真夏のサンタクロース


 

 躊躇いがちにそっと額に触れてきたひんやりとした白い手。
 それはまるで、ふんわりと舞い降りてきた白い雪のよう。

 真夏の遊園地にいながら、ふと脳裏を掠めるのは真白の雪。
 美しく冷たいのに不思議と温かさも感じさせる雪は、そのまま彼を思い出させる。
 手を伸ばさずにはいられなくて、けれど手に触れると溶けて消えてしまう雪は、夢に似ている。
 夢から現実に出てきた夢魔は触れても消えないとわかっているけれど。
 この世界そのものが、いつだってとんでもない夢のような世界だから。


◇◇◇  

 

 「夏の遊園地で随分楽しんでいるようじゃないか。少し日焼けしたんじゃないか?アリス」
 「うっ……やっぱり?」


 ナイトメアに指摘されて思わず彼の部屋の鏡に走りより、まじまじと鏡に写りだされた自分の顔を見てみた。
 滞在地の遊園地が突然夏に変わってから、日焼け止めはしっかり塗っていたつもりだったのに!
 紫外線はお肌の天敵。若い頃からのスキンケアは最重要だとビバルディにも力説されて、彼女のお勧めの日焼け止めクリームをしっかり塗っていたというのに。
 ……他人に指摘されてきちんと見つめれば、やっぱりほんのりと日焼けしてる気がする……
 「……頑張ってお手入れしていたのに……」
 自分ではちゃんとケアしていたつもりだったけれど、やはり夏の日差しは侮れない。
 「日焼けで何故落ち込むんだ?健康的でいいじゃないか。羨ましいくらいだよ」
 「……あなたに言われてもね……」
 窓の外には白い雪。
 私のすぐ隣で面白そうに一緒に鏡を覗き込む白い顔。
 すぐに吐血するほど病弱で基本引き篭もりのナイトメアの肌は、雪のように白い。
 病弱なだけではなく元々の肌質もあるのだろうが、ナイトメアが健康的な小麦色に日焼けするなんて絶対にないだろう。
 「確かに、私は日焼けすると真っ赤になってしまう方だからな」
 「そこまでの日焼けをさせようとは思ってないけど、せめてもうちょっと健康的な白さまでにはなって欲しいわ」
 ナイトメアの白さは雪の白さ。
 触れてしまえば溶けて消えてしまう、そんな白。
 世の女性から見れば羨ましさを通り越して理不尽に八つ当たりしたくなるほど白く綺麗で肌理細やかな肌だけど、触れるのも躊躇わすような白さは不安になる。
 「あなたは日にあたらなすぎよ。夏に遊びに来いなんて無茶は言わないから、せめて穏やかな季節にでも出掛けてみれば?春とか秋とか」
 春のハートの城は花盛り。秋の帽子屋屋敷は一面の紅葉。どちらも綺麗で過ごしやすい気候だ。散歩するだけだって楽しい。それなのに。
 「出掛けるまでが寒いじゃないか!塔の外は冬だぞ。出ただけで風邪を引いてしまう」
 「……本当にどうしようもないんだから」
 自信満々に言われて思わず溜息が出た。
 ナイトメアが治めるクローバーの塔はまさしく真冬、白銀の雪で覆われている世界だ。
 冬ならではの楽しみはたくさんあるし、寒いからこそ出来る行事も色々ある。現にナイトメアの我儘でクローバーの街は今雪祭りの真っ最中だ。ここに遊びに来るたび新しい雪像が増えて見るだけでも楽しい。……祭りの主催者は言い出しただけで一度も祭りを見学には行ってないらしいけれど……
 (ナイトメアといいユリウスといい、どうして塔の主たちは引き篭もりなのかしら)  
 次はいつ巡ってくるかわからない折角の季節を楽しめないのはもったいないと思うのに。  それでも、ユリウスはともかく、確実に体調を崩させてしまうのが前提な人を無理やり外には連れ出せない。冬になって殊更引き篭もってしまうナイトメアに呆れつつも心配で、つい足繁くここに通ってしまうのかも。
 「……折角遊びに来てもあなたとは一緒に冬を楽しめないのよね」
 (仕方ないからたまには他の誰かを誘ってみようかしら。グレイは忙しそうだし……ここはやっぱりユリウス?)
 ナイトメアとは違い、病弱ではないのに仕事熱心なせいで引き篭もりのユリウスなら、気分転換と運動も兼ねて外に連れ出せるかもしれない。彼はああ見えて押しに弱いし。
 ぼんやり考えていると、焦ったナイトメアの声がした。
 「待て待て待て!酷いじゃないか!君は私に会いに来てくれたんだろう!?」
 「だって、あなたとは出掛けられなから仕方ないじゃない」
 「何を言う!君と一緒ならどこへだって出掛けるぞ!ああ、今すぐにだって!」
 「あのねえ……外に出たら風邪引いちゃうんでしょう?それ以前に、まだ全然!仕事が終わってないし」
 ビシッと指差ししたその先には、まるで雪山のような書類の山。ここは執務室ではなくナイトメアの私室なのにこのざまだ。
 うっと口ごもるナイトメアにこれ見よがしな溜息をついてやる。
 「あなたを外に連れ出して風邪をひかせたら、更にこの書類の山が高くなる一方だわ。あなたに会いに来るたび毎回毎回手伝っているのに次に来た時には元通りだし……外出るだけで風邪ひくかもってだけでもだめだめなのに、仕事もこれじゃあ……私と一緒に遊びに行く気なんてないってことよね?」
 「そんな事はない!仕事なんてそんなものは今すぐ……!」
 「放り出したりしたら、もうあなたに会いに来ないわよ。いいのね?」
 「……ううう……仕事します…だから他の奴のところには行かないでください……」
 「わかればよろしい」
 がっくりと項垂れたナイトメアは涙目だ。全くこの子供は。
 情けなくも愛おしいと思ってしまうこの感情は一体なんだろう。これこそがグレイが取得している『だめな子ほど可愛い』ってやつかしら?
 思わず浮かんだ苦笑と共に、手を伸ばしてナイトメアの頭を撫でた。さらさらな銀髪の感触が気持ちいい。
 「あ、アリス……?」
 微かに顔を赤くして戸惑うナイトメアを、もう一度撫でてにんまりと笑う。
 「仕事さえ終わらせれば、室内でも色々と冬を楽しめるでしょう?」  
 (他の人と冬を楽しまれるのが嫌なら、ちゃんとあなたが楽しませてよ)
 「……!!ああ、任せてくれ!!」
 続いた心の声を聞いた途端、赤くなった顔をパッと輝かせたナイトメアの背中を期待を込めてポンっと叩くと、彼は小走りで机に向かい猛然と書類にペンを走らせ始めた。いつもなかなかやる気にならないが、一度スイッチが入ればかなり集中してやれる人でもある。
 (我ながら、どんどんナイトメアの扱いが上手くなってきた気がするわ)  
 こっそり心の中で舌を出しても、胸の内はじんわりと暖かい。
 まるで、この部屋で焚かれている暖炉の炎のように。

 

  ◇◇◇

 

 「……今日も暑いわね……」
 窓の外からはすでに賑やかな歓声が微かに聞こえてくる。夏の遊園地は普段よりも盛況だ。

 時間の狂ったこの世界に、今までは季節などなかった。
 いつでも空は穏やかに晴れて、暑くも寒くもない。そんな世界にサーカスを引き連れたジョーカーがやってきた途端に世界がまた変わったのだ。
 さすが、私の世界の常識など全く通じないこの不思議の国では『季節』の概念も全く違う。一年の大時計の針が1日ごとに進みながら移り変わっていくはずの季節は、この世界では各領土に振り分けられて一度にやってくるのだから。
 淡く甘い花が咲き乱れる春のハートの城。
 照りつける太陽に焼かれる夏の遊園地。
 色づく木々に彩られる帽子屋屋敷。
 そして、凍てつく白に覆われるクローバーの塔。
 サーカスの森を中心にして全ての季節がこの世界を輝かせていた。

 寝起きの身体が既にうっすらと汗ばんでいる。
 カーテン越しに差し込む日差しは強烈に存在を主張している。今日もプールは大人気だろう。
 「……暑い……」
 夏の暑さにも慣れたとはいえ、やっぱり暑いものは暑い。暑さに弱い猫のボリスほどじゃないけど、暑さはそれだけで体力を消耗させる。きちんと寝たはずなのに、なんだかちょっとだるいし。
 水を硬く絞ったタオルで寝起きの身体を手早く拭くと、やっと意識まで少しすっきりしたようだ。
 服に着替えて、少し考えてからいつも下ろしている髪をポニーテールにした。これで少しは涼しくなってくれればいいけど。

 (うあー……やっぱり暑い……今日は一段と暑いんじゃないかしら……)
 外に出た途端にムワっと熱せられた空気に包まれる。
 折角身体を拭いてさっぱりしてきたというのに一瞬で汗ばんでしまった。
 どの領土にどの季節が割り当てられるかはその時の運だというが、夏が似合うのはやっぱり遊園地だ。
 真夏の太陽と張り合うくらい、元気で賑やかな歓声が遊園地に広がっている。底なしに明るく元気な従業員のみんなも相変わらずテンション高い。
 (……元気だなぁ……)
 いつもはそのテンションこそが遊園地だと安心もするのだが、今日はどうにも気分が上がらない。
 暑くて頭がぼーっとする。  
 「おはよう、アリス。今日はゆっくりだね、アンタにしては珍しい」
 「ボリス」
 頭上からかけられた声に振り仰ぐと、大きな枝の上でだらーんとへばっているボリスが力なく笑っていた。
 「……ねえ、いい加減諦めてそのもふもふ取りなさいよ。ただでさえ暑いのに、視覚的にもきついわ」
 「……いやだ。どんなに暑くてもこれだけは手放せない……」
 今にもへろんと木から落ちてきそうなほどに暑さでへばっているくせに、ボリスは頑としてその主張を変えない。猫のこだわりポイントは絶対らしい。
 ふわっふわの派手なファーは、冬だったら何より温かい至上のアイテムだろうけれど、ただでさえ暑さに弱い猫にとって夏にそれは拷問だろうに。
 「アリス、アンタもちょっとばててない?」
 「んー……どうかしら。こう暑いとね……」
 するりと木から下りてきたボリスが目を細めてじっと私を覗き込む。猫の観察眼はバテていても健在らしい。
 「……アンタさ……うおっ!?」
 「えっ!?」
 「あー!アリスだ!アリスおはよう!おはようのちゅうしようよ、ちゅうちゅう!」
 何か言いかけたボリスを弾き飛ばして、通りがかったピアスが勢いよく抱きついてきた。  ……ネズミはどうやら暑さには強いらしい。
 「………ピアス……てめえ……」
 「ぴっ!?ボリス!?」
 ささっと私の後ろに隠れながらもピアスは天敵のボリスの側からそれ以上逃げ出さない。
 「へろへろのボリスだ。へろへろ……へへっ、へろへろニャンコは怖くないや」
 夏になって猫とネズミの関係は形勢逆転……とまではいかないものの、暑さにバテているボリスに対してピアスは強気だ。服装もボリスと違ってこだわりなく麦藁帽子に半袖短パンと、実に夏に順応している。
 「……怖くないなら離れて頂戴、ピアス。しがみつかれてると暑いのよ……」
 「?夏は暑いんだよ?離れても暑いからこのままでちゅうしようよ、ねえ、ちゅう」
 ……夏が来ようがピアスは相変わらず人の言うことを全く聞かない。無理やり引き剥がすのも暑いし疲れるのでピアスごとぐるんと回れ右して、そのままボリスに押し付けた。
 「痛い痛いっ!?尻尾引っ張るなんて酷いよボリス!酷い酷い!」
 「うるせえ。騒ぐなよ、暑苦しい。このまま引っこ抜いちまうぞ」
 「酷いよ、放してよ!いじめっ子ボリス!尻尾なくなったら俺ネズミじゃなくなっちゃうよ!」  
 「……ほんと、元気よね……」
 相変わらずの光景なのに、今日は何だか見ているだけで疲れてくる。何だか頭も痛くなってきた気がして思わず溜め息が漏れた。
 (…本当に暑い…冬の寒さをどうにかこっちに持ってこれないかしら…)
 クラクラする程の暑さに、ついらしくなく馬鹿げた考えが浮かんでしまった。
 でも、今は無性にあの冷たい空気が恋しい。
 ……暑い……いつもここまで暑かったかしら……
 「お前ら、相変わらず朝から元気だなぁ」
 「ゴーランド」
 「ま、これでこそ夏の遊園地らしいが……ん?」
 ぎゃあぎゃあ騒いでいる2人の後ろから呆れ顔で現れたゴーランドが、私を見るなり顔をしかめた。
 「アリス?あんた随分顔赤いな…もしかして熱があるんじゃないか?」
 「え?」
 「そうそう!俺もさっきそう思ったんだよ。なんか元気なかったしさ」
 ゴーランドの言葉を聞きつけて、ボリスがピアスを放り出して詰め寄って来た。
 「そんな。暑いだけで熱なんか…」
 ない、と言う前に2人の手のひらがぴたりと私の額に当てられた。
 「やっぱり…結構あるな」
 「これは間違いなく夏風邪、だね」
 「…え?」
 はあっと呆れた溜め息をもらってしまって、思わず慌ててしまう。だって、そんな熱なんて。
 「自覚症状ない?」
 「えっと…確かにちょっとだるいけど、それは暑いせいで…」
 「まぁ、あれだけ温度差のある夏と冬を行き来してりゃ、風邪ぐらい引いたっておかしくないわな。ちょっと疲れも溜まってるんだろ」
 「え?なになに?アリス風邪なの?夏なのに風邪引くなんて変だよ?変」
 「騒ぐな、ピアス。取りあえずアンタは部屋に戻って休んでて。おっさんに医者の手配してもらうから」
 「ち、ちょっとボリス!?そんな大げさな…」
 「ああ、そうだな。すぐ呼んで来るから大人しく待っててくれよ」
 慌てて踵を返すゴーランドを止めようとしたけれど、私の手を掴んだボリスにぐいぐい引っ張られて部屋に連行されてしまった。

 

    ◇◇◇  

 

 

 (……ああ、情けない……)
 暑いのにどことなく寒いのは、熱があると自覚してしまったせいなのだろうか。
 身体中にまとわりつくだるさに喉の違和感。
 (……これじゃ、ナイトメアのことを言えないわ)
 それなりに体力はある方だと思っていたし、この国に来てからの狂った時間にも不思議とあっさり身体は順応していたせいで、幸いなことにこんな熱を出すような病気は今までしなかったのに。
 はぁ、と吐き出した溜息は部屋を満たす気温と同じくらい熱っぽい。額に乗せられた冷やしたタオルもすぐに生ぬるくなってしまう。
 まさかとは思っていたけれど、実際には本当に熱が出ていた。
 ありがたくない事に、医者にも『夏風邪です』って断言されてしまったし…診察されて自覚してしまった途端に一気に身体の不調を感じてベッドに沈み込んでしまった。
 さっきまで、『看病する』と大騒ぎしていたみんなには、その気持ちだけいただいて部屋から出てもらったから、今は部屋に一人だけ。
 看病なんてしてもらって夏風邪なんてみんなに移すわけにはいかないし、このくらいの風邪なら薬を飲んで大人しく寝ていればすぐ治る。そう騒ぐ程のものじゃない。
 そうでなくとも、自分の不注意で体調を崩して、仕事を急遽休む事になってしまったのだ。その上看病してもらうなんて申し訳なさすぎる。
 それでも看病すると粘っていたボリスとピアスを、ゴーランドが部屋から連れ出してくれたから助かった。
 弱っている姿は、私も人に見られたくないし。
 誰かが側にいると、返って気になってしまうし。
  (……夏風邪ひいたのなんて初めてかも……)
 夏に風邪なんてひくわけないと油断し過ぎた。ただでさえ暑いのに自分まで熱くて嫌になる。  
 (心配させちゃったなぁ)
 遊園地のみんなにもだけれど、脳裏に浮かぶのは別の人。
 (……心配させちゃうな)
 あれだけ頻繁に塔に通っていたのに、風邪が治るまでは当然遊びになんて行けない。
 次にいつ行くなんて特に約束はしていないけれど、それでも急に顔を出さなければ心配させてしまうだろう。
 グレイもユリウスも、そしてナイトメアも。塔の人たちは超がつくほどの心配性だから。
 (……私が行けない間に、またとんでもなく仕事溜めちゃわないかしら……)
 次に遊びに行った時は、きちんと仕事を終わらせて一緒に冬を楽しもうと約束したのに。
 静かな部屋に、微かに遊園地の音が聞こえて来る。
 それが何故か遠い世界の出来事のような気がして、不意に沸き上がって来た焦燥感を押し込むかのように、私は固く目を閉じた……

 

 

 

 不意にふんわりと触れた心地良い冷たさにぼんやりとしたまま目を開く。けれど、目を覚ましたわけじゃなかったようだ。
 「……ナイトメア?」  
 私を覗き込んでいる白い顔の向こうには、よく見知った輝石の輝きがぼんやりと瞬く夢の闇が広がっている。
 「大丈夫か、アリス。君が風邪をひいたと聞いて心配になってね。様子を見に来てよかったよ」
 心配そうにそっと額に触れる手の冷たさに、なんだかほっと気が緩んだ。
 しかし、すぐに慌ててしまった。  
 「私が風邪ひいてるってわかっててなんで来たりするのよ。あなたにうつっちゃうじゃない!」
 何しろナイトメアの病弱ぶりは半端ない。こんなに近くにいたら、普通の人なら問題なくてもナイトメアになら確実にうつってしまう。
 そして、私には軽い風邪でも彼は間違いなく重症化してしまうだろう。
 「落ち着いてくれ、アリス。ここは夢だぞ?」
 しかし、ナイトメアは私の慌てぶりを見て楽しそうに笑った。
 「私自身は生身だが、ここにいる君は夢の中の君だ。病気の身体は部屋で大人しく寝ているよ。夢の中にまで病原菌は持ってこれないさ。だから心配いらない」
 「え?・・・そういえばそうよね・・?」
 改めて見渡さなくても、視界に映るのは私の部屋ではなく夢の闇。ここは夢の中だ。
 (ナイトメアといると、夢も現実も同じように感じちゃうんだもの)  
 身体ごと夢の中に入ってこれるのは、夢魔であるナイトメアだけ。でも。
 (夢と現実の身体は別なはずなのに・・何となくだるいけど?)  
 「それは仕方ない。心と身体は思うより密接に繋がっているんだ。ここにいる君に影響が出ていても不思議はないよ」
 夢の中でも熱っぽくてだるい身体。ナイトメアは大丈夫だというけれど本当にうつったりしないんだろうか。 そうでなくても、いつ風邪をひいてもおかしくないって塔に引き籠ってるのに。
 「うつらないよ。もっとも、アリスの風邪ならうつされても一向に構わないがね」
 「構うわよ」
 大きな溜息をついた私に苦笑しながら、ナイトメアの手が再びそっと額に触れてくる。彼の低い体温が熱っぽい身体に心地いい。
 そして、さっきまで見ていたはずの夢の残滓を白い手が拭っていくのをぼんやりと感じた。
 するすると解かれてもうどんな内容だったかも思い出せない。 でも、ナイトメアが拭ってくれているというのはあまり良い夢じゃなかったのだろう。彼がここにいてくれていることに、さっきは慌てもしたけれど今ではほっとしている自分がいるのだから。
 (……具合が悪いと心細くなるせいかしら……)  
 病気で寝込んでいるときはよく悪い夢を見る。元気な時には気にも留めないような僅かな心の不安を写し出すかのように。
 大騒ぎするほどの病状じゃないし、万が一でも他のみんなにうつしたくないから出来るだけ看病を断ったのは自分なのに、外の賑やかな音が微かに伝わってくる静かな部屋で1人過ごしているのもどこか寂しかった。もう、誰か傍に付いていて欲しがるような子供じゃないのに。
 「全く君は本当に甘えるのが下手な子だな。病気の時くらいみんなに甘えていいんだよ」
 呆れた、でもどこまでも優しい声と頭を撫でていく手に甘やかされる。
 夢の中でなら、ほんの少しだけ素直に甘えられる。傍にいてくれることに安心もする。 でも、口から出る言葉はやっぱり可愛げがない。
 「あなたみたいに病気を盾にしたくないわ。ただでさえみんなに迷惑かけちゃてるんだし」
 「病気になりたくてなったわけじゃないだろう?誰も迷惑なんてしてないさ、心配はするがね」
 「心配させてしまうのが嫌なのよ」
 「そう言わないでくれ。みんな君のことが好きで大切なんだ、だから心配するのは当然だよ。その気持ちまで跳ね除けないでくれ」
 小さな子供に言い聞かせるかのようにナイトメアの言葉が柔らかく私を包み込む。
 本当は私だって『心配するな』なんて自分のエゴでしかないことはわかってる。心配されなかったら、それはそれできっと不満に思って落ち込むだろう。
 (……なんて面倒な子……)
 「面倒だとは思わないよ。君が頑固で不器用で怖がりだということは誰よりも知っているからね、それに優しいことも。私に対しては時に手段を選ばないくらいの優しさをごり押ししてくれるじゃないか」
 楽しげに笑いながらぽんぽんと柔らかく頭の上で跳ねる白い手に、反発する気を削がれていく。落ち込みかけていた気分の変わりに湧き上がってきたのは、照れくささと暖かさ。
 「別に優しくなんてしてないわ。ちゃんと仕事して病院行って薬飲みなさいって当然の事を言ってるだけだもの。それとももっと優しくお願いしたら、だだをこねないで聞いてくれるの?」
 「病院は行かないぞ!」
 「なら、せめて薬を飲んで頂戴。少しでも体調よくして仕事しなきゃ、いつまでも一緒に遊べないわよ」
 照れくささを誤魔化すようにお決まりのやり取りを交わすと、不意にナイトメアが口を閉ざした。戻ってこない言葉に首を傾げる。
 「そうだな……君と遊ぶ為に仕事を頑張ると約束したが……」
 「何よ。もうギブアップなの?」
 (あれからまだ10時間帯くらいしか経ってないのに、もうやる気をなくしちゃうなんて)
 ナイトメアの自主性に期待するのはやはり無謀だったのだろうか。
 (……私との約束なんて、所詮その程度ってことなのね)
 グレイがあれだけ宥めて煽てて脅してもなかなか仕事をしないナイトメアだ。私なんかが上手く誘導できないのは当たり前かもしれないけれど、その事実はなんだか悔しくて苦しい。
 「違う、そうじゃない!仕事はちゃんとしていたんだ!嘘だと思うならグレイに聞いてくれ」
 「え?」
 硬く落ち込みそうになった私を慌てたナイトメアの声が引き止めた。
 「君との約束を守らないわけないだろう!?アリスが室内でも冬を楽しんでもらえるような計画も考えていたんだ。……しかし……」
 「ナイトメア?」
 急に口篭ったナイトメアを訝しげに覗きこむと、彼はしばらく躊躇ったあと目を閉じた。  
 「君に風邪をひかせてしまったのは私だ。すまない、アリス」
 「……は?」
 深刻そうに紡がれた言葉に、私はただ呆れた声を上げることしか出来ない。一体何を言い出すのかと思っていたら……
 「ナイトメアは風邪なんかひいていなかったでしょう?別にあなたからうつったなんて思ってないわよ」
 ナイトメアは重病人だけど、それは他人にうつるようなものじゃない。そんなの今更だ。
 油断して風邪をひいたのは、私の自己管理が甘かったから。
 「しかし、風邪をひく原因を作ったのは私だ。君が頻繁に訪ねて来てくれるのが嬉しくて、夏と冬を行き来するのにどんなに体力を使うか見過ごしていたんだからね。君は私の体調を気遣ってくれていたのに……情けない」  
 「あ……」

 『あれだけ気温差のある場所に入り浸ってれば風邪ぐらいひいてもおかしくねえな。じっとしてられない気持ちもわかるが治るまではおとなしく家にいてくれよ』

 仕方ない奴だなと心配しながらも、どこか呆れたように苦笑したゴーランドを思い出した。  身体を馴染ませる春と秋をすっ飛ばして、気温差の激しい夏と冬を何度往復したか数え切れない。そこには体調を崩してしまうかもなんて心配は欠片も思いつかなかった。
 ナイトメアの体力で夏に来させるのは無謀だけれど、自分が無茶している自覚なんてこれっぽっちもなかった。
 だって、私は……
 「アリスに会えないのは寂しいが、君の身体にこんな負担をかけさせてしまうくらいなら……」
 「待ってよ、ナイトメア。勝手に納得して決めてしまわないで」
 最後まで言わせないように、私はナイトメアの唇に指を押し当てた。そんな私の行動に驚いてる彼に笑ってみせる。
 「ちょっと風邪をひいたくらいで、もう冬に来ちゃいけない、なんて言わないでよね」  
 普段は呆れる程にポジティブで、子供のような我儘を言い張るくせに。
 時に気遣いしすぎて、とんでもなくネガティブな考えに行き着いてしまう、優しくて不器用な困った人。
 「しかし……」
 「私はあなたみたいに、現実でダメなら夢で会いに行くなんてまねは出来ないんだから」
 (私が会いたいから行くのよ)
 夢の中でしか会えなかったハートの国と違い、ここでは私の意志で会いに行ける距離にいる。会いたいと思った時にいつだって。
 一緒に現実で過ごせるのなら、夏と冬の激しい気温差さえ気にならない。
 「私はちゃんとお医者様に診てもらって薬も飲んで大人しく寝てるもの。あなたと違って体力もあるんだから風邪なんてすぐに治っちゃうわ」
 風邪なんて、普段から吐血してばかりのナイトメアの病状からすれば、可愛いものだろう。
 風邪が治って免疫がつけば、また少しだけ強くなるはずだ。 みんなに心配かけてしまうからもう引かないように充分気をつけるつもりだし。何より、ナイトメアにうつすわけにはいかない。  
 「だから、余計な心配なんてしないで。私の風邪が治るまでに出来るだけ仕事終わらせて待っててよ、ナイトメア」
 仕方ないこととは言え、ほんの少しだけ会えなくて寂しいと思ってしまっていたけれど、あなたはわざわざ夢にまで会いに来てくれたから。
 今度は私が、会いに行く。
 「アリス…君って子は……」
 譲る気のない私の主張に、ナイトメアは微かに頬を赤くしながら何故か目を泳がせた。
 「…無意識というか無自覚というか…そんな風に言われるとだな……」
 「?何ぶつぶつ言ってるの?」  
 「い、いや、何でもない」
 慌ててコホンと咳払いしたナイトメアに首を傾げていると、そっと頬を撫でられた。
 途端にふわりと身体中を包み込む、柔らかで優しい眠りの膜。
 今までにも何度も覚えのある感覚に、ふうっと自然に力が抜けていく。
 「病気の一番の治療は深く眠ることだ。今度は余計な夢は入り込ませないから、ゆっくりお眠り」  
 「…私を眠らせたら、ちゃんと戻って仕事してね?」
 「…わかったよ。ちゃんとするから」
 こんな時にまで念を押す私に諦めの溜息をついてから苦笑したナイトメアが、眠りに落ちていく寸前の私の額にそっと唇を落として囁いた。
 「風邪が治ったら温かくしておいで。君がいないといつまでもクリスマスを祝えないからな」
 (…クリスマス…?)  
 「そう、君と過ごす特別なクリスマスだ。楽しみにしていてくれ」
 (……うん……)
 どんどん薄れていく意識の中で囁かれた言葉に、ちゃんと返事は出来ただろうか。
 確認する術もないままに、私は優しい眠りの中に落ちていったーーー

 

◇◇◇  

 

 「…ん…」

 ゆっくりと意識が覚醒していく感覚に、そっと目を開いた。
 室内を満たすのはカーテン越しでも感じる眩い夏の日差し。
 かなりぐっすり眠ったような気がしたんだけど、実際にはそんなに経ってないのだろうか。
 この時間の狂った世界で、どれだけの時間を眠っていたかなんてきちんと計る術はないけれど。
 「あ、やっと起きた。気分はどう?アリス」
 「え?…ボリス?」
 不意に声がした方を振り向けば、ピンクの猫が私のベッドサイドに座り込んだままにっこりと見上げていた。
 「ど、どうしてボリスがここに?」
 「怒らないでよ。随分良く寝てると思って様子を見に来ただけ」
 看病は断ったはずなのにいつの間にか部屋の中にいたボリスの姿に一瞬焦ったけれど、彼は猫だ。
 いつに間にか部屋に入ってきて、主人以上に当然のように我が物顔で寛いでいるのは猫の性分。
 そして、普段はクールなのに、弱った仲間がいる時はさりげなく側にいてくれようとするのも猫の習性だ。
 元の世界で飼っていたダイナもそうだった。
 眠る前にはなかった自分以外の人の気配にどことなく安心していると、ボリスの手がピタッと私の額に触れてニコリと笑った。
 「うん、熱は大分下がったみたいだね。水かジュースか飲む?軽く食べられそうなら果物もあるけど」
 「じゃあ、お水をもらえる?」
 「了解っと」
 無断で部屋に入っていた文句の代わりに飲み物をリクエストして、ゆっくりと上体をベッドの上に起き上がらせた。
 まだ少し頭は痛むけれど、寝る前までの熱い重だるさはなくなっている。ボリスの言うとおりこの分だと熱もかなり下がっただろう。
 あれほど身体中に纏わり付いて不快だった暑さが…あれ?
 熱が引いたにしてはやけに部屋が涼しい気がする。 でも外はまだ昼で、真夏の熱は部屋の中にも容赦なく入ってくるのに?
 不思議に思って何気なく部屋を見渡すと、ベッドサイドに見慣れぬ物を見つけて、思わず瞬きを繰り返してしまった。
 「ああ、これ?アリスにお見舞いだって。全く、アンタに関する事に対しては情報早いよね、夢魔さんってば」
 「え!?ナイトメアが!?」
 驚いている私の様子を面白そうに眺めながら、ボリスが持って来てくれたコップを手渡してくれる。
 「伊達にいつも病気してるわけじゃないっていうか、病人に対してはほんとに気が利くよね。中身はともかく、おかげでいい感じに涼しいから俺もちょっぴり便乗させてもらってたんだ」
 悪びれもなくにゃははと笑うボリスの隣にあるのは、ボリスと同じ位大きなとても奇麗な氷柱だった。
 でも、普通の氷柱じゃない。
 透明度の高い氷の中に閉じ込められているのは、奇麗に飾られた小さなクリスマスツリー。
 どうやったかは不思議だが、中には雪の結晶まで散りばめられている。ツリーの根元には小さな雪だるまとプレゼントの包みまであった。


 (風邪が治ったら温かくしておいで。君がいないといつまでもクリスマスを祝えないからな)  

 「……あ……」
 不意に夢の中で眠りに落ちる寸前に囁かれた言葉を思い出して、熱は下がったはずの顔がまた熱くなる。
 すぐ近くに感じる冬の気配に、とくんと胸が高鳴った。
 氷柱からの冷気と溶け出した水が、暑かった部屋を心地いい温度に下げてくれている。ぐっすり眠れたのはこの涼しさのせいもあったのだろう。
 「…本当に、自分の体調は棚に上げといて人のことばっかりなんだから」
 夢の中に様子を見に来るだけじゃなく、こんなお見舞いまで気遣ってくれるなんて。ただの風邪なのに、本当に心配性なんだから。
 「ん〜?また少し顔赤いよ、アリス」
 ニヤニヤと楽しげな声にからかわれてはっとする。
 慌てて手にしたコップの水を飲んだけれど、どうしようもない程くすぐったい熱は胸の内側から湧き上がってきていた。
 この熱は、風邪のもの?それとも…  
 「…こんな風邪なんてすぐに治しちゃうんだから」
 「そうそう、その意気。でも夏風邪はしつこいから、完全に治るまでは抜け出しちゃダメだぜ?この氷柱が溶けるまでは外出禁止…っておっさんだけじゃなくて夢魔さんにも言われてるし」
 「…それナイトメアにだけは言われたくないけど…わかってるわ。無理しないでちゃんと治るまではここで大人しくしてる」
 そう告げる言葉とは裏腹に、本心では今すぐベッドから飛び出して出かけて行きたい。
 そんな私の内心を見透かしながらも宥めるかのように、ボリスがぽんぽんっと軽く頭を撫でた。
 「早く治すんなら、もう一度寝る前に何か軽いもの持ってくるから食べてから寝なよ。ね?」
 「あ、うん。ありがとう、ボリス」
 するりとドアから出て行くボリスを見送ってから、私はもう一度ベッドの上に起き出した。
 「…涼しい…」  
 暑さでへばっていたボリスがこっそり忍び込んでいたのも納得する、心地よい涼しさ。
 ただでさえ寝苦しい暑さに加えて発熱した身体を、この氷柱が冷やしすぎない程度に空気ごと冷やしてくれたおかげもあって、ぐっすり眠れたんだろう。
 大きく深呼吸をして、私はそっと手を伸ばして氷柱に触れてみる。
 「冷たいっ」
 氷なのだから当たり前。でも、まだ熱が完全に引いたわけじゃない今の私には、その冷たさに一瞬身体を震わせた。
 「…冷たいけど…奇麗」  
 いくら大きくても、夏の部屋に置いてあるのだから、きっと2日もすれば溶けてしまうだろう。
 氷も雪も、触れれば溶けて消えてしまう。
 でも、その冷たさはとても優しいものだ。
 真夏の部屋に届けられた、氷柱に閉じ込められた小さなクリスマス。それは一つの夢の欠片。
 目覚めれば消えてしまう夢のように、この氷柱はいずれ溶けて消えてしまうけれど、だからこそ早く実物に触れたいとも思う。
 「さすがに、ちゃんと仕事してるはずよね」
 この氷が溶けて私の風邪が治ったら、冬の塔ではクリスマスだ。
 「待っててね。ナイトメア」
 真夏の部屋で冬を恋う。
 一足先にクリスマスを運んでくれたあなたは、差し詰めサンタクロースと言ったところだろうか。
 不意に脳裏に浮かんだ、赤いサンタ服を着て得意げになっている彼の姿に、思わず小さく噴き出して笑いながら再びポスッとベッドに転がった。
 (あの中には一体何が入っているのかしら。・・折角のクリスマスなら、私も何かプレゼント用意しなくちゃね)  
 でもそれは、氷柱がすっかり溶けて私の風邪が治ってからの話。
 良くなれば楽しいことが待っているとなれば、一人で静かに眠っていてももう悪い夢を見ることもないだろう。
 まだ少しだるさが残るいつもより熱い身体。
 それでも心は軽いままに目を閉じれば、再びゆっくりと眠気に包まれる。
 ボリスが食事を持ってきてくれるのを持つつもりだったけれど、きっと私の身体は今は食事より睡眠が必要だってことだろうから、悪いけど先に眠っちゃおう。
 思うと同時に、私の意識はまたゆるゆると深い眠りの中に沈んでいった。

 


 白い雪も氷柱も、手に触れるといずれ溶けて消えてしまう。
 綺麗で儚い、でも手を伸ばさずにはいられないような・・それはどこか夢に似ている。
 でも、この世界には触れても消えない夢がある。
 悪夢の名前を持つくせに、私に眠りの中でも現実でも一人では見ることの出来ない綺麗な夢をくれる人。
 真夏の遊園地で真冬の塔を想う。
 ううん、想うだけじゃもう物足りない。


 すっかり夏風邪も良くなった私は、遊園地のみんなに半ば呆れられながらも、真逆の季節へ今日も無意識に向かって行く。
 溶けてしまった氷柱の中から現れた『溶けない夢』をこっそり胸元に忍ばせて。
 私に特別なプレゼントを届けてくれた、真夏のサンタクロースの元へと----

 

 


 

♪『箱アリ』発売前のクリスマスまでに間に合わせようと書いていたのが結局間に合わず。
 で、『箱アリ』プレイしてみたらアリスの風邪ネタが被っていたという・・
 そのまま放置していたのですが、折角途中まで書いていたので。

季節ネタが書ける『ジョカアリ』設定は大好きです。
前にクリスマスネタ書いた時もアリスの滞在地を遊園地にしていましたが、今回もそうだった・・。真逆の季節にしたかったからだけど。
塔のクリスマスパーティーとか楽しそうだなぁ♪
でも、ナイトメアはサンタのコスプレは似合わそう(笑)
かといって、天使のコスプレも似合わなそうだなぁ(笑)
クリスマスツリーに飾ってあった天使メアのオーナメントは可愛かったけど。

無意識無自覚なアリスの好意にドキドキしているナイトメアも好きです♪