 『最初から曖昧で形のないものならば、いつまでも決して壊れはしないよ』

 そう言って微笑んだのは、曖昧なものの象徴でもある、常に顔色の悪い現実に出てきた夢魔。
 今までは夢の世界でしか会う事が出来なくて、この世界を取りあえず現実だとしてここに残った時も、彼だけは夢だけの存在なのだと思い込んでいた。
 けれど。『引越』によって世界は『ハートの国』から『クローバーの国』に代わり、彼は今夢の世界ではなく現実の私の目の前で優雅に煙管を吹かせている。
 彼が好む煙管から燻る微かに甘い煙。
 血色の悪い紫色した薄い唇から吐き出される煙は特定の形を持たずにすぐに消えてしまうが、けれど確かに存在していた事を示すかのようにその独特の匂いはすぐに消えてしまう事はない。
 髪に、服に、部屋の壁紙に。知らず知らずのうちに染み込み姿はなくとも存在を主張するのだ。
 気がついた時には、もうどこまでも馴染んでしまって分離することなど出来ないくらいに。

 

◇◇◇◇◇

 

 クローバーの塔は白銀の季節。
 窓の外にはしんしんと雪が降り積もり余計な音を吸い取っていく。
 いつもは賑やかなこの部屋も、今聞こえるのは、パパチパチと薪が爆ぜる暖炉の暖かな音と、この部屋で聞こえるのは非常に珍しいカリカリとペンを走らせる音。合間にはポンポンと印を押す音も交じっている。
 病院と薬と注射に続くナイトメアの嫌いなもの、それは『仕事』だ。
 クローバーの国の領主というとんでもなく偉い地位にありながら、そして彼自身も『自分は偉い!』と自我絶賛しながらも仕事は大嫌いでいつも逃げ出してばかりいるナイトメアが、今は必死な形相で書類の山と格闘している。グレイが見たら冗談じゃなく本気で泣いて喜ぶだろう。
 (全く。やれば出来るのに)
 呆れながらも思わず唇に笑みが浮かんでしまう。
 私やグレイがどれだけ口うるさく言ってもなかなかやろうとしなかった仕事なのに、『いい子じゃないとサンタクロースは来ない』のたった一言で慌てて仕事に取りかかったナイトメア。
 情けなくてダメダメで子供っぽくて…でもこんな子供のような素直さは可愛いと思ってしまった。

 

 

 ジョーカーがサーカスと共にやってきて、クローバーの国には今までなかった『季節』が出来た。
 今までも時間帯がころころ変わるでたらめな世界だったけれど、各領土毎に季節が違うだけでなく今は季節がころころと変わる。
 私が滞在している『遊園地』の季節は『夏』。こことは真逆の照りつける太陽が眩しい季節だ。
 夏から秋を通さずいきなり冬へ。激しすぎる気候の変化に身体は時に悲鳴を上げてしまうのに、それでもしょっちゅう塔へ足を運んでしまっていた。
 今では、遊びに来ているはずなのに来る度に何故かナイトメアの秘書的な事をしてしまっている。それが嫌と言うわけではないが、そんな風に嫌だと思っていない自分が不思議だった。
 ナイトメアに会えば、やれ病院に行けだの、やれ仕事しろだの、正論とは言え彼に取っては聞きたくもないお小言ばかり言ってしまうのがわかっているのに、それでも私はナイトメアに会いにきてしまう。
 毎度おなじみの軽い口論はすでに挨拶のようなものだ。

 

 

 (さてと…ナイトメアは折角真面目に仕事してるし、私はどうしようかしら)
 ナイトメアが仕事をしてくれるのは嬉しい。だから仕事の邪魔はしたくない。
 けれど、何もせずにここにいるのは躊躇われる。仕事の手伝いをしてあげたいと思っても、ここに山積みにされている書類はクローバーの領主として彼にしか出来ない仕事だ。私が手伝えるようなものではない。
 仕事をしている人の傍で手持ち無沙汰にしているのは居心地が悪いものだ。
 (…遊びに来たんだけど、仕事させたのは私だもの。邪魔しちゃいけない)
 仕事してくれるのは嬉しいと思いながら、それでも構ってもらえないのは少し寂しい。特別に何かしたいとか遊びたいというわけではないけれど。
 (書庫の本でも借りてこようかしら。あ、それか…ユリウスの所にでも行ってこようかな。相変わらず仕事ばかりで塔に引き蘢っているんだろうし)
 「アリス」
 どうしようかぼんやりと考えていると不意に名前を呼ばれた。
 どこか焦りと拗ねた響きを伴うそれに目を向けると、その口調そのままの眼差しが私を見つめていた。
 「折角私に会いに来てくれたというのに、私を放って別の場所に行こうとするなんて酷いじゃないか」
 「だって、あなた仕事中だもの」
 「じゃ、じゃあ仕事は辞めにするから…」
 「仕事をすぐに投げ出す悪い子には、サンタクロースからプレゼント、もらえないわよ?」
 「うぐっ…し、しかしだなぁっ」
 「はいはい、わかったわよ。その書類の山が終わるまではここにいるから」
 「うう…………君がいるのに仕事なんて……しかしサンタが来ないのは嫌だ………」
 「次の時間帯が終わるまでにその山を片付けないと私とも遊べないのよ?」
 「…………………がんばります………」
 涙目になりながら再び書類と格闘を始めたナイトメアに苦笑する。
 人の心の声を聞き覗き込める夢魔に隠し事など出来はしない。
 最初の頃は心を読まれる事が嫌で仕方なかったはずなのに、何度言っても覗く事をやめないナイトメアにいつしか馴れと諦めを覚えてしまった。
 全てを容認したわけじゃないけれど、彼に心を読まれるのはもう仕方がない。夢魔に取って人の心を読むのは呼吸するのと同じ事だと主張しているわけだし、時にはそれを逆手に取って心の声で会話する事すらあるのだから。
 精神的にも普通なら最も無防備なはずの夢の中で会っていたせいもあるのだろう。
 「そうだ、アリス。なら君がクリスマスツリーの残りの飾り付けをしてくれないか?」
 「え?でも、もうほとんど終わっているじゃない」
 「そんな事はないぞ。まだ少し残っている」
 「少し、ね」
 大きなツリーだがナイトメアが張り切って飾り付けていたため 私がここを訪れた時にはほとんどの飾り付けが済んでいた。
 確かにあと少しオーナメントが残っているようだが、それだけではすぐに終わってしまう。
 「君だってクリスマスは嫌いじゃないだろう?」
 「そりゃまぁ…嫌いではないけれど…」
 「ここは冬になってしまったからな。寒い冬にわざわざ訪ねて来てくれる君には特に、とっておきのクリスマスを楽しんでもらいたいんだよ…他の季節の行事に負けないくらいにね」
 そう言いながら私を見つめるナイトメアの眼差しはどこまでも優しい。優しくて、それなのにどこか切なさを感じさせた。
 「冬はどうしたって寒いしイベントも少ない。君を喜ばせてあげられそうなイベントはクリスマスくらいしかないからな」
 「クリスマスを一番楽しみにしているのはナイトメアでしょう?」
 思わせぶりなナイトメアの言葉に反射的に出てしまうのは憎まれ口。瞬間的に速まった鼓動だけが素直だ。
 「そうだとも。アリス、君と一緒に楽しみたい。楽しんで欲しいし、楽しませたいんだよ」
 「……ものは言い様ね」
 優しい眼差しと向けられる笑みがくすぐったくてそそくさと背中を向けた。
 この世界の人たちは、どうしてか私に好意を向けてくれる。私が好かれる要素などそうはないはずなのに。
 だから、身に過ぎる好意を向けられると嬉しいより先に戸惑い負担に感じる。
 この世界に残り馴染んで来た今でこそ他の友人たちとの付き合いも長くなり、向けられる好意を少しずつ素直に受け入れられるようになってきたものの、だからと言って自分が好意を向けられるに値するような人間だとは思えない。
 それでも。
 (冬は嫌いじゃないわ)
 好意を向けられて、素直に嬉しいと思える人がいる。
 ネクラでひねくれてて頑固でどこまでも可愛げのない私をこの世界の誰よりも知っている人。そう、誰よりも知っているはずなのに好意を寄せてくれる。
 全てわかっている上で彼から向けられる好意は、どうしてだか私の心を震わせるのだ。
 (外は寒いけど雪景色は奇麗だし、ここはとても暖かいもの)
 見事なクリスマスツリーの傍により、そっとまだ吊るされていないオーナメントを手に取った。
 さっきまではナイトメアが楽しむ為に私を引き合いに出してグレイに買ってもらったと思っていた。
 でも、もしかしたら本当に、何割かは『私のため』に用意してくれたものなのかもしれない。
 そう思うと、胸の中がじんわりと暖かくなってくる。
 ここは冬の中心であるのに、とても暖かい。
 (そうだ)
 「ねぇ、ナイトメア」
 「何だ?」
 「塔のキッチンを少し貸してもらってもいいかしら?」
 突然の私からの申し入れにナイトメアがきょとんとした視線を向けてくる。
 「それは構わないが…あ、そうか。お茶ならすぐに煎れさせよう。気付かなくて悪かったね」
 「違うわよ、そうじゃなくて。折角だから私もクリスマスを楽しみたいと思ったの」
 (あなたと一緒に、ね)
 そう思うと、ナイトメアは一瞬目を広げて、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
 「好きに使うといい」
 「ありがとう。じゃあお借りするわね。一時間帯くらいで作れると思うから、私が戻ってくるまでにその仕事だけは終わらせておいてよ?」
 「うぐぅっ…………わ…わかった………しかし、全部…か?」
 「全部、よ」
 部屋を出る前にしっかり釘を刺しておくと、ナイトメアは情けなく項垂れた。それでもペンを握ったままだから今回は頑張って仕事してくれるだろう。
 (戻ってくる時には休憩するようにお茶も煎れてくるから)
 「……わかったよ……」
 しぶしぶ頷いたナイトメアが再びペンを書類に走らせ始めたのを確認して、私は彼の部屋を後にした。

 

◇◇◇◇◇

 

 今までも何度か借りた事のある塔のキッチンで、既に顔なじみになった調理担当者たちに手伝ってもらいながら作ったクリスマスのお菓子。 
 まさかこの世界で作る事があるとは思ってもみなかった。
 作ったばかりの『それ』を入れたカゴを腕にかけ、トレーにはお茶のセットを乗せてナイトメアの部屋に向かう。
 ひんやりとした廊下にふんわりと温かな湯気と香りが広がった。同じように私の心もふんわりと暖かい。
 「アリス」
 「あ、グレイ」
 廊下の角を曲がった途端に視界に入った長身の影に思わず顔が綻ぶ。
 「すまない。客人にお茶を運ばせるなど」
 慌ててこちらに来たグレイが私の手からトレーを取り上げる。
 「いいのよ。私がやりたかったの。それに、今、塔のキッチンを貸してもらっていたのよ。図々しい客なんだから気にしないで」
 「いや、図々しいなどとは思っていない。図々しいのはむしろ俺たちの方だからな」
 「どうして?」
 そのままナイトメアの部屋に向かって2人並んで歩き出す。私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれるグレイが図々しいとは思えない。
 「遊びに来てくれているはずの君にナイトメア様の仕事を見てもらっているだろう?君がいるとナイトメア様は逃げないから正直俺たちは助かっているが…すまない」
 頭を下げてくるグレイに、私は慌てて手を振った。
 「グレイが謝る事なんてないわ。仕事してないナイトメアが悪いんだもの。それに、仕事してないってわかっていて遊びに来ちゃう私にも責任はあるかもしれないし」
 ナイトメアが仕事嫌いで、呆れる程の仕事を溜めているのはよく知っている。そして、その溜まりに溜まった仕事の何割かは、彼が夢の中に引き蘢っていたせいで進めなかったものだ…と聞いた記憶がある。
 夢の中に引き蘢っていた=ハートの国の夢の中で私と会っていたから、とも聞いた。
 あの頃は、ナイトメアは夢の中の更に夢に住んでいる変な夢魔、という認識しかなく。クローバーの国がある事も、まして彼がそのクローバーの国の領主できちんと表の世界でも存在がある『現実』の者だなんて知りもしなかったから仕方ないけれど。
 それでも、私と会う為に夢の中に引き蘢っていたのだから、あの書類の山の何割かは私のせいのように思えてしまうのも無理はない。
 仕事をサボるいい口実になっていたと知っていたら、とっとと表に追い出していたのに。
 「あ、でも…今はちゃんと仕事している、はずよ」
 「ナイトメア様が?」
 驚きと懐疑的な響きが交じり合ったグレイの声に思わず目を泳がせる。
 「…………してる…はず………なんだけど」
 絶対に、と言いきれないのが情けない。何しろ相手は隙あらば仕事から逃げ出そうとする人物だ。これに関してだけはどうにも信じきれない。
 「『仕事をしない悪い子にはサンタクロースは来ない』と言った途端に慌てて仕事を始めたから、しばらくは真面目に仕事してくれると思うわ」
 「なるほど。その手があったか」
 私の言葉にグレイがパッと瞳を輝かせた。
 普段からあの手この手でどうにかナイトメアに仕事させようとしている彼の苦労は並半端なものじゃない。
 それでも決してナイトメアを見捨てる事は出来ず、辛抱深く宥めすかし煽て上げ愛情深く献身する姿はもうダメ息子の世話を焼く母親そのものだ。
 苦労させられているグレイと、人の苦労など顧みず我が侭いっぱいのナイトメア。けれど、苦労かけられているのは事実でもそれをどこか誇りに思っている所があるように感じていた。
 病弱で情けなくすぐにだだをこねて所構わず吐血して倒れる。そんなナイトメアだけど、それも彼のどうしようもない現実の一面だけれど。
 彼は、この世界の誰もが怖れている『夢魔』だ。
 私には、まだどうしてナイトメアが心を覗ける事でここまで怖れられるのかがわからない。もしかしたら恐ろしい姿を知られないように隠されているだけかもしれない。
 それでも理不尽に感じるのだ。彼がどんなに優しくて情けない人であっても、ただ『夢魔』だと言うだけで距離を取り怖れてしまう人々に。
 ナイトメアが私の認識している『ナイトメア』として振る舞っているのはこの塔の中とごく一部の人たちの前だけなのだと、最近になって私は気付いた。
 怖れられているのに懐に入れたものにはどこまでも優しい夢魔。だからこそ、どうしようもない我が侭に振り回されても、結局は受け入れて許してしまうのだろう。
 我が侭をぶつけられる程に受け入れられていると、こんなにわかりやすく示してくれる人もそうはいない。
 (………ダメな子程可愛いって言うしね……)
 誰よりも大人で、誰よりも子供。
 ナイトメアは本当に両極端だけど、それにしたってこの年になってもまだサンタクロースを本気で信じるのはどうかと思う。
 それもまた、どこまでもナイトメアらしいのだけれど。
 「後でプレゼント考えなくちゃね」
 「そうだな。折角やる気になって下さったんだ。ご褒美はきちんと用意しておかないとな」
 「ナイトメアの事だから枕元に大きな靴下を飾るんじゃない?大変ね、サンタさん?」
 悪戯っぽく見上げるとグレイはただ苦笑した。彼の脳裏に広がっている光景も私のものと対して変わらないのだろう。
 (……さすがにサンタクロースのコスプレまではしないと思うけれど)
 以外と付き合いのいいグレイならやりかねない。
 「そう言えば…ナイトメアの部屋にあるクリスマスツリーなんだけど」
 「ああ。寒い冬なのにわざわざ訪ねてくれる君を少しでも喜ばせたいとナイトメア様が仰ってな」
 ナイトメアが我が侭言ったんでしょう?ーーーと続けたかった言葉より早くグレイに言われてしまった。
 計らずともナイトメアが言っていた事は本当だとグレイに肯定されてしまった事になる。
 グレイもまた期待を込めた眼差しでこちらを見つめてきた。
 ついさっき同じような視線を受けたばかりだからその眼差しの意味もわかる。わかるから、どうにもくすぐったくて仕方ない。
 「……ありがとう。でも、わざわざ経費で買わなくてもよかったのに」
 「いや、クリスマスを楽しんでもらえてくれているようで嬉しいよ、アリス。普段はなかなか君を楽しませてやれないからな」
 そんなつもりではなかったのだが…手にしているものがその言葉を裏切っている。確かに今はナイトメアにまんまと乗せられてクリスマス気分を満喫中だ。
 「いつでも塔に来れば楽しいわよ?」
 冬でない時だって頻繁に足を運んでしまう場所だ。
 苛立つ事もあるけれど、来て楽しい場所じゃなければ訪れたりしない。
 「ありがとう。君は本当にいい子だな」
 にっこりと、珍しいグレイの満面の笑みを向けられて一瞬心臓がどきんっと跳ねた。同時に何故か後ろめたく感じてしまう。
 (いやいや…別にやましい事なんて何もないじゃない。ただちょっとグレイに見蕩れただけなんだし…)
 カッコいい大人の男性に作り物じゃない笑みを向けられて照れてしまうのは当然の反応だ。別に特別な意味なんてない。
 (でも…ナイトメアに会ったら余計に照れてしまいそうだわ)
 楽しげにツリーを飾り付けていたナイトメアを思い出す。もちろん自分が楽しんでいたはずだけれど、半分くらいは純粋に私の為に飾り付けてくれていたのだと知ってしまうと、どうしたってくすぐったい。
 そうこうしている内にナイトメアの自室の前まで着いてしまった。
 「ナイトメア?」
 「ああ、お帰り、アリス」
 「…………あなた、仕事は?」
 ドアを開けた途端に飛び込んで来たのは、いそいそとオーナメントを直しているナイトメアの姿だった。
 (…………ああもう……本当にダメダメなんだから……)
 「んなっダメじゃないぞ!仕事はちゃんと終わらせたんだからなっ!」
 「へ」
 「君と約束していた分は終わらせた。本当だぞ?」
 自信満々にエッヘンと胸を反らせてナイトメアがデスクを示す。ティーセットをテーブルに置いてからつかつかと進みよったグレイが感嘆の溜め息を漏らした。
 「ナイトメア様……!あなたはやはりやれば出来る子です。素晴らしい…っ!」
 「そうだろうそうだろう、私はちゃんと言う事を聞く偉くていい子な上司なんだ。これでサンタクロースは必ず来るよな」
 「来ます、来ますとも!ですから、クリスマスまでに終わらせないといけない仕事がまだありますのでそれもぜひパッパと終わらせて下さいね」
 「うえっ…い、今頑張って仕事したんだぞもう充分だろうが…!」
 自信満々だったのがいきなり逃げ腰になる。
 ここはナイトメアの自室だ。自室に持ち込まれている仕事を片付けたくらいで偉ぶられても困る。執務室にはこれとは桁違いの量の仕事が溜められている事は私でも知っているのだ。
 「クリスマスは今日じゃないでしょう?」
 「そ、そうだが……」
 「今だけいい子でもダメよ。サンタクロースはちゃーんと見ているんだから。今までサボりすぎていたんだから、その分少しでも挽回しないとね」
 「………ううう………酷い…………」
 「ですが頑張りましたから休憩なさってもいいですよ。折角アリスがお茶を煎れてくれましたからね。仕事はこの後でまた持ってきますから」
 グレイがにこやかにトドメを刺すとナイトメアはがっくりと項垂れた。
 確かに頑張ったのはわかる。わかるのだが、それ以上に仕事を溜めているのもわかる。だからここで甘い顔をしてはいけない。
 いけない、のだが……
 (約束した分はちゃんと終わらせたんだもの。偉いわ、ナイトメア)
 目を離した隙にサボっていてもおかしくなかったのにそれでも今回は逃げずに頑張ったのだから誉めてもいいだろう。
 ……根本的に何か間違っているけれど、そこにはあえて目をつぶる。
 「……アリス……!」
 「ね、お茶にしましょう?寒いからジンジャーティーにしてみたの。身体がとても温まるのよ」
 クリスマスツリーの隅でいじいじといじけていたナイトメアを手招きすると、彼はパッと顔を輝かせてソファに走りよった。
 グレイはナイトメアの仕上げた書類を持っていそいそと部屋を出て行った。休憩を与える程だから余程嬉しかったのだろう。
 「アリスは厨房で一体何を作って来たんだ?」
 「これよ。ちょっと手伝ってもらったんだけれど」
 紅茶をサーブしながらバスケットをナイトメアの前に差し出す。
 「人形のクッキー?」
 「ジンジャーブレッドマンよ。知らない?」
 「見た事ある…ような気もするが……」
 「クリスマスのお菓子よ。風邪の予防と殺菌効果も兼ねてジンジャーをたっぷり入れて焼いたクッキー。これをツリーに飾ったりもするの」
 「へえ。そうなのか」
 「うん。元の世界の私の国ではね」
 元の世界の他の国のクリスマスの風習はよくは知らないが、私のいた国では作って飾っていた。